笑点 歌丸と楽太郎
更新日: 2011-01-12 (水) 00:22:29
昇天 司会者と紫。復帰おめでとうございます。
|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!
控え室に戻るなり、唄丸はわざと苦渋の面を作って樂太朗に向き直った。
「乱入するならするで、事前に言っておきなさいよ」
「ごめんなさい」
舞台の上とは打って変わった素直な態度で、樂太朗は頭を下げた。
唄丸とて本気で怒っていた訳でもなければ、樂太朗が茶化す気持ちで入ってきたのではないと理解している。
本心を言えば記者団の質問に答える際に飲み物がなくて少し困っていたのを見て取って気遣ってくれた
気持ちと、彼が自分の復帰を心から喜んでくれているのが伝わってくるから、嬉しかったのだ。
けれど唄丸は簡単には笑ってやらなかった。大先輩として苦言を呈しておかなくてはいけない時もある。
「しかもそのチャラチャラした格好、年を考えなさい、年を」
これは甲斐の無い説教だと分かっている。年齢を感じさせない樂太朗は若い頃とほぼ変わりなく
すらっとしていて、上質な洋服を奇麗に着こなしている。今日も光沢のある深い紫色の生地のジャケットに、
落ち着いたトーンのシャツ、それにピンクのネクタイと、下手をすれば悪趣味になりそうなものを粋に
まとめている姿はかなりの伊達男っぷりだった。若者の――――樂太朗を若者と呼んでもいいかは別として、
下の世代のファッションに疎い唄丸でも、彼をお洒落であると思うし、似合うとも思っていた。
尤も、もっと声を大にして年を考えなさいと言わなくてはならない人間が唄丸が会長を務める協会には
いるのだけれど。
樂太朗がにやっと唇の端を引き上げる。
「今、翔太の顔が浮かんでたでしょ、師匠」
「うるさいよ」
「やだなぁ。人間、図星を刺されると怒りっぽくなるんだから」
「……翔太が落ち着きがないのが悪いんですよ。あたしはね、亡くなった柳翔師匠に頼まれてんですから、
心配もするでしょ」
「そうですね。でも翔太はあれでいいんじゃないですか?やっと弟子も取ったし、鯛平達の良い兄貴分だし、
士の輔みたいな親友もいるし」
「そりゃそうだけど」
翔太の師匠である翔昇と唄丸は旧知の間柄だった。柳昇は長く芸協の理事も勤めていたし、
その愛される人柄を好ましいとも思っていた。弟子である翔太もその気質を受け継いでいて、
人好きのする性格とふわふわした所は翔昇によく似ている。問題はその落ち着きのなさ。
家庭でも持てばとやきもきする気持ちを持っているのは唄丸だけではない。
「翔太はいいですね」
「何が」
「唄丸師匠にも心配してもらえて」
そんな事を言い出した樂太朗は笑っていたけれど、何処か寂しそうにも見えた。樂太朗の師匠の円樂は、
勿論存命ではあるが噺家としては引退した身。樂太朗はこれから円樂襲名という大仕事を控えていて、
師匠を頼りに思いたい気持ちと自分が円樂一門の柱にならなくては……という気持ちの両方の間で
揺れる事もあるのだろう。幾つになっても師匠は師匠。親が親であるのと同じなのに。
唄丸は自然と表情を緩めて樂太朗を見た。
初めて会った頃はまだ学生だった。アルバイトのつもりの鞄持ち。聡明な光を宿した眼はそのままだけれど、
今と比べると随分幼かった彼を鮮明に思い出す。
あぁ、大きくなっちゃって。そんな感慨を抱いた。
「あんたの事だって、円樂さんに頼まれてるんだからね。それにあんたは……」
「俺は?」
「付き合いが長過ぎて、あたしの弟子みたいなもんでもあるだろ? 直接の弟子じゃないけれど、
自分の弟子みたいにも、息子みたいにも、歳の離れた友人みたいにも、……大切な相手だと思っているよ」
「……はい」
唄丸の、心からの言葉を間違う事なく受け取って、樂太朗は小さく頷いた。拗ねた自分を恥かしく思うのか、そ
っと睫毛を伏せながら。
そんな樂太朗を眺めながら、唄丸の手が無意識に背広のポケットを探りかけた。
あっ、と思ったけれど、もう遅い。目敏くそれを見つけた樂太朗は、今しがたの殊勝さは何処へやら。
やれやれと肩を竦めた。
「禁煙するんじゃなかったんですか、師匠」
「……しますよ」
「煙草、置いてきましたよね」
「全部捨てましたよ、人聞きの悪い」
罰が悪くて、僅かに視線を逸らしたのは、ポケットの中にライターを入れっぱなしにしていたから。
煙草そのものを入れていなくて良かったと、こっそり安堵する。見咎められでもすれば、何を言われるか
分かったものじゃない。禁じられると逆に欲しくなるのが煙草と酒というのは、昔から変わらぬ人間の性。
唄丸だって例外ではない。ただ、あんなに苦しい思いをする位ならばやめると思っているのも本当だけれど。
「煙草じゃないよ」
「偽りじゃないでしょうね。生半可な演技じゃこの番屋は通せませんよ?」
「禁酒番屋じゃないんだから」
古典の一席に引っ掛けた樂太朗の牽制に、唄丸は苦笑いだ。
樂太朗は今後唄丸の喫煙を許さないだろう。ある意味で弟子よりも唄丸の身体を心配している部分がある。
突然の病に倒れた円樂を見ているのだから。
それに唄丸には大役が残っている。大名跡を襲名するこの男を、寄席の舞台へと
押し上げてやらなくてないけない。寄席を離れて久しい縦川流と円樂一門。昔程きつくはないけれど、
この二派に対してアレルギーを持つ噺家は少なくない。守
ってやるとは言わない。共に矢面に立ち、堂々と受け止めてみせる。江戸時代の佇まいを残すあの場所に、
樂太朗はきっと似合うだろう。
唄丸はポケットからライターを取り出すと、樂太朗の掌にそっと乗せた。これが最後の未練。
煙草よりも大切な未来が此処にある。
「うっかり吸わない様に、見張っといておくれ」
「分かりました」
一生見張りますから覚悟して下さいねと嘯きながら、大切なものを包む仕草で樂太朗はライターを握る。
手の中にあるのがただのライターではなく、唄丸の決意だと知っているかの様だった。
□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!
このページのURL: