Top/S-34

12doors

 私の顔は真っ青になっていたのだろう。
突然言葉をとぎらせた私に、博士が「具合でも悪いのかね?」と尋ねてきた。
 私はこれ幸いにこくこくと頷いて「少し疲れました」と呟いた。
私の声は掠れていた。
 博士は鷹揚に頷き、「では少し休憩を取ろう」と言った。
横になりたいから一度さっきの部屋まで戻してくれないかと言った私に、
博士は答えず「その前に採血をしたいのだが、いいかね?」と訊ねてくる。
 一刻も早くジャックと合流しなければと思っていた私は、
心の中で舌打ちをしたがそれに異を唱えることはしなかった。
余計なことに時間を取られている暇はない。
血を採りたいと言うなら逆らわずに採らせて、
その後再度部屋に戻れるよう訴えて了承させよう。
 私が頷いたのを見て、博士が後ろを振り返り目で指示をする。
博士の後ろに控えていた青年が頷き、持っていた鞄をテーブルの上に置き開いた。
 中には注射器が数本。コットンやガーゼが詰められた小さな壜が二つに、消毒液。
それと細いチューブなんかが入っている。
 私はそれを目にして袖をめくり上げた。
チューブを手にした青年が私の腕にそれを巻きつけようとした時、
突然廊下の方から激しい物音が聞こえてきた。
 はっと皆が同時にそちらの方を見る。なにか揉め事が起こっているのか、
壁や廊下を叩いているような音の他に怒鳴り声が聞こえてくる。
 私を除く皆がなにか意味ありげに目配せをし、博士がおもむろに椅子から立ち上がる。
そうして「少し様子を見てくるから、彼の採血を済ませておくように」
と言い置くと扉を開けて部屋を出て行った。

 だがその時に、博士が扉を開けたほんの一時の間に、私は知ってしまったのだ。
 暴れているのはジャックだ。ジャックの声がした。彼の声を、私が聞き間違うはずがない。
 左側の鏡。これはもしやマジックミラーというヤツなのか。
そうすると、ジャックは一つ部屋を挟んだ向こうにいたのだろう。
そしておそらく逃げ出そうとしたのだ。
 はっと息を呑んだ私に、私の腕にチューブを巻こうとしていた青年が一瞬動きを止める。
 今しかない。
 青年が動きを止めた隙に私は鞄の中から注射器を引ったくり、
キャップを外して彼の腕に勢いよく突き刺した。
叫び声を上げて彼が退くのと女性研究員が悲鳴を上げるのが同時。
注射器を構えて後ろに向き直ると、私の背後に控えていた青年が私に銃口を向けていた。
「注射器を放せ!」
 私は一瞬怯んだが、すぐに気を引き締めた。銃を握る青年はぶるぶると震えている。
兵士が研究員に成りすましていたのかと一瞬思ったのだが、それはどうやら違うようだ。
 私はジャックと違い、訓練もなにも受けていない生まれたばかりの人間だ。
おまけに大事な研究材料。侮られていたからこそ兵士はつけられなかったのだろうし、
きっと無闇に傷つけることは許されていないのだろう。
 万が一の時のために持っていた銃のようだが、そんなに震えていては照準も定まらない。
常日頃平和に暮らし研究に没頭しているだけ彼らとは違い、
私はこれでもあの状況を切り抜けてきたのだ。
この状況下に陥った場合、自信も度胸も彼等以上にある。
 私は一旦構えていた手を下ろし、無防備を装った。
それに安心したのか見るからに安堵の息を吐いた彼は、それに倣って銃を下げる。
だから甘いというのだ。私はその機会を見逃さなかった。
目の前の青年に飛びつき、青年の銃を奪って扉まで駆ける。
女性研究員の悲鳴を聞いて慌てて戻ってきたらしい博士がタイミングよく扉を開けたのを見、
威嚇の意味も込めて銃を向けると泡を食った博士はよろめき腰を抜かした。
 その体を押しのけて廊下へと飛び出る。

 そこにはニ三名の兵士らしき人物に捕らえられた男がいた。
 私は反射的に壁に背をつけ、彼らに銃を向けた。
背をがら空きにして銃を構えるのは危険だと、経験で覚えている。
安全装置を解除し、「彼を解放しろ!」と叫ぶと
驚いたようにこちらを見ていた兵士たちが困惑の表情を浮かべる。
 床に押さえつけられていた男はぼろぼろで、同じように目を見開き呆然と私を見ていたが、
私の声を聞いて誰なのかわかったようだ。
殴られたのか、にっと笑った口の端に血がにじんでいる。
「…よぉ、元気そうだな…」
 ああ、この声。この状況で、相変わらずの軽口。ジャックだ。
マスク越しのこもった声よりもはっきりと耳に届く。
「…あんたも、相変わらずそうでなによりだ」
 ほんの少し表情を緩めてそう返すと、ジャックはちらりと苦笑した。
 それを目におさめてから、改めて兵士たちに目を向ける。
博士や研究員たちは誰一人部屋から出てこようとしない。
わが身可愛さに兵士たちに全てを任せているのだろう。
「もう一度言う。ジャックを解放しろ。これは警告だ。十数える間に解放しない場合、
また解放せずに彼かつ私に危害を加えるような動きを見せた場合、警告を無視したとし発砲する」
 ジャックを押さえつけている兵士に照準を定め、
はっきりと通る声でそう告げると兵士たちは戸惑ったように目を見交わす。
指示を仰ぐように開け放たれたままの扉の方を見たりするが、
お偉方がどのような指示を与えているのか部屋の中に隠れているために私からは見ることが出来ない。

 五まで数えた頃、ようやく兵士はジャックを解放した。
とりあえずは言うことを聞いておけとでも指示が出たのだろう。
たかが二人、ここで逃がしたところでなんとでもなると思っているらしい。
のろのろとジャックの上から引き始めた兵士を、ジャックは問答無用で押しのけ立ち上がり、
ついでに彼から銃まで奪ってこちらへとやってきた。
「…助かった」
 私の傍までやってきて微苦笑を浮かべた彼に、私は頷き先に行くように告げた。
ジャックもまた頷き走り出す。私は兵士たちに銃口を向けたままじりじりと後ずさり、
ジャックが十分逃げたと思える時間を稼いでから一気に身を翻して駆け出した。
「逃がすな!多少の怪我は構わん!」
 背後から博士たちの大声が追いかけてくる。足音と銃声が響く中、私は一心不乱に駆けた。
途中曲がり角で待っていたジャックと落ち合い、
増えた人員相手に銃撃戦を繰り広げながらなんとかその施設を脱出する。
 残念ながら二人共に無傷で脱出というわけにはいかなかったが、それでも命があるだけましだろう。
こんなことばかり繰り返して、次第に命がけの状況というものに慣れていくのが悲しいやら恨めしいやら。
度胸がついていくのはいいことなのだが、慣れによる慢心はいけないなとそんなことを考えて気力と冷静を保った。
 時刻は夕闇が迫る頃。あの秘密研究施設と同じように、この施設も周りを広大な森に囲まれていた。
車で追跡をかけられるのは予想がついていたので、私たちはただひたすら森の中を突き進んでいた。
時折ジャックの足がふらつく。休もうかと提案すると、ジャックは頑なに前に進むよう促した。
 そうしてようやく森が途切れたのは、夜明けも間近な頃だった。
東の空がうっすらと白み始めた頃、私たちは森を抜け近くに廃屋を見つけてその中に転がり込んだ。


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