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#title(ゴミ捨て場で人間を拾った男) [#z513f3a6]
[○○]⊂(・∀・ )棚の裏から、埃にまみれたテープを発見した...
チラシに包まれていて、そこには裏書き...
『長すぎる記録です。 25レス ほど使用するので、不要の...
お願いします。
……済みません、嘘吐きました。ごめんなさい。でも後悔はし...
|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )よく分からないけど再生!
窓のブラインドに切り取られた夕日が、部長の机を縞模様に...
「もちろん、強制じゃあない。ただ……少し、意外だぞ」
部長の薄くなった頭頂部にも、数本の陽光が斜めに走ってい...
「君なら、喜んで引き受けてくれる、と考えていたんだが」
「いえ、お話そのものは、有り難く思います」
原田は、言葉を選ぶために、少し間を開けてから答えた。
「……宜しければ、数日、考える時間を頂きたいのですが」
「そうか。まあ、急な話だしな。いいだろう」
部長は得心顔で頷くと、椅子の背に深く体を預けて、小さく...
「だが、長くは待てないぞ。代わりの人材は、いくらでも居る...
原田は、会社からバスで二十分ほどの、古い賃貸アパートに...
一人暮らしを始めて、かれこれ六年も経つが、六畳一間の部...
増えておらず、模様替えをするほどの家具もない。独身サラリ...
十分だと思っているし、実際、日々の生活には満足している。
彼は、周囲の環境も気に入っていた。東京の郊外で、ほどよ...
交通の便もそこそこだ。歩いて行ける距離には、商店街とコン...
不満など、考えても思い付かない。ただ……不安にならないか...
人生が停滞しているかのような、物足りなさがある。
ふと時計を見ると、一本の電車が到着する時間だった。
ほどなく、隣人も帰って来るだろう……いつからか、彼の帰宅...
しっかりと刻まれている。
食卓として使っている折り畳みテーブルに突っ伏すと、原田...
今朝、部長の提案に即答できなかったのは、何故だろう。上...
ない。昨年からずっと、自分も望んでいた事なのに。
流されるのは嫌いだ。けれども、立ち止まるのは、もっと嫌...
まとまらない思考に苛々とテーブルを叩いていると、玄関か...
アパートの隣に住むイタリア人が、ドアをノックしているの...
重くなるのを感じた。
「開いてるぞ」
応えると、部屋へ入ってくる一連の物音がして、背後から、...
日本語が陽気に言った。
「こんばんは、原田さん。ただいま帰りました」
声の持ち主は、そのまま上がり込むと、勝手知ったるといっ...
向かいに座る。
「今日は、寒かったですね。原田さんは、まだ、こたつを使わ...
「あー」
「明日は、もっと寒いそうです。原田さんは、寒いの大丈夫で...
「んー」
「日本の冬は初めてなので、とても楽しみです。日本では『こ...
そうですね。原田さんも『こたつみかん』をしますか?」
「まーな」
「原田さん……どうしたんですか? 元気が無いですか?」
「……あのなぁ、ニコーラ」
のろのろと顔を上げ、原田は、隣人の突き出た額辺りをぼん...
彫りの深い顔は縦長で、最近短く切った黒髪が、意外と小作...
いる。硬く立ったそれは芝生のようだったが、彼には似合って...
伸びると巻き毛になるのか。原田には、不思議で仕方がない。
照明によっては青ざめて見える白い肌が、頬と鼻の先だけ赤...
そろそろ暖房が必要だ、と原田は思った。こたつを出して、電...
「悪い知らせが、ある」
見上げる顔が、気遣わしげな表情を浮かべた。高い座高から...
こちらを伺っている。天井の明かりを背にすると、彼の灰色の...
原田は安心した。
もっとも、これは気のせいだ。暗がりで間近に見ても、彼の...
その目が近付く度に、原田は落ち着かなくなった。
「実はな……まだ、飯を炊いてないんだ」
「はい」
返事をしてから、隣人の表情が困惑のそれに変わる。
「ええと、何ですか?」
「それにな、おかずになるようなものが、何もない。ラーメン...
「ご飯が、無いんですか?」
「飯はあるんだけどな。買い物するの、忘れててな……何か、食...
「ああ、お腹が空いているんですね」
良かった、と笑って、隣人は立ち上がった。
「今日は、私が夕ご飯を作ります。パスタでいいですか?」
「頼む。仕事の後なのに、悪いな」
「いいえ、いつも作ってもらっているので、ええと、おたがい...
また増えたらしい語彙を得意げに使って、彼は部屋を出て行...
消えて、原田は安堵とも疲労ともつかないため息を漏らした。
隣に住むイタリア人は、ニコーラ・バルダッチーニという。
去年の夏に、原田がゴミ置き場から拾った男だ。実際には、...
行き倒れかけていたのだから、救出したと言う方が近い。だが...
自分がバルダッチーニを救ってやった、などとは考えられなか...
今では、あれは間違いだったのではないか、とすら思える。
原田がバルダッチーニにした事といえば、食事と休息を与え...
送り出したくらいのものだ。その中には、蹴ったり怒鳴ったり...
有り難くないであろう行動も、過分に含まれていた。
俺は、何もしていない。
それなのに何故、彼はこのアパートに戻って来たのだろう。...
ほどの、何がここにあると言うのだろう。
そして……どうしてバルダッチーニは、俺を好きだなどと……。
「馬鹿が」
壁を睨んで、ひとりごちる。
原田がどんなに遅く帰っても、バルダッチーニは気にしない。
連絡もせず、友人たちと飲んで来ても、彼は文句も言わない。
最近では、原田の方が気になって、用も無いのに真っ直ぐ帰...
「それでいいのかよ」
好きだの、愛しているだのと言いながら、何も要求して来な...
やっぱり、その程度だったのだろうか、と思ってしまう。
「……根性無しが」
そうとも。あいつだって立派な大人なのだから、このままで...
事くらい、分かりそうなものだ。仲の良い隣人で十分なら、愛...
言わないで欲しかった。
それ以上を望むなら、向こうから仕掛けて来ればいい。
自分からなど、絶対に無理だ。
「うまい! やっぱり、本場の人間が作ると違うな」
「ありがとうございます。たくさん食べて下さい」
にこにこと笑うバルダッチーニに、返事代わりの頷きを返し...
パスタを一心にむさぼった。食っていれば、余計な事を話さず...
バルダッチーニが用意した夕食は、よく分からないがチーズ...
トマト味やらクリーム味やらと作ってくれ、そのどれもが美味...
缶詰やレトルトのパスタソースでも大満足なのだが、たまにバ...
食べると、味の格差に感動してしまう。
何がどう違うのだろう、と思いながら、黙々と食べていると...
口を開く。
「スープはどうですか?」
「これもうまい。俺、豆好きだし」
「原田さんは、嫌いなものが無いので、とても……たすかります...
「うん、助かります、で正解だ……きのこなんて、よく有ったな」
「缶詰です。駅前のスーパーで、買いました」
「こんなの、缶詰で売ってるのか。すごいな、最近は」
「本当は……ええと、乾燥、したものの方がいいです。でも、手...
「へー。干し椎茸みたいなもんか? ま、何でもいいや。うま...
またひと掬い、きのこごと麺をかっ込むと、時間をかけて味...
原田がふと顔を上げると、やはり笑顔のバルダッチーニと目が...
何をやっているんだ、俺は。
「……て事は、豆も缶詰か?」
「いえ、違います。これは、今日のお土産です」
「スープが、か?」
すると、バルダッチーニは少し考えてから説明する。
「ええと、ですね。豆とソーセージの煮込み、が残ったので、...
私の田舎では、夕ご飯の残りで、朝ご飯に作ります。パン?……...
「ほう」
「日本には、色々な豆が売っているので、作ってみました。チ...
言ってくれました。でも、たくさん作ったので、余ってしまい...
最近、皿洗いから昇格したらしいバルダッチーニは、自慢し...
そこで器用に肩をすくめて見せた。こうしたジェスチャーを目...
やはり彼は外国人なのだな、と思う。言葉も生活も不自由して...
まだ、日本に住んで一年足らずの新人なのだ。
そこまで考えて、原田ははっとした。だからどうした。放っ...
口では、会話を途切れさせまいと、当たり障りのない言葉が...
「そうか。残り物を捨てないのは偉いぞ。つうか、何料理屋な...
「たこくせき、りょうりや、だそうです。昼間が食事で、夜が...
「じゃあ、イタリア人は大活躍だな。良かったじゃないか」
「はい。原田さんのおかげです」
「……なんで、俺なんだよ」
むっとして、原田はバルダッチーニを睨んだ。時々こいつは...
「自分で選んで、探した職場だろ」
「でも、私は……原田さんが私の作った料理を、美味しいと言っ...
料理を作る仕事をしようとは、思っていませんでした」
言って、バルダッチーニは何故か居住まいを正す。
「だから、原田さんに感謝しています」
まただ。
俺は、何もしていないのに。こいつの為に何かしてやろうだ...
ないのに。この馬鹿外国人は、勝手に都合良く思い込んで、俺...
「まあ、切っ掛けはどうあれ、だな」
視線を逸らせて、原田は呟くように言った。
「自分で決めた道なんだから、一人前になるまで、しっかりや...
「はい、頑張ります」
バルダッチーニは、元気良く応えて食事に戻る。そっと伺う...
パスタを頬張ったまま、笑みを返された。そのお気楽そうな顔...
あんたは、何がしたいんだ。こんな事がいつまでも続くなん...
ないんだろう?
それでも、原田は何一つ言い出せず、時間は、ただ過ぎてい...
「原田さん、お休みなさい」
「おう、お休み」
いつもの台詞、いつもと同じ笑顔。しかし、あの夏の日以来...
原田の部屋に泊まり込もうとはしなくなっていた。
なんとなく、いつもの癖で玄関まで付いて行くと、三和土に...
顔が、体ごと振り返る。
灰色の目に真上から覗き込まれて、原田は反射的に身構える...
ただ、頭を下げただけだった。
「……ニコーラ」
無意識に、言葉が口をついた。
「明日から、しばらく来なくていいぞ」
瞬間、きょとんと開かれた目に、原田の心臓が音を立てる。
「ちょっと、仕事が忙しくなるから。飯、待たせるのも何だし」
慌てて言い添えると、原田は追い出すように手を振った。
「残業するから、飯は食って帰る、って言ってるんだよ。何か...
「いえ……分かりました」
声のトーンが少し落ちた気がしたが、バルダッチーニの表情...
「また、忙しくなくなったら、教えて下さい」
あっさりと承諾されて、原田が面食らっていると、バルダッ...
部屋を出て行った。
なんだよ、それ。
原田は、閉められたドアを呆然と見つめた。のろのろと追い...
何かを間違ってしまったのではないか、と思う。これで、バル...
部屋に来ることはない……自分が、言い出さない限り。
気付いた途端に、視界がぐらりと揺れた。
生暖かいものが、頬を伝い落ちる。訳が分からない。頭が混...
出来ない。胸が痛くて、ドアの向こうに消えた背中を追いかけ...
腹が立つ。
「ばかやろ……」
俺が帰るまで待つ、って言えよ。夕飯の口実なんかなくても...
そんなに簡単なのか。もう諦めたのか。
俺は逃げなかったのに、追い掛けてすら来ないのかよ。
「勝手にしろ」
もう、限界だ。
「よお、ハラ」
肩をつつかれて振り返ると、同僚の吉崎が立っていた。
「珍しいな、こんな所で」
「……まあ、たまには」
ご飯を水で飲み込んで、原田がどうにか返事をすると、吉崎...
座った。
会社帰りに立ち寄った牛丼屋は込み合っていた。入り口には...
数人、所在無さげに立っている。原田のどんぶりは、あと半分...
出よう、と思ったところに、吉崎が口を開く。
「支店の課長に聞いたんだけど」
視線だけ向けて応えると、吉崎はさっそく運ばれた水を飲ん...
「お前さ、寮の申し込みしてないんだって?」
「ああ。別に必要ねーし」
「マジかよ。片道、一時間以上あるぞ? よく平気だな」
「いや、近くにマンション買ったから」
「……はあ?」
目を剥いて驚く吉崎を放って、原田は牛丼の続きに戻る。
「え? ちょっと待て、買った?」
「うるせーな。食ってる時に邪魔すんな」
「何だよ、それ。お前、結婚でもすんのか」
「……あのな」
仕方なく、食べる速度を落とした。あまり話したくない事で...
されるのも面倒だ。
「付き合ってる女も居ないのに、どうやって結婚するんだよ」
「だって、マンションだろ? 家だぞ? 独身で家なんて買う...
「俺の最終目標は、独立だからな。早めに落ち着いて、面倒を...
「お前……すげーな。その自信は、どっから出てくるんだよ」
吉崎は、さらに声を落とすと。
「……で、高かったか?」
「まあ、そこそこな」
実際には、六年間の貧乏生活で貯金しまくったため、契約時...
いたのだが、そこははぐらかしておく事にした。
「別に、一生そこに住む訳じゃない。後で賃貸にしてもいいし」
まるで、ずっと以前から計画していた事のように、言葉がす...
部長に待っていてもらった返事を告げてから、たったの半月...
決まってしまった。来年の四月には、いくつかの部署から集め...
支社の開発室が本格的に始業する。
吉崎も、原田と同様に支社へ誘われた一人だ。だが、自分が...
こんなにも早く知れるとは思ってもいなかった。
もっとも、いつまでも隠しておけるものではない。原田が家...
あっという間に広まるのは目に見えている。
別に、構わないか、と原田は思った。吉崎は親しい友人だが...
ほとんど無いし、表面的な好奇心が満たされれば、深くは追求...
問題は……これからの私生活に関わってくる人物は、たった一...
「サラリーマンの内に、ローン組んどいた方が楽だろ……それだ...
「確かになぁ。うん……」
つぶやくように言って、吉崎が箸を割る。
「俺も美代ちゃんの為に、少しは考えるかな」
「そうしろ。退職までローンが残ってたら、大変だぞ」
じゃあな、と吉崎の肩を叩いて、原田はカウンターを降りた...
ブリーフケースを抱えて、込み合ったドアをくぐり抜ける。
時計を見れば、まだ六時過ぎだった。
この二週間というもの、原田は退社後の時間つぶしに頭を悩...
残業など無いのだ。とっさの嘘を隠し続けるためだけに、一...
うろつくのが、原田の日課になってしまっていた。
そして、夜に帰宅しては、寝るまで待っている。
もしかしたら、隣人が訪ねて来るのではないか、と期待して。
このままでは駄目だ、と繰り返し思った。自分は動き始めて...
なし崩しに離れて終わってしまうくらいなら、はっきりとケリ...
本当は、もう分かっているのだ。長い間、疑問すら感じた事...
二週間というもの、一人で夕食をとることすら辛くなっている。
近くの書店へ向かっていた足を止めて、バス停に引き返す。
こんなのは、もう終わりだ。あの馬鹿と、きっちり話をつけ...
それから。
思いきり、ぶん殴ってやる。
どんな理由で好きになったのか、今も分からない。
けれども、彼以上に好きになれる相手など、もう一生現れな...
「原田さん」
「おう」
呼びかけると、即座に返事が返ってくる。
「……んだよ」
黙って見つめると、眉をしかめて睨み返される。
「こら、寄るんじゃねえよ」
近付くと、手を振って追い払おうとする。けれども、彼は決...
本気で拒絶している訳でもない。
バルダッチーニには、そんな原田の反応が嬉しくもあり、不...
何度か恋はして来たが、彼のような相手は初めてだ。
テレビ画面に集中している横顔に、もう一度呼びかけてみる。
「原田さん」
「うるせえな。黙って観てられないのか」
原田はビデオを一時停止させると、ソファにふんぞり返って...
ブラウン管からの光が、原田の肌をオレンジ色に照らしてい...
上がる体は、季節柄しっかりと着込んでいるし、体温を感じる...
それでも、自分の部屋で、同じソファに好きな男が座ってい...
落ち着けと言う方が無茶だと、バルダッチーニは思う。
「飽きたとか言うなよ。あんたが観たいって言うから、借りて...
「いえ、映画は面白いです。でも……やっぱり、明かりを点けま...
「何でだよ。暗い方がいいだろ、映画館っぽくて」
原田の表情からは、危機感や嫌悪感というものが全く伺えな...
キスした時も、勢い余って想いを打ち明けた時にも、原田は怒...
信頼されているのだろうか、とも思う。確かに自分は、無理...
など無いと、経験で知っている。だが、ここまで無防備でいら...
効かなくなりはしないかと、不安になった。
「いいから、終わりまでちゃんと観てろ。映画を作った人間に...
言うと、原田はまたビデオを再生してしまった。それきり、...
バルダッチーニも諦めて、映画に集中しようと姿勢を正す。
でも、原田さん。この先は、どう考えてもラブシーンなんで...
バルダッチーニの不安をよそに、映画は刻々と進み、物語の...
情熱的に体を重ねていった。そっと隣を伺うが、原田は平気な...
バルダッチーニもしきりに視線を動かしていたおかげで、ラブ...
過ぎてしまった。
やはりこれは、信頼されているのではなく……意識されてすら...
映画が終わって、バルダッチーニが部屋の明かりを点けると...
「……納得いかねえ」
「はい?」
「どうして、女を置いて行っちまうんだ? 連れてってやれば...
「それは……彼は、悪いことをしたので、一人で逃げたんです。...
危ないと思って」
「警察に出頭する気もないくせに、関係ないだろ、そんなの。...
話としては分かるけど、同感は出来ない」
原田は、巻き戻されたテープをケースに戻すと、独り言のよ...
「好き合ってるのに置いて行かれるなんて、女が可哀想だ」
バルダッチーニは、その時に答えられなかった言葉を胸の内...
でも、どうにもならない事が、世の中にはあるんです。
どんなに愛していても、離れたくなくても、受け入れなくて...
存在するんですよ。
例えば、今のように。
アパートの廊下で、バルダッチーニは、もう一度だけ原田の...
明日から、来なくていいと言われてしまった。そして、自分...
自分が、少し臆病な性格だとは分かっている。大きな失敗を...
なり過ぎている事も。
だが、どうにも出来ないのだ。キスしても、抱きしめても、...
毎晩のように部屋へ押し掛けても、嫌な顔一つせずに迎えてく...
では、それ以上は? 彼は、どこまで許してくれるのだろう...
言っていたが、自分が何をしたら、彼に嫌われてしまうのか。
このままでは、想いを忘れる事も出来ない。彼に触れたくて...
押さえ付けてまで側に居続けるのは、多分、もう無理だ。
原田にはきっと、はっきり言うまで分かってもらえない。
自分の部屋へ戻ると、バルダッチーニは暗い部屋を見据えて...
今度、原田の部屋に呼ばれたら、正直に言おう。
すぐにでも抱いてしまいたいくらい、好きなのだ。それが駄...
駄目なら……今度こそ、きっぱり諦めるしかない。恋人になれ...
して、隣に居させてもらうためにも。
けれども、自分は本当に、そんな事が出来るのだろうか。
しかし、いつまで待っても、原田からの連絡は無かった。
あっという間に一週間ほどが過ぎ、日曜日がやって来る。
バルダッチーニの仕事にカレンダー通りの休みなど無いが、...
休日なら彼も暇だろうと思って、ドアを叩いてみる。
しかし、原田は出かけいているのか返事がなく、ドアの鍵も...
そして、さらに時間は過ぎていく。
もしかしたら、このまま会えなくなってしまうかも知れない...
数えると、意外な事に、まだ二週間しか経っていなかった。
「バル、手元が留守になってるぞ」
背後から、低い声で注意されて、慌てて洗いかけの皿を持ち...
いくつか料理を作らせてもらっているとは言え、バルダッチ...
厨房が忙しくなれば、洗い場から食材の仕込みまで、出来る仕...
今も皿洗いの後には、ソース用の野菜が、バルダッチーニに...
上で待ちかねている状況だ。
「バル! それ終わったら、アイヨリも追加な!」
「はい!」
グリルの辺りから響く声に、こちらも大声で応えると、バル...
洗って、まな板に向かった。日本語に加えて、フランス語や英...
使われるスパイス名までが頻繁に飛び交う環境にも、なんとか...
今日は、軽めの料理や、魚が多く出ているらしい。潰したニ...
ながら、原田はニンニクも好きだったな、と思い出す。
冬は白身の魚が美味しいし、素材の良いものには、こうした...
次に作るマヨネーズ風のソースも、原田は気に入ってくれそう...
無いという、料理を提供する側には大変有り難い存在だが、彼...
麺類が大好きで、パスタも柔らかく茹でた細麺を好む。
バターやチーズに目がないが、すぐに満腹になってしまう。...
ものや香辛料の効いた料理だと、驚くほど良く食べる。
ナイフを使うような食事は、苦手らしい。食べる際に、手間...
難しい顔で突きまわすのだ。箸で育ったからだろう、簡単に口...
食卓は静寂の内に過ぎてしまう。
慌ただしい一日が終わり、交代の時間になっても、バルダッ...
考えていた。彼の居ないアパートに帰りたくなくて、頼まれて...
テーブル用のナプキンを畳んでしまったりする。
「バルちゃん、なんか大人しいな」
言われて顔を上げると、早めに出勤していた同僚が、ジャガ...
こちらを見ていた。
「今日は、イカが余ってるってよ。持って帰るか?」
「いえ……要りません」
「そっか。彼女、今日も帰り遅いんだ?」
余り物を持って帰る度に、原田がうまい、うまいと食べてく...
つい同僚に報告してしまうので、バルダッチーニの隣人につい...
何となく知っていた。だが、原田さん、としか伝えていないの...
勘違いされているらしい。
「喧嘩でもしたか?」
「……杉浦さん」
「ん?」
「原田さんは、男性です」
「……あ、そうなの」
そうなんです。
小さくて、元気で、とてもやさしいけれど、男性なんです。
「でも、好きなんだ?」
その言葉に、驚いて杉浦を凝視すると、ジャガイモを回す彼...
「なんだよ、その顔は。違うのか?」
「いえ、あの……どうして」
「そりゃ、分かるっつーの。原田さん、だっけ? その人の事...
頭に花でも咲いたみたいになってるし」
「はなでさ?」
「浮かれてる、っての。で、今は沈んでる。まあ、それはとも...
杉浦は、剥き終わったジャガイモをボウルに放り込むと、次...
真剣な顔でバルダッチーニを見つめた。
「バルちゃんはさ、才能あるよ。真面目だし、料理人で十分食...
何の話が始まったのか、さっぱり分からないまま、バルダッ...
「そりゃ、まだまだ頑張らなきゃだよ? でもな、この店の皆...
期待してる」
だから、と続けて、杉浦はまたナイフを動かし始めた。
「こんな事は言いたくないけどさ……ぐだぐだ悩んでないで、し...
欲しいわけ。好きなら好きで、さっさと片つけて来い」
日本語は、難しい。回りくどい表現が多くて、躊躇うことも...
けれども、杉浦の台詞は恐ろしいまでに明確だった。
バルダッチーニは、震える手でナプキンの束を片付けると、...
「すいません」
自分は、職場の人間にまで、迷惑をかけてしまっているのだ。
「ちゃんと、かたつけて、きます」
「……うん。まあ、頑張れや」
杉浦は、顔だけ上げて笑うと、ジャガイモを放り投げた。
「振られたら、やけ酒くらい付き合ってやるから」
コートも片付けないまま、バルダッチーニがソファに転がっ...
階段を上がる足音が聞こえた。
じっと耳を澄ませるが、足音は下の階で途切れ、ドアが閉ま...
今日も、原田は残業なのだろうか。
どこかから、音楽の低音だけが小さく響いている。通りを走...
大きく聞こえる。
不意に、天井からどしんと物音が立った。四階の住人が、何...
とても静かだ、とバルダッチーニは思った。
壁の薄いアパートで、バス通りに面した立地だというのに、...
夜はこんなにも静かだ。いつもなら、一緒に夕飯を食べている...
向かい合って、取り留めもない会話をして。
また、足音が聞こえた。今度は、真っ直ぐこちらへ向かって...
原田が帰って来たら、彼の部屋を訪ねてみよう。煩がられて...
今日こそ、この想いに決着をつけるのだ。
つらつらと考えながら、隣のドアが開くのを期待していたバ...
自室のドアをノックされて飛び上がった。
「は、はい!」
条件反射で返事をして、何も考えずにドアを開ける。
そして、目にした光景に固まってしまった。
「……はらだ、さん」
喉の奥から、途切れとぎれに声が出る。
「あ、あの……こんばんは」
「おう」
バルダッチーニが呆然としていると、原田はマフラーを解き...
隙間を通り抜けた。押し退けられたバルダッチーニは、どうに...
原田の後ろ姿を目で追いながら、玄関に立ち尽くすしかない。
原田が目の前に居る、という現実に、バルダッチーニは混乱...
そのまま来たらしい原田は、滅多に見ないスーツ姿だ。厚手の...
手には鞄とマフラーを下げている。
彼は、何をしに来たのだろう。
「上がるぞ」
靴も脱いで、すっかり部屋に入ってしまってから、原田が振...
「……寒いな。暖房入れてないのか」
「は、はい。すいません」
「まあ、いいけど。ニコーラ」
手招きされて、バルダッチーニはふらふらと原田に近付いた。
「ちょっと、そこに座れ。話がある」
促されるままソファに腰を下ろすと、原田も隣に座る。
「……なんか、喋りづらいな、こういう椅子は」
言いながら片足を組むと、真横に座り直すので、バルダッチ...
背にした。小さなソファなので、両端に離れていても、膝がぶ...
「無駄話してもしょうがねぇから、簡単に言うぞ。俺は来月、...
「……え」
唐突な言葉に、反応が遅れる。
「ひっこし、ですか?」
「そうだよ。理由は、働く場所が変わるからだ。このアパート...
会社に近い所に、住む事にした」
原田が何を話しているのか、よく分からない。
「それで、だ。俺はあんたに、訊きたい事がある」
分かりたく、ない。原田は、どこかに行ってしまうのだろう...
「あんたは……何だ、その」
不意に、視線を逸らされた。居心地悪そうに眉をしかめて、...
姿に、腹の底から不安が押し寄せる。
行ってしまうのだ。
まだ、何も言っていないのに。彼の気持ちを確かめてすらい...
出来なくなってしまうのか。
「だから……あんたが、俺の事を、だな」
原田は、仕方なく、といった様子でこちらを向いた。見上げ...
感じられて、衝動的に手を伸ばす。
「まだ……」
「嫌です」
心では抱きついてしまいたいのに、震える手は、原田のコー...
「行かないで、下さい」
「……それは出来ない」
原田の視線が、強く引っ張られているコートにちらりと落ち...
「行く、行かないじゃなくて、もう決まった事なんだ。俺は、...
「どうして、ですか」
「だから、仕事が……」
「私が、何か悪い事をしましたか? 私が、嫌いだからですか...
焦りに逸るあまり、バルダッチーニは縋るように身を乗り出...
「行かないで下さい……本当に、何もしませんから。原田さんの...
しませんから。お願いです……」
せめて、側に居て下さい。
気が付けば、バルダッチーニは原田に覆い被さっていた。小...
握り締めたコートごと、ソファの肘掛けに押し付けられている。
それをしているのは自分だ、と分かっているのに、手を離す...
感情と行動がばらばらになり、身動きが取れなくなったバル...
迫った原田の顔をじっと見下ろす。こんな状況で、どうして原...
のだろう。何故、ただ見返してくるのだろう。
「原田さん」
逃げて、下さい。今すぐに、僕を嫌いだと言って下さい。
このままでは、きっと……大変な事をしてしまうから。
「……はらだ、さん」
「言いたい事は、それだけか?」
頬に冷たい何かが触れて、びくりと身を竦めたバルダッチー...
原田の指だと気付く。
「何も、しないのか」
「……え」
「あんたは、俺が好きなんだろ?」
躊躇いがちに、そっと目元を触ってくる指先は、微かに震え...
「だったら……行くな、とか、嫌いか、とかじゃなくて、他に言...
「あの……」
バルダッチーニは、今度こそ完全なパニックに陥った。
慣れた筈の日本語が、全く耳に入らない。そればかりか。
「と……その」
まともな言葉ひとつ、出て来ない。
「いえ、あ……」
「なんとか言えよ」
答えを考えるより早く、原田の腕が首筋に回された。
外気をまとった布地を通して、しっかりとかたい筋肉の感触...
目の前には、シャツのカラーと揺るんだネクタイ。そして、額...
「あんたは、俺をどうしたいんだ」
バルダッチーニの肩から、力が抜けた。そのまま、倒れ込む...
原田のコートから手を離す。
重なる体に、胸が痛くなった。
こうして抱きしめてもらえるのを、どれほど望んでいたこと...
くれる事を、どんなにか夢見ていただろう。
けれども、いざ現実となると、喜びよりも不安が先に立つ。
バルダッチーニは、恐るおそる口を開いた。
「……原田さん」
「うん」
「私は、原田さんが好きです」
ゆっくりと、ソファの隙間に手を入れる。身じろぎ一つしな...
腕の中に閉じ込める。
「原田さんが許してくれるなら……キスしたり、抱いたり、した...
教えて下さい」
「……なんだ」
「原田さんは、私の事が好きですか?」
首に回されている原田の腕が、びくりと引きつるのが分かっ...
「それとも、最後だから……もう、お別れだから、やさしくして...
「この……馬鹿野郎!」
突然、原田が飛び起きた。ソファから落ちそうになりながら...
バルダッチーニの頭や肩をめちゃくちゃに叩いてくる。
「なんだよそれ……なんなんだよ! お、俺が、そんな……そこま...
俺は!」
「え? あ、ごめんなさ……」
「うるさい! もう、てめぇなんか知るか! 離せ、この野郎...
「痛い、痛いです……原田さん、落ち着いて」
ばたばたと暴れる足をどうにか捕まえると、バルダッチーニ...
ソファに座らせる。もう少しで、頭から床に落ちてしまうとこ...
払い除けるような仕草を繰り返す腕を押さえると、原田はや...
「大丈夫ですか?」
そっと、原田のうつむいた顔を覗き込んで、バルダッチーニ...
「原田さん……?」
「……分からねぇんだ」
喉を震わせて、原田が低くつぶやいた。
「お、男に、好きだとか言われて……そんなの、分かるわけ、な...
そこで鼻をすすると、目に溜まっていた涙が、一粒こぼれ落...
「あんたは、卑怯だ」
「ひきょう……?」
「俺に、あんな……しておいて……俺は、嫌いじゃない、って言っ...
唇を震わせて、原田がさらに下を向く。
「俺は、嫌じゃない、のに……なにもしねぇし」
「それは……」
「来るな、って言ったら、本当に来ねぇし」
「その……ごめんなさい」
何故か、悪い事をしてしまった気がして、思わずバルダッチ...
「分かれば、いいんだ」
言って、原田が顔を上げた。涙の残る目で、怒ったように睨...
「で、どうなんだよ」
「どう……?」
「あんたは、俺と離れてもいいのか」
「それは……」
またしても、会話の方向が全く分からない。さっきから、原...
いるのか、バルダッチーニには見当も付かなかった。
それでも、言わなければならない答えは、一つだけだ。
「嫌です。離れたく、ないです」
「俺の事が、好きか?」
「はい。好きです」
これだけは、胸を張って言える。
「私は、原田さんを愛してます」
「なら、付いて来い」
え? と、間抜けな声が出た。
この人は、突然何を言い出したのか。
「だったら、一緒に来い、って言ってるんだよ」
じれたように身を乗り出して、原田が続ける。既に泣いては...
眉の下で、真っ赤な目が不安そうに揺れていた。
「嫌なのかよ。だって……本当に、分からないんだ。俺だって、...
訳じゃない。一緒に居る方がいい……それだけじゃ、駄目なのか...
そういう事じゃないのか?」
「あの、待って下さい。原田さん……一緒に、って、どこへ」
「どこでもいいだろ! さっさと決めねぇと、置いてくぞ!」
怒鳴られて、バルダッチーニは我に返った。これは、のんび...
ない。一体全体、何がどうなっているのか分からないが、原田...
「い、行きます!」
勢い込んで喋ったため、喉がつまりそうになる。
「一緒に、行きます。連れていって下さい」
言った途端、バルダッチーニの手の中で緊張していた原田の...
どさりとソファの背に倒れて、原田が大きく息を吐く。
「……原田さん?」
「よし。それでいいんだ」
何故か、満足げに頷くと、原田はバルダッチーニを押し退け...
まだ混乱が抜けきっていないバルダッチーニは、そのまま歩...
背中をおろおろと見守るしかない。
「おい、ニコーラ」
「は、はい」
玄関先で振り返ると、原田はバルダッチーニに指を突き付け...
「引っ越しは、来月の十日だ。それまでに荷造りしておけよ」
そして、返事も待たずに部屋を出てしまう。
残されたバルダッチーニは、それから数分ほど、放心して座...
「はい……?」
間の抜けた声が、自分の口から出る。
「ええと……どういう、ことですか?」
これは、どういう事なのだろう。
真新しい板張りの廊下に立ち尽くして、バルダッチーニはぼ...
廊下の両側と正面にあるドアは、それぞれが別の部屋に通じ...
リビングで、そこからベランダに出る事も出来る。
ここは、どこなのだろう。
原田に指示されるまま、アパートを解約し、少ない家具や荷...
積んだトラックを見送った。電車で一時間以上もかかるアパー...
して、命令されるままに、掃除から荷解きまでを手伝った。
だが、全ては忙しい仕事の合間を塗っての作業だったので、...
バルダッチーニは、これは現実なのかと疑っている有り様だっ...
路線はどうにか覚えたが、ここが何と言う街なのかすら知らな...
そして今、疲れ切った体と頭で、再度くり返す。
自分は一体、どうしてここに居るのだろう。
「おい、ニコーラ。突っ立ってないで、手伝え!」
「は、はい!」
その声に、弾かれるようにして振り返ると、玄関からすぐの...
していた。
「なんですか?」
「なんですか、じゃねえよ。さっさと片付けないと、寝れねぇ...
部屋に入って、ようやくバルダッチーニにもその意味が分か...
つい先日まで暮らしていたアパートが、すっぽり入るほどの...
並んでいた。そして床には、包装を解いたばかりの寝具が、乱...
同じ大きさのベッドに、お揃いの布団に、色違いのシーツ。
「どっちにする? 俺は黒がいいな」
「はい。では、私は青ですね」
「よし、決まりだ。自分のは自分で広げろよ」
言って、早速布団を広げ始める原田に習って、バルダッチー...
「ベッドだー! すげえ!」
ばさばさと音を立てながら、あっという間に寝具を重ねてし...
叫んで、掛布の上に倒れ込んだ。
「ふかふかだー」
そして、ごろりと仰向けになると、天井に手を伸ばす。
「寝るだけの部屋だー。俺も出世したもんだなー」
「あの……原田さん」
「あー?」
「ベッドが、好きなんですか?」
聞きたい事は山のようにあるのだが、口から出たのは、あま...
「おう。実家じゃあずっと、弟と二段ベッドに寝てたからな」
ご機嫌を絵に描いたような顔で、原田が答える。
「あんたも、ベッドの方がいいだろ? 一番安い間取りだから...
「はい。大丈夫です」
曖昧につぶやいて、バルダッチーニは寝室を眺める。背が高...
任されたカーテンや、二人の衣類を適当に突っ込んだだけのタ...
ある。しかし。
原田には、弟がいたのか。
考えれば、自分は原田の事を何も知らない。家族構成も、職...
それなのに……一緒に暮らす?
唐突に理解して、バルダッチーニは目眩を覚えた。
一緒に、暮らしてしまうのだ。もう、アパートは解約してし...
書いた書類で、住所や電話番号も移っている。
「はらだ、さん」
ふらふらと近付いて、ベッドの端に腰を下ろす。
「ここは、どこですか?」
「は? どこって……俺の家だろ」
「ですよね……あの」
見下ろすと、寝転ぶ原田と目が合った。
意を決してそっと屈み込むが、原田は少し眉をひそめただけ...
「キスしても、いいですか?」
「……んなの、聞くなよ」
どうしよう。
恐るおそる手を伸ばし、視線ごと背けられる顔を捉えて、唇...
何度か誘うように角度を変えると、驚いたことに、原田が応...
ゆっくりと、ついばむだけだったが、バルダッチーニがベッド...
次第に舌を使って深く絡ませてくる。
原田に全く経験が無いなどとは思っていなかったが、それで...
その慣れた反応に動揺した。やはり、これは夢ではないのか。...
応えて、しかも……背中に手を回している。
ずっと続けていたかったが、どうしても現実だと確かめたく...
身を起こして原田の顔を覗き込んだ。震える瞼が何度か瞬きを...
怪訝そうに揺れる。
「……どうした」
「いえ、その」
低い声も、少し機嫌の悪そうな表情も、いつもの原田だ。
信じられない。
「……本当に、いいんですか?」
「ば……いちいち聞くんじゃねえよ」
怒られてしまった。やはり、夢ではない。
「大体、俺には分からねぇんだから……」
原田の手がバルダッチーニの服を握り締めている。
「あんたがいいように、してくれないと、困る」
最後の言葉は、ほとんど消え入るような小声だった。ぴたり...
合わせて上下し、伝わる体温に鼓動が増す。
嫌いではない、と原田は言った。確かめようとしてもはぐら...
繰り返す。けれども、もしかしたら……全ては、ただの照れ隠し...
「原田さん」
だとしたら。同じ言葉を聞かされながら、半年間も。
自分は一体、何をしていたのだろう。
「愛してます……ずっと、一緒に居て下さい」
「あ、たりまえ、だろ」
「大好きです、原田さん」
「ニコーラ……それ、止めろ」
「え……なにが、ですか?」
「だから、その原田さんての、止めろって。こういう時は、そ...
せわしなく辺りに視線を投げながら、原田が早口に言う。
「名前で呼ぶもんだろ、普通」
その瞬間、バルダッチーニの頭が真っ白になった。
先ほどとは別の意味で心臓が音を立て、背中に冷や汗が浮か...
「……違う、か?」
「あの!」
慌てて起き上がると、原田が驚いた顔で見上げてくる。
「お腹が、空きませんか?」
「は? なんだよ、唐突に」
「いえ、ですから……ご飯を食べて、お風呂に入って、それから」
焦りのあまり、自分でも何を言っているのか分からない。
「落ち着いて、その……ゆっくり、続きをしましょう」
「……あ、うん」
だが、それを聞いた原田はこくこくと頷くと、逃げるように...
「分かった」
そして、不自然なほど明るい声で続ける。
「やっぱり、あれだな。引っ越しソバだよな」
笑いながらも、顔が赤い原田に、バルダッチーニは気付いて...
とりあえず同意の返事を返したが、引っ越しソバが何を意味...
理解していない。
もっと重要な事で、頭が一杯だったのだ。
その夜、本物の風呂だと大喜びの原田が脱衣所に消えると、...
大急ぎで行動を開始した。
契約書でも、封筒でも、何でもいい。
少ない家具の、あらゆる引き出しをこそこそと探りながら、...
ような気持ちだった。
どこかに、必ず有るはずだ。出来れば手書きではなく活字で...
ひらがなで、確実に読み方の分かるものがいい。
本当に、どこまで自分は馬鹿なのだろう。
愛する人と共に暮らして、全てを受け入れて貰ったというの...
知らないなんて。
こんな事が知れたら、今度こそ、殴られるだけでは済まない。
いや、それどころか。最悪、この家を追い出されてしまうか...
リビングの捜索を諦めて、本棚のある部屋に向かおうとした...
水音と共に陽気な歌声らしきものが聞こえた。
急がなくては。
これから、ずっと暮らしてゆく筈の部屋の中で、なぜか泥棒...
抱えながら、バルダッチーニは必死で捜索を続けていった。
ここはオートロックのマンションで、郵便も部屋番号だけの...
そして、管理会社は、入居時に住人の名を記した表札をサー...
だから、玄関ドアを開ければ、そこに自分と原田のフルネー...
表示されているなどとは、ついぞ知らずに。
□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )……どこかで観たような気がするな。
あれ、テープのラベルに落書...
『皆様の期待を裏切る結果になってしまっていたら申し訳ない...
した上に、何もしていませんが、小出しにするよりはと思い...
それでは、以上で決着という事で。失礼致します』
- 今まで読んできた創作の中で一番好きです。定期的に見にき...
- ツンツンな原田とほんわかなバルのもどかしいやり取り、や...
#comment
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#title(ゴミ捨て場で人間を拾った男) [#z513f3a6]
[○○]⊂(・∀・ )棚の裏から、埃にまみれたテープを発見した...
チラシに包まれていて、そこには裏書き...
『長すぎる記録です。 25レス ほど使用するので、不要の...
お願いします。
……済みません、嘘吐きました。ごめんなさい。でも後悔はし...
|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )よく分からないけど再生!
窓のブラインドに切り取られた夕日が、部長の机を縞模様に...
「もちろん、強制じゃあない。ただ……少し、意外だぞ」
部長の薄くなった頭頂部にも、数本の陽光が斜めに走ってい...
「君なら、喜んで引き受けてくれる、と考えていたんだが」
「いえ、お話そのものは、有り難く思います」
原田は、言葉を選ぶために、少し間を開けてから答えた。
「……宜しければ、数日、考える時間を頂きたいのですが」
「そうか。まあ、急な話だしな。いいだろう」
部長は得心顔で頷くと、椅子の背に深く体を預けて、小さく...
「だが、長くは待てないぞ。代わりの人材は、いくらでも居る...
原田は、会社からバスで二十分ほどの、古い賃貸アパートに...
一人暮らしを始めて、かれこれ六年も経つが、六畳一間の部...
増えておらず、模様替えをするほどの家具もない。独身サラリ...
十分だと思っているし、実際、日々の生活には満足している。
彼は、周囲の環境も気に入っていた。東京の郊外で、ほどよ...
交通の便もそこそこだ。歩いて行ける距離には、商店街とコン...
不満など、考えても思い付かない。ただ……不安にならないか...
人生が停滞しているかのような、物足りなさがある。
ふと時計を見ると、一本の電車が到着する時間だった。
ほどなく、隣人も帰って来るだろう……いつからか、彼の帰宅...
しっかりと刻まれている。
食卓として使っている折り畳みテーブルに突っ伏すと、原田...
今朝、部長の提案に即答できなかったのは、何故だろう。上...
ない。昨年からずっと、自分も望んでいた事なのに。
流されるのは嫌いだ。けれども、立ち止まるのは、もっと嫌...
まとまらない思考に苛々とテーブルを叩いていると、玄関か...
アパートの隣に住むイタリア人が、ドアをノックしているの...
重くなるのを感じた。
「開いてるぞ」
応えると、部屋へ入ってくる一連の物音がして、背後から、...
日本語が陽気に言った。
「こんばんは、原田さん。ただいま帰りました」
声の持ち主は、そのまま上がり込むと、勝手知ったるといっ...
向かいに座る。
「今日は、寒かったですね。原田さんは、まだ、こたつを使わ...
「あー」
「明日は、もっと寒いそうです。原田さんは、寒いの大丈夫で...
「んー」
「日本の冬は初めてなので、とても楽しみです。日本では『こ...
そうですね。原田さんも『こたつみかん』をしますか?」
「まーな」
「原田さん……どうしたんですか? 元気が無いですか?」
「……あのなぁ、ニコーラ」
のろのろと顔を上げ、原田は、隣人の突き出た額辺りをぼん...
彫りの深い顔は縦長で、最近短く切った黒髪が、意外と小作...
いる。硬く立ったそれは芝生のようだったが、彼には似合って...
伸びると巻き毛になるのか。原田には、不思議で仕方がない。
照明によっては青ざめて見える白い肌が、頬と鼻の先だけ赤...
そろそろ暖房が必要だ、と原田は思った。こたつを出して、電...
「悪い知らせが、ある」
見上げる顔が、気遣わしげな表情を浮かべた。高い座高から...
こちらを伺っている。天井の明かりを背にすると、彼の灰色の...
原田は安心した。
もっとも、これは気のせいだ。暗がりで間近に見ても、彼の...
その目が近付く度に、原田は落ち着かなくなった。
「実はな……まだ、飯を炊いてないんだ」
「はい」
返事をしてから、隣人の表情が困惑のそれに変わる。
「ええと、何ですか?」
「それにな、おかずになるようなものが、何もない。ラーメン...
「ご飯が、無いんですか?」
「飯はあるんだけどな。買い物するの、忘れててな……何か、食...
「ああ、お腹が空いているんですね」
良かった、と笑って、隣人は立ち上がった。
「今日は、私が夕ご飯を作ります。パスタでいいですか?」
「頼む。仕事の後なのに、悪いな」
「いいえ、いつも作ってもらっているので、ええと、おたがい...
また増えたらしい語彙を得意げに使って、彼は部屋を出て行...
消えて、原田は安堵とも疲労ともつかないため息を漏らした。
隣に住むイタリア人は、ニコーラ・バルダッチーニという。
去年の夏に、原田がゴミ置き場から拾った男だ。実際には、...
行き倒れかけていたのだから、救出したと言う方が近い。だが...
自分がバルダッチーニを救ってやった、などとは考えられなか...
今では、あれは間違いだったのではないか、とすら思える。
原田がバルダッチーニにした事といえば、食事と休息を与え...
送り出したくらいのものだ。その中には、蹴ったり怒鳴ったり...
有り難くないであろう行動も、過分に含まれていた。
俺は、何もしていない。
それなのに何故、彼はこのアパートに戻って来たのだろう。...
ほどの、何がここにあると言うのだろう。
そして……どうしてバルダッチーニは、俺を好きだなどと……。
「馬鹿が」
壁を睨んで、ひとりごちる。
原田がどんなに遅く帰っても、バルダッチーニは気にしない。
連絡もせず、友人たちと飲んで来ても、彼は文句も言わない。
最近では、原田の方が気になって、用も無いのに真っ直ぐ帰...
「それでいいのかよ」
好きだの、愛しているだのと言いながら、何も要求して来な...
やっぱり、その程度だったのだろうか、と思ってしまう。
「……根性無しが」
そうとも。あいつだって立派な大人なのだから、このままで...
事くらい、分かりそうなものだ。仲の良い隣人で十分なら、愛...
言わないで欲しかった。
それ以上を望むなら、向こうから仕掛けて来ればいい。
自分からなど、絶対に無理だ。
「うまい! やっぱり、本場の人間が作ると違うな」
「ありがとうございます。たくさん食べて下さい」
にこにこと笑うバルダッチーニに、返事代わりの頷きを返し...
パスタを一心にむさぼった。食っていれば、余計な事を話さず...
バルダッチーニが用意した夕食は、よく分からないがチーズ...
トマト味やらクリーム味やらと作ってくれ、そのどれもが美味...
缶詰やレトルトのパスタソースでも大満足なのだが、たまにバ...
食べると、味の格差に感動してしまう。
何がどう違うのだろう、と思いながら、黙々と食べていると...
口を開く。
「スープはどうですか?」
「これもうまい。俺、豆好きだし」
「原田さんは、嫌いなものが無いので、とても……たすかります...
「うん、助かります、で正解だ……きのこなんて、よく有ったな」
「缶詰です。駅前のスーパーで、買いました」
「こんなの、缶詰で売ってるのか。すごいな、最近は」
「本当は……ええと、乾燥、したものの方がいいです。でも、手...
「へー。干し椎茸みたいなもんか? ま、何でもいいや。うま...
またひと掬い、きのこごと麺をかっ込むと、時間をかけて味...
原田がふと顔を上げると、やはり笑顔のバルダッチーニと目が...
何をやっているんだ、俺は。
「……て事は、豆も缶詰か?」
「いえ、違います。これは、今日のお土産です」
「スープが、か?」
すると、バルダッチーニは少し考えてから説明する。
「ええと、ですね。豆とソーセージの煮込み、が残ったので、...
私の田舎では、夕ご飯の残りで、朝ご飯に作ります。パン?……...
「ほう」
「日本には、色々な豆が売っているので、作ってみました。チ...
言ってくれました。でも、たくさん作ったので、余ってしまい...
最近、皿洗いから昇格したらしいバルダッチーニは、自慢し...
そこで器用に肩をすくめて見せた。こうしたジェスチャーを目...
やはり彼は外国人なのだな、と思う。言葉も生活も不自由して...
まだ、日本に住んで一年足らずの新人なのだ。
そこまで考えて、原田ははっとした。だからどうした。放っ...
口では、会話を途切れさせまいと、当たり障りのない言葉が...
「そうか。残り物を捨てないのは偉いぞ。つうか、何料理屋な...
「たこくせき、りょうりや、だそうです。昼間が食事で、夜が...
「じゃあ、イタリア人は大活躍だな。良かったじゃないか」
「はい。原田さんのおかげです」
「……なんで、俺なんだよ」
むっとして、原田はバルダッチーニを睨んだ。時々こいつは...
「自分で選んで、探した職場だろ」
「でも、私は……原田さんが私の作った料理を、美味しいと言っ...
料理を作る仕事をしようとは、思っていませんでした」
言って、バルダッチーニは何故か居住まいを正す。
「だから、原田さんに感謝しています」
まただ。
俺は、何もしていないのに。こいつの為に何かしてやろうだ...
ないのに。この馬鹿外国人は、勝手に都合良く思い込んで、俺...
「まあ、切っ掛けはどうあれ、だな」
視線を逸らせて、原田は呟くように言った。
「自分で決めた道なんだから、一人前になるまで、しっかりや...
「はい、頑張ります」
バルダッチーニは、元気良く応えて食事に戻る。そっと伺う...
パスタを頬張ったまま、笑みを返された。そのお気楽そうな顔...
あんたは、何がしたいんだ。こんな事がいつまでも続くなん...
ないんだろう?
それでも、原田は何一つ言い出せず、時間は、ただ過ぎてい...
「原田さん、お休みなさい」
「おう、お休み」
いつもの台詞、いつもと同じ笑顔。しかし、あの夏の日以来...
原田の部屋に泊まり込もうとはしなくなっていた。
なんとなく、いつもの癖で玄関まで付いて行くと、三和土に...
顔が、体ごと振り返る。
灰色の目に真上から覗き込まれて、原田は反射的に身構える...
ただ、頭を下げただけだった。
「……ニコーラ」
無意識に、言葉が口をついた。
「明日から、しばらく来なくていいぞ」
瞬間、きょとんと開かれた目に、原田の心臓が音を立てる。
「ちょっと、仕事が忙しくなるから。飯、待たせるのも何だし」
慌てて言い添えると、原田は追い出すように手を振った。
「残業するから、飯は食って帰る、って言ってるんだよ。何か...
「いえ……分かりました」
声のトーンが少し落ちた気がしたが、バルダッチーニの表情...
「また、忙しくなくなったら、教えて下さい」
あっさりと承諾されて、原田が面食らっていると、バルダッ...
部屋を出て行った。
なんだよ、それ。
原田は、閉められたドアを呆然と見つめた。のろのろと追い...
何かを間違ってしまったのではないか、と思う。これで、バル...
部屋に来ることはない……自分が、言い出さない限り。
気付いた途端に、視界がぐらりと揺れた。
生暖かいものが、頬を伝い落ちる。訳が分からない。頭が混...
出来ない。胸が痛くて、ドアの向こうに消えた背中を追いかけ...
腹が立つ。
「ばかやろ……」
俺が帰るまで待つ、って言えよ。夕飯の口実なんかなくても...
そんなに簡単なのか。もう諦めたのか。
俺は逃げなかったのに、追い掛けてすら来ないのかよ。
「勝手にしろ」
もう、限界だ。
「よお、ハラ」
肩をつつかれて振り返ると、同僚の吉崎が立っていた。
「珍しいな、こんな所で」
「……まあ、たまには」
ご飯を水で飲み込んで、原田がどうにか返事をすると、吉崎...
座った。
会社帰りに立ち寄った牛丼屋は込み合っていた。入り口には...
数人、所在無さげに立っている。原田のどんぶりは、あと半分...
出よう、と思ったところに、吉崎が口を開く。
「支店の課長に聞いたんだけど」
視線だけ向けて応えると、吉崎はさっそく運ばれた水を飲ん...
「お前さ、寮の申し込みしてないんだって?」
「ああ。別に必要ねーし」
「マジかよ。片道、一時間以上あるぞ? よく平気だな」
「いや、近くにマンション買ったから」
「……はあ?」
目を剥いて驚く吉崎を放って、原田は牛丼の続きに戻る。
「え? ちょっと待て、買った?」
「うるせーな。食ってる時に邪魔すんな」
「何だよ、それ。お前、結婚でもすんのか」
「……あのな」
仕方なく、食べる速度を落とした。あまり話したくない事で...
されるのも面倒だ。
「付き合ってる女も居ないのに、どうやって結婚するんだよ」
「だって、マンションだろ? 家だぞ? 独身で家なんて買う...
「俺の最終目標は、独立だからな。早めに落ち着いて、面倒を...
「お前……すげーな。その自信は、どっから出てくるんだよ」
吉崎は、さらに声を落とすと。
「……で、高かったか?」
「まあ、そこそこな」
実際には、六年間の貧乏生活で貯金しまくったため、契約時...
いたのだが、そこははぐらかしておく事にした。
「別に、一生そこに住む訳じゃない。後で賃貸にしてもいいし」
まるで、ずっと以前から計画していた事のように、言葉がす...
部長に待っていてもらった返事を告げてから、たったの半月...
決まってしまった。来年の四月には、いくつかの部署から集め...
支社の開発室が本格的に始業する。
吉崎も、原田と同様に支社へ誘われた一人だ。だが、自分が...
こんなにも早く知れるとは思ってもいなかった。
もっとも、いつまでも隠しておけるものではない。原田が家...
あっという間に広まるのは目に見えている。
別に、構わないか、と原田は思った。吉崎は親しい友人だが...
ほとんど無いし、表面的な好奇心が満たされれば、深くは追求...
問題は……これからの私生活に関わってくる人物は、たった一...
「サラリーマンの内に、ローン組んどいた方が楽だろ……それだ...
「確かになぁ。うん……」
つぶやくように言って、吉崎が箸を割る。
「俺も美代ちゃんの為に、少しは考えるかな」
「そうしろ。退職までローンが残ってたら、大変だぞ」
じゃあな、と吉崎の肩を叩いて、原田はカウンターを降りた...
ブリーフケースを抱えて、込み合ったドアをくぐり抜ける。
時計を見れば、まだ六時過ぎだった。
この二週間というもの、原田は退社後の時間つぶしに頭を悩...
残業など無いのだ。とっさの嘘を隠し続けるためだけに、一...
うろつくのが、原田の日課になってしまっていた。
そして、夜に帰宅しては、寝るまで待っている。
もしかしたら、隣人が訪ねて来るのではないか、と期待して。
このままでは駄目だ、と繰り返し思った。自分は動き始めて...
なし崩しに離れて終わってしまうくらいなら、はっきりとケリ...
本当は、もう分かっているのだ。長い間、疑問すら感じた事...
二週間というもの、一人で夕食をとることすら辛くなっている。
近くの書店へ向かっていた足を止めて、バス停に引き返す。
こんなのは、もう終わりだ。あの馬鹿と、きっちり話をつけ...
それから。
思いきり、ぶん殴ってやる。
どんな理由で好きになったのか、今も分からない。
けれども、彼以上に好きになれる相手など、もう一生現れな...
「原田さん」
「おう」
呼びかけると、即座に返事が返ってくる。
「……んだよ」
黙って見つめると、眉をしかめて睨み返される。
「こら、寄るんじゃねえよ」
近付くと、手を振って追い払おうとする。けれども、彼は決...
本気で拒絶している訳でもない。
バルダッチーニには、そんな原田の反応が嬉しくもあり、不...
何度か恋はして来たが、彼のような相手は初めてだ。
テレビ画面に集中している横顔に、もう一度呼びかけてみる。
「原田さん」
「うるせえな。黙って観てられないのか」
原田はビデオを一時停止させると、ソファにふんぞり返って...
ブラウン管からの光が、原田の肌をオレンジ色に照らしてい...
上がる体は、季節柄しっかりと着込んでいるし、体温を感じる...
それでも、自分の部屋で、同じソファに好きな男が座ってい...
落ち着けと言う方が無茶だと、バルダッチーニは思う。
「飽きたとか言うなよ。あんたが観たいって言うから、借りて...
「いえ、映画は面白いです。でも……やっぱり、明かりを点けま...
「何でだよ。暗い方がいいだろ、映画館っぽくて」
原田の表情からは、危機感や嫌悪感というものが全く伺えな...
キスした時も、勢い余って想いを打ち明けた時にも、原田は怒...
信頼されているのだろうか、とも思う。確かに自分は、無理...
など無いと、経験で知っている。だが、ここまで無防備でいら...
効かなくなりはしないかと、不安になった。
「いいから、終わりまでちゃんと観てろ。映画を作った人間に...
言うと、原田はまたビデオを再生してしまった。それきり、...
バルダッチーニも諦めて、映画に集中しようと姿勢を正す。
でも、原田さん。この先は、どう考えてもラブシーンなんで...
バルダッチーニの不安をよそに、映画は刻々と進み、物語の...
情熱的に体を重ねていった。そっと隣を伺うが、原田は平気な...
バルダッチーニもしきりに視線を動かしていたおかげで、ラブ...
過ぎてしまった。
やはりこれは、信頼されているのではなく……意識されてすら...
映画が終わって、バルダッチーニが部屋の明かりを点けると...
「……納得いかねえ」
「はい?」
「どうして、女を置いて行っちまうんだ? 連れてってやれば...
「それは……彼は、悪いことをしたので、一人で逃げたんです。...
危ないと思って」
「警察に出頭する気もないくせに、関係ないだろ、そんなの。...
話としては分かるけど、同感は出来ない」
原田は、巻き戻されたテープをケースに戻すと、独り言のよ...
「好き合ってるのに置いて行かれるなんて、女が可哀想だ」
バルダッチーニは、その時に答えられなかった言葉を胸の内...
でも、どうにもならない事が、世の中にはあるんです。
どんなに愛していても、離れたくなくても、受け入れなくて...
存在するんですよ。
例えば、今のように。
アパートの廊下で、バルダッチーニは、もう一度だけ原田の...
明日から、来なくていいと言われてしまった。そして、自分...
自分が、少し臆病な性格だとは分かっている。大きな失敗を...
なり過ぎている事も。
だが、どうにも出来ないのだ。キスしても、抱きしめても、...
毎晩のように部屋へ押し掛けても、嫌な顔一つせずに迎えてく...
では、それ以上は? 彼は、どこまで許してくれるのだろう...
言っていたが、自分が何をしたら、彼に嫌われてしまうのか。
このままでは、想いを忘れる事も出来ない。彼に触れたくて...
押さえ付けてまで側に居続けるのは、多分、もう無理だ。
原田にはきっと、はっきり言うまで分かってもらえない。
自分の部屋へ戻ると、バルダッチーニは暗い部屋を見据えて...
今度、原田の部屋に呼ばれたら、正直に言おう。
すぐにでも抱いてしまいたいくらい、好きなのだ。それが駄...
駄目なら……今度こそ、きっぱり諦めるしかない。恋人になれ...
して、隣に居させてもらうためにも。
けれども、自分は本当に、そんな事が出来るのだろうか。
しかし、いつまで待っても、原田からの連絡は無かった。
あっという間に一週間ほどが過ぎ、日曜日がやって来る。
バルダッチーニの仕事にカレンダー通りの休みなど無いが、...
休日なら彼も暇だろうと思って、ドアを叩いてみる。
しかし、原田は出かけいているのか返事がなく、ドアの鍵も...
そして、さらに時間は過ぎていく。
もしかしたら、このまま会えなくなってしまうかも知れない...
数えると、意外な事に、まだ二週間しか経っていなかった。
「バル、手元が留守になってるぞ」
背後から、低い声で注意されて、慌てて洗いかけの皿を持ち...
いくつか料理を作らせてもらっているとは言え、バルダッチ...
厨房が忙しくなれば、洗い場から食材の仕込みまで、出来る仕...
今も皿洗いの後には、ソース用の野菜が、バルダッチーニに...
上で待ちかねている状況だ。
「バル! それ終わったら、アイヨリも追加な!」
「はい!」
グリルの辺りから響く声に、こちらも大声で応えると、バル...
洗って、まな板に向かった。日本語に加えて、フランス語や英...
使われるスパイス名までが頻繁に飛び交う環境にも、なんとか...
今日は、軽めの料理や、魚が多く出ているらしい。潰したニ...
ながら、原田はニンニクも好きだったな、と思い出す。
冬は白身の魚が美味しいし、素材の良いものには、こうした...
次に作るマヨネーズ風のソースも、原田は気に入ってくれそう...
無いという、料理を提供する側には大変有り難い存在だが、彼...
麺類が大好きで、パスタも柔らかく茹でた細麺を好む。
バターやチーズに目がないが、すぐに満腹になってしまう。...
ものや香辛料の効いた料理だと、驚くほど良く食べる。
ナイフを使うような食事は、苦手らしい。食べる際に、手間...
難しい顔で突きまわすのだ。箸で育ったからだろう、簡単に口...
食卓は静寂の内に過ぎてしまう。
慌ただしい一日が終わり、交代の時間になっても、バルダッ...
考えていた。彼の居ないアパートに帰りたくなくて、頼まれて...
テーブル用のナプキンを畳んでしまったりする。
「バルちゃん、なんか大人しいな」
言われて顔を上げると、早めに出勤していた同僚が、ジャガ...
こちらを見ていた。
「今日は、イカが余ってるってよ。持って帰るか?」
「いえ……要りません」
「そっか。彼女、今日も帰り遅いんだ?」
余り物を持って帰る度に、原田がうまい、うまいと食べてく...
つい同僚に報告してしまうので、バルダッチーニの隣人につい...
何となく知っていた。だが、原田さん、としか伝えていないの...
勘違いされているらしい。
「喧嘩でもしたか?」
「……杉浦さん」
「ん?」
「原田さんは、男性です」
「……あ、そうなの」
そうなんです。
小さくて、元気で、とてもやさしいけれど、男性なんです。
「でも、好きなんだ?」
その言葉に、驚いて杉浦を凝視すると、ジャガイモを回す彼...
「なんだよ、その顔は。違うのか?」
「いえ、あの……どうして」
「そりゃ、分かるっつーの。原田さん、だっけ? その人の事...
頭に花でも咲いたみたいになってるし」
「はなでさ?」
「浮かれてる、っての。で、今は沈んでる。まあ、それはとも...
杉浦は、剥き終わったジャガイモをボウルに放り込むと、次...
真剣な顔でバルダッチーニを見つめた。
「バルちゃんはさ、才能あるよ。真面目だし、料理人で十分食...
何の話が始まったのか、さっぱり分からないまま、バルダッ...
「そりゃ、まだまだ頑張らなきゃだよ? でもな、この店の皆...
期待してる」
だから、と続けて、杉浦はまたナイフを動かし始めた。
「こんな事は言いたくないけどさ……ぐだぐだ悩んでないで、し...
欲しいわけ。好きなら好きで、さっさと片つけて来い」
日本語は、難しい。回りくどい表現が多くて、躊躇うことも...
けれども、杉浦の台詞は恐ろしいまでに明確だった。
バルダッチーニは、震える手でナプキンの束を片付けると、...
「すいません」
自分は、職場の人間にまで、迷惑をかけてしまっているのだ。
「ちゃんと、かたつけて、きます」
「……うん。まあ、頑張れや」
杉浦は、顔だけ上げて笑うと、ジャガイモを放り投げた。
「振られたら、やけ酒くらい付き合ってやるから」
コートも片付けないまま、バルダッチーニがソファに転がっ...
階段を上がる足音が聞こえた。
じっと耳を澄ませるが、足音は下の階で途切れ、ドアが閉ま...
今日も、原田は残業なのだろうか。
どこかから、音楽の低音だけが小さく響いている。通りを走...
大きく聞こえる。
不意に、天井からどしんと物音が立った。四階の住人が、何...
とても静かだ、とバルダッチーニは思った。
壁の薄いアパートで、バス通りに面した立地だというのに、...
夜はこんなにも静かだ。いつもなら、一緒に夕飯を食べている...
向かい合って、取り留めもない会話をして。
また、足音が聞こえた。今度は、真っ直ぐこちらへ向かって...
原田が帰って来たら、彼の部屋を訪ねてみよう。煩がられて...
今日こそ、この想いに決着をつけるのだ。
つらつらと考えながら、隣のドアが開くのを期待していたバ...
自室のドアをノックされて飛び上がった。
「は、はい!」
条件反射で返事をして、何も考えずにドアを開ける。
そして、目にした光景に固まってしまった。
「……はらだ、さん」
喉の奥から、途切れとぎれに声が出る。
「あ、あの……こんばんは」
「おう」
バルダッチーニが呆然としていると、原田はマフラーを解き...
隙間を通り抜けた。押し退けられたバルダッチーニは、どうに...
原田の後ろ姿を目で追いながら、玄関に立ち尽くすしかない。
原田が目の前に居る、という現実に、バルダッチーニは混乱...
そのまま来たらしい原田は、滅多に見ないスーツ姿だ。厚手の...
手には鞄とマフラーを下げている。
彼は、何をしに来たのだろう。
「上がるぞ」
靴も脱いで、すっかり部屋に入ってしまってから、原田が振...
「……寒いな。暖房入れてないのか」
「は、はい。すいません」
「まあ、いいけど。ニコーラ」
手招きされて、バルダッチーニはふらふらと原田に近付いた。
「ちょっと、そこに座れ。話がある」
促されるままソファに腰を下ろすと、原田も隣に座る。
「……なんか、喋りづらいな、こういう椅子は」
言いながら片足を組むと、真横に座り直すので、バルダッチ...
背にした。小さなソファなので、両端に離れていても、膝がぶ...
「無駄話してもしょうがねぇから、簡単に言うぞ。俺は来月、...
「……え」
唐突な言葉に、反応が遅れる。
「ひっこし、ですか?」
「そうだよ。理由は、働く場所が変わるからだ。このアパート...
会社に近い所に、住む事にした」
原田が何を話しているのか、よく分からない。
「それで、だ。俺はあんたに、訊きたい事がある」
分かりたく、ない。原田は、どこかに行ってしまうのだろう...
「あんたは……何だ、その」
不意に、視線を逸らされた。居心地悪そうに眉をしかめて、...
姿に、腹の底から不安が押し寄せる。
行ってしまうのだ。
まだ、何も言っていないのに。彼の気持ちを確かめてすらい...
出来なくなってしまうのか。
「だから……あんたが、俺の事を、だな」
原田は、仕方なく、といった様子でこちらを向いた。見上げ...
感じられて、衝動的に手を伸ばす。
「まだ……」
「嫌です」
心では抱きついてしまいたいのに、震える手は、原田のコー...
「行かないで、下さい」
「……それは出来ない」
原田の視線が、強く引っ張られているコートにちらりと落ち...
「行く、行かないじゃなくて、もう決まった事なんだ。俺は、...
「どうして、ですか」
「だから、仕事が……」
「私が、何か悪い事をしましたか? 私が、嫌いだからですか...
焦りに逸るあまり、バルダッチーニは縋るように身を乗り出...
「行かないで下さい……本当に、何もしませんから。原田さんの...
しませんから。お願いです……」
せめて、側に居て下さい。
気が付けば、バルダッチーニは原田に覆い被さっていた。小...
握り締めたコートごと、ソファの肘掛けに押し付けられている。
それをしているのは自分だ、と分かっているのに、手を離す...
感情と行動がばらばらになり、身動きが取れなくなったバル...
迫った原田の顔をじっと見下ろす。こんな状況で、どうして原...
のだろう。何故、ただ見返してくるのだろう。
「原田さん」
逃げて、下さい。今すぐに、僕を嫌いだと言って下さい。
このままでは、きっと……大変な事をしてしまうから。
「……はらだ、さん」
「言いたい事は、それだけか?」
頬に冷たい何かが触れて、びくりと身を竦めたバルダッチー...
原田の指だと気付く。
「何も、しないのか」
「……え」
「あんたは、俺が好きなんだろ?」
躊躇いがちに、そっと目元を触ってくる指先は、微かに震え...
「だったら……行くな、とか、嫌いか、とかじゃなくて、他に言...
「あの……」
バルダッチーニは、今度こそ完全なパニックに陥った。
慣れた筈の日本語が、全く耳に入らない。そればかりか。
「と……その」
まともな言葉ひとつ、出て来ない。
「いえ、あ……」
「なんとか言えよ」
答えを考えるより早く、原田の腕が首筋に回された。
外気をまとった布地を通して、しっかりとかたい筋肉の感触...
目の前には、シャツのカラーと揺るんだネクタイ。そして、額...
「あんたは、俺をどうしたいんだ」
バルダッチーニの肩から、力が抜けた。そのまま、倒れ込む...
原田のコートから手を離す。
重なる体に、胸が痛くなった。
こうして抱きしめてもらえるのを、どれほど望んでいたこと...
くれる事を、どんなにか夢見ていただろう。
けれども、いざ現実となると、喜びよりも不安が先に立つ。
バルダッチーニは、恐るおそる口を開いた。
「……原田さん」
「うん」
「私は、原田さんが好きです」
ゆっくりと、ソファの隙間に手を入れる。身じろぎ一つしな...
腕の中に閉じ込める。
「原田さんが許してくれるなら……キスしたり、抱いたり、した...
教えて下さい」
「……なんだ」
「原田さんは、私の事が好きですか?」
首に回されている原田の腕が、びくりと引きつるのが分かっ...
「それとも、最後だから……もう、お別れだから、やさしくして...
「この……馬鹿野郎!」
突然、原田が飛び起きた。ソファから落ちそうになりながら...
バルダッチーニの頭や肩をめちゃくちゃに叩いてくる。
「なんだよそれ……なんなんだよ! お、俺が、そんな……そこま...
俺は!」
「え? あ、ごめんなさ……」
「うるさい! もう、てめぇなんか知るか! 離せ、この野郎...
「痛い、痛いです……原田さん、落ち着いて」
ばたばたと暴れる足をどうにか捕まえると、バルダッチーニ...
ソファに座らせる。もう少しで、頭から床に落ちてしまうとこ...
払い除けるような仕草を繰り返す腕を押さえると、原田はや...
「大丈夫ですか?」
そっと、原田のうつむいた顔を覗き込んで、バルダッチーニ...
「原田さん……?」
「……分からねぇんだ」
喉を震わせて、原田が低くつぶやいた。
「お、男に、好きだとか言われて……そんなの、分かるわけ、な...
そこで鼻をすすると、目に溜まっていた涙が、一粒こぼれ落...
「あんたは、卑怯だ」
「ひきょう……?」
「俺に、あんな……しておいて……俺は、嫌いじゃない、って言っ...
唇を震わせて、原田がさらに下を向く。
「俺は、嫌じゃない、のに……なにもしねぇし」
「それは……」
「来るな、って言ったら、本当に来ねぇし」
「その……ごめんなさい」
何故か、悪い事をしてしまった気がして、思わずバルダッチ...
「分かれば、いいんだ」
言って、原田が顔を上げた。涙の残る目で、怒ったように睨...
「で、どうなんだよ」
「どう……?」
「あんたは、俺と離れてもいいのか」
「それは……」
またしても、会話の方向が全く分からない。さっきから、原...
いるのか、バルダッチーニには見当も付かなかった。
それでも、言わなければならない答えは、一つだけだ。
「嫌です。離れたく、ないです」
「俺の事が、好きか?」
「はい。好きです」
これだけは、胸を張って言える。
「私は、原田さんを愛してます」
「なら、付いて来い」
え? と、間抜けな声が出た。
この人は、突然何を言い出したのか。
「だったら、一緒に来い、って言ってるんだよ」
じれたように身を乗り出して、原田が続ける。既に泣いては...
眉の下で、真っ赤な目が不安そうに揺れていた。
「嫌なのかよ。だって……本当に、分からないんだ。俺だって、...
訳じゃない。一緒に居る方がいい……それだけじゃ、駄目なのか...
そういう事じゃないのか?」
「あの、待って下さい。原田さん……一緒に、って、どこへ」
「どこでもいいだろ! さっさと決めねぇと、置いてくぞ!」
怒鳴られて、バルダッチーニは我に返った。これは、のんび...
ない。一体全体、何がどうなっているのか分からないが、原田...
「い、行きます!」
勢い込んで喋ったため、喉がつまりそうになる。
「一緒に、行きます。連れていって下さい」
言った途端、バルダッチーニの手の中で緊張していた原田の...
どさりとソファの背に倒れて、原田が大きく息を吐く。
「……原田さん?」
「よし。それでいいんだ」
何故か、満足げに頷くと、原田はバルダッチーニを押し退け...
まだ混乱が抜けきっていないバルダッチーニは、そのまま歩...
背中をおろおろと見守るしかない。
「おい、ニコーラ」
「は、はい」
玄関先で振り返ると、原田はバルダッチーニに指を突き付け...
「引っ越しは、来月の十日だ。それまでに荷造りしておけよ」
そして、返事も待たずに部屋を出てしまう。
残されたバルダッチーニは、それから数分ほど、放心して座...
「はい……?」
間の抜けた声が、自分の口から出る。
「ええと……どういう、ことですか?」
これは、どういう事なのだろう。
真新しい板張りの廊下に立ち尽くして、バルダッチーニはぼ...
廊下の両側と正面にあるドアは、それぞれが別の部屋に通じ...
リビングで、そこからベランダに出る事も出来る。
ここは、どこなのだろう。
原田に指示されるまま、アパートを解約し、少ない家具や荷...
積んだトラックを見送った。電車で一時間以上もかかるアパー...
して、命令されるままに、掃除から荷解きまでを手伝った。
だが、全ては忙しい仕事の合間を塗っての作業だったので、...
バルダッチーニは、これは現実なのかと疑っている有り様だっ...
路線はどうにか覚えたが、ここが何と言う街なのかすら知らな...
そして今、疲れ切った体と頭で、再度くり返す。
自分は一体、どうしてここに居るのだろう。
「おい、ニコーラ。突っ立ってないで、手伝え!」
「は、はい!」
その声に、弾かれるようにして振り返ると、玄関からすぐの...
していた。
「なんですか?」
「なんですか、じゃねえよ。さっさと片付けないと、寝れねぇ...
部屋に入って、ようやくバルダッチーニにもその意味が分か...
つい先日まで暮らしていたアパートが、すっぽり入るほどの...
並んでいた。そして床には、包装を解いたばかりの寝具が、乱...
同じ大きさのベッドに、お揃いの布団に、色違いのシーツ。
「どっちにする? 俺は黒がいいな」
「はい。では、私は青ですね」
「よし、決まりだ。自分のは自分で広げろよ」
言って、早速布団を広げ始める原田に習って、バルダッチー...
「ベッドだー! すげえ!」
ばさばさと音を立てながら、あっという間に寝具を重ねてし...
叫んで、掛布の上に倒れ込んだ。
「ふかふかだー」
そして、ごろりと仰向けになると、天井に手を伸ばす。
「寝るだけの部屋だー。俺も出世したもんだなー」
「あの……原田さん」
「あー?」
「ベッドが、好きなんですか?」
聞きたい事は山のようにあるのだが、口から出たのは、あま...
「おう。実家じゃあずっと、弟と二段ベッドに寝てたからな」
ご機嫌を絵に描いたような顔で、原田が答える。
「あんたも、ベッドの方がいいだろ? 一番安い間取りだから...
「はい。大丈夫です」
曖昧につぶやいて、バルダッチーニは寝室を眺める。背が高...
任されたカーテンや、二人の衣類を適当に突っ込んだだけのタ...
ある。しかし。
原田には、弟がいたのか。
考えれば、自分は原田の事を何も知らない。家族構成も、職...
それなのに……一緒に暮らす?
唐突に理解して、バルダッチーニは目眩を覚えた。
一緒に、暮らしてしまうのだ。もう、アパートは解約してし...
書いた書類で、住所や電話番号も移っている。
「はらだ、さん」
ふらふらと近付いて、ベッドの端に腰を下ろす。
「ここは、どこですか?」
「は? どこって……俺の家だろ」
「ですよね……あの」
見下ろすと、寝転ぶ原田と目が合った。
意を決してそっと屈み込むが、原田は少し眉をひそめただけ...
「キスしても、いいですか?」
「……んなの、聞くなよ」
どうしよう。
恐るおそる手を伸ばし、視線ごと背けられる顔を捉えて、唇...
何度か誘うように角度を変えると、驚いたことに、原田が応...
ゆっくりと、ついばむだけだったが、バルダッチーニがベッド...
次第に舌を使って深く絡ませてくる。
原田に全く経験が無いなどとは思っていなかったが、それで...
その慣れた反応に動揺した。やはり、これは夢ではないのか。...
応えて、しかも……背中に手を回している。
ずっと続けていたかったが、どうしても現実だと確かめたく...
身を起こして原田の顔を覗き込んだ。震える瞼が何度か瞬きを...
怪訝そうに揺れる。
「……どうした」
「いえ、その」
低い声も、少し機嫌の悪そうな表情も、いつもの原田だ。
信じられない。
「……本当に、いいんですか?」
「ば……いちいち聞くんじゃねえよ」
怒られてしまった。やはり、夢ではない。
「大体、俺には分からねぇんだから……」
原田の手がバルダッチーニの服を握り締めている。
「あんたがいいように、してくれないと、困る」
最後の言葉は、ほとんど消え入るような小声だった。ぴたり...
合わせて上下し、伝わる体温に鼓動が増す。
嫌いではない、と原田は言った。確かめようとしてもはぐら...
繰り返す。けれども、もしかしたら……全ては、ただの照れ隠し...
「原田さん」
だとしたら。同じ言葉を聞かされながら、半年間も。
自分は一体、何をしていたのだろう。
「愛してます……ずっと、一緒に居て下さい」
「あ、たりまえ、だろ」
「大好きです、原田さん」
「ニコーラ……それ、止めろ」
「え……なにが、ですか?」
「だから、その原田さんての、止めろって。こういう時は、そ...
せわしなく辺りに視線を投げながら、原田が早口に言う。
「名前で呼ぶもんだろ、普通」
その瞬間、バルダッチーニの頭が真っ白になった。
先ほどとは別の意味で心臓が音を立て、背中に冷や汗が浮か...
「……違う、か?」
「あの!」
慌てて起き上がると、原田が驚いた顔で見上げてくる。
「お腹が、空きませんか?」
「は? なんだよ、唐突に」
「いえ、ですから……ご飯を食べて、お風呂に入って、それから」
焦りのあまり、自分でも何を言っているのか分からない。
「落ち着いて、その……ゆっくり、続きをしましょう」
「……あ、うん」
だが、それを聞いた原田はこくこくと頷くと、逃げるように...
「分かった」
そして、不自然なほど明るい声で続ける。
「やっぱり、あれだな。引っ越しソバだよな」
笑いながらも、顔が赤い原田に、バルダッチーニは気付いて...
とりあえず同意の返事を返したが、引っ越しソバが何を意味...
理解していない。
もっと重要な事で、頭が一杯だったのだ。
その夜、本物の風呂だと大喜びの原田が脱衣所に消えると、...
大急ぎで行動を開始した。
契約書でも、封筒でも、何でもいい。
少ない家具の、あらゆる引き出しをこそこそと探りながら、...
ような気持ちだった。
どこかに、必ず有るはずだ。出来れば手書きではなく活字で...
ひらがなで、確実に読み方の分かるものがいい。
本当に、どこまで自分は馬鹿なのだろう。
愛する人と共に暮らして、全てを受け入れて貰ったというの...
知らないなんて。
こんな事が知れたら、今度こそ、殴られるだけでは済まない。
いや、それどころか。最悪、この家を追い出されてしまうか...
リビングの捜索を諦めて、本棚のある部屋に向かおうとした...
水音と共に陽気な歌声らしきものが聞こえた。
急がなくては。
これから、ずっと暮らしてゆく筈の部屋の中で、なぜか泥棒...
抱えながら、バルダッチーニは必死で捜索を続けていった。
ここはオートロックのマンションで、郵便も部屋番号だけの...
そして、管理会社は、入居時に住人の名を記した表札をサー...
だから、玄関ドアを開ければ、そこに自分と原田のフルネー...
表示されているなどとは、ついぞ知らずに。
□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )……どこかで観たような気がするな。
あれ、テープのラベルに落書...
『皆様の期待を裏切る結果になってしまっていたら申し訳ない...
した上に、何もしていませんが、小出しにするよりはと思い...
それでは、以上で決着という事で。失礼致します』
- 今まで読んできた創作の中で一番好きです。定期的に見にき...
- ツンツンな原田とほんわかなバルのもどかしいやり取り、や...
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シリーズものインデックス2
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第2巻
第1巻
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