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#title(笑う犬の冒険 てるとたいぞう 「今夜はブギー・バッグ」) いけそうかも。容量がよくわからないのですが(嫌な予感)様子見つつ、思い切って半分投下してみます。 |>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース! また見てる。 照が顔を見つめてくるのには、今までずっと気付いていた。それでも退蔵は素知らぬ顔で地図に印をつけていた。 「水商売中心に聞き込みすりゃいいですね」 そう言って、それから初めて目を合わせた。 視線を外すかと思ったら、臆する事無く真っすぐ見つめ返してくる。 瞳の透明さに心を掴まれた。逆に退蔵の方が目を離せなくなって、たじろぐ心を懸命に隠した。 「ちょっと貸して」 照は退蔵から地図を受け取ると、重要な箇所に書き込みしていく。 退蔵は俯いた照の顔を横から見た。それからペンを走らせる照の指を見た。 白くて小さい子供っぽい手。深爪し過ぎて余計に幼く見える。 さわりたい。急に触れたくなった。 地図を覗き込むふりで、退蔵は照に顔を寄せた。お互いの髪の先だけが触れ合っている。 それだけで、髪の毛の先から柔らかくて温かい体温を感じた。 ふと、照が退蔵の書き込んだ字をじっと見ているのに気付いた。筆跡を見てるんだろうな、と退蔵は思った。 『退史郎』の時は『退蔵』の字とは変えていた。そこまでした。最も付け焼刃だから専門的な鑑定をされればすぐばれるだろうが、パッと見他人の字だ。 退蔵は照の肩に手をまわした。肩が少しこわばるのを手のひらで感じた。 「オレは兄貴に似てますか?」 照は何も答えずに、『退史郎』の書いた字に目を落としていた。 退蔵が照に勝手に会いに行ったのを知って、田所は知るなり激怒していた。 しかし、ばれる前に前もって警視長に話を通し、元の配置につけるよう希望も出しておいた。それが効いた。 田所が様々な支障が考えられると配置換えを提案しても、一番のネックである照と既に会ってしまっているのだからと、『退史郎』という別の人間、『退蔵の弟』としてすんなり元の部署に納まってしまった。 小会議室の窓際で、田所はイライラとブラインドを閉めながら言った。 「そもそも身内や血縁者は、同じ部署へ配置しない前提なんだぞ」 「なんででしたっけ?」 「癒着や汚職の温床になるからだ」 「汚職ねえ?」 退蔵はからかうように顎を上げて田所を見返した。田所はカッとなったのを押し殺すように、 「おまえ、この状況をよく考えろよ?おまえが下手打てば誰か死ぬぞ?」 と退蔵を睨みつけた。退蔵は顔から笑いを消した。 「真面目な話だ。朱龍がおまえをスパイにした事の意味をよく考えてくれ。まだ会って日の浅い、信用しきれない人間を敢えて古巣に戻してやれと思いついた、その意味を考えろ」 田所は窓に背を向けると、退蔵に向き直って言った。 「堕落した元刑事が、かつての仲間にあっさり尻尾振って、組織の情報を簡単に流すかもしれない。それがわかりきっているのに潜り込ませたんだ」 「…オレが署内でどう行動するかで、オレの今後を見極めようとしてる」 「そういう事だ。一度黒社会に身を落とした人間が、このまま本当に身を染める覚悟があるのか見極めようとしてるんだ」 「つまりここで身内とよりを戻したと判断されれば、オレが始末されるってことでしょ」 あっさり言った退蔵に、田所はどこかが痛むかのように表情を歪めた。 「おまえが変な行動を起こせば、オレらは3人ともヤバいんだ。オレと、おまえと、照が」 「……」 「今言っとく。オレはおまえの見張り役だ。朱龍に直に命令されてる。…言われなくても見張るけどな。おまえの行動はめちゃくちゃで、今の段階で見てらんねえよ」 田所はやたらと部屋の中を歩き回っていた。退蔵はそれを黙って眺めた。 「いいか、ここは上手くやれよ。下手に刑事らしくして、何も情報を持ち出さないなんて事になれば朱龍に見限られる。大事の前の小事だ。結構でかい情報でもここは売っとくべきだ。わかるな?」 落ち着かない田所を退蔵はじっと目で追って、頷いた。 「山根組の幹部に、朱龍にいいように使われてるヤツがいる。そいつをおびき出す。朱龍の名前を出して、山根組の強制捜査の時期を教えてやれ。それはスパイであるおまえの手柄になる」 「そんな事していいんですか?」 「許可済みだ。上も目をつぶる。おまえは山根組の誰が現れるか顔を確認して、そいつを覚えろ。これは後に繋がる。山根組と三合会がどこまで組んでるのかを調べろ。金はもらっとけ」 「ファイルは田所さんが持ち出すんですか?」 「照に頼んで、資料一式受け取ってくれ」 退蔵は眉を顰めた。 「…先輩の手まで汚させる気ですか」 「仕方ないだろ。オレは強制捜査自体には噛んでいない。照にしかわからない資料があるんだ」 「…そうしてオレの手も汚させて、一人すっきりした顔でいられるってわけですか」 「オレがすっきりしているように見えるのかよ?」 田所は自嘲気味に口を歪めて笑い、すぐに表情を失くした。 「来週の火曜にアポを取って、山根組と会え」 「その日はオレ、先輩と現場に出なきゃいけないんですがね」 「オレと大内とで替われるように空けておく。照には週明けまで密会の件は伏せておけ」 田所は腕時計を見ると、そこで話を切り上げた。 退蔵は昼食をとる為に、署内の食堂に行った。そろそろ1時だがまだ結構人が残っている。 ここの食堂にはカツ丼がない。刑事と言えばカツ丼じゃないか?くだらない事を考えながら、退蔵は日替わり定食を頼んだ。 空いた席を適当に探していたら、照と捜査課の千夏が2人で笑いながら食事をしているのが目に入った。 聞き耳をたてるわけじゃない、と退蔵は思った。そういうわけじゃないが、2人には声をかけずに照の背後の席に、2人から死角になるように座った。 「もー私がっかりしましたよー。なんのために早起きしたんだろって」 「あるね、そういうの。そーいう時に限って、時間経つの遅いのな」 どうせたわいのない話だ。だけどやけに楽しそうに喋っているから、妙に心がざわついた。 味も感じないまま鮭をつついていると、千夏が声の調子を変えた。 「照さん、元気出てよかった」 「え?」 「心配してたんですよー、ずっと。安心した。もう大丈夫みたいですね」 照がその言葉にどう反応したのかはわからなかったが、千夏ははしゃいだ声で続けた。 「ねえ、またこの前みんなで行ったとこ、飲みに行きませんか?」 「ああ、焼鳥んとこ?」 「あそこのつくね、おいしいでしょ?私ね、あの店からちょっと歩いたとこに、もひとつおいしいお店見つけたんです。マレーシア料理のお店」 「あーおれ変わってんのはちょっと…」 「照さん、そこはね、本っ当においしいですよ!一度食べてみてくださいよ、ね?」 退蔵はそっと後ろを窺った。千夏は照に向かって、花が咲いたようににっこり笑っていた。 可愛らしい笑顔。それを退蔵は、媚びるような笑顔だと感じていた。 翌週の水曜日の夕方。誰もいないので好都合だと思い、退蔵は自分のデスクでノートパソコンを立ち上げていた。そこへ照がやって来た。 「たい、…」 呼びかけようとして、照は口を濁した。 まただ。これで何度目になる?今まで何度も照は、名前を呼び間違えそうになっては言葉を飲み込んでいた。実際に言い間違えたのは2回だ。 気付かなかったふりで画面に現れた文書に目を落としていると、不意に照が表情を険しくした。 「…ちょっと待て、退史郎、おまえ何見てんだ?」 「はい?」 「これ田所が編集した資料じゃないか、何嗅ぎまわってる?」 疑われちゃったか、と退蔵は思った。田所に見るように言われていた三合会の資料に目を通そうとしただけだったが、昨日の山根組との密会で、照の自分への信頼は地に堕ちたようだ。 照は画面の内容を読み取ろうと身を乗り出した。 「おまえ、まさかまた何か…」 「見てただけですよ。ほら、たいした内容じゃないでしょ?」 退蔵は苦笑いを浮かべて、照に席を譲った。照は画面をスクロールさせて、怪しい箇所がないか探っている。 その肩に後ろから両手を置いた。顔を寄せると、一瞬照の体が固まった。 「…普通の資料でしょ?」 耳元で低く囁くと、肩が一瞬震えた。肩に置いた手を滑らせて、後ろからゆるく抱き締める。 さわりたい。なんだかやたらとさわっていたい。 腕に少し力をこめて、照の耳に自分の頬をこすらせた。 照はされるがままになっている。さわり始めると、ずっとさわっていたくなった。 今までずっと離れていた。こうして触れて体温を感じるだけで、ぞくぞくと一緒にいるのを実感する。 それと同時に、「なんでこんなに簡単に触らせているんだ」と思う自分がいた。 これは『退蔵』じゃなくて『退史郎』なのに。退蔵とは別の人間だと云ってあるのに。退蔵をすきだと言っといて、なんで他のヤツに触らせてんだ? 「…何を考えてるんだよ」 急に照が左手で退蔵の腕を掴んで、どこか苦しそうに呟いた。 「おまえが何考えてんのかわからない。…情報を売ってるのは前からか?」 退蔵は後ろから抱き締めたまま答えた。 「昨日も言ったでしょ?今の生活に満足してますかって。いつ死ぬかわかんないってのに、こき使われて」 照が自分の顔を見ようと顔を向けたので、肩に指先を残したまま、体を離して顔を傾けた。 「考え方ひとつでこの方がうまくいくんです。長い目で見た時わかるんです」 急に照は立ち上がると、退蔵を見下ろして言い返した。 「…そんなわけない。ヤクザと金で繋がって、何がうまくいくんだ」 退蔵も立ち上がって、10cm近くある身長差で照を見下ろした。以前田所が言ったのと同じ言い方をする。 「必要悪ってヤツです」 急に下から襟首を掴まれた。 「貴様、それでも刑事か!」 両手で掴んで、下から見上げるように照が睨みつけてきた。その顔をじっと見下ろした。そんなあどけない目をして。何も知らないで。 「…はい。そうですよ」 退蔵は両手で照の髪に触れた。 「刑事だって、正義の味方でばかりはいられないんです。先輩も自分を大事にするべきです」 照は憤ったように、掴んでいた手で思い切り退蔵の手を振り払うと一歩後ずさった。息を荒げて睨みつけ、声を張り上げた。 「刑事として、信念と誇りを持つのが自分を大事にするって事だ!」 「きれい事だけじゃ潰れちゃいますよ、先輩」 退蔵は首を傾けた。今救いたいのはあんただけ。何が正しくて何が間違ってるかより、それだけ。 その時、照が見ているのが自分の目ではなく、左耳だと気付いた。 左耳を何故?と思ってすぐに、ピアスの孔だ、と気付く。左耳のピアスの孔を見ているんだ。 今までずっと、退史郎として見られている間、照は『退蔵』と似ている部分を探しているんだと思っていた。そうじゃなくて、違いを探しているのかもしれない。 退蔵との違いを一つ一つ探しているのかもしれない。そうして確認しようとしているんだ。これは違う人間なんだって。 急に照は目をつぶった。そのまま退蔵と視線を合わさず、何も言わずに、疲れたように部屋を出て行った。 それから30分後、退蔵はディスクを戻しに資料室へと歩いた。 「正直、退史郎をどう思う?」 中から田所の声が聞こえてきて、退蔵はドアノブに伸ばした手を止めた。 「いくらなんでも似過ぎだよな。最初に会った時、どう思った?」 田所が話しかけている相手はしばらく黙っていたが、やがて一言ぽつりと 「…わからない」 と答えた。照の声だった。 「なんだよ、わからないってことがあるかよ」 「本当によくわからない。そっくりだとは思うんだ。時々、本人みたいに似てる。でも全然違って見える時がある」 退蔵は扉にもたれかかって、照の声を聞いていた。 「少なくとも、退蔵はヤクザと懇意になったりしなかった」 「…そうだな」 田所が答えるのを聞いて、退蔵は吹き出したくなった。 可笑しくてたまらなかった。田所さん、あんた今どんな顔してそう言ったんだ? 「…ちょっと待て」 田所の声がして、椅子を引く音がした。次の瞬間、扉が勢いよく開いて、田所の顔が目の前に現れた。 反射的に退蔵はにやっと笑顔を見せた。 「…退史郎」 声を上げたのは田所ではなく照の方だった。退蔵は部屋に入ると、照に向かってにっこり笑った。 「オレは兄貴とは違いますか?」 照はどことなくつらそうな顔をして、目を伏せると、 「おれは先に帰る」 と退蔵の脇をすり抜けて、部屋を出て行った。 また逃げるんだ、と退蔵は思った。 照の足音が遠ざかるのを待って、田所が念の為扉を細く開けて確認するのを、退蔵はじっと眺めた。田所は扉を閉めて、退蔵を振り向いた。 「どういうつもりだ」 「それはこっちのセリフですよ。田所さん言ってましたよね。絶対正体がばれないようにしろって」 退蔵は壁に頭をもたれさせて腕を組むと、田所を見下ろして強い口調で言った。 「あんたコソコソ何やってんだ?何を吹き込もうとしたんだよ」 「吹き込もうとしてんのはそっちだろうが。おまえ照に何言った?」 田所は退蔵に近寄ると、至近距離で睨みつけた。すぐにピンときた。退蔵は顔を反らすと、持ってきたディスクを棚に戻しながら聞いた。 「先輩何か言ってましたか」 「とぼけるな。なんか照にオレのこと言ったんだろ!」 山根組の密会の時に、照に言った事だろう。退蔵はストレートに答えた。 「田所さんだって同じような事やってるって言っただけですよ。なんか聞かれたんですか」 田所は両手を堅く握り締めて、声を絞り出した。 「おまえ、自分の立場を本当にわかってんのか?自分の首を絞めて何が楽しい?」 退蔵は感情の無い目で田所を見返し、そのまま部屋を出た。 署の外へ出ると、照が立っていた。沈みかけた太陽を背にして、眩しくて表情が見えない。 「もしかして、待っててくれたんですか?」 馴れ馴れしさを装って、近付くと肩に手をまわそうとしたがスッと避けられた。薄い影の中で照が言った。 「これからどこへ行くんだ?」 「このまま帰りますよ。いけませんか?当直明けで昨日からずっと署にいたんでね。先輩もでしょ?」 退蔵は首を傾けて答えた。照は口を噤んで、夕焼けの中に佇んでいる。 空の上にはまだ青空がうっすら残っているのに、底の方は燃えさかるように赤い。太陽が沈みきる前の、強烈な光が2人を照らした。 群青と藍色と朱と茜色の合間に、雲の白と、山吹と金色の光の爆発。雲と空とが世界の終りのように輝いていた。 その真ん中に照がいて、光と影にふちどられていた。 これは、ここでしか見れない景色。ここでしか吸えない空気。 あんたがここにいるってだけで、この世界にも価値があると思えるんだ。 眩しさで目を細めながら、退蔵は聞いた。 「オレが言った事、田所さんにそのまんま聞いちゃったんですか?」 「…聞いた」 「ストレートな人だな」 笑いながら手に触れようとすると、後ずさって逃げられた。退蔵は行き場のない手を固めて、コートのポケットに突っ込んだ。 「田所さんはなんて?」 照は退蔵の目をまっすぐ睨みつけて言った。 「…田所はそんなことするヤツじゃない。おれは信じてる」 「オレより田所さんを信じるんですね」 「当たり前だろ。いきなり現れたおまえをどう信じればいいんだよ。おれと田所はそんな浅い付き合いじゃない」 その言葉に、心のどこか深い部分が本気でえぐられた。 きつい目をしていた照の表情が少し揺らいだ。どこか気遣うような色で退蔵を見た。 もしかして、自分で思う以上に傷ついた顔をしてしまったんだろうか。そんな姿を見せるのは本意じゃなかった。 退蔵はわざと軽薄な表情を作って笑うと、背を向けて歩き出した。いつのまにか日は落ちていた。 朱龍の『オフィス』から徒歩3分のアパートに『退史郎』の現住所があった。 住民の半分以上が中国人だ。更にその全員が朱龍の下で働く人間だった。 監視されてるのも同然だ。部屋に盗聴器が仕掛けられているかまではわからないが、当然その可能性もある。 寒々しい打ちっ放しの1DKにユニットバスの部屋。退蔵は玄関でペンダントを外しかけて手を止めた。やっぱり外さず着けたままにしておく。 ロケットになっていて、中に写真が入れてある。照の写真。 恥ずかしくてくだらない。だけど会えない間は身に着けずにいられなかったお守り。 そんな恥ずかしくてくだらない代物でも、見つかれば命取りだ。だけど今更、処分することも出来ずにいた。 誰にも傷つけさせない。誰にも渡さない。退蔵は祈るようにロケットを握り締めた。 もし苦しんでいるのなら、『退蔵』のことは忘れてくれていい。 だけど他の誰にも惑わされないで。心変わりの相手なら『退史郎』を選べばいい。 退蔵はまた靴を履くと、もう一度コートを羽織って朱龍の元へ向かった。 螺鈿細工で鳥が描かれた背もたれの高い椅子に座り、黒いマオカラーのスーツ姿で、朱龍が指を組んで退蔵に言った。 「人を殺した事があるか?」 そういう話も出るかもしれないとは思っていた。慎重に答えなくてはいけない。 「まだ、ありません」 「試しに一人、消してみるか?」 朱龍は黒檀の円卓の上に、写真を一枚差し出した。退蔵は視線を写真に滑らせた。 照が写っていた。 退蔵は表情を変えなかった。 「こいつはワタシの弟の人生を終わらせた。そろそろこいつの人生も終わらせてやろうと思う」 朱龍は身を乗り出して、口元に笑いを浮かべた。退蔵も笑いを浮かべ、両手を組んで、朱龍の顔を見据えて言った。 「死ぬよりつらい事って、なんですか?」 「いきなりだな?」 ニッと笑う朱龍に、写真を指で押し返すと、退蔵はゆっくりとした口調で話し始めた。 「この人ね。正義は正義、悪は悪って思ってます。白か黒。中間が無いんです。だからグレーゾーンに踏む込むと凄く苦しむ」 退蔵は笑いを浮かべたまま、静かに話し続けた。 「この前の山根組の強制捜査の情報。この人にファイルを持ってこさせたんです。密会の現場まで。その場で本人にも、自分がやった事について教えました。幹部にも紹介してやろうとしたんですけど、逃げられちゃいました」 朱龍は写真を手に取ると、眺めながらヒラヒラと振った。退蔵は声の調子を変えずに続けた。 「この人利用できますよ。まだまだ利用できます。ここからいくらでも引き出せますよ。今消してしまうのは本当にもったいないです」 朱龍は笑いを含んだ眼で退蔵を眺めた。その眼から真意は読み取れない。 「面白そうだから、しばらくおまえに任せよう」 そう言って朱龍は楽しそうに写真を裏返すと、椅子に背をもたれさせた。 退蔵は写真を目にしてから最後に席を立つまで、ずっと表情を変えなかった。 外に出て、アパートまで戻る間もそれほど表情を変えなかった。 玄関の鍵を開け、明かりを点ける。靴を脱いで、コートのまま洗面所へ向かった。 思い切り蛇口をひねった。勢いよく水を出して、退蔵はそこでいきなり吐いた。出来るだけ声を出さないようにしたが、少し咳こんでしまった。 前にもこんなふうにいきなり吐いた事があったな。そう思い出した瞬間、瞼の裏側に誰かが浮かんだ。 洗面台に手をついて、目を閉じる。照の姿が残像のように現れた。 淡いネオンの光の中から、薄く影になって、自分へと手を差しのべていた。すぐにその手を掴み返せそうなくらい、瞼の中にはっきりと見えていた。 その残像を退蔵は目を閉じたまま、瞼の裏で、大切に大切に眺めた。 絶対に守り通す。 あんたがオレの心を守ってくれているように。 ぎゅっとロケットを握る。退蔵は口をぬぐうと、力をこめて蛇口を締めた。 つづく □ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ! いろいろとスイマセン。全部入った!ヨカター 話の中に出てくる大内は、久々に藁う戌見た時に「大内?誰?…ああ!ハイハイ!いたいた!」と懐かしく思い出したので記念カキコ的に出してみた。 検索避けの伏名にしなくても、このままでいいだろなという理由もアリ。(大内に対して失礼) また続きを10日前後かけて書いてきます。今度こそもう少し量減らします。 #comment
タイムスタンプを変更しない
#title(笑う犬の冒険 てるとたいぞう 「今夜はブギー・バッグ」) いけそうかも。容量がよくわからないのですが(嫌な予感)様子見つつ、思い切って半分投下してみます。 |>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース! また見てる。 照が顔を見つめてくるのには、今までずっと気付いていた。それでも退蔵は素知らぬ顔で地図に印をつけていた。 「水商売中心に聞き込みすりゃいいですね」 そう言って、それから初めて目を合わせた。 視線を外すかと思ったら、臆する事無く真っすぐ見つめ返してくる。 瞳の透明さに心を掴まれた。逆に退蔵の方が目を離せなくなって、たじろぐ心を懸命に隠した。 「ちょっと貸して」 照は退蔵から地図を受け取ると、重要な箇所に書き込みしていく。 退蔵は俯いた照の顔を横から見た。それからペンを走らせる照の指を見た。 白くて小さい子供っぽい手。深爪し過ぎて余計に幼く見える。 さわりたい。急に触れたくなった。 地図を覗き込むふりで、退蔵は照に顔を寄せた。お互いの髪の先だけが触れ合っている。 それだけで、髪の毛の先から柔らかくて温かい体温を感じた。 ふと、照が退蔵の書き込んだ字をじっと見ているのに気付いた。筆跡を見てるんだろうな、と退蔵は思った。 『退史郎』の時は『退蔵』の字とは変えていた。そこまでした。最も付け焼刃だから専門的な鑑定をされればすぐばれるだろうが、パッと見他人の字だ。 退蔵は照の肩に手をまわした。肩が少しこわばるのを手のひらで感じた。 「オレは兄貴に似てますか?」 照は何も答えずに、『退史郎』の書いた字に目を落としていた。 退蔵が照に勝手に会いに行ったのを知って、田所は知るなり激怒していた。 しかし、ばれる前に前もって警視長に話を通し、元の配置につけるよう希望も出しておいた。それが効いた。 田所が様々な支障が考えられると配置換えを提案しても、一番のネックである照と既に会ってしまっているのだからと、『退史郎』という別の人間、『退蔵の弟』としてすんなり元の部署に納まってしまった。 小会議室の窓際で、田所はイライラとブラインドを閉めながら言った。 「そもそも身内や血縁者は、同じ部署へ配置しない前提なんだぞ」 「なんででしたっけ?」 「癒着や汚職の温床になるからだ」 「汚職ねえ?」 退蔵はからかうように顎を上げて田所を見返した。田所はカッとなったのを押し殺すように、 「おまえ、この状況をよく考えろよ?おまえが下手打てば誰か死ぬぞ?」 と退蔵を睨みつけた。退蔵は顔から笑いを消した。 「真面目な話だ。朱龍がおまえをスパイにした事の意味をよく考えてくれ。まだ会って日の浅い、信用しきれない人間を敢えて古巣に戻してやれと思いついた、その意味を考えろ」 田所は窓に背を向けると、退蔵に向き直って言った。 「堕落した元刑事が、かつての仲間にあっさり尻尾振って、組織の情報を簡単に流すかもしれない。それがわかりきっているのに潜り込ませたんだ」 「…オレが署内でどう行動するかで、オレの今後を見極めようとしてる」 「そういう事だ。一度黒社会に身を落とした人間が、このまま本当に身を染める覚悟があるのか見極めようとしてるんだ」 「つまりここで身内とよりを戻したと判断されれば、オレが始末されるってことでしょ」 あっさり言った退蔵に、田所はどこかが痛むかのように表情を歪めた。 「おまえが変な行動を起こせば、オレらは3人ともヤバいんだ。オレと、おまえと、照が」 「……」 「今言っとく。オレはおまえの見張り役だ。朱龍に直に命令されてる。…言われなくても見張るけどな。おまえの行動はめちゃくちゃで、今の段階で見てらんねえよ」 田所はやたらと部屋の中を歩き回っていた。退蔵はそれを黙って眺めた。 「いいか、ここは上手くやれよ。下手に刑事らしくして、何も情報を持ち出さないなんて事になれば朱龍に見限られる。大事の前の小事だ。結構でかい情報でもここは売っとくべきだ。わかるな?」 落ち着かない田所を退蔵はじっと目で追って、頷いた。 「山根組の幹部に、朱龍にいいように使われてるヤツがいる。そいつをおびき出す。朱龍の名前を出して、山根組の強制捜査の時期を教えてやれ。それはスパイであるおまえの手柄になる」 「そんな事していいんですか?」 「許可済みだ。上も目をつぶる。おまえは山根組の誰が現れるか顔を確認して、そいつを覚えろ。これは後に繋がる。山根組と三合会がどこまで組んでるのかを調べろ。金はもらっとけ」 「ファイルは田所さんが持ち出すんですか?」 「照に頼んで、資料一式受け取ってくれ」 退蔵は眉を顰めた。 「…先輩の手まで汚させる気ですか」 「仕方ないだろ。オレは強制捜査自体には噛んでいない。照にしかわからない資料があるんだ」 「…そうしてオレの手も汚させて、一人すっきりした顔でいられるってわけですか」 「オレがすっきりしているように見えるのかよ?」 田所は自嘲気味に口を歪めて笑い、すぐに表情を失くした。 「来週の火曜にアポを取って、山根組と会え」 「その日はオレ、先輩と現場に出なきゃいけないんですがね」 「オレと大内とで替われるように空けておく。照には週明けまで密会の件は伏せておけ」 田所は腕時計を見ると、そこで話を切り上げた。 退蔵は昼食をとる為に、署内の食堂に行った。そろそろ1時だがまだ結構人が残っている。 ここの食堂にはカツ丼がない。刑事と言えばカツ丼じゃないか?くだらない事を考えながら、退蔵は日替わり定食を頼んだ。 空いた席を適当に探していたら、照と捜査課の千夏が2人で笑いながら食事をしているのが目に入った。 聞き耳をたてるわけじゃない、と退蔵は思った。そういうわけじゃないが、2人には声をかけずに照の背後の席に、2人から死角になるように座った。 「もー私がっかりしましたよー。なんのために早起きしたんだろって」 「あるね、そういうの。そーいう時に限って、時間経つの遅いのな」 どうせたわいのない話だ。だけどやけに楽しそうに喋っているから、妙に心がざわついた。 味も感じないまま鮭をつついていると、千夏が声の調子を変えた。 「照さん、元気出てよかった」 「え?」 「心配してたんですよー、ずっと。安心した。もう大丈夫みたいですね」 照がその言葉にどう反応したのかはわからなかったが、千夏ははしゃいだ声で続けた。 「ねえ、またこの前みんなで行ったとこ、飲みに行きませんか?」 「ああ、焼鳥んとこ?」 「あそこのつくね、おいしいでしょ?私ね、あの店からちょっと歩いたとこに、もひとつおいしいお店見つけたんです。マレーシア料理のお店」 「あーおれ変わってんのはちょっと…」 「照さん、そこはね、本っ当においしいですよ!一度食べてみてくださいよ、ね?」 退蔵はそっと後ろを窺った。千夏は照に向かって、花が咲いたようににっこり笑っていた。 可愛らしい笑顔。それを退蔵は、媚びるような笑顔だと感じていた。 翌週の水曜日の夕方。誰もいないので好都合だと思い、退蔵は自分のデスクでノートパソコンを立ち上げていた。そこへ照がやって来た。 「たい、…」 呼びかけようとして、照は口を濁した。 まただ。これで何度目になる?今まで何度も照は、名前を呼び間違えそうになっては言葉を飲み込んでいた。実際に言い間違えたのは2回だ。 気付かなかったふりで画面に現れた文書に目を落としていると、不意に照が表情を険しくした。 「…ちょっと待て、退史郎、おまえ何見てんだ?」 「はい?」 「これ田所が編集した資料じゃないか、何嗅ぎまわってる?」 疑われちゃったか、と退蔵は思った。田所に見るように言われていた三合会の資料に目を通そうとしただけだったが、昨日の山根組との密会で、照の自分への信頼は地に堕ちたようだ。 照は画面の内容を読み取ろうと身を乗り出した。 「おまえ、まさかまた何か…」 「見てただけですよ。ほら、たいした内容じゃないでしょ?」 退蔵は苦笑いを浮かべて、照に席を譲った。照は画面をスクロールさせて、怪しい箇所がないか探っている。 その肩に後ろから両手を置いた。顔を寄せると、一瞬照の体が固まった。 「…普通の資料でしょ?」 耳元で低く囁くと、肩が一瞬震えた。肩に置いた手を滑らせて、後ろからゆるく抱き締める。 さわりたい。なんだかやたらとさわっていたい。 腕に少し力をこめて、照の耳に自分の頬をこすらせた。 照はされるがままになっている。さわり始めると、ずっとさわっていたくなった。 今までずっと離れていた。こうして触れて体温を感じるだけで、ぞくぞくと一緒にいるのを実感する。 それと同時に、「なんでこんなに簡単に触らせているんだ」と思う自分がいた。 これは『退蔵』じゃなくて『退史郎』なのに。退蔵とは別の人間だと云ってあるのに。退蔵をすきだと言っといて、なんで他のヤツに触らせてんだ? 「…何を考えてるんだよ」 急に照が左手で退蔵の腕を掴んで、どこか苦しそうに呟いた。 「おまえが何考えてんのかわからない。…情報を売ってるのは前からか?」 退蔵は後ろから抱き締めたまま答えた。 「昨日も言ったでしょ?今の生活に満足してますかって。いつ死ぬかわかんないってのに、こき使われて」 照が自分の顔を見ようと顔を向けたので、肩に指先を残したまま、体を離して顔を傾けた。 「考え方ひとつでこの方がうまくいくんです。長い目で見た時わかるんです」 急に照は立ち上がると、退蔵を見下ろして言い返した。 「…そんなわけない。ヤクザと金で繋がって、何がうまくいくんだ」 退蔵も立ち上がって、10cm近くある身長差で照を見下ろした。以前田所が言ったのと同じ言い方をする。 「必要悪ってヤツです」 急に下から襟首を掴まれた。 「貴様、それでも刑事か!」 両手で掴んで、下から見上げるように照が睨みつけてきた。その顔をじっと見下ろした。そんなあどけない目をして。何も知らないで。 「…はい。そうですよ」 退蔵は両手で照の髪に触れた。 「刑事だって、正義の味方でばかりはいられないんです。先輩も自分を大事にするべきです」 照は憤ったように、掴んでいた手で思い切り退蔵の手を振り払うと一歩後ずさった。息を荒げて睨みつけ、声を張り上げた。 「刑事として、信念と誇りを持つのが自分を大事にするって事だ!」 「きれい事だけじゃ潰れちゃいますよ、先輩」 退蔵は首を傾けた。今救いたいのはあんただけ。何が正しくて何が間違ってるかより、それだけ。 その時、照が見ているのが自分の目ではなく、左耳だと気付いた。 左耳を何故?と思ってすぐに、ピアスの孔だ、と気付く。左耳のピアスの孔を見ているんだ。 今までずっと、退史郎として見られている間、照は『退蔵』と似ている部分を探しているんだと思っていた。そうじゃなくて、違いを探しているのかもしれない。 退蔵との違いを一つ一つ探しているのかもしれない。そうして確認しようとしているんだ。これは違う人間なんだって。 急に照は目をつぶった。そのまま退蔵と視線を合わさず、何も言わずに、疲れたように部屋を出て行った。 それから30分後、退蔵はディスクを戻しに資料室へと歩いた。 「正直、退史郎をどう思う?」 中から田所の声が聞こえてきて、退蔵はドアノブに伸ばした手を止めた。 「いくらなんでも似過ぎだよな。最初に会った時、どう思った?」 田所が話しかけている相手はしばらく黙っていたが、やがて一言ぽつりと 「…わからない」 と答えた。照の声だった。 「なんだよ、わからないってことがあるかよ」 「本当によくわからない。そっくりだとは思うんだ。時々、本人みたいに似てる。でも全然違って見える時がある」 退蔵は扉にもたれかかって、照の声を聞いていた。 「少なくとも、退蔵はヤクザと懇意になったりしなかった」 「…そうだな」 田所が答えるのを聞いて、退蔵は吹き出したくなった。 可笑しくてたまらなかった。田所さん、あんた今どんな顔してそう言ったんだ? 「…ちょっと待て」 田所の声がして、椅子を引く音がした。次の瞬間、扉が勢いよく開いて、田所の顔が目の前に現れた。 反射的に退蔵はにやっと笑顔を見せた。 「…退史郎」 声を上げたのは田所ではなく照の方だった。退蔵は部屋に入ると、照に向かってにっこり笑った。 「オレは兄貴とは違いますか?」 照はどことなくつらそうな顔をして、目を伏せると、 「おれは先に帰る」 と退蔵の脇をすり抜けて、部屋を出て行った。 また逃げるんだ、と退蔵は思った。 照の足音が遠ざかるのを待って、田所が念の為扉を細く開けて確認するのを、退蔵はじっと眺めた。田所は扉を閉めて、退蔵を振り向いた。 「どういうつもりだ」 「それはこっちのセリフですよ。田所さん言ってましたよね。絶対正体がばれないようにしろって」 退蔵は壁に頭をもたれさせて腕を組むと、田所を見下ろして強い口調で言った。 「あんたコソコソ何やってんだ?何を吹き込もうとしたんだよ」 「吹き込もうとしてんのはそっちだろうが。おまえ照に何言った?」 田所は退蔵に近寄ると、至近距離で睨みつけた。すぐにピンときた。退蔵は顔を反らすと、持ってきたディスクを棚に戻しながら聞いた。 「先輩何か言ってましたか」 「とぼけるな。なんか照にオレのこと言ったんだろ!」 山根組の密会の時に、照に言った事だろう。退蔵はストレートに答えた。 「田所さんだって同じような事やってるって言っただけですよ。なんか聞かれたんですか」 田所は両手を堅く握り締めて、声を絞り出した。 「おまえ、自分の立場を本当にわかってんのか?自分の首を絞めて何が楽しい?」 退蔵は感情の無い目で田所を見返し、そのまま部屋を出た。 署の外へ出ると、照が立っていた。沈みかけた太陽を背にして、眩しくて表情が見えない。 「もしかして、待っててくれたんですか?」 馴れ馴れしさを装って、近付くと肩に手をまわそうとしたがスッと避けられた。薄い影の中で照が言った。 「これからどこへ行くんだ?」 「このまま帰りますよ。いけませんか?当直明けで昨日からずっと署にいたんでね。先輩もでしょ?」 退蔵は首を傾けて答えた。照は口を噤んで、夕焼けの中に佇んでいる。 空の上にはまだ青空がうっすら残っているのに、底の方は燃えさかるように赤い。太陽が沈みきる前の、強烈な光が2人を照らした。 群青と藍色と朱と茜色の合間に、雲の白と、山吹と金色の光の爆発。雲と空とが世界の終りのように輝いていた。 その真ん中に照がいて、光と影にふちどられていた。 これは、ここでしか見れない景色。ここでしか吸えない空気。 あんたがここにいるってだけで、この世界にも価値があると思えるんだ。 眩しさで目を細めながら、退蔵は聞いた。 「オレが言った事、田所さんにそのまんま聞いちゃったんですか?」 「…聞いた」 「ストレートな人だな」 笑いながら手に触れようとすると、後ずさって逃げられた。退蔵は行き場のない手を固めて、コートのポケットに突っ込んだ。 「田所さんはなんて?」 照は退蔵の目をまっすぐ睨みつけて言った。 「…田所はそんなことするヤツじゃない。おれは信じてる」 「オレより田所さんを信じるんですね」 「当たり前だろ。いきなり現れたおまえをどう信じればいいんだよ。おれと田所はそんな浅い付き合いじゃない」 その言葉に、心のどこか深い部分が本気でえぐられた。 きつい目をしていた照の表情が少し揺らいだ。どこか気遣うような色で退蔵を見た。 もしかして、自分で思う以上に傷ついた顔をしてしまったんだろうか。そんな姿を見せるのは本意じゃなかった。 退蔵はわざと軽薄な表情を作って笑うと、背を向けて歩き出した。いつのまにか日は落ちていた。 朱龍の『オフィス』から徒歩3分のアパートに『退史郎』の現住所があった。 住民の半分以上が中国人だ。更にその全員が朱龍の下で働く人間だった。 監視されてるのも同然だ。部屋に盗聴器が仕掛けられているかまではわからないが、当然その可能性もある。 寒々しい打ちっ放しの1DKにユニットバスの部屋。退蔵は玄関でペンダントを外しかけて手を止めた。やっぱり外さず着けたままにしておく。 ロケットになっていて、中に写真が入れてある。照の写真。 恥ずかしくてくだらない。だけど会えない間は身に着けずにいられなかったお守り。 そんな恥ずかしくてくだらない代物でも、見つかれば命取りだ。だけど今更、処分することも出来ずにいた。 誰にも傷つけさせない。誰にも渡さない。退蔵は祈るようにロケットを握り締めた。 もし苦しんでいるのなら、『退蔵』のことは忘れてくれていい。 だけど他の誰にも惑わされないで。心変わりの相手なら『退史郎』を選べばいい。 退蔵はまた靴を履くと、もう一度コートを羽織って朱龍の元へ向かった。 螺鈿細工で鳥が描かれた背もたれの高い椅子に座り、黒いマオカラーのスーツ姿で、朱龍が指を組んで退蔵に言った。 「人を殺した事があるか?」 そういう話も出るかもしれないとは思っていた。慎重に答えなくてはいけない。 「まだ、ありません」 「試しに一人、消してみるか?」 朱龍は黒檀の円卓の上に、写真を一枚差し出した。退蔵は視線を写真に滑らせた。 照が写っていた。 退蔵は表情を変えなかった。 「こいつはワタシの弟の人生を終わらせた。そろそろこいつの人生も終わらせてやろうと思う」 朱龍は身を乗り出して、口元に笑いを浮かべた。退蔵も笑いを浮かべ、両手を組んで、朱龍の顔を見据えて言った。 「死ぬよりつらい事って、なんですか?」 「いきなりだな?」 ニッと笑う朱龍に、写真を指で押し返すと、退蔵はゆっくりとした口調で話し始めた。 「この人ね。正義は正義、悪は悪って思ってます。白か黒。中間が無いんです。だからグレーゾーンに踏む込むと凄く苦しむ」 退蔵は笑いを浮かべたまま、静かに話し続けた。 「この前の山根組の強制捜査の情報。この人にファイルを持ってこさせたんです。密会の現場まで。その場で本人にも、自分がやった事について教えました。幹部にも紹介してやろうとしたんですけど、逃げられちゃいました」 朱龍は写真を手に取ると、眺めながらヒラヒラと振った。退蔵は声の調子を変えずに続けた。 「この人利用できますよ。まだまだ利用できます。ここからいくらでも引き出せますよ。今消してしまうのは本当にもったいないです」 朱龍は笑いを含んだ眼で退蔵を眺めた。その眼から真意は読み取れない。 「面白そうだから、しばらくおまえに任せよう」 そう言って朱龍は楽しそうに写真を裏返すと、椅子に背をもたれさせた。 退蔵は写真を目にしてから最後に席を立つまで、ずっと表情を変えなかった。 外に出て、アパートまで戻る間もそれほど表情を変えなかった。 玄関の鍵を開け、明かりを点ける。靴を脱いで、コートのまま洗面所へ向かった。 思い切り蛇口をひねった。勢いよく水を出して、退蔵はそこでいきなり吐いた。出来るだけ声を出さないようにしたが、少し咳こんでしまった。 前にもこんなふうにいきなり吐いた事があったな。そう思い出した瞬間、瞼の裏側に誰かが浮かんだ。 洗面台に手をついて、目を閉じる。照の姿が残像のように現れた。 淡いネオンの光の中から、薄く影になって、自分へと手を差しのべていた。すぐにその手を掴み返せそうなくらい、瞼の中にはっきりと見えていた。 その残像を退蔵は目を閉じたまま、瞼の裏で、大切に大切に眺めた。 絶対に守り通す。 あんたがオレの心を守ってくれているように。 ぎゅっとロケットを握る。退蔵は口をぬぐうと、力をこめて蛇口を締めた。 つづく □ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ! いろいろとスイマセン。全部入った!ヨカター 話の中に出てくる大内は、久々に藁う戌見た時に「大内?誰?…ああ!ハイハイ!いたいた!」と懐かしく思い出したので記念カキコ的に出してみた。 検索避けの伏名にしなくても、このままでいいだろなという理由もアリ。(大内に対して失礼) また続きを10日前後かけて書いてきます。今度こそもう少し量減らします。 #comment
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