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#title(擦り剥けた夏) |>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース! 旧局朝仁R 田和場×登坂 夏の始まりの強い日差しが地面の砂を乾している。雑草は勢いよく生い茂り、青々とした臭気を放っている。田和場と登坂は池の端に三脚を立て、写真を撮っていた。兎との戦いで登坂の腕にできた引っ掻き傷からは血が滲んでいる。田和場がそこを強く押すようにすると、血は赤いビーズのような珠になった。登坂は驚いたようにカメラから目を離した。 「痛いじゃないですか」 「だろうな」 田和場は構わず、自分の写真を撮った。登坂は痛そうに傷口に息を吹きかけている。と、同時に水面にさざ波がたつ。肌に触れぬ風が池の上をはい回り去っていったらしい。田和場はその微かな揺らぎを写真に収めた。登坂はそれをあまり気に止めなかったのか、腕を組んでただ立っていた。ふと視線を落とした登坂は田和場の靴の下に一輪の花が荒々しく踏みしだかれていることに気がついた。黄色の野趣を帯びたその花は茎に汁をにじませながら、それでも咲き続けようとしている。登坂はカメラをそちらに向けた。田和場が花に気づくことはなかった。 夏休みはまだ始まったばかりだ。ほとんど専門学校に通っていない田和場だったが、なぜか登坂とともに浮かれている。長い休暇が彼らの前に果てもない風景のように広がっていた。もとより自由にふるまっている二人であるが「夏休み」という言葉のなかには、その二人ですら感じてしまう閉塞感を吹き飛ばす力がある。だから登坂は大地を踏みしめ、いつもに増して豪胆にいたのだが、踏み荒らされた花をファインダーに入れた瞬間、ふとしたかげりを感じていた。何も花に同情したという訳ではない。その足の無意識な暴力そのものに、快晴の空に浮かぶ一片の黒雲に似たものを登坂は見ていた。だが、その黒雲が雨をもたらすことなく消えていくのと同様に、登坂の感情も一瞬のものだった。やがて彼も田和場とともに水面に魚の跳ねるのを待っているうちに、そんなかげりを忘れた。 やがて遠い山の稜線を金色に染めていた日が沈むと、夕明かりの中に白い星が顕れた。こうなるともう写真を撮ることはできない。昼間はまぶしいぐらいに輝いていた池は、得体のしれないぬばたまの闇になった。真っ暗になる前に、と田和場は三脚をたたんでいたが、登坂は闇にまぎれて兎がまた出て来るのではないかとあたりを警戒していて、なかなか作業が進まない。 「さっさとしろ、置いていくぞ」 田和場は煙草を吸いながらいらだった口調だった。 「はいはい」 登坂は適当に返事をして、三脚をたたんだ。夏の日は長いが、一度暮れだすと瞬く間に暗くなる。ただ白いだけだった星はその輝きを強めていった。 「先輩を待たせるんじゃない」 やっと支度を終えた登坂を見て、田和場は煙草の火を消した。 翌々日写真を現像するため、田和場が部室を訪れた時、ちょうど登坂が暗室に入ろうとしていた。開いた窓からは時折弱々しい風が入り込んでくるが、暗室の中には熱がこもり空気は淀んでいる。 「うーん」 「暑い」 登坂はバンダナで髪をくくり、Tシャツを肩までめくりあげた。 「髪切っちまえ、鬱陶しい」 「嫌です」 話している間にも体から染み出す汗でTシャツが湿っていく。息をするだけで体力を消耗するような、ひどい蒸し暑さである。 暗室という特性上、どうにも解消できそうにはないので、とにかく早く終わらせようとOBと部長は黙々と作業を進めた。印画紙にモノクロの画が、体から汗が噴き出すのと同じリズムで現れてくる。蝉の鳴き声が暗室の中まで響いて、暑さに拍車をかけた。 あらかた現像を終えて、暗室から出た二人はげっそりとやつれたようだった。 「登坂、水」 冷たい床に倒れこみながら田和場が絞り出すように言うと、登坂はふらふらと水道水をバケツ一杯運んできた。 「このくらい飲まなきゃやってられませんて」 バケツから直接水を飲みながら登坂が言うと、田和場もしぶしぶ、それでもバケツの半分ほどの水を飲んだ。登坂は床にうつ伏せに寝そべり、床の冷たさを楽しんでいる。時折風が吹いて、田和場の濡れたTシャツをひんやりとさせる。椅子に腰かけた田和場はタバコを一口吸うと、やっと人心地ついたように息を吐いた。その足元に転がる登坂の首筋には、結びきれなかった襟足の後れ毛が二筋、汗に濡れて貼り付いていた。田和場はなぜだかそれから目を離すことができなかった。 その日、田和場は登坂を家に呼んだ。それだけで、その後することは暗示されている。ただ、それがはっきりと口に出されることはなかった。登坂も何が起こるかはわかっている。わかった上で、彼は田和場の誘いに乗った。 田和場の部屋に冷房はなく、囲いの錆びた扇風機が埃まみれの羽を回している。窓を開けて、こもりきった空気をかき混ぜても結局夏は暑かった。 一度シャワーでも浴びるかと田和場は考えて、やめた。どうせすぐにまた浴びる羽目になるのなら、今浴びたところで意味はないと思ったのだ。 どちらにせよどうせ脱ぐし暑いので、田和場がため息と共にTシャツを脱ぐと、登坂は 「おや、もうするんですか」 と言って同じように服を脱ぎだした。 「そういう訳じゃないが、それでもいいや」 田和場はそう言うと残りの服を脱いだ。 登坂は部室から髪を上げたままだった。数本の後れ毛もそのまま首筋に張り付いている。それを見ている田和場の内に沸いた抑えがたい情動は、そのまま登坂に向けられた。そしてその間、登坂の眼の裏側には踏み潰されていた花が明滅し、腕の傷はちりちりと痛んだ。 登坂はやおら目を開くと、虚ろな眼を田和場に向けた。結んでいた髪の毛は緩み、汗に濡れてほつれている。高い湿度は二人の肌の臭いによどんでいた。 「シーツ、どろどろですね」 そのシーツに横たわったまま登坂が言うと、田和場は黙ってシーツを引いた。慣性の法則に従って登坂は畳の上に転がり落ちた。 「何するんです」 「洗おうと思ってたんだ」 くわえタバコで洗面所に向かう田和場の背中を登坂は恨めしそうに見送った。いつもながら乱暴だ、もう少し労ってくれてもいいじゃないかと口のなかで呟きながら。 「バチルスみたいに溶けてるんじゃないよ」 登坂の元に戻ってきた田和場の手には、よく冷えた瓶のコーラが二本握られていた。 シーツを干してから、二人は銭湯へ向かった。アパートのシャワーはどういうわけだか根本からひまわりのように熱湯が飛び出すようになってしまっていたためだ。石鹸と二人分のタオルとを抱えて、登坂は田和場の背中を追う。夏の日は長いとはいえ、西の空に傾いて影を伸ばしている。 「シーツ乾きますかね」 「大丈夫だろ、夏だし」 川沿いの道だった。土手の草はいよいよ生い茂り、川をわたる風に揺れている。さざ波が水面を撫で、川鵜が水面に顔を出しては潜ることを繰り返している。青鷺の大きな背中は石のように動かない。 銭湯は角を曲がった裏通りに面していた。高い煙突からは煙が、夕時の雲に混じりながら絶えず上っていった。脱衣所で眼鏡をはずした登坂が、あさっての方向に歩きそうになるのを、田和場が腕をつかんで引き留めた。 「眼鏡かけて入れ」 「どっちにしろ曇って見えませんよ」 「だからって、手なんか握ってたら誤解されるだろうが!」 そう言って田和場は自分が間違ったことに気がついて、貸すかに狼狽した。周りには年配者ばかりで、若者二人のやりとりをあまり気にかけてはいないようだったが、なによりも自分の発した言葉が皮膚の下に入り込んで、痛みと違和感に悩まされた。 「それもそうですね」 登坂は田和場の様子に気づいていないようだったが、風呂に浸かっている間も無口であった。田和場は登坂の顔を見ず、いつもより泡をたてて髪を洗った。湯の臭いが、あたりに強く漂った。 風呂から上がって牛乳を飲んでいる際も、なにか不自然な間のようなものはあった。登坂は曇った眼鏡と濡れた髪のせいだと思っていたし、田和場は折角乗ろうとした体重計が壊れていたせいだと思っていた。なんとはなしにぎくしゃくした空気のまま外に出ると、来る時より暗く黒くなった空からはげしい雨が降っていた。 「また濡れてしまいますね」 「そうだな」 道の端で渦を作るほどの大雨をぼんやり眺めて、ため息をついた田和場が煙草に火をつけようとした瞬間、ある事に気がついて手が止まった。 「どうしたんです?」 登坂が問いかけるも、田和場は半ば青ざめた顔をして固まっている。くわえ煙草のまま、登坂の方を向き直り、 「シーツ…」 「あ!」 その後は二人で滅茶苦茶に走った。傘を持ってきていない時点で濡れることについてはあきらめていた。泥水がサンダルの中に入り込み、足の裏はざらざらとした。 「無駄だと思いますよ!」 「うるさい!そんなこと言うなら競争だ!!」 「勝負だったら負けませんとも!」 雨の音にかき消されないよう、彼らはなるべく大きな声で怒鳴る様にしゃべった。走るごとにズボンは重く、Tシャツは胸に張り付いたが、先ほどの錆びついた空気に比べればどうということはない。遠い雷が二人を追いかけてきた。穏やかだった川は濁流となってうねりをあげていた。 案の定、干してあったシーツはすっかり濡れていた。そして、彼らが着ていた服は下着までしっかり水を吸ってしまっていて、真夏と言うのに鳥肌の立つほど体温を奪っていた。 「いったん洗い直して干しましょうよ」 「乾くか?」 「乾きますよ、夏だし」 雨は少しずつ弱まっていった。 それからしばらく合宿だの我慢大会だの帰省だので、登坂が田和場の家を訪れることはなかった。久しぶりに登坂が顔を見せた時、日は前より少し短くなっていた。夏が少しずつ傾きかけている、そんなことを登坂は何とはなしに考えた。 夕方近くなると田和場は、柱に打ちつけてあった釘にひっかけるようにして蚊帳を吊った。川のそばは夜になると蚊が大量発生する。それが堪えられん、と、田和場はぶつくさ言いながら緑の幕で部屋を囲った。少しだけ風通りが悪くなったが、致し方のないことだ。 「蚊を入れないようにな、出入りは素早くしろよ」 「入ったら叩き潰してやりますよ」 「そういう問題じゃないだろう」 中指を立てて不敵に笑う登坂に、田和場は呆れ顔であった。 夜、寝る前に登坂は台所で水を飲もうとして蚊帳の外へ出た。月の明かりのような、街灯の明かりの様な光が部屋の中に差し込み、電気のついていない部屋は意外と明るい。登坂は蛇口から直接水を飲むと口を拭った。そして蚊帳の中に眼をやるが、緑色のメッシュを通した先はよく見えない。田和場のいるところはちょうど影になっていた。 「なあ」 寝ていたはずの田和場が、蚊帳の向う側の登坂に話しかける。 「お前、卒業したらどうするんだ?」 登坂は少し考え込んだ。まだ高校に入学して1年半も経っていないのに、もう次のことを考えねばならない。その事実からはなるべく目を背けていたが、時間は容赦なく過ぎて行く。もう、進路を訊かれる時期になってしまったか、と思う登坂の耳には川の流れる音がいやに響いた。 「あまりしかとは考えておりませんが」 なるべくいつも通りの口調で言ったが、ふと、こんなあいまいな答え方では説教される可能性もあると思い、登坂はすぐに付け足す。 「公務員試験でも受けてやろうと思ってますよ」 「公務員!?」 「ええ、あのやうきさんも合格したあの試験です」 「試験のことよりもだなあ…」 蚊帳の中で田和場は困惑しているようだった。 「公務員なら、光画部にだってすぐにこれますからね」 「お前と言うやつは」 呆れた声を出しながら、それでも田和場は少し嬉しそうだった。二人の間で、緑の幕はゆらゆらと風を受けて揺れていた。 とうとう、夏休みの最終日がやって来た。昼間には真夏の日は容赦なく照り付け、登坂の勉強に対するやる気を奪っていった。それでもすべての教科の真っ白な課題は、無慈悲な現実を彼に叩きつける。 登坂は汗を拭きながら取り合えず数学の問題集に取り組んでいた。計算問題ばかりの部分を優先的にこなしてしまう予定である。どうして、それまで何もしてこなかったのかと聞きたくなるほど、登坂は合理的に宿題をこなそうとしている。 その登坂の横で、軽い音が響いた。見ると、その部屋の主である田和場がカメラを構えてにやにやと笑っている。 「タイトルは『孤軍奮闘』…っと」 「見てないで手伝ってくださいよ」 「もう忘れちまったよ、勉強なんて。大体、そういうのは自分の家か部室でやれよ」 至極まっとうな意見を受け、高校生は長い髪を掻きながらまた問題に取り掛かる。しかし、40日間何もしてこなかったツケは重く、日が落ちるにつれ登坂の態度も投げやりになっていった。 「わたしにこのようなものを解く義務などない!」 「あるよ」 田和場の冷静な意見にも耳を貸さず、登坂はその場に寝転んだ。 思えば、課題何ていうものはやらないで困るのはただ自分1人だ。だから投げ出してもさして痛くはないし、問題にもならない。それが学生の特権だと、彼はまだ気づいてはいない。あと少しで、徹夜してでも「仕事」をこなさなければならない社会に出るのだ。 田和場はそんな贅沢を享受する後輩をよそに、窓を開けて煙草を吸った。頬を撫でる風は少しだけ冷たく、遠い山で鳴くのは蜩だった。もう、夏は終るんだと田和場ははっきりと感じた。 □ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ! - 萌えました -- &new{2013-07-04 (木) 19:57:23}; - 色んな意味で仲良しな二人がかわいいです!丁寧な描写に情景が目に浮かびます。田和鳥萌えが再燃しました -- &new{2013-07-08 (月) 00:27:48}; #comment
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#title(擦り剥けた夏) |>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース! 旧局朝仁R 田和場×登坂 夏の始まりの強い日差しが地面の砂を乾している。雑草は勢いよく生い茂り、青々とした臭気を放っている。田和場と登坂は池の端に三脚を立て、写真を撮っていた。兎との戦いで登坂の腕にできた引っ掻き傷からは血が滲んでいる。田和場がそこを強く押すようにすると、血は赤いビーズのような珠になった。登坂は驚いたようにカメラから目を離した。 「痛いじゃないですか」 「だろうな」 田和場は構わず、自分の写真を撮った。登坂は痛そうに傷口に息を吹きかけている。と、同時に水面にさざ波がたつ。肌に触れぬ風が池の上をはい回り去っていったらしい。田和場はその微かな揺らぎを写真に収めた。登坂はそれをあまり気に止めなかったのか、腕を組んでただ立っていた。ふと視線を落とした登坂は田和場の靴の下に一輪の花が荒々しく踏みしだかれていることに気がついた。黄色の野趣を帯びたその花は茎に汁をにじませながら、それでも咲き続けようとしている。登坂はカメラをそちらに向けた。田和場が花に気づくことはなかった。 夏休みはまだ始まったばかりだ。ほとんど専門学校に通っていない田和場だったが、なぜか登坂とともに浮かれている。長い休暇が彼らの前に果てもない風景のように広がっていた。もとより自由にふるまっている二人であるが「夏休み」という言葉のなかには、その二人ですら感じてしまう閉塞感を吹き飛ばす力がある。だから登坂は大地を踏みしめ、いつもに増して豪胆にいたのだが、踏み荒らされた花をファインダーに入れた瞬間、ふとしたかげりを感じていた。何も花に同情したという訳ではない。その足の無意識な暴力そのものに、快晴の空に浮かぶ一片の黒雲に似たものを登坂は見ていた。だが、その黒雲が雨をもたらすことなく消えていくのと同様に、登坂の感情も一瞬のものだった。やがて彼も田和場とともに水面に魚の跳ねるのを待っているうちに、そんなかげりを忘れた。 やがて遠い山の稜線を金色に染めていた日が沈むと、夕明かりの中に白い星が顕れた。こうなるともう写真を撮ることはできない。昼間はまぶしいぐらいに輝いていた池は、得体のしれないぬばたまの闇になった。真っ暗になる前に、と田和場は三脚をたたんでいたが、登坂は闇にまぎれて兎がまた出て来るのではないかとあたりを警戒していて、なかなか作業が進まない。 「さっさとしろ、置いていくぞ」 田和場は煙草を吸いながらいらだった口調だった。 「はいはい」 登坂は適当に返事をして、三脚をたたんだ。夏の日は長いが、一度暮れだすと瞬く間に暗くなる。ただ白いだけだった星はその輝きを強めていった。 「先輩を待たせるんじゃない」 やっと支度を終えた登坂を見て、田和場は煙草の火を消した。 翌々日写真を現像するため、田和場が部室を訪れた時、ちょうど登坂が暗室に入ろうとしていた。開いた窓からは時折弱々しい風が入り込んでくるが、暗室の中には熱がこもり空気は淀んでいる。 「うーん」 「暑い」 登坂はバンダナで髪をくくり、Tシャツを肩までめくりあげた。 「髪切っちまえ、鬱陶しい」 「嫌です」 話している間にも体から染み出す汗でTシャツが湿っていく。息をするだけで体力を消耗するような、ひどい蒸し暑さである。 暗室という特性上、どうにも解消できそうにはないので、とにかく早く終わらせようとOBと部長は黙々と作業を進めた。印画紙にモノクロの画が、体から汗が噴き出すのと同じリズムで現れてくる。蝉の鳴き声が暗室の中まで響いて、暑さに拍車をかけた。 あらかた現像を終えて、暗室から出た二人はげっそりとやつれたようだった。 「登坂、水」 冷たい床に倒れこみながら田和場が絞り出すように言うと、登坂はふらふらと水道水をバケツ一杯運んできた。 「このくらい飲まなきゃやってられませんて」 バケツから直接水を飲みながら登坂が言うと、田和場もしぶしぶ、それでもバケツの半分ほどの水を飲んだ。登坂は床にうつ伏せに寝そべり、床の冷たさを楽しんでいる。時折風が吹いて、田和場の濡れたTシャツをひんやりとさせる。椅子に腰かけた田和場はタバコを一口吸うと、やっと人心地ついたように息を吐いた。その足元に転がる登坂の首筋には、結びきれなかった襟足の後れ毛が二筋、汗に濡れて貼り付いていた。田和場はなぜだかそれから目を離すことができなかった。 その日、田和場は登坂を家に呼んだ。それだけで、その後することは暗示されている。ただ、それがはっきりと口に出されることはなかった。登坂も何が起こるかはわかっている。わかった上で、彼は田和場の誘いに乗った。 田和場の部屋に冷房はなく、囲いの錆びた扇風機が埃まみれの羽を回している。窓を開けて、こもりきった空気をかき混ぜても結局夏は暑かった。 一度シャワーでも浴びるかと田和場は考えて、やめた。どうせすぐにまた浴びる羽目になるのなら、今浴びたところで意味はないと思ったのだ。 どちらにせよどうせ脱ぐし暑いので、田和場がため息と共にTシャツを脱ぐと、登坂は 「おや、もうするんですか」 と言って同じように服を脱ぎだした。 「そういう訳じゃないが、それでもいいや」 田和場はそう言うと残りの服を脱いだ。 登坂は部室から髪を上げたままだった。数本の後れ毛もそのまま首筋に張り付いている。それを見ている田和場の内に沸いた抑えがたい情動は、そのまま登坂に向けられた。そしてその間、登坂の眼の裏側には踏み潰されていた花が明滅し、腕の傷はちりちりと痛んだ。 登坂はやおら目を開くと、虚ろな眼を田和場に向けた。結んでいた髪の毛は緩み、汗に濡れてほつれている。高い湿度は二人の肌の臭いによどんでいた。 「シーツ、どろどろですね」 そのシーツに横たわったまま登坂が言うと、田和場は黙ってシーツを引いた。慣性の法則に従って登坂は畳の上に転がり落ちた。 「何するんです」 「洗おうと思ってたんだ」 くわえタバコで洗面所に向かう田和場の背中を登坂は恨めしそうに見送った。いつもながら乱暴だ、もう少し労ってくれてもいいじゃないかと口のなかで呟きながら。 「バチルスみたいに溶けてるんじゃないよ」 登坂の元に戻ってきた田和場の手には、よく冷えた瓶のコーラが二本握られていた。 シーツを干してから、二人は銭湯へ向かった。アパートのシャワーはどういうわけだか根本からひまわりのように熱湯が飛び出すようになってしまっていたためだ。石鹸と二人分のタオルとを抱えて、登坂は田和場の背中を追う。夏の日は長いとはいえ、西の空に傾いて影を伸ばしている。 「シーツ乾きますかね」 「大丈夫だろ、夏だし」 川沿いの道だった。土手の草はいよいよ生い茂り、川をわたる風に揺れている。さざ波が水面を撫で、川鵜が水面に顔を出しては潜ることを繰り返している。青鷺の大きな背中は石のように動かない。 銭湯は角を曲がった裏通りに面していた。高い煙突からは煙が、夕時の雲に混じりながら絶えず上っていった。脱衣所で眼鏡をはずした登坂が、あさっての方向に歩きそうになるのを、田和場が腕をつかんで引き留めた。 「眼鏡かけて入れ」 「どっちにしろ曇って見えませんよ」 「だからって、手なんか握ってたら誤解されるだろうが!」 そう言って田和場は自分が間違ったことに気がついて、貸すかに狼狽した。周りには年配者ばかりで、若者二人のやりとりをあまり気にかけてはいないようだったが、なによりも自分の発した言葉が皮膚の下に入り込んで、痛みと違和感に悩まされた。 「それもそうですね」 登坂は田和場の様子に気づいていないようだったが、風呂に浸かっている間も無口であった。田和場は登坂の顔を見ず、いつもより泡をたてて髪を洗った。湯の臭いが、あたりに強く漂った。 風呂から上がって牛乳を飲んでいる際も、なにか不自然な間のようなものはあった。登坂は曇った眼鏡と濡れた髪のせいだと思っていたし、田和場は折角乗ろうとした体重計が壊れていたせいだと思っていた。なんとはなしにぎくしゃくした空気のまま外に出ると、来る時より暗く黒くなった空からはげしい雨が降っていた。 「また濡れてしまいますね」 「そうだな」 道の端で渦を作るほどの大雨をぼんやり眺めて、ため息をついた田和場が煙草に火をつけようとした瞬間、ある事に気がついて手が止まった。 「どうしたんです?」 登坂が問いかけるも、田和場は半ば青ざめた顔をして固まっている。くわえ煙草のまま、登坂の方を向き直り、 「シーツ…」 「あ!」 その後は二人で滅茶苦茶に走った。傘を持ってきていない時点で濡れることについてはあきらめていた。泥水がサンダルの中に入り込み、足の裏はざらざらとした。 「無駄だと思いますよ!」 「うるさい!そんなこと言うなら競争だ!!」 「勝負だったら負けませんとも!」 雨の音にかき消されないよう、彼らはなるべく大きな声で怒鳴る様にしゃべった。走るごとにズボンは重く、Tシャツは胸に張り付いたが、先ほどの錆びついた空気に比べればどうということはない。遠い雷が二人を追いかけてきた。穏やかだった川は濁流となってうねりをあげていた。 案の定、干してあったシーツはすっかり濡れていた。そして、彼らが着ていた服は下着までしっかり水を吸ってしまっていて、真夏と言うのに鳥肌の立つほど体温を奪っていた。 「いったん洗い直して干しましょうよ」 「乾くか?」 「乾きますよ、夏だし」 雨は少しずつ弱まっていった。 それからしばらく合宿だの我慢大会だの帰省だので、登坂が田和場の家を訪れることはなかった。久しぶりに登坂が顔を見せた時、日は前より少し短くなっていた。夏が少しずつ傾きかけている、そんなことを登坂は何とはなしに考えた。 夕方近くなると田和場は、柱に打ちつけてあった釘にひっかけるようにして蚊帳を吊った。川のそばは夜になると蚊が大量発生する。それが堪えられん、と、田和場はぶつくさ言いながら緑の幕で部屋を囲った。少しだけ風通りが悪くなったが、致し方のないことだ。 「蚊を入れないようにな、出入りは素早くしろよ」 「入ったら叩き潰してやりますよ」 「そういう問題じゃないだろう」 中指を立てて不敵に笑う登坂に、田和場は呆れ顔であった。 夜、寝る前に登坂は台所で水を飲もうとして蚊帳の外へ出た。月の明かりのような、街灯の明かりの様な光が部屋の中に差し込み、電気のついていない部屋は意外と明るい。登坂は蛇口から直接水を飲むと口を拭った。そして蚊帳の中に眼をやるが、緑色のメッシュを通した先はよく見えない。田和場のいるところはちょうど影になっていた。 「なあ」 寝ていたはずの田和場が、蚊帳の向う側の登坂に話しかける。 「お前、卒業したらどうするんだ?」 登坂は少し考え込んだ。まだ高校に入学して1年半も経っていないのに、もう次のことを考えねばならない。その事実からはなるべく目を背けていたが、時間は容赦なく過ぎて行く。もう、進路を訊かれる時期になってしまったか、と思う登坂の耳には川の流れる音がいやに響いた。 「あまりしかとは考えておりませんが」 なるべくいつも通りの口調で言ったが、ふと、こんなあいまいな答え方では説教される可能性もあると思い、登坂はすぐに付け足す。 「公務員試験でも受けてやろうと思ってますよ」 「公務員!?」 「ええ、あのやうきさんも合格したあの試験です」 「試験のことよりもだなあ…」 蚊帳の中で田和場は困惑しているようだった。 「公務員なら、光画部にだってすぐにこれますからね」 「お前と言うやつは」 呆れた声を出しながら、それでも田和場は少し嬉しそうだった。二人の間で、緑の幕はゆらゆらと風を受けて揺れていた。 とうとう、夏休みの最終日がやって来た。昼間には真夏の日は容赦なく照り付け、登坂の勉強に対するやる気を奪っていった。それでもすべての教科の真っ白な課題は、無慈悲な現実を彼に叩きつける。 登坂は汗を拭きながら取り合えず数学の問題集に取り組んでいた。計算問題ばかりの部分を優先的にこなしてしまう予定である。どうして、それまで何もしてこなかったのかと聞きたくなるほど、登坂は合理的に宿題をこなそうとしている。 その登坂の横で、軽い音が響いた。見ると、その部屋の主である田和場がカメラを構えてにやにやと笑っている。 「タイトルは『孤軍奮闘』…っと」 「見てないで手伝ってくださいよ」 「もう忘れちまったよ、勉強なんて。大体、そういうのは自分の家か部室でやれよ」 至極まっとうな意見を受け、高校生は長い髪を掻きながらまた問題に取り掛かる。しかし、40日間何もしてこなかったツケは重く、日が落ちるにつれ登坂の態度も投げやりになっていった。 「わたしにこのようなものを解く義務などない!」 「あるよ」 田和場の冷静な意見にも耳を貸さず、登坂はその場に寝転んだ。 思えば、課題何ていうものはやらないで困るのはただ自分1人だ。だから投げ出してもさして痛くはないし、問題にもならない。それが学生の特権だと、彼はまだ気づいてはいない。あと少しで、徹夜してでも「仕事」をこなさなければならない社会に出るのだ。 田和場はそんな贅沢を享受する後輩をよそに、窓を開けて煙草を吸った。頬を撫でる風は少しだけ冷たく、遠い山で鳴くのは蜩だった。もう、夏は終るんだと田和場ははっきりと感じた。 □ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ! - 萌えました -- &new{2013-07-04 (木) 19:57:23}; - 色んな意味で仲良しな二人がかわいいです!丁寧な描写に情景が目に浮かびます。田和鳥萌えが再燃しました -- &new{2013-07-08 (月) 00:27:48}; #comment
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第68巻
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