12doors
更新日: 2011-05-03 (火) 12:20:58
上昇を続けていたポッドがなにかを噴出する音と同時に激しい揺れに見舞われた。
やがてゆっくりと揺れながら下降を始めたポッドに、隣りのシートに座っているジャックが
「…パラシュートが開いたな」と呟いた。
私にはよく分からなかったが、ジャックがそう言うのならそうなのだろう。
「そうか」とだけ呟くように答えた私に、ジャックは小さく笑ったようだった。
ゆっくりと左右に揺れながら降りていくポッド。モニターやウインドウの類はないから、
このポッドがどれだけ高く上ったのか、そして今どれくらいの高度にあるのか、
そういうことはさっぱり分からなかった。
「衝撃に備えろよ。舌を噛まないようにちゃんと歯を食いしばっておけ」
ジャックの忠告に素直に頷き体に力を入れる。
どれほどの衝撃がくるのか分からない分、不安は大きかった。
同じ状況にあるのにジャックはそれほど気負っているようには見えず、慣れているのだなと思う。
今までの言動や声を聞く限りそれほど年がいっているようには思えない彼だが、
やはり隊長を任されるだけのことはあるのだ。
今か今かと待ち続けた衝撃は、体に力を入れ続けることに疲れ始めた頃にやってきた。
重い音がしてポッドが激しく揺れる。
ガクリと勢い前のめりに倒れかけた体にベルトが食い込み強引に戻され、
突然の揺れに内臓がひっくり返ったような重く嫌な痛みを訴える。
胃の中のものが逆流しそうだ。
気持ち悪い。
やがて揺れが収まり、強張った体の力をぎくしゃくと抜いていく。隣りで大きく息を吐いたジャックが
「…大丈夫か?」と訊いてきたから、それには頷くだけにとどめておいた。
今なにか話そうとすれば吐いてしまいそうだ。
「…気持ち悪…」
胸元を摩りながらの彼の独り言にも頷いて同意を返す。
しばらく大人しくして胸のむかつきをやり過ごし、「…そろそろ出るか」というジャックの言葉に頷きおもむろにベルトを外した。
そうしてハッチの開閉ボタンを押そうとした時、ポッドの外からなにか声のようなものが聞こえてくるのに気がついた。
『…で……よう……繰り返す、搭乗者はこちらから呼びかけがあるまでそのまま中で待機をしているように』
どうやらこのポッドの周りには人がいるらしい。
拡声器かなにかで呼びかけてきているようだ。
だがこのままここで待機をしろとはどういうことなのだろう。
「…胞子汚染の可能性があるからだろうさ。このままポッドごと洗浄施設にでも搬送して、
中から外から綺麗にしまくったあとにようやくご対面ってことだろう。…面倒なことになるな、こりゃ」
私の疑問を察したのか、ジャックが呆れたような疲れたような声音でそんなことを言う。
起こしかけていた身をどさりとシートに戻して、目の辺りを拭うような仕草をした後、
「俺は疲れたから少し寝る。呼びかけがあったら起こしてくれ」と言うなりさっさと寝てしまった。
無理はない。彼は度重なる負傷でたくさんの血を失い、また体力をかなり消耗してしまっている。
今まで平気そうな素振りをしていたから気にならなかったが、実は今すぐにでも手当てが必要な怪我人なのだ。
やがてなにかの機械の音がして、ポッドが持ち上げられる。
結構大きな揺れであったのだが、ジャックはぴくりとも動かない。
まさか死んでしまっているのではないだろうかと不安に駆られた私は、ついジャックを揺すってみたのだが、
「…死んでねぇよ。寝てるだけだ、邪魔するな」という不機嫌そうな一言にほっと安堵の息をついた。
ジャックのためにも、早く洗浄が終わってくれればいいのだが。
* * * * *
ジャックの言うとおり、私たちは中から外から徹底的に洗浄された。
時間的にはどれくらいかかったのかは知らないが、
感覚的にはずいぶんと長い間ポッド外郭を洗浄しているらしいジェット音が聞こえた。
それがようやく済んで出られたかと思えば今度は防護服のまま洗浄。それを脱いでまた洗浄。
最後には裸で洗浄。用意された服を着て、与えられた部屋で一晩休んだ後、別の部屋に通された。
その部屋はなんというか殺風景な部屋で、中には部屋の隅と中央にテーブルが一つずつとその上に明かりがやはり一つずつ、
椅子が三脚あるだけで、他にはなにもない。扉の向かいに窓が、左側の壁には鏡が埋め込まれていた。
外はまだ明るいのに、煌々と輝く蛍光灯が部屋の白い壁を無機質に照らし続けている。
促されるままに椅子の一つに腰掛けた。
案内してくれた男は、「しばらくお待ちください」と言ったきりどこかへ行ってしまう。
なんだかどうしようもなく不安だ。一体ここはなんなのだろう。
きっとあの施設内でなにがあったか訊かれるのだろうが、この部屋はどうにもこうにも落ち着かない。
それに、ジャックはどうしたのだろう。彼とはポッドを下りて以来一度も顔をあわせていない。
下りた直後、私たちはたくさんの兵士に銃を向けられていた。
「まあ、当然だろうな」とジャックは苦笑していたが、「仲間に銃を向けられるってのはきついな」とも呟いていた。
ジャックの言葉から察するに、あの兵士たちはミカエル隊なのだろう。…ガブリエル隊はジャックを除き全滅している。
そういえばその他にもなにか言っていた。「…厄介なことになりそうだ」とかなんとか。
私に「お前はありのままを話せ。なにも隠す必要はない。大丈夫だ」とも言ってくれた。
それが、確か最後の会話だ。その後私とジャックは兵士に銃を向けられたまま、別々に連れて行かれた。
あの時のジャックの言葉、あれはなんだったのだろう。「厄介なこと」とはどういうことなのだろう。
「ありのままを話せ」と言われても、そもそも私には隠せるようなことなどなにもない。
生まれてからまだほんの一日しか経っていない、人工的に生み出された生命体・救世主メサイア。
それが私なのだから。私が持つ記憶と言えば、あの思い出すのもいやになるような研究施設での事件のことだけ。
一体なぜ、ジャックは私にあんなことを言ったのだろう。
そんなことをつらつら考えていると、後ろで扉の開く音がした。
振り返ると、人の良い笑みを浮かべた白衣姿の中年男性と、
その後ろにこちらは年若そうなやはり白衣の青年二人と女性一人が入ってきた。
中年男性はテーブルを挟んで私の向かいの椅子に座り、その後ろに鞄を手に持った青年が一人、
記録ノートを持った女性が隅のテーブルにつき、もう一人の青年は私の後ろについた。
「…君は記憶がないんだったね。はじめましてというべきかな?」
向かいの席についた男性が、テーブルの上のライトをつけ録音機器をセットするなりにこにこと笑いながら話しかけてきた。
私はとりあえず頷き、自分はロナルドでここにいる彼が誰であそこの女性が誰で、という彼の紹介をただ聞いては頷いていた。
一通りの紹介が終わった後、男性──ロナルド博士は私に向き直り、「さて本題に入ろうか」と話を切り出した。
表情は相変わらず笑顔。だがなんだか気味が悪い。なぜだろうと考えて、彼の目が笑っていないからだと気がついた。
薄気味悪さを覚え、この人とは長い間向き合い続けたくない、
出来れば他の人に変わってもらえないだろうかとそれとなく回りを見回してみたが、
彼以外は皆無表情でもっといやな感じだ。憂鬱な気分が更に憂鬱になる。
「自分が何者か、伝聞や憶測で構わないから述べてくれるかね?」
表情は貼り付けたような笑みで、相変わらず目は笑っていないままロナルド博士は私に尋ねる。
私は一つ溜め息を落とし、嫌悪感を拭えないまま重い口を開いた。
「…私は自分が何者か、はっきりと答えることが出来ません。
しかし、その…教祖と呼ばれる人にメサイアのただ一人の完成体だと言われました」
ぼそぼそとした声で言うなり、周りの空気が一瞬変わる。
気味悪さからロナルド博士から目をそらしていたのだが、
少し気になりちらりと見てみると彼はなんだか喜んでいるように見えた。
だがそれは喜ばしいことを単純に喜んでるというのではなく、
うまく言えないのだが…謀がうまくいったような、そんな笑み。狡猾な光が目に宿っている。
「そうかそうか。では君の覚えている限りの事を、覚えている範囲でいいからはじめから話してくれないか?」
興奮しているのか、声が若干弾んでいる。私はまた一つ溜め息をつき、
ライトを受けて輝くテーブルの無機質な表面を見ながら、目覚めてからこちらのことをぼそぼそと無抑揚に語った。
目覚めた時には休憩室にいたこと、なにも分からないままとりあえずその部屋を出たら、
廊下や分娩室が血まみれだったこと、行けども行けども生きている人間には会わず、あるのは死体ばかり。
そして襲ってくるメサイア失敗体たち。途中でジャックと会い、一度別れたものの再会してからは共に行動したこと……。
その話を博士たちは興味深そうに聞き、時には大げさに驚いたり、
「大変だったね」と取ってつけたように労いの言葉をかけてくれた。
私はその言葉にはいちいち反応せず、ただぼそぼそと話し続けた。
頬に受ける明かりが眩しい。それになんだか熱い。一面白の壁が圧迫感を与えてくる。
ここはひどく居心地が悪い。まるで尋問のようだと思い、はっと気がついた。
そうだ、これは尋問なのだ。
彼らは私から内部でなにが起こっていたのかだけではなく、
私がなにをどれだけ知っているかを聞き出そうとしているのだ。
もしかしたら…いや、もしかしなくてもジャックも同じことを聞かれているに違いない。
ああ、そうなると、彼が言っていたことの意味も分かる。そうだ、私は大丈夫なのだ。
なにをどれだけ知っていようと、私はただ一人の完成体。施設は爆発した。
メサイア計画の資料も実験結果も、全て木っ端微塵に吹っ飛んだ。
胞子は地中深く、瓦礫の下に閉じ込められた。だがいつ復活するとも限らない。
私は、未来へ繋ぐ彼らの研究材料なのだ。
どれだけ財団の極秘事項を知っていようとも、私の命が消されることはない。
ただ、研究室に閉じ込められるだけで。
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しかし、ジャックは…彼は違う。彼はことによっては消されてしまう。
いや…財団にとって、彼は確実に消さなくてはならない人物なのだ。
彼は身寄りがないと言っていた。ガブリエル隊は彼を残して全滅している。
今更彼の命ひとつ消そうとも、財団にしてみればなにも痛くない。
逆に彼が生きていることの方が厄介なのだ。
ジャック自身、言っていたではないか。「ここで仕入れた情報をネタに財団をゆするもよし」と。
それほど危険な情報を彼は得ているのだ。
ああ、そうだ、気付かなかった。大変なことなのだ。面倒なことなのだ。厄介なことなのだ。
なぜ気付かなかったのだろう。そして彼は、なぜあんなことを私に言ったのだろう。
もう諦めていたのだろうか。覚悟していたのだろうか。死ぬことを、処分されてしまうことを。
だが私はいやだ。彼を失うのは絶対にいやだ。
私の中で彼はなくてはならない人になっているのだ。
共に死線を乗り越え、互いに助け合ってあの地獄を切り抜けてきた。
私の正体を知っても、彼はなんら変わりなく接してくれた。
「よろしくな」と屈託なく言ってくれた彼を、私は絶対に失いたくない。死なせたくない。
そのために、私がなすべきことはなんだ?
「………」
不用意なことを話してはいけないと悟った途端に、私はなにをどこまで話していいか分からなくなった。
とにかく、あの蝙蝠人間や狼人間のことを話してはいけないだろう。
ハセガワとステファニーはあの区域に入った所為で処分された。
だが、12番倉庫まで行くにはあの地下三階を通らなければならない。
あそこまで行かなかったことにするか?いや、脱出ポッドを使ったのだ、そんなことでは誤魔化せない。
混乱する。どうすればいいのか。分からない。私が隠したところで、どうしようもないのかもしれない。
彼の処分は、きっと決定している。話を聞きだすだけ聞きだして…彼は、処分される。
ぞっとした。体が強張り、胸の奥から全身に一瞬の速さで冷たさが広がる。
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