Top/S-73

振動×剤然(前スレ530 -18)

それは唐突に終わった。剤然が、思いがけない力で身をもぎ離したのだ。

身体を分けた事でようやく目に入った相手の現実の姿に振動は動揺する。
俯いてしまった剤然の瞳はもちろん、表情も自分からは隠れていた。しかし、
飲んでいる間ひと筋たりとも乱れなかった前髪が白い額にばらばらに落ちかかり、
いくら酔っても緩めようとさえしなかったネクタイごと、シャツがしどけなく
開いている。
そんな姿にさせたのは自分だ。
今日会ったばかりの同業の男、年上の国立大の教授殿、地位も名声も有る相手に。
何て事を。どうして。
しかし謝罪や「そんなつもりではなかった」の類いの言い訳はできなかった。
そも仕掛けてきたのは剤然の方なのだ。かと言って、これだけの事をしておいて
今さら「どういうつもりだ」と相手を問い詰めるわけにも行かない。

なす術無く押し黙ってしまった振動より先に、外科医の方が口を開いた。
「……すまない、少し飲み過ぎたようだ」
沈痛なその声を聞いて、剤然がひどく後悔し、己を責めているのが分かった。
ここで、お互い悪い酒でしたね、と笑えば冗談で済む。そう思ったが、相手を
見下ろす視界の隅に、折り重なるように転がるふたつの鞄に振動の言葉が止まる。
それは自分がやりかねなかった事――いや、剤然があのタイミングで身を
躱さなければ確実にしていたはずの事の残酷な戯画だった。振動は急いで
下敷きになっていた方のブリーフケースを引き抜くと袖で埃を払い、
項垂れたままの相手に無言で差し出した。
白い頬がぴくりと引きつるように動いて、皮肉な笑みを形作った。瞳はまだ見えない。
「そんな所も、似ているな」鞄を受け取るなり外科医は踵を返す。
「ざいぜ……」
途切れた呼びかけは宙に浮く。
出会った時と同じ、早足の靴音がカッカッとリノリウムの階段を降りていくのを、
振動はただ呆然と見送った。

                  -了-


このページを共有:
  • このページをはてなブックマークに追加 このページを含むはてなブックマーク
  • このページをlivedoor クリップに追加 このページを含むlivedoor クリップ
  • このページをYahoo!ブックマークに追加
  • このページを@niftyクリップに追加
  • このページをdel.icio.usに追加
  • このページをGoogleブックマークに追加

このページのURL:

ページ新規作成

新しいページはこちらから投稿できます。

TOP