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#title(地獄雨でもどこまでも) ※ナマモノ注意、枯れ専注意 昇天の紫緑です。 久々に動画漁ったらたぎってしまいましたので、欲望のままに書きました。 棚投下が久々すぎて使い勝手忘れていますが、どうかお付き合いのほど。 |>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース! 「ひとつとってくれないかい」 レンズの奥の目を細めてねだる横顔が、自分の本懐を物語っているようだった。 涙と笑いでぐしゃぐしゃになった勇退の儀はあまりにも潔く、次はすっぱりと新しい心持ちでいなさいよと背筋を叩かれた気がした。 抜擢された優秀な後輩は、冗談交じりの決意を宣言しながらも戸惑いや緊張の色を隠せないままだったが、自分も下座の3人も伊達に長生きはしていない。 これまで最年長の好々爺の懐の深さに甘えてきた分、今度はこちらが手を引いてらねばと、無言のうちに決意した。先代や前任者が作り出した自由で明快な空気に若さを上乗せして、風通しをよくしてもらえればというささやかな願いを込めて。 「みんなよくやってるみたいだね」 番組から降りたからといって、素直に引き下がる人ではないと知っていた。ため息が漏れるほど芸に貪欲で、しかし目方を大衆性に寄せることを忘れなかった。 一部の弟子たちの「スケジュールから収録がなくなれば多少気落ちするのではないか」という懸念は瞬く間に霧消し、代わりに詰められた独演会やら何やらの文字に眉根を寄せながらも飄々と振舞っている。 冬の枯れ木のような体をじれったそうに引きずるその執着心の強さに、ときおり自分の指先が燃やされてしまいそうな錯覚すら生じる。 「2人とも頑張ってますよ、師匠のお迎えが来る前に少しでもいいとこ見せなきゃってね」 「なあに、代理が入り用になったらボランティアで出てあげますよ」 歳を重ねても快活な笑い声は変わらない。先代の豪快なそれとは相反して、品の良さを感じさせるしゃきしゃきとした声音は、いつ聞いても陶然としてしまう。 「あなたのスキャンダルを耳にした時はちょっとばかり休むんじゃないかと期待したんですけどね」 「あれくらいネタにできないほど落ちぶれたら、師匠より先に引退しなきゃいけませんね」 皮肉のこもった一言がちくりと刺さって、これまでの色恋沙汰がざざっとこぼれ落ちた。 火遊びをしたのは一度や二度ではないが、薄情なことに誰ひとりとして顔も名前もはっきりとは思い出せない。 この人が落語の中で演じる女性と比べたら、所作といい言葉といい、品も色気もなかった。 家族に露見した際に三つ指ついて「魔が差した」というほかなかったが、本当に何かの気まぐれとしか思えなかった。 息子にインターネットの動画を再生する方法を教わって真っ先に見入った「化粧術」は、しかし今でも飽きることがない。指先の角度、目の開け方、首のかしげ方まで、あれほど匂い立つような仕草を、自分はほかに知らなかった。 あの時分から「何事も勉強、いつかは芸になる」と見聞しては一滴残らず吸収してきた男っぽさと相まって、心底惚れ惚れした。 「ああ、もう夏が終わったんですね」 小さな車椅子にすっぽりと収まってしまう小さな体は、何度見ても胸が押しつぶされそうになる。 孫が買ってくれたというお気に入りのシャツはいつの間にかぶかぶかで、うなじから下にぞっとするような穴が見えた。 「まだボケるには早すぎませんか?まだまだ働かないと」 「あなたが誘ってくれるおかげで、新しい話を覚える暇もありませんよ。まったく」 時間があれば先人の蔵書に目を通しているというこの人は、外に引っ張り出さないと季節の変わり目も忘れてしまいそうで、仕事の合間に隙をみては辺りをぐるりと散歩することにしている。 色をつけた紅葉や楓に顎を上げて見入るのが背もたれの後ろから見えて、邪魔にならないことを確かめてぞっと車輪のストッパーを出した。 「ひとつとってくれないかい、しおりの代わりにしよう」 かさかさにかわいた指が、風に揺れる赤い手のひらを差したので、枝を傷つけないように手を伸ばした。 ああ、この人はもう、自分のほんの些細な欲望のために、つま先立ちをすることすらままならないのだ。 伝統芸能といえばきこえはいいが、その実は派閥だの何だのと面倒ごとばかりのこの世界で、文字通り体を張って守ってくれたこの人が。 「ありがとう。これで勉強している時もあなたの顔を思い出せるよ」 こんな小さなことで礼を言わないでくれ、と叫びそうになった。この人から受けた恩の大きさを考えたら、自分の残り寿命の半分をやったって足りないくらいだ。 「……おやおやどうしたい、70近いってのに情けないねえ」 ひざ掛けで隠れた足に顔を埋めて泣いた。そうでもしないと嗚咽が漏れそうだった。後ろ頭を撫でてくれているのがありありと伝わる。 記憶の彼方にある火遊びは数度。そしてこの人と肌を重ねたのも数えきれるほどだった。 最初はすでに国民的人気だったこの番組の最年少として思い悩む自分に優しく話しかけてくれた時だった。下戸のくせに無理をして酒をあおり、真っ赤に染まった肌に惑わされた。 最後に抱いたのは、襲名披露興行が終わった日。「こんな老いさばらえた体のどこがいいんだい」とタバコを吸いながら苦笑いを浮かべる姿が眩しくて、病み上がりであることも忘れて強く抱きしめた。 「……お慕いしてます」 数十年に及ぶ付き合いの、ほんのわずかな過ちの中でさえ、その一言を発するには至らなかった。とうに孫もいたこの人と、芸の道以外で繋がるなんて贅沢は許されるはずもなかった。 あまりに長い歴史の中で研鑽されてきた落語の濃密で途方もない世界。この中でたった2人きり、同じ時間を分かち合うこと以上のつながりを願ってはならないと、ひたむきにこの道を走るこの人の背に余計な荷物を負わせてはいけないと、奥歯を噛み締めてきたのに。 「お慕いしてます。初めてお会いした時から」 喉が震えて、これ以上の言葉が出なかった。何が噺家だ、商売上がったりだ。返名興業のひとつでも打たなければシャレにもならない。 子犬を撫でるような手つきがピタリと止まって、すっと方に両手が置かれた。顔を上げるように促されている。 「何言ってんだい、いまさら。あんな恥ずかしい思いをさせといて」 柔和な老人の笑みが瞬く間に消えて、ほんの数ヶ月前まで番組を支えていた厳しい顔つきに変わった。額をぴしゃりと叩かれ、手ぬぐいで涙を拭われる。 「あたしはね、妻も子供も孫もひ孫も弟子も仲間も、もう十分いるんですよ。なのにあんたときたら、その役割ぜーんぶ自分でやっちまおうってんだから、本当に世話が焼けるねえ」 「すみません、年寄りに冷水かけるような真似して」 「そんだけ無駄口叩けるなら立派なもんですよ。あんたを更生させるための教育はまだまだ済んでないんですから、これからもちゃーんとついてきなさい」 まったく、この不死鳥は何十年生きるつもりだと、先ほどまでの憂いが綺麗さっぱり消え去ったことに驚いた。 本当にこの人には敵わない。地獄の釜に茹でられても、首根っこひっつかんで説教されそうだ。 「いざとなったらあんたの蝋燭ボッキリ折って、自分のやつに継ぎ足してやりますからね」 「くわばらくわばら、どっちが死神だかわかりゃしない」 「……こんな時に限って山田くんがいないんだから、あたしゃ本当に恵まれませんよ」 さっきまで絶望の淵にいた自分が、ほおをほころばせて心の底から笑っている。 また気を遣わせてしまったことへの小さな罪悪感よりも、身体中に溢れかえる名前の付けられない感情の温度が高まって、目の前の痩せっぽちの老人に何もかも投げ打ってしまおうと、何度目かの決心を新たにした。 「黄昏時だね、そろそろ帰ろうか」 夕間暮れに紫の雲が交わって、遠くの空を紺碧に染め始めた。ストッパーを外してゆっくり車椅子を押すと、この軽い体が自分だけのものになる刹那が間もなく終わってしまうことを思い出して、このまま闇に紛れてしまいたくなった。 落語という薄明かりだけが照らす、舞台の上にいるように。 □ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ! ナンバリングミス&長時間占拠失礼しました…… - 色っぽくて、せつなくて、じんときました!ありがとうございます! -- [[もえ。]] &new{2016-10-02 (日) 19:42:14}; #comment
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#title(地獄雨でもどこまでも) ※ナマモノ注意、枯れ専注意 昇天の紫緑です。 久々に動画漁ったらたぎってしまいましたので、欲望のままに書きました。 棚投下が久々すぎて使い勝手忘れていますが、どうかお付き合いのほど。 |>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース! 「ひとつとってくれないかい」 レンズの奥の目を細めてねだる横顔が、自分の本懐を物語っているようだった。 涙と笑いでぐしゃぐしゃになった勇退の儀はあまりにも潔く、次はすっぱりと新しい心持ちでいなさいよと背筋を叩かれた気がした。 抜擢された優秀な後輩は、冗談交じりの決意を宣言しながらも戸惑いや緊張の色を隠せないままだったが、自分も下座の3人も伊達に長生きはしていない。 これまで最年長の好々爺の懐の深さに甘えてきた分、今度はこちらが手を引いてらねばと、無言のうちに決意した。先代や前任者が作り出した自由で明快な空気に若さを上乗せして、風通しをよくしてもらえればというささやかな願いを込めて。 「みんなよくやってるみたいだね」 番組から降りたからといって、素直に引き下がる人ではないと知っていた。ため息が漏れるほど芸に貪欲で、しかし目方を大衆性に寄せることを忘れなかった。 一部の弟子たちの「スケジュールから収録がなくなれば多少気落ちするのではないか」という懸念は瞬く間に霧消し、代わりに詰められた独演会やら何やらの文字に眉根を寄せながらも飄々と振舞っている。 冬の枯れ木のような体をじれったそうに引きずるその執着心の強さに、ときおり自分の指先が燃やされてしまいそうな錯覚すら生じる。 「2人とも頑張ってますよ、師匠のお迎えが来る前に少しでもいいとこ見せなきゃってね」 「なあに、代理が入り用になったらボランティアで出てあげますよ」 歳を重ねても快活な笑い声は変わらない。先代の豪快なそれとは相反して、品の良さを感じさせるしゃきしゃきとした声音は、いつ聞いても陶然としてしまう。 「あなたのスキャンダルを耳にした時はちょっとばかり休むんじゃないかと期待したんですけどね」 「あれくらいネタにできないほど落ちぶれたら、師匠より先に引退しなきゃいけませんね」 皮肉のこもった一言がちくりと刺さって、これまでの色恋沙汰がざざっとこぼれ落ちた。 火遊びをしたのは一度や二度ではないが、薄情なことに誰ひとりとして顔も名前もはっきりとは思い出せない。 この人が落語の中で演じる女性と比べたら、所作といい言葉といい、品も色気もなかった。 家族に露見した際に三つ指ついて「魔が差した」というほかなかったが、本当に何かの気まぐれとしか思えなかった。 息子にインターネットの動画を再生する方法を教わって真っ先に見入った「化粧術」は、しかし今でも飽きることがない。指先の角度、目の開け方、首のかしげ方まで、あれほど匂い立つような仕草を、自分はほかに知らなかった。 あの時分から「何事も勉強、いつかは芸になる」と見聞しては一滴残らず吸収してきた男っぽさと相まって、心底惚れ惚れした。 「ああ、もう夏が終わったんですね」 小さな車椅子にすっぽりと収まってしまう小さな体は、何度見ても胸が押しつぶされそうになる。 孫が買ってくれたというお気に入りのシャツはいつの間にかぶかぶかで、うなじから下にぞっとするような穴が見えた。 「まだボケるには早すぎませんか?まだまだ働かないと」 「あなたが誘ってくれるおかげで、新しい話を覚える暇もありませんよ。まったく」 時間があれば先人の蔵書に目を通しているというこの人は、外に引っ張り出さないと季節の変わり目も忘れてしまいそうで、仕事の合間に隙をみては辺りをぐるりと散歩することにしている。 色をつけた紅葉や楓に顎を上げて見入るのが背もたれの後ろから見えて、邪魔にならないことを確かめてぞっと車輪のストッパーを出した。 「ひとつとってくれないかい、しおりの代わりにしよう」 かさかさにかわいた指が、風に揺れる赤い手のひらを差したので、枝を傷つけないように手を伸ばした。 ああ、この人はもう、自分のほんの些細な欲望のために、つま先立ちをすることすらままならないのだ。 伝統芸能といえばきこえはいいが、その実は派閥だの何だのと面倒ごとばかりのこの世界で、文字通り体を張って守ってくれたこの人が。 「ありがとう。これで勉強している時もあなたの顔を思い出せるよ」 こんな小さなことで礼を言わないでくれ、と叫びそうになった。この人から受けた恩の大きさを考えたら、自分の残り寿命の半分をやったって足りないくらいだ。 「……おやおやどうしたい、70近いってのに情けないねえ」 ひざ掛けで隠れた足に顔を埋めて泣いた。そうでもしないと嗚咽が漏れそうだった。後ろ頭を撫でてくれているのがありありと伝わる。 記憶の彼方にある火遊びは数度。そしてこの人と肌を重ねたのも数えきれるほどだった。 最初はすでに国民的人気だったこの番組の最年少として思い悩む自分に優しく話しかけてくれた時だった。下戸のくせに無理をして酒をあおり、真っ赤に染まった肌に惑わされた。 最後に抱いたのは、襲名披露興行が終わった日。「こんな老いさばらえた体のどこがいいんだい」とタバコを吸いながら苦笑いを浮かべる姿が眩しくて、病み上がりであることも忘れて強く抱きしめた。 「……お慕いしてます」 数十年に及ぶ付き合いの、ほんのわずかな過ちの中でさえ、その一言を発するには至らなかった。とうに孫もいたこの人と、芸の道以外で繋がるなんて贅沢は許されるはずもなかった。 あまりに長い歴史の中で研鑽されてきた落語の濃密で途方もない世界。この中でたった2人きり、同じ時間を分かち合うこと以上のつながりを願ってはならないと、ひたむきにこの道を走るこの人の背に余計な荷物を負わせてはいけないと、奥歯を噛み締めてきたのに。 「お慕いしてます。初めてお会いした時から」 喉が震えて、これ以上の言葉が出なかった。何が噺家だ、商売上がったりだ。返名興業のひとつでも打たなければシャレにもならない。 子犬を撫でるような手つきがピタリと止まって、すっと方に両手が置かれた。顔を上げるように促されている。 「何言ってんだい、いまさら。あんな恥ずかしい思いをさせといて」 柔和な老人の笑みが瞬く間に消えて、ほんの数ヶ月前まで番組を支えていた厳しい顔つきに変わった。額をぴしゃりと叩かれ、手ぬぐいで涙を拭われる。 「あたしはね、妻も子供も孫もひ孫も弟子も仲間も、もう十分いるんですよ。なのにあんたときたら、その役割ぜーんぶ自分でやっちまおうってんだから、本当に世話が焼けるねえ」 「すみません、年寄りに冷水かけるような真似して」 「そんだけ無駄口叩けるなら立派なもんですよ。あんたを更生させるための教育はまだまだ済んでないんですから、これからもちゃーんとついてきなさい」 まったく、この不死鳥は何十年生きるつもりだと、先ほどまでの憂いが綺麗さっぱり消え去ったことに驚いた。 本当にこの人には敵わない。地獄の釜に茹でられても、首根っこひっつかんで説教されそうだ。 「いざとなったらあんたの蝋燭ボッキリ折って、自分のやつに継ぎ足してやりますからね」 「くわばらくわばら、どっちが死神だかわかりゃしない」 「……こんな時に限って山田くんがいないんだから、あたしゃ本当に恵まれませんよ」 さっきまで絶望の淵にいた自分が、ほおをほころばせて心の底から笑っている。 また気を遣わせてしまったことへの小さな罪悪感よりも、身体中に溢れかえる名前の付けられない感情の温度が高まって、目の前の痩せっぽちの老人に何もかも投げ打ってしまおうと、何度目かの決心を新たにした。 「黄昏時だね、そろそろ帰ろうか」 夕間暮れに紫の雲が交わって、遠くの空を紺碧に染め始めた。ストッパーを外してゆっくり車椅子を押すと、この軽い体が自分だけのものになる刹那が間もなく終わってしまうことを思い出して、このまま闇に紛れてしまいたくなった。 落語という薄明かりだけが照らす、舞台の上にいるように。 □ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ! ナンバリングミス&長時間占拠失礼しました…… - 色っぽくて、せつなくて、じんときました!ありがとうございます! -- [[もえ。]] &new{2016-10-02 (日) 19:42:14}; #comment
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