溺れる青
更新日: 2011-05-03 (火) 14:01:37
オリジナル 弟と兄
|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!
足抜けの動機は単純だった。すべて嫌になったから。
頬に切れ味のいいナイフが押し付けられている。そこに血色の線を引くのは腹違いの弟だ。
薄い水溜りのような色の眼がこっちを見ている。奴の長すぎる足がめり込んだ腹が熱い。
それどころかコンクリートの床に打ち据えられて、全身の骨がぎしぎしと痛んだ。
明日になればどこもかしこも青あざだらけだろう。明日まで俺の命があればの、話。
ジーンズの尻ポケットにねじ込んだ航空チケットとパスポートはもう役に立たない。
21時17分初のブエノスアイレス行。死ぬ前に一度、青い海に真っ青な空が見たかった。
だけど今俺が見ているのは薄い、恐怖すら感じる冷たい青の眼。機嫌が悪いときの癖で眉間に皺が3本。
長い睫が伏せられて美術館に飾られた彫像のように美しい影を作っている。
生まれたときから同じ環境で同じ不味い飯を食って育ったくせに、この男はどうしてこんなにも人間離れした美しさをしているんだ。
「何を考えてる、兄さん」
「お前のことだよ、アレックス」
「この状況だと、自分の命について考えたほうがいいんじゃない?」
ひたひたとアーミーナイフが頬にあたる。
ここに連れ込まれるまでに散々いたぶられたのに比べれば、いくらか上品な脅し方にも感じる。
「命乞いでもしろってか」
愁嘆場は嫌いだ。反吐が出る。
血の混じった唾液を吐き捨てると、弟はうっすらと笑って腹を蹴りつけた。
鈍い音がする。腹が痛い。吐き気がする。
「もし兄さんが僕に懇願してくれたら、助けてあげるよ」
「裏切り者は殺すのが俺達のルールだろ、ドンがそれを曲げちゃ、下の奴等にしめしがつかない」
「僕たちは身内を大事にする。それもルールだ」
冷酷なマフィアのドン、真っ当で頭の良い優等生の弟、天使みたいに綺麗な男。
目の前に居るのは誰だ。目の前の男のことなど本当は俺はなにも知らなかった。
ぼやけた視界に、ちらつく蛍光灯の光が眩しかった。
人気のないピザ屋の裏の食料庫が死に場所とは、チンピラの俺に相応しすぎて泣けてくる。
「俺とお前のつながりは半分だけ、それもろくでなしのくそったれ野郎の血だ。それでも俺を庇ってくれるのか?ありがたいことだな」
「僕は兄さんを愛してる」
アレックス。七ヶ月違いの半分血の繋がった弟。
いつも泣きながら俺についてまわっていた、俺の小さな守護天使がナイフを突きつけながら言う。
こんな最悪な告白は初めてだった。
諦めとか恐怖とかが一週回って今度はなんだか笑えてきたけど、実際問題笑うと腹の傷がしくしく痛んで酷く苦しい。
「俺はお前なんか嫌いだよ。くそったれのマフィアも、親父も、母親も、この町も」
「だから捨てるのか、僕を」
弟が俺の肩にのしかかる。いつも丁寧に整えてるブロンドは乱れ、海の匂いがした。
この町には海がない。子どもの頃、いつも家のバスタブを水浸しにして遊んだ相手が今俺の上に圧し掛かって泣いていた。
「泣くなよ、アレックス」
「僕を捨てるなんて、ひどいよ。こんなに愛してるのに、どうしてさ……」
「お前が俺のできすぎた弟だからだ。頭が良くて、立派な大学を出て、真っ当な暮らしができる奴だったのに、どうしてお前がマフィアなんかに?」
「父さんに頼まれた、育ててくれた人だ。嫌とは言えない」
「だからって、人生をどぶに捨てるなんて、お前は賢いくせにバカ過ぎる。」
「僕が父さんの言うことを聞いたから? 兄さんの忠告に従わなかったから? だから僕を捨てるのか?」
頷くだけで人の命を簡単に消せるマフィアのドンのくせに、
まるで5歳の頃に戻ったみたいに頼りない目で見下ろされるともう何もかもどうでも良いように思えてくる。
実際、俺の人生なんてどうでも良いことばかりだ。
親父がお袋を捨てたことも、お袋がアル中で死んだことも、
悪さばかりしてあれほど嫌った親父より情けないケチなチンピラになったことも、すべてどうでもいいことだ。
弟にとっては同じように、奨学金で入った大学も、苦労してとった就職口も、真っ当な人間関係もすべてどうでもいいことだったんだろうか。
そんなわけはない。そんなはずがあるわけない。
青い海がみたかった。もう何もかも捨てて、こいつのこともすべて。
俺がやらかしたすべてのくだらないことを忘れて海に沈みたかった。
コンクリートの上は冷たくても、沈む事無く固く俺を拒絶する。
圧し掛かられた胸が重い。吐息がかかる肩が熱い。
震える指先で髪に手を差し込む。金色の柔らかい髪をかきあげてやる。
7つの頃、こいつの母さんが死んだ時にそうしたように。
嗚咽が聞こえた。もう青い目は見えない。
「……僕はただ、兄さんといたかったんだ」
頬の傷を撫でるアレックスの指は骨ばっていて、冷たかった。
美しい弟が流す美しい涙がぼたぼたと落ちてきて乾きかけた傷に塩水が滲みる。
まるで金色の海の中にいるみたいだ。ああ頭が割れるように痛い。
「僕を捨てないでよ、兄さん。あなたといるためならどんなこともする。愛してる、好きなんだ」
泣きながら弟が俺にキスをする。血の味のキスなんて最悪だ。唇の端が切れていて、舌で撫でられるたび酷く痛んだ。
「俺はただ海が見たかったんだ」
逃げ出したかった町のピザ屋の裏で弟に殴られキスされながら、どうして俺は笑っているんだろう。
尻の下に引いたプエルトリコ行の航空券のせいか、グッドトリップしているみたいだ。
母さんの遺言でヤバイ薬には一度も手を出さなかったのになあ。
「僕を一人にしないでよ……」
「おい、聞けよ、アレックス……海は当分の間いらないな……とっくにお前に溺れてる……」
頭が痛い。視界がぼやけて、もう薄い青色の目も見えやしない。
□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!
勢いのまま書いてしまった。
お粗末さまです。
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