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記憶

しんだろー……しんちゃん、好きだよ……

耳に残るのは甘いささやき。唇には柔らかい感触。
目に焼きついた、とろける様な極上の笑顔──。

「おい!聴いてんのかよ?」
カフェのテーブルをコンコンとひろみが叩く。
「あ、ごめん。もっかい言って?」
「何だよー。ちゃんと聴けよな」
文句を言いつつ話を繰り返す顔と声には、甘さの欠片も無い。
いつもと同じひろみだ。

忘れてる。
こいつ昨日のこと絶対に覚えてないな、と確信した。

みんなでわいわい騒いでた昨日の飲み会。
偶然が重なり、二人ぽつんと部屋に残された。

「しーんちゃん。おい、しんたろう!こっち向け」

やべー。完全に目が据わってる。
ひろみがこんなに酔っ払ってるの珍しい。
いつもはハイになっても、ここまで酔うことないのに。

「お前すげー酔ってるだろ?」
「なーに言ってんだよ。酔うために飲んでんだからー、あったりまえじゃん」
「ひろみ、ちょっと水飲んだら?」
「いらねーよ。なんで水なんだよー。せっかく美味い酒飲んでるんだからお前も飲め」
「はいはい、飲んでるさー」
「あれ?なんで誰もいねーの?」
「みんなトイレとか電話とか……」
「ふーん……二人きり、なんだぁ……」
いつもの真っ直ぐな力強い目とは違う、とろんとした上目遣いの目線に思わずどきりとする。

「しんたろー」
呼ぶなり、両手で襟元を掴まれて強く引き寄せられる。
至近距離で見ても綺麗な顔だ。
「何ー?」
額をこつんと合わせたひろみはふふっと笑った。
あどけないのに色っぽい、不思議な笑い。

「しんたろー……しんちゃん、好きだよ……」

ささやかれた声に時間が止まった。
長い睫毛がゆっくりと伏せられる。
目の前の顔がもっと近くなり、唇が重なる。

柔らかい。と思った瞬間にはもう離れていた。
ゆるやかに、華が咲くようにひろみが笑う。
その笑顔に、心の奥からいままで知らなかった感情が引きずり出される。
体が熱くなる。
酔いじゃない、芯から湧き上がってくる熱。
ひろみ、と呼ぼうとした瞬間、メッシュが入った髪がふらりと揺れて、こっちに倒れてくるのを受け止めた。

あのまま寝ちゃうなんてひろみはズルイ。
そんで起きたら何も覚えてないなんて、もっとズルイ。

「だからー、ってマジ聴いてねーだろ?またボーっとしてるし」
「あー、聴いてる聴いてる」
「人が一生懸命説明してんだから、もっと真面目に聞けよな」

口を尖らせる顔をうっかり可愛いと思ってしまい、無理矢理視線を窓の外へ向ける。
そんな話じゃなくて、もっと聴きたいことがあるさー。
昨日のあの言葉はマジ?とか。
今度は俺からキスしてもいい?とか。
でもお前が何も覚えてないんだから、俺だって何も言えない。

もやもやする気持ちを持て余し、アイスラテをストローで思い切り吸い込んだ。

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