Top/S-35

12doors

 ジャックの怪我は一応手当てを施されていたが、
今回の大乱闘でその意味がほとんどなくなってしまっている。
巻かれた包帯には血がにじみ、新しく出来た傷や打ち身など、ひどい有様だった。
 呼吸も荒くぐったりと壁に身を預けている彼に、私は水を与えた。
ここはどうやら廃屋なのではなく別荘かなにかのようで、
埃は積もっていたが家具や生活道具なんかは一式揃っていた。
水道も生きている。
 とりあえず水を飲んで落ち着いたらしい彼を置いて、私は少し家捜しに回る。
そうしてみつけた缶詰なんかの保存食料を、家主に申し訳なく思いながらも失敬し、
見つけた救急箱を携えてジャックの元に戻った。
「…いつまでもここに留まっているわけにはいかんな…」
 血のにじんだ包帯を外し、手当てをしているとジャックがそんなことを呟く。
私はそれに同意の言葉を返してから、
「しかしこの怪我ではすぐに動くのは危険だ」とやはり呟くように答えた。
 ジャックが息だけで笑ったのが、少し揺れた体の動きで分かった。
「…いざとなったら俺は捨て置け。お前の足手まといにはなりたくない」
 囁くような掠れた声に、私は思わず顔を上げてジャックの顔を見つめた。
どういう表情をしていたのか分からないが、ジャックは私の顔を見て苦笑する。

「…そんな顔をするなよ。俺はもう端から死ぬことは覚悟できてたんだからさ
…ただ悔しいから悪足掻いただけで」
「そんなこというな!」
 困ったような笑みを浮かべて言葉を紡いでいくジャックに、
私は溜まらず怒鳴りつけてその言葉を遮っていた。
 捨て置け?足手まといになりたくない?死ぬ覚悟は出来ていた?冗談ではない。
私はそんな言葉を聞きたかったのではない。そんな言葉を聞くために彼を助けたのではない。
 どうしようもない怒りに体が震える。ジャックは驚いたように私を見つめていた。
「…私は…私は…あんたを失いたくないんだ。絶対に捨て置いたりしない。
絶対に…死なせたりなんかしない!」
 喉の奥が痛い。何度か言葉につまりながらも更に言い募ると、見開いていたジャックの目が細められる。
泣き笑いのような表情を浮かべて、彼は私の頬に手を差し伸べた。
「…泣くなよ。悪かった。俺が悪かったから…泣くな」
 泣く?泣いているのか?私は。そういえば、なんだか目頭が熱い。鼻の奥がつんと痛む。
ジャックは私の頬の涙を親指で不器用に拭い、もう一度「泣くな」と囁いた。
 私は溜まらず顔をうつむけて、唇を噛み締める。
その拍子に離れたジャックの手の体温が、とても惜しく感じられた。
 無言で頷くと、ジャックが小さく笑ったのが気配で感じ取れる。
「…お前、鳥みたいだな…」
「…鳥?」
「インプリンティング。生まれたばかりの雛が、はじめに見た動くものを親だと思って懐くことさ」
「………」
 そう言われれば、そう思わないこともない。だが。
「…私はジャックに会う前に、他にも動くものを見ている。そういうんじゃない」
 そう、ジャックだからだ。共に助け助けられて生き延びた。私の正体を知っても変わらずにいてくれた。
私が人を食ったと知っても…彼は、私に「よろしくな」と言ってくれたのだ。

 彼相手でなければ、私の感情はここまで大きく揺すぶられたりはしない。
この先どこでどんな人に会おうと、私にとって一番大切な人はジャックなのだ。
それは変わらない。自信をもって言える。
 断固と言い切った私に、ジャックは穏やかに微笑んだ。
眉は少しハの字形だったけれども、その微笑みは優しかった。
「…お前に助けられてばかりだな、俺は。お前がいなけりゃ、俺はとっくに死んでた。
お前がいなけりゃ、俺は…」
 囁くような声は、尻すぼみに小さくなる。
だが私は、その先に『生きていけないのかもしれない』という言葉を聴いたような気がして、首を振った。
「…違うよ、ジャック。それは私の方なんだ。私の方が、あんたがいなければ生きていけないんだ」
 目をまっすぐに見て言い切ると、ジャックは少し目を見開き、しかしすぐに微笑んだ。
 困ったような、だが柔らかい笑み。
 その微笑を見て、私は溜まらずジャックの体を抱きしめた。
 どうしてそうしてしまったのか、自分でもよく分からなかった。
ただ胸の奥から熱いような疼くような、刺すような痛みを伴ったなにかが押し寄せてきて、
ただただ衝動的に抱きしめてしまっていた。
「…おい、どうした?…っ、いてぇよ、ちょっと力緩めろ…」
 ジャックの驚きながらの、でも少し笑みを含んだ抗議の声に、私は慌てて腕の力を緩める。
それでも彼の体を離すことはしなかった。
ただひたすら抱きしめ続けていると、やがてジャックの腕が私の背中に回り宥めるように優しく叩いてくる。

「…なんだかなぁ…おふくろの気分がちょいと分かった気がするぜ…」
「…おふくろの気分?」
 なぜだ?と問いかけた私に、ジャックはどこかくすぐったそうに笑う。
「出来の悪い子ほど可愛いってやつさ」
 少しむっとした。
「…私は子供ではない」
「生まれたばっかりだろ?」
 …それを言われると言い返せない。
「…だが、出来が悪いとはなんだ。私はそんなに手がかかったか?」
「そうだなぁ、大人しく待ってろっつったのに言うこときかないでのこのこやってくるわ、
逃げろっつったのに腰抜かしたりするわ…」
「そ、そんな、ジャックだっていつも危ない目に遭っていたではないか!」
「分かってるよ」
 ジャックの言い様に思わず非難の声を上げると、思いもよらず穏やかな声が返ってくる。
「…昨日も今日も、ずーっとお前に助けられてきたんだもんな。お前、タイミングよすぎだし。…ありがとな」
 最後の言葉は少しぶっきらぼうに。どうやら彼なりの照れ隠しであんなことを言ったようだ。
私は少しほっとして、もう一度彼を抱きしめる腕に力を込めた。

「…それにしてもジャック、なんで私にあんなことを言ったんだ?」
「あんなこと?」
「ありのままを話せと…そんなことをしたら、ジャックの命が危ないじゃないか。
…それとも、あの時にはもう覚悟していたのか?」
「ああ、それか…いや、あん時はまだ諦めてなかったぜ。
ショックと恐怖で混乱して記憶なくしてるふりでもしようかと思ったんだが…
どっちにしろ処分は決定だったみたいだしな。
尋問にかけられるって分かったところでなりふり構ってられなくなったわけだし」
 だからあの大暴れになったのか。
 私はジャックが最後まで諦めていなかったことに安堵し、
そうして今彼がここに生きていることに安堵した。
 彼は私の大切な人。刷り込みでもなんでもいい。それだけは変わらない、確かな私の真実。
 失えない。失いたくはない。
 頬にあたる彼の髪の感触。息遣い。暖かな体温。鼓動。
 私も彼も、生きている。
 生きているのだと、実感した。
「…なにがあっても、私が守るよ、ジャック」
 彼の髪によりいっそう顔をうずめて囁くと、ジャックが肩を震わせ小さく笑う。
「言ってくれるな。いつまでも守られてばかりの俺だと思うなよ?」
 挑発的な、だが楽しそうな声音。
 大切で、大切で。狂おしいほどに、胸が熱くなる。
 いとおしいという言葉をこの時の私はまだ知らなかったが、
かけがえのない唯一無二の存在である彼をただひたすらに大切に思い、
恋焦がれているこの感情がその言葉に近いというのならば、
私は間違いなくジャックをいとおしく思っているのだと、そう思うのだ。


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