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71-23 の変更点


#title(龍は眠らない)
いちおつです。新スレ立ってよかったですね。 

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!
*龍は眠らない
 遥かな夜空の向こう、大いなる暗黒の彼方から、誰かの囁く声が聞こえる。
 「アドルフ・・・・君は夢を叶えたね。君は確かに、二十世紀の神話になったんだ。ジークフリートではなくてファフニルの方だけれど」

 「グスタフ、悪って何だと思う?」
 その三十過ぎの黒髪の紳士は、優美なオーストリア訛りでそう尋ねた。曰く言い難い光を放つ碧い双眸が、テーブルの向こうから、ちょっと斜視気味にぼくを捉えた。
 「ぼくはミヒャエルです」
 空腹に料理を詰めこむのに余念がなかったぼくは、急いで嚥下し、一息ついてから注釈を入れた。
 「失敬。グスタフは幼くして亡くなった私の兄の名前だ。それと、昔大好きだった人のこともたまにそう呼んでた。本当はアウグストで、普段はみんなグストルと呼んでたんだけどね」
 紳士は眉を上げ、片頬でちょっと翳のある笑みを見せた。
 「で、話の続きだが、悪とは何だと思うかね?そもそもこの世に、主として子供向けの創作物で描かれるような、純粋で普遍的かつ絶対的な善と悪というものは存在すると思うかね?」
 「『善と悪がある』というのは、それ自体としては信ずるに値する真理だと思いますが・・・・」
 ぼくは少しずつ言葉を発した。元々、あまりそういうことは突きつめて考える方ではなく、倫理とか修辞学とか、そういう授業も苦手で、落第点すれすれを取ったものだった。なんで我が国の人々は眉間に皺を寄せて勉強したり、検証したり、議論したりすることがこんなにも好きなのだろうか。こういう国民がおかしな人物や体制を妄信して間違いを犯すことなどあり得ないと思うのはぼくだけだろうか。
 「正直、難しくてよくわかりません。ただ『絶対的な善とは何か、絶対的な正義とは何か』を定義するよりも、『絶対的な悪とは何か』を定義することの方が易しい気はします。その上で、『善』とか『正義』というものを定義するとするなら、恐らく『悪を為さない、為させないこと』なんじゃないでしょうか」
 これ以上喋ったら、自分で何を言っているのかわからなくなりそうだった。そもそも、紳士の最初の質問に全然答えられていなかった。
 にも関わらず、彼は口髭を生やした厳粛な顔に、さっきよりちょっと柔らかい微笑を浮かべて頷いた。「上出来とまでは言わないが、まあいいだろう、ミヒャエル」そう言いたいみたいだった。一番厳しいと噂されている先生の口頭試問を無事パスしたような気持ちで、ぼくは心底ほっとした。

 「アドルフだ」
 貧しく疲弊しきった哀れな敗戦の街ミュンヘンの片隅で、明るい色のギャバジンのコートを着た紳士はぼくに親愛の片手を差し出した。といっても、生まれて十八年間、この街を出たことなどほとんどなかったのだけれど。
 夕食を奢られた後、埃っぽいローゼンハイマー街を抜けて、アドルフのアパートについて行った。簡素そのもの、禁欲そのものという、革命家というより洞窟に起居する修道士のような住まいだったが、一点だけ、らしからぬ要素があった。
 「絵を描くの?」
 「たまにね。戦前はプロを目指していたが、今ではただの趣味だよ。仕事の方がおもしろいし、物理的にも忙しくなってろくに時間を取れないしね」
 持ち主の性格を表すように几帳面に整えられた清潔なベッドに並んで腰を下ろした。彼はウィーンのことを色々話してくれた。更に、もっと広い世界を求めてミュンヘンに来たことや、ドイツとオーストリアを再統一する必要性について情熱的かつ饒舌に語り始め、そういう政治的諸問題が書いてある書籍や新聞やアジビラを持ってきてくれて、よかったらあげると言ってくれた。中には、彼自身が執筆した記事もあった。
 話は大戦中ドイツのために勇敢に戦い、受勲したことや、国防軍を再編成すべきであること、最近自分が創設した新しい部隊のことに及んだ。アドルフは新興の政党を率いる政治活動家で、この時代は政党単位で独自の武装組織を持つことがごく当たり前であり、街中での小競り合いも日常茶飯事だった。普通のドイツ人、普通の男の子であるぼくは、すっかり彼の話に惹きこまれて、熱心に聞いていた。
 「ドイツと世界は君たち若者のものだ。君のような子が部隊の宣伝をしてくれれば――いや、いっそのこと入隊してくれれば、とても心強いのだが。レームも喜んで面倒見るだろうし。何しろ、政治や軍事よりも若い男の子の方が好きときてるからな、あいつは」
 「雇っていただけるなら――その、今夜だけじゃなくて、ずっとお側に置いていただけるなら、それはほんとに嬉しいです。何ヶ月も失業中で、母も弟たちも飢えに苦しんでいますから」
 ぼくは一生懸命言った。アドルフはじっとぼくの顔を見つめ、頷きながら聞いていた。
 「戦争に・・・・戦争にさえ負けなければ・・・・。これじゃあ父さんだって何のために死んだのかわからない」
 悔し涙が込み上げそうになるのを辛うじて堪え、膝の上で拳を握り、唇を噛んだ。
 「わかってるよ、君の気持ちや状況は。何より、お母さんや弟さんたちのことが心配だよね」
 深い共感と慈愛のこもった声で一言一言、噛みしめるように言うと、アドルフは矢庭に、ぼくの両肩を掴んでベッドに押し倒した。
 心臓が高鳴り、喉元から飛び出そうだった。また泣き出しそうになりながら、今や猛禽の蹴爪にがっちり掴まれた小動物も同然のぼくは、男の顔をまっすぐ見ることができずに、頬を赤らめて目を逸らした。彼は鮮やかな手つきでぼくがリボンタイ風に結んでいたスカーフをほどき、襟元から抜き取った。無造作に背後へ放り投げられたそれは蝶のように宙を舞った。
 アドルフは手際よくぼくのカッターシャツの釦を外し、胸をはだけさせた。一応ストーブが焚かれているとはいえ、十二月のことであり、しかも彼のアパートはとても寒かった。冷気に晒された乳首が彼の刺すような視線の中でツンと立ち、それを指先でさりげなく摘ままれ、弾かれて、耳が熱くなるくらいに恥ずかしかった。
 ここに来れば何があるか、もちろん知っていた。男どうしであっても肉体は結ばれる、しかし、自然の理に基づく男女の結びつきと違って、主に男性を受け入れる側に、相当な困難が伴うことも知っていた。
 鋭敏に、ぼくの不安を感じ取ったのだろう。彼は手を止めて、冷静に言った。
 「君、男とも女とも経験ないんだろう?怖がらなくても、大事な兵士の体に最初から無茶はしないよ。嫌ならこれで終わって帰っても全然構わない。それでもここまでつきあわせた分の金は払うしね」
 その言葉の後半部だけ、ぼくが眼差しで否定すると、彼はふっと笑って、「ありがとう」と呟き、染み一つないピローカバーに扇のように広がったぼくの髪に手を絡ませた。
 「素晴らしいブロンドだ。誠にゲルマン民族らしい。将来は君のような金髪碧眼の、美しく優秀で愛国心に溢れた青少年ばかりを結集した精鋭部隊も組織したいと思っているんだ。鳥肌立つくらいにスタイリッシュな制服をデザインさせるつもりだよ。まだまだ資金や権力が圧倒的に及ばないがね」
 その魅惑的な話も、ぼくの耳にはろくに届かなかった。家に帰っても惨めさと窮乏が待っているだけの戦後の若者であるぼく、今、家族の中で自分だけ、親切な紳士にレストランに連れて行ってもらって、全く何日ぶりかでおなかいっぱい美味しいものを食べさせてもらったことへの罪悪感に苛まれているぼく、その男の部屋で、今生まれて初めて体を売ろうとしているぼくの耳には。
 ぼくが男娼になったなんて知ったら、母はどんなに悲しむだろう。弟たちはどんなに軽蔑するだろうか。男らしく、名誉の戦死を遂げた父の名にも泥を塗ることになりはしまいか。
 ふと、さっき食事中に自分が言ったことと、アドルフの問いを思い出した。
 善とは、正義とは、悪を為さない、為させないこと。悪とは一体何だろうか。
 家族を、故国の人々を、敗戦の屈辱と、いつ終わるとも知れない貧困と混乱の中に捨て置くことこそ、悪ではないだろうか。
 「哲学と道徳と政治は何が違うと思う?」
 アドルフは部屋の照明を落とし、上着を脱ぎ、ぼくに覆い被さってきた。頬に、顎に、首筋に、胸にと冷たい唇を這わせながら、その口づけよりも危険な毒素に満ちた問いかけを発した。ぼくに答えを求めていないのは明らかで、ただ自問自答しているだけだった。この風変わりな紳士ときたら、ベッドで抱きあってのキスや愛撫の時くらい、その手の命題を忘れていられないのだろうか。
 乳輪を甘いキャンディのようにしゃぶられて、感じてしまって、こっそりシーツに爪を立てて堪えた。
 「『善とは何か、悪とは何か』を追究するのが哲学。善を為すよう奨励するのが道徳。道徳の実践や応用、つまり制度化を担うのが政治。但し、哲学者も道徳家も、時の政治的権力の影響を全く受けずにはいられない。――気持ちいいの?勃ってるね」
 アドルフは衣服の上からぼくの下半身をまさぐり、くくっと笑った。「いけない子だ」
 ぼくは着せ替え人形みたいにベルトを外され、ズボンとパンツを脱がされるままになった。
 恥じらう間もなく、露になったものを、アドルフがそっと口に含んだ。
 「ひゃっ」
 そんな所を誰かに舐められるなんて、生まれて初めてのことだった。あまりの気持ちよさにのけ反り、声が出た。自分の掌やシーツに擦りつける時なんて比べものにもならない。勢いよく吸い上げられ、舌が忙しなく伝い降りたり這い上がったりした。亀頭を集中的に責め立てられて、足の指が引き攣り、気が遠くなりそうになった。
 「アドルフ・・・・出していい?」
 数分、いや数十秒と持たずに、そう囁きかけた。アドルフが目顔で頷いたので、深く息をついて、彼の口腔に夥しく射精した。アドルフの唇の端から滴り落ち、顎を白く汚すほどだった。
 「すぐイッちゃった。舌を使うの巧いんだね」
 しばらくして、アドルフに腕枕してもらって一休みしながら言うと、
 「そりゃ、演説家だから」
 彼は本気とも冗談ともつかないことを言った。
 「実際ね、ウィーンで、この街で、戦場で、数えきれないくらいの男のものを咥えたよ。もちろん生きるため、絵を売るためだ。戦争に征ってた時なんか、風呂場でしょっちゅう、複数の男に取り囲まれて、あらゆることをさせられた。あいつは根っからの淫売で、自分から喜んでやってるんだって噂まで立てられてね。体目当てなのは変わらないとはいえ、親身に話を聞いてくれる気のいい上官もいたけど、軍隊っていうのは基本的に、そういう野蛮な所だからさ」
 ぼくはアドルフの形の良い乳首を弄りつつ、二十代の彼がお風呂でマワされる所をじっくり想像して、またおちんちんをカチカチに硬くしながら、顔つきだけは神妙に聞いていた。
 「子供の時から、そういう権威主義的なのは嫌いだった。親父もそういう人間で、私が絵を描くのを嫌って、何か気に入らないことがあれば殴ったしね。学校も合わなくて辞めて、恋人と山歩きしたり川で泳いだり、屋外でスケッチをしたり、劇場に行ったり、芸術や音楽や文学の話をしたり、故郷のリンツでは専らそんな風に、のびのび過ごしてた。お互いの家に誰もいない時や人目につかない自然の中で素っ裸になって愛しあったりね。お互いまだ今の君より年下の、親元に住んでる子供だったのに、思えば大胆なことをしてたものだよ。
 「子供の時から、そういう権威主義的なのは嫌いだった。親父もそういう人間で、私が絵を描くのを嫌って、何か気に入らないことがあれば殴ったしね。学校も合わなくて辞めて、恋人と山歩きしたり川で泳いだり、屋外でスケッチをしたり、劇場に行ったり、美術や音楽や文学の話をしたり、故郷のリンツでは専らそんな風に、のびのび過ごしてた。お互いの家に誰もいない時や人目につかない自然の中で素っ裸になって愛しあったりね。お互いまだ今の君より年下の、親元に住んでる子供だったのに、思えば大胆なことをしてたものだよ。
 君のような素直でやさしい子を見ると、その人のことを思い出すよ。彼はいつも善良であろうとしていた。でも、政治には全く関心がなくて、政治的な問題とはいつも一定の距離を置きたがる性質だった。そんなこともあって、ウィーンに出てからは一つ屋根の下に暮らしていたにも関わらず、お互いに心が離れていったのさ。十九で、私が彼の許から行方をくらます形で別れて、それ以来一度も会っていない。多分、これからもね。
 今言ったように、いつも善であろうとしていた人のように――私よりはよほど善良であったように私には思えるが、政治と道徳にはさっき言ったような形での関連がある。政治的でないということはとどのつまり、道徳的でないということなのだろうか?そもそも、政治的でないとはどういうことだろうか?完全に政治や政治的見解と無関係で生きることなど、果たして個人に可能なのだろうか?」
 「その人のこと、本当に好きだったんだね。さっきから話に出てる、レームとかヘスとかいう人たちよりも好き?その人たちともこういうこと、するんでしょ?」
 鼻にかかった声で言いながら、アドルフの首に両腕を巻きつけ、口元に軽く口づけた。
 「たまに、お互い気が向いたら、ね。でもそれはスポーツとかレジャーみたいなもので、そうだな、変な言い方だが、党員どうしの団結力強化のための営みの一環だよ。彼らは帝国の――私の夢のために共に闘う同志であり、もっと言えば私の夢の一部だ。
 でも、その人は違うよ。彼は私の、何というか、私の――愛しい人だ」
 苦笑いは言葉の終わりで、屈託のない、はにかんだ笑みへと変わっていた。その後もある程度の期間、つきあいは続いたが、この人のそういう表情を見たのは、多分、この時が最初で最後だった。
 人類の諸悪がたった一人の個人の上に置かれるとする。彼は極めて観念的で抽象的で、ある種神秘的ですらある悪の元型(アーキタイプ)として、後世の人間によって定義され憎悪され断罪され続け、その評価は永遠に覆すことができないとする。それが彼の、善良なる人々の、世界に対するある種の義務であり、必然でもあるだろう。
 でも、その人だって、ただの人間だ。
 ぼくは彼の生まれたままの裸の体に両腕を回し、そっと抱いた。ドナウの流れのように。
 「あなたの幼馴染みの恋人って、八月生まれの人?」
 胸に頭を押し当てながら囁くと、アドルフはちょっと驚いたように目を見張った。
 「そうだが、どうしてわかったんだね?」
 「夕食の時言ってたじゃない。アウグストって」
 「そうだったか。君は利発な子だな。きっと頼もしい味方になるだろう」
 アドルフは目を細めてぼくの肩を抱き寄せ、髪を掻き撫でた。
 それから彼はぼくに、リラックスして仰向けになるように言った。
 「大丈夫、挿れないから」
 そう言ってぼくを安心させてから、強く抱きしめて口づけした。口中では舌が絡み、腰の所では、ぼくのと彼のともむくむく動いて触れあって、まるで自分たちの分身どうしもキスしてるみたいだと思えて、ちょっと微笑ましかった。
 アドルフがぼくの肩を押さえて普通に交わる時みたいに腰を動かすと、溢れ出すお互いの糖蜜に濡れそぼちながら、重なりあったものどうしが擦れあい、捏ね回され、そのぬめる感覚と淫猥な水音がまた新たな興奮を誘った。ぼくもはしたなく腰を揺り、夢中で快楽を貪りながら、アドルフの足に自分の足をきつく絡みつけ、背中に回した腕に力を込め、その唇や耳朶や首筋や肩を頻りに噛んだ。
 恥ずかしかったけど、声に出して言ってみた。
 「アドルフのおちんちんと擦れて、ぼくのおちんちん気持ちいい」
 その言葉が耳に届くと、アドルフも顔を上気させて、
 「私もだ・・・・ミヒャエルの体に出していいかな?」
 「うん・・・・いっぱい出して」
 気が付くと、生温かく、ドロッとしたものがおなかの上に広がっていた。アドルフは枕元から布巾を取ると、優雅な仕草で二人分のそれをきれいに取り除いてくれた。お臍の内側や太腿まで、丁寧に拭ってくれた。
 その後、ぼくの頬に口づけし、掛布を首の所まで掛けてぎゅっと押さえつけた。
 「疲れたろう。ゆっくりおやすみ。明日の朝早く帰って、午前十時に党の事務所に来てくれ」
 そのあまり色気のない言葉をぼくは、天使の囁きのように快く聞いた。
 「ちょっと面倒くさいけど、同伴出勤ってわけにもいかないのでね」
 と、彼はきまり悪げに付け加えた。
 夜半過ぎ、ふと目を覚ますと、傍らで眠っているはずの彼はいなかった。
 そっと部屋を見渡し、目を凝らすと、こちらに背を向けて、小さな堅い机に向かっている彼の姿が見えた。スタンドの明かりだけを点け、恐らく古典か歴史かの分厚い本を何冊も広げて、彼は書きものに熱中していた。
 声など上げられるはずもなかった。ぼくは精励する人を見た。果てしのない孤独と静けさの中で沈思黙考する人を見た。何も見なかったように、再び眠りに就こうと思った。カーテンの隙間から射しこむ月影が無限の距離感を以て、ぼくと彼とのわずか数メートルの空間を隔てていた。

 「そら、子供にはホットミルクだよ」 
 翌朝、一晩ベッドを共にした代価としては破格の支払いを受け、白パンを一かけらとポテトサラダだけの質素な朝食を供された。聞く所によると、たとえこの先どんな富と権力を得ることがあっても、この食生活は変えるつもりがないらしい。美味しいものを食べるとか、贅沢な暮らしをするということにこの人は本当に関心がないのだ。 
 ただ、朝にはものすごーく弱いが、今朝は頑張って起きてくれているらしい。 
 「もう子供じゃないよ。夕べあんなに・・・・いやらしいこといっぱいしたくせに」 
 追加で差し出された熱いマグカップを手に持ちながらも、ぼくは膨れっ面をした。 
 「そうだったね。どんな恋ならしていいかは年齢で決まるもんじゃない。誰かにああいう形で愛を受けた時からもう大人だ」 
 言いながら、澄まし返った表情で自分は白湯を飲んでいる。その顔は涼しげで、憎らしいくらいに抜け目なく小利口で、昨夜、キャンバスに絵筆でいろんな色を載せていくように、ぼくの体を自在に扱い、目くるめく官能に彩った男と、本当に同じ人かと疑いたくなる。
 「言い忘れていたけど、向こうでは『アドルフ』は困るぞ。『ヒトラーさん』と呼んでくれ」 
 玄関のドアを開けてくれながら、彼は念を押した。 
 ちょっと思いついて、かわいらしく呟いてみた。 
 「はい。我が総統」 
 彼は目をぱちくりさせた。 
 「何、それ?」 
 「なんか今、降りてきたんです」 
 「へ~」 
 と彼はそっくり返って大袈裟に感心し、にんまりと会心の笑みを浮かべた。 
 「いいな」 
 権威主義的なの嫌いじゃなかったの、と、ふと思ったけれど、もちろんそんなかわいげのないことは口に出さない。 
 朝靄煙る街路へとぼくを送り出しながら、アドルフは鷹揚に片手を上げ、ごく平凡に、日常の挨拶をした。 
 「それじゃまた、後でね、君」 
 男は、この時まだ、ドイツ史上、いや世界史上空前絶後の現象ではなかった。 

Ende 


 「世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても目を背ける奴らだ」 
(ボブ・ディラン) 

 「もし社会が無制限に寛容であるならば、その寛容は最終的には不寛容な人々によって奪われるか破壊される。寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」 
(カール・ポパー)
* [#i44c507c]
□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ! 

ロータル・マハタン「ヒトラーの秘密の生活」より。
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