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good night

硬いな……。

薄暗い照明のひな壇で紫色が小さく呟いた。
目線の先に立つのは、スポットライトの光に包まれた恋人だ。
明るいグレーのスーツが似合っている。
見つめる間も、水色は落ちつかなげにハットのかぶり具合を直し、マイクスタンドに手をかける。
マイクスタンドを握る腕にも、肩にも、全身のあらゆる箇所に力が入ってガチガチだ。
モニターに映し出された顔も強張り、全く余裕が無い。
しかしそんな怖いほど張り詰めた表情も紫色を魅了する。
彼と二人でいる時の寛いだ、あどけなくさえある顔とは対照的だ。

前奏が流れ出す。
二人一緒の歌い出しの後にまず彼のパートナーの歌声が流れ、そこに水色の声が重なる。
よし、第一段階クリア。
間奏の後は水色のソロパートだ。
紫色はグッと両拳を握りしめた。
彼の心配をよそに澄んだ歌声が水色の唇から滑り出る。

いいんじゃねえの?

普段の練習に比べれば伸びが足りないものの、これだけ緊張した状態でこの声が出せれば上出来だ。
贔屓目は自覚しているが、もとより本職の歌手ではないのだ。
ライトを浴びた二人に合わせて歌詞を口ずさむ。
水色の練習に付き合って数え切れない程口にした言葉達を噛みしめながら。

生放送の特別番組の主題歌を歌うという大役に抜擢された水色は、その晴れがましさに浮かれるような事は一切無かった。
若さに似合わない長い芸歴がなせる技なのだろうか、責任の重さを正確に受け止め、それを全うする為に全力で努力を始めた。
本番が近づくにつれ落ち着きが無くなって行く中、ひたすらプレッシャーに堪え、跳ね返す為に歌い続けた。
ずっと練習に付き合って来た紫色は、ライトを浴びて歌う姿に改めて感動を覚えた。
しかし今日がゴールではない。
特番の本番はまだ先だし、CDの発売日さえまだ二週間先だ。
今日はたんなる途中経過の一つに過ぎない。

でも、祝杯くらいはいいよな。

紫色のマンションの冷蔵庫には特別高いシャンパンが入っている。
見かけによらず酒が好きで、意外にも底なしの水色のために買い求めたものだ。
先輩芸人の家に呼ばれたりした時に、自分では手を出さないような酒を貰う事もあるのだが、今日のこの日、水色と乾杯するのは自分で金を払った酒がいいと思ったからだ。

音楽が終わった。
紫色がひな壇から降りて水色の後ろへと移動すると、水色がハットを深く引き下げていた。
肩が微かに震えている。
一瞬だけカメラの存在を忘れ、思わず水色の肩にそっと手を触れた。
そのまま抱き寄せてしまいたかったが、すぐにここがどこかを思い出す。
スタジオで、自分の立場でそんな真似はできない。

「お疲れさん。……良かったよ」

言葉に出来ない思いを込めてそれだけ告げた。
水色が更に深く俯く。
周囲もようやく水色の様子に気付き、パートナーが水色の肩を優しく抱いた。

ぎりっと紫色の胸が軋む。
カメラの前で堂々と水色の肩を抱けるパートナーが羨ましかった。
妬ましかった。
司会者が水色のエピソードを語る間も彼の目からはぽろぽろと涙が零れ落ちる。
綺麗な泣き顔だな、と思うのと同時に水色の肩にしっかりと回された手が気になって仕方ない。
ようやく泣き止むと、水色はこぼれるような笑顔をパートナーに向けた。
彼の腰に自分から腕を回し、見詰め合って微笑む二人。

分かっている。
彼らは二人組のユニットなのだから、息を合わせるのは当然だ。
長い時間をかけて準備をしてきたし、これからも二人でイベントや歌番組などにも出るのだから親密になるのは読めていた事だ。
それでも嫉妬が紫色の胸を焼く。

数多くいる芸人の一人に過ぎない紫色は、毎週の出演が約束されているわけでは無い。
だから今日の出演が決まった時、共にスタジオにいられることの幸運を喜んだ。
でも本当に幸運だったんだろうか。
他人と見つめあい、微笑みあう水色の姿を目の当たりにして、立ち位置の違いをまざまざと実感した。
芸人である事を誇りに思っているし、崖っぷちと言われながらもこの世界で生き残っている自負もある。
それでも、今日ばかりは水色との距離がもどかしい。
目の前の二人の姿をちらりと見ては、急いで目を逸らすことを繰り返す自分が不甲斐無かった。

「あー、つっかれたぁー」
仰向けに倒れこむように勢い良くソファに座った水色が声を上げた。
収録終わりに他の出演者と共に軽く飲んだ後、いつものように二人で紫色の部屋へと帰ってきた。
勝手知ったる様子で冷蔵庫から出したミネラルウォーターをごくごくと飲む水色は、ひとまず重圧から開放されて晴れやかな顔をしている。

紫色は、心の中に渦巻く嫉妬心を押し隠し、努めて陽気な声をかけた。
「マジでお疲れ!いいモンあるぜ」
冷蔵庫から取り出した瓶を水色の前に出す。
「じゃーん!!」
「うわっ、すっげー!ピンドンじゃないですか!」
「乾杯しようぜ」
同じく今日の日の為に買ってきて冷やしておいた二つのシャンパングラスに手際よく注ぐ。

「譜蓮図デビュー曲初披露の成功と比呂巳の前途を祝して乾杯!」
「乾杯!ありがとうございます」
並んでソファに座り、軽くグラスを合わせると澄んだ音が響いた。
ごくごくと美味そうに一気に飲み干した水色のグラスにお代わりを注いでやる。
一方の紫色は、ほんの形程度にグラスに口を付けただけだ。
顔を寄せて微笑みあう二人の姿が胸につかえて、よく冷えて美味いはずのシャンパンも喉を通らない。

「成功、なのかなぁ」
水色が自信の無い声を漏らす。
「成功だろ。ちゃんと歌えてたよ。あれだけ努力したんだし」
「でも…努力だけじゃ駄目でしょ?結果を出さないと」
アルコールの影響を一切感じさせない真剣な顔に、紫色は己の浅ましい嫉妬心を恥じた。

ふと目を上げると水色がじっとこちらを見ている。
「どした?」
「……古嶋さん、なんか変です。いつもと違う」
「えっ?そんなこと無いって。比呂巳が疲れてるからそう見えるんじゃねーの?」
冗談めかして答えながらも、相変わらずの勘の鋭さに舌を巻いた。
「疲れてるけど、それくらいは分かります」
心の奥底まで見透かすような水色の強い目線を受け止めかね、つい目を逸らしてしまう。
「ほら、俺も比呂巳の緊張がうつっちまったとか」
「誤魔化さないで言ってください。……俺の歌、出来が悪かったんでしょ?」
思いもかけないところへ話が飛んで行き、紫色は言葉に詰まった。

「やっぱり蔓埜さんに比べて声が全然出てなかったし、硬くなって息も続かなかった。練習に比べても駄目だったですよね?」
「いや、そうじゃなくて……比呂巳は良かったよ!マジで」
必死で言い募っても、まるで信じていない。
嘘の上に言葉を重ねても水色には通じない。
紫色としてはどうしても言いたくはなかったが、こうなっては仕方が無い。
こっちのくだらないプライドの為に、年下の恋人の自信を失わせるような真似は出来ない。

深く長い息を一つ吐いて、紫色は腹を括った。
「わりー、俺がおかしいのは……妬いてるからだよ」
「え?」
意表をつかれた水色が目を瞠る。
「比呂巳の歌は本当に良かったし、感動した。上手いとか下手とかじゃなくて、心がこもってて響いてきた。すげー誇らしかった。でも歌の後に蔓埜さんに肩抱かれてぼろぼろ泣いて、比呂巳も蔓埜さんの腰に手ぇ回して、二人で笑い合ってんの見たらさー……こっちは、妬けて妬けてしょうがなかったんだよっ」
口に出すとますます恥ずかしくなり、最後はヤケクソ気味に言い放った。
「はー、情けねーなー俺は。比呂巳は一生懸命歌って感動して泣いてたってのに、こっちは心狭くヤキモチ妬いてんだからな」

くすりと水色が笑いを漏らす。
恥ずかしいのをこらえて白状して笑われたのに一切怒りは湧かず、笑顔が見られたことに喜びを感じるなんて我ながら相当イカレてるな、と紫色は思う。
釣られて笑いながら、手を伸ばして水色の髪をくしゃくしゃにかき回す。
「笑うなよ。蔓埜さんの隣であんな風に泣いて、しかもその後満面の笑みだろ?すんげーイイ笑顔で。そりゃ妬くぜ?」
「……あんなに泣いたのは誰のせいだと思ってるんですか」
「え?歌のせいだろ?」
「それだけだったらあそこまで泣いてませんっ」
水色が拗ねたように言う。
少しむくれた顔が幼く見える。
「あれは、あの時……俺が泣いてるのに古嶋さんが真っ先に気付いてくれて…………嬉しかったんです。なんか、いつも絶対古嶋さんは見てくれてるんだって思ったら安心して、涙が止まらなくなっちゃって……だから俺があんなに泣いちゃったのは古嶋さんのせいですからね」

照れくさいのか頬を紅潮させて上目遣いで睨む水色に、紫色は上手く言葉を返せない。
「比呂巳……」
「それから、泣いた後に俺がイイ顔で笑ってたんなら、それも古嶋さんのせいです。少し気持ちが落ち着いたら、古嶋さんに良かったって言われたのが嬉しくって……。あの時誰が隣にいたって、俺は同じ顔で笑ってましたよ。たまたま蔓埜さんが隣にいただけです」
きっぱりと言い切った後、水色は目を伏せて紫色の肩に頭を載せ、囁くような声で続ける。
「あの時、すぐに俺のところに来てくれて……ありがとうございました」

紫色は感動で胸が詰まった。
自分の些細な一言が、水色にこんなに影響を及ぼすなんて想像もしていなかった。
愛おしさがこみ上げる。
「比呂巳?」
かすれた声で呼びかけると、水色が顔を上げ、そのまま唇を寄せてきた。
軽く触れるキスを繰り返した後、水色はまたくすくすと笑い出した。
「何だよ、俺が妬いちゃそんなにおかしいのかよ」
「違いますよ……だいたい妬く必要も無いのにって思ったらおかしくて。蔓埜さん、俺に神時さんと埜久保さんの話しかしないですもん。俺なんか眼中に無いですよ?」
「そっか」
「やっぱりあの三人の絆って特別なんだな、と思います」
「羨ましいのか?」
「そんなこと無いです。だって俺には……」
水色はそれ以上は言わなかったが、見上げる目が言葉以上に饒舌だった。
どちらからともなく唇を合わせる。
触れたかと思うと、すぐに水色が舌を差し入れる。
いつもこういうキスを仕掛けるのは決まって自分からだった紫色は驚いた。
誘うように動く舌を己のそれで捕らえ、絡め、存分に吸い上げると、水色の体は芯を失い、くたりと寄り添ってくる。
しっかりと抱き寄せ、甘く柔らかい感触を楽しんでいると水色がそっと身を引いた。
「……俺、先にシャワー使っていいですか?」
長い睫毛の下からすくい上げるように見つめる目が濡れている。
その明らかな欲情の色に一気に押し倒してしまいたかったが、かろうじてこらえた。
「ああ、風呂入れてあるからゆっくり浸かれよ」
「はい」
水色の後姿を見送り、紫色は大きく溜息をついた。

いつも、キスもベッドも誘うのは紫色の方からだ。
なのに今日の水色は違う。
あからさまに求められ、紫色は天にも昇る心地だった。
じりじりと待つ時間が長い。
いつもよりやや長めの入浴が終わり、Tシャツにスウェットを着た濡れ髪の水色が戻ってきた。
そんな何でもない見慣れた格好なのに、今日は全身から色香が立ち上るように紫色には見える。
水色の肩を抱き、軽くキスして
「俺も入ってくる」
と告げると、水色は紫色の首に腕を絡め、またとびきり甘くて扇情的なキスをした。
「早く、来て……下さいね」
もとより長風呂をする気はさらさら無いものの、そんな事を言われて紫色は更に舞い上がった。
とはいえ、暑いスタジオで長時間の収録をこなした体は汗やほこりで汚れている。
汚い体で水色を抱くなんてとんでもないとばかりに、紫色は可能な限りの速さで身を清め、ベッドルームへと急いだ。

薄暗い部屋に入ると、水色の好きな香りがした。
サイドテーブルでフレグランスキャンドルの小さな炎が揺れている。
お気に入りの香りのキャンドルは泊まる度に灯され、今は二本目だ。
水色が前よりも大きなサイズのキャンドルを選んできた時、この部屋で二人で過ごす時間を約束された気がして紫色は心密かに喜んだ。
タオルケットの下で向こうを向いている水色に低く声をかける。
「比呂巳?」
水色は動かない。
照れているのかと思い、ベッドに腰掛けて顔を覗き込んだ。
長い睫毛をしっかりと閉じた安らかな顔。
耳を澄ませば気持ち良さそうな寝息が聞こえる。

マジで?
こんなオチありかよ。

一瞬呆然とした後、笑いがこみ上げてきた。
起こさないようにそっと隣に寝そべると、クーラーで冷えたシーツが火照った体に心地良い。
次第に体の熱が引いていくのが分かる。
過去の女達ならばすぐさま起こして一戦に及んだだろう。
己の欲望を満たす事が最優先だった。
しかし今は、恋人の寝顔を見つめるだけのこの静かな時間も愛おしく貴重なものに思える。
こんな気持ちになる自分に改めて驚かされた。
寝返りをうった水色にタオルケットを掛けてやると、無意識にこちらにすり寄ってくる姿が猫のようだ。

「お疲れさん。まだまだこれからが大変だけど、頑張ろうな」

優しい手つきで黒髪をなでながら低く囁き、キャンドルを吹き消した。

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