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タイミング

・ナマモノ注意
・北の大地の芸能事務所 東川江別
・文中の M:東川 O:江別で伏字にしてあります

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!

昼下がりの撮影現場。昼食の時間はやや過ぎているが、あと1カットだけ撮るらしい。機材のテストのために小休止を
告げられた。昨夜も遅くまで書き物をしていたし、撮影も朝早くから。疲労感はさほどでもなかったが、神経がささく
れ立っていた。

Oがスタジオの隅に設えられた席に座ると、マネージャーがすかさず飛んでくる。小腹が空いていたので、温かい飲み物を
頼む。荷物から取り出したのは携帯電話。撮影中は切っていた電源をメールを打つために入れる。途端に手の中で携帯
が震えだす。何かアラームを設定していただろうか、と一瞬だけ慌てた。画面の中に表示されているのはMの名前と笑顔。

何のことは無い、メールを打とうとしたOと電話をかけてきたMのタイミングがぴったりと合っただけだった。

「あ、もしもし?ようちゃん?」
いつもながら電話口であってもMの声は大きい。この分では周囲のスタッフにも通話内容が筒抜けになってしまうだろう。
廊下に出るために立ち上がった。ちょうどマネージャーが飲み物の紙コップを手に戻ってくる。
「うん。どうしたモリ?」
「ちょっとさー聞きたいことがあって」
会話を続けながら、腕の動きだけで意思を伝える。廊下にいるから、何かあったら呼んで。相手は小さく頷くと、紙
コップを渡してくれた。

廊下に人はいなかったが、自分が話す声は響く。声を潜めた。そんな事は知らないMの声はそのままの大きさだ。
「今、話してて大丈夫?」
「リハ中だから、あんま時間無いけど」
「良かったぁー。ようちゃん、オレの電話よく出てくれるよなあ」
「俺、モリの電話に出なかったことないんじゃないか?」
「そうかも」
Mがなぜか頭上の雨雲を追い払えるように、OがMからの電話に出られないこともまずない。ここ数年のOは多忙を極めてい
るのにだ。二人の間の小さな奇蹟、といつも思っている。
「うどん作っててさ、ようちゃんから貰ったダシを使おうと思ったんだよ」
「うん」
「味足りないんだけど、醤油とか入れていいの?」
「ダシってこないだあげたヤツ?」
「そうそう」

先週、スケジュールが半日だけ空いた日があった。ロケ弁続きの日々で、さっぱりとしたものが食べたくなり、気晴らし
も兼ねて買い物に出た。外で人目を気にしながら食事を摂るよりも、自宅で好きなものを作って食べる方が気楽だから。
行き先はよく足を運ぶ高級食品スーパー。

刺身用の魚と野菜をカゴに入れる。酢を切らしていたことを思い出し、調味料売り場へ向かった。日本全国から集められ
た用途も値段もさまざまな調味料を眺める。老舗メーカーの酢を選んだ後は、見るともなしに売り場をうろつく。麺つゆ
のコーナーを見つけた。讃岐うどん用の濃縮ダシも並んでいる。明日、札幌に帰るからMへのお土産にしよう。そう考え
ると、カゴの底にダシの小瓶を横たえた。

事務所で会ったMにうどんダシを手渡した。贈答用のラッピングなどはされていない、スーパーの袋に入れただけの小瓶
を手にMは大喜びしてくれた。
「いっつも釜玉だから飽きちゃっててさー!いやー助かる!ようちゃんありがとう!!」

そのダシを使っているのだろう。味が足りないというのには首を傾げたが。
「ちゃんと書いてある割合通りに薄めた?」
「あ、そんなの書いてあったのかー。適当に水で薄めちゃったよ」
「しょうがないなあ。味を見ながら醤油足してさー」
電話の向こうのMは台所に立っているようだった。ポチャポチャという水音がかすかに聞こえた。
「入れてみたぞ。少ししょっぱくなった」
「ああそうだ。味醂があるなら、少し入れてみてよ」
「少しって?」
「お玉に三分の一ぐらい」
「ちょっと待ってろぉー」
足音と共に冷蔵庫を開ける音も聞こえる。

「入れた!なんかいい匂いがしてきた!」
そこまで話したところで、スタジオのドアが開いた。マネージャーが小さく手を振っている。時間になったらしい。
視線を送り、了解の意を伝える。
「ごめん、モリ。時間無いんだわ。そろそろ切る」
「もうちょっとだけ。お酒とか入れないでいいの?」
ドア近くに立つマネージャーの焦り顔が見える。身振りだけで中に入ってもらうように頼んだ。マネージャーは心配そ
うな表情をしたままドアを閉めた。
「入れないでいい。あとは醤油だけ。ホントもう電話切らないと」
「折角ようちゃんにもらったダシだしさ、美味しく作りたいんだよ」
苛立ちが募る。知らず知らずのうちに手に力が籠もり、紙コップが少しだけ歪む。
「それなら奥さんに作ってもらえばいいだろ」
言葉を放った瞬間に後悔した。

Mが結婚した後も関係を続けているだけでも十分に酷いのに、当てつけの様に妻の存在を口にしてしまった。完全に八つ
当たりだ、と。

数秒の間がひどく長く思えた。
「カミさん、今いなくてさー。いたら作ってもらうんだけど」
さらりと流した。こういったMの余裕があるから、Oは甘えてしまう。子供っぽい我侭や苛立ちをぶつけても受け止めてく
れる優しさ。この優しさが、却ってOを苦しくさせる。

「そうだよな。ごめん、モリ」
謝罪の言葉は、Mの妻にも宛てたもの。
「こっちこそごめん。忙しい時に電話しちゃって」
「また同じダシ買っておくよ。モリが東京来た時に俺が作ってごちそうするから」
「分かった。じゃ」
通話を終え、電源を落とし、携帯電話を閉じた。
Mが次に東京に来るのはいつだろう。その日までに少し奮発してでも良いワインを買っておく、と心の隅にメモをとる。

早足で歩き出す。
恋人のための食卓を調えようと思いをめぐらす35歳の男ではなく、海辺のレストランのマスターを演じるためにドアを
開けた。

□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!


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