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オリジナル

ずーっと昔に書いたものをオリジナルものハケーン。
長いしいろいろと怒られそうな部分満載ですが、懐かしいので
捨てる前に記念にコレクションに入れてくださいモララー

 『彼』は恋人としての君はもう必要ないと言ってるとダニエル
に言われて、俺は家を出た。荷物はほんの僅かの服とか写真とか
を入れた、小さなスポーツバッグ一個だけで、そのほかにダニエ
ルに渡された、退職金が入った封筒を、革のジャケットのポケッ
トのなかに突っ込んだだけだった。
 家を出て行くとき、今日は少し風が強いからと思って、俺はそ
のジャケットを着たわけなんだけど、袖を通した途端にこれを誰
に買ってもらったのかってのを思い出して、ちょっと困惑した。
つまり、これは俺が自分で金を稼いで買ったものじゃなくて(そ
の革ジャケットはなんだかという有名なデザイナーの店にあった
もので、掃除夫をしていた俺には、10年かかっても買えるような
値段じゃなかった)、『あいつ』に買ってもらったものだったか
ら、俺が出て行くからといって『あいつ』の家からこれを持ち出
していいのかどうか、ちょっと疑問に思ったんだ。
俺がそういうことを考えて革のジャケットについたキラキラした銀のボタンを
眺めていたら、俺と『あいつ』の寝室の入り口で――違った、俺
と『あいつ』の寝室だった部屋の入り口で、だ――腕を組んで俺
が荷造りする様子を見守っていたダニエルが、俺の考えているこ
とに気づいて、君はそれを着ていいんだ、『彼』と別れるって言
ったって、君に買ってもらったものは君のものなんだから、と言
った。俺が『あいつ』に買ってもらったもの、そう言われて、俺
は周りを見回した。金で出来たやたらと重い、けどすごく正確に
動くスイスの時計とか、カルティ江だのグっチだのの服やアクセ
サリー。買ってもらったものなんて多すぎて、これを全部持って
いくつもりなら、荷物を運ぶ車が必要だ。俺が冗談のつもりでそ
う言うと、ダニエルは右の眉をちょっと上げて、もちろんそれが
必要なら車を手配するよと言ったから、俺はなんだか苛々した。

 買ってもらったものを俺のものだからなんて言ってすべて掻っ
攫っていくほど、俺は情けないやつじゃない。そう思って黙って
いると、ダニエルはそれを誤解して、急にこの家を出て他に移る
のは大変だと思うから、もしなんだったらすぐにホテルに部屋で
も取ろうか、そのあとで君が暮らす部屋のことは、こちらで用意
してもいいなんてことをペラペラ話し始めて、俺の苛立ちは抑え
難いものになった。冗談じゃない。見くびるな。俺は囲われ者じ
ゃないんだ。そう怒鳴って、俺はスポーツバッグに、俺がこの家
に移ってくる前に、自分の金で買ったもの――そういうものはこ
っちで暮らし始めてから『あいつ』が随分捨ててしまったので、
ほとんどなかったが――だけを詰め、呆気に取られているダニエ
ルの脇を大股で通り過ぎて、とにかく家を出た。
本当はこの黒い革ジャンも着ていたくなかったけど、とにかく外
は寒そうだったし、昔着ていた穴が空いたチャコールグレイのジ
ャケット(ずっと昔ボーイフレンドにクリスマスプレゼントとし
て貰った)は例によって捨てられていてもうなかったから、仕方
なくそれを着て外に出たんだ。

 豪邸ばかりが並んでる住宅街のなかでもひときわ豪華なあの家
を出て、重たい門を閉じたとき、俺はもうこの家に来ることはな
いんだと思って不思議な気持ちになった。そう、奇妙なことに、
俺はこの馬鹿でかい家のことを、本当に自分の家だと感じるよう
になってたんだ。だけど、本当はそうじゃない。この馬鹿でかい
家は『あいつ』がヒット・レコードを出してその印税で買ったも
ので、掃除夫だった俺の家は、もともとは下町のアパートにあっ
た。ワンルームしかなくて、こんな大きなドアなんてもちろんな
くて、ネズミが走り回る音がする部屋だ。俺はそういう部屋を、
またすぐにでも見つけなきゃいけない。暮らしていくために。と
りあえず当座は退職金というか手切れ金が手元にあるから、パン
くらいは買えるけど、すぐに働く場所は見つけなきゃいかない。
けど、働くって言ったって、俺は何をして生きていくんだ?また
昔のように掃除夫かな?ああ、そう思うと情けない話だけど、俺
はどきどきしてきて、目の前が真っ暗になったような気がして、
その場にへたり込みたくなった。

 そうだ、電話、友達のヒューのところにでも電話して、事情を
話して今夜はやつの部屋に泊めてもらおうか。それとも幼馴染で、
今は立派に事務職なんかをやっているデライラに、怒られるのを
覚悟で。親?親のとこは駄目だ。電話なんか掛けたって、助けて
もらえるわけがない。それどころか金を貸してくれと頼まれるの
がオチだ。
 けど、とにかく今夜どこかに泊まらなきゃいけない。俺は一介
の掃除夫に戻るんだから、ホテルなんて借りられる身分じゃない
んだ。それは確かだから、デライラとかヒューとかに電話して、
助けを乞わなきゃいけない。くそっ。バスを待っている間、俺は
思わず呟いた。くそっ、またあの生活に逆戻りだ。小汚い床を磨
いたり、デブで禿げのボスに怒鳴られて、たまに俺みたいなのと
やりたくて下町にこっそりお忍びでやってくる金持ちの親父とセ
ックスして、小遣いを貰う。そういう生活に逆戻りだ。なんてこ
とだ。くそったれ。一人で悪態を吐いていると、こぎれいな犬を
連れた金持ち女が俺を怪訝そうに見る。このひと、ここで何して
るのかしら、なんだか怖いわ、警察とか呼ばなくていいのかしら
って顔だ。俺はじろりとその女と犬を睨みつけて、ちょうどタイ
ミングよくやってきたバスに飛び乗った。

 ちょっと感傷的な気分になって、俺は窓際の席に座って流れて
いく外の風景を見ていた。だって俺は3年もここで暮らしてたんだ、
『あいつ』と暮らしてたんだ。世界的に有名なシンガーの『あい
つ』、ヒット・レコードを何枚も出している『あいつ』と。なん
だか今となっては夢みたいな気がする。もしかしたら夢だったの
かもしれない、そんなふうに思い始めて、でも自分の着ている革
ジャンのキラキラした銀のボタンに気づいて、不意に夢じゃなか
ったんだと思って悲しくなった。
 ああ、こうしていると、このジャケットを買ってくれたときの
『あいつ』のことを思い出すよ。あれは3年前、まだあの家に俺が
越してきたばかりで、『あいつ』は俺に夢中だったんだ。ほんと
に。それで『あいつ』はある日、ディスプレイに飾られたあの革
ジャケットを見ると、目を輝かせて、この服は君に着てもらうた
めにあるんだ、そうに違いない、僕にはわかるよって叫んで、店
に飛び込んでいったんだ。俺が別にいらないけどって言ってるの
も聞かずに。
 

 言っとくけど、俺はほんとに何か買ってくれなんてねだったこ
とはない。俺はそういう男じゃないんだ。そりゃ、ジュニア・ハ
イスクールだって禄に出てない学のない人間だけど、どんなに貧
乏したって、他の男に物や金をねだって生きて行くようなことは
恥だって俺は知ってるんだ。その点、大学を出てるあのダニエル
とか、サミーとか、そういう『あいつ』のとりまき連中とは違う
んだ。ずっと誇りってものがあるんだ。『あいつ』らときたら誇
りなんてありゃしない。『あいつ』に金をねだって生きてる連中
さ。俺は違う。俺は知ってるんだ、ダニエルやサミーも元はと言
えば、『あいつ』の恋人だったんだ。で、今の俺みたいにお払い
箱になったあと、元の暮らしに戻るのは忍びないってことで、お
情けで『あいつ』のコックとかアシスタントとかになってるんだ。
今では良い友達だとかなんとか言ってるけど、つまりやつらは『
あいつ』から小切手を貰えなくなる生活が嫌だってだけなんだ。
俺は違う。さっきダニエル越しに別れ話を聞いた時だって、あの
家に掃除夫としてなら残ってもいいと言われて、すぐに断ったん
だから。そうさ、冗談じゃない。

ああ、だけど、そんなことを考えているうちに、俺にはわから
なくなってきた。純然たる恋人同士だったはずなのに、なんで俺
は『あいつ』から金を貰ってたんだっけ、掃除をしてたからだ。
いや違う、なんで小汚いバーで怒鳴られながらじゃなくて、王様
みたいに気ままに『あいつ』の家を掃除するのが俺の仕事になっ
たんだっけ。普通の掃除夫よりずっと楽な仕事で、ずっと多い給
料で。いろいろ考えてみたけど、考えてもわからない。なんだか
俺は混乱してきた。結局俺はダニエルとかサミーなんかと同じよ
うな、くそみたいな男なのか?『あいつ』が何百人というファン
の前で拳を振り上げ、大勢を魅了して、歌って稼いだ金、素敵な
レコードを出して稼いだ金のおこぼれを、『あいつ』に言い寄っ
て恵んでもらってただけだったんだろうか?わからなくなってきた。
 そうだ、だって俺は昔は、掃除夫とはいえちゃんと金を稼いで
たんだ。例によって下町のパブにキャップ帽を被ってお忍びでや
ってきて、俺に声を掛けてきた『あいつ』となぜだか本気の恋に
落ちてしまって、一緒に暮らし始めてからも暫くは、夜になると
あの豪華な家を出て、おんぼろビルの床を拭いてたんだ。それで、
週給のうちの半分以上を、『あいつ』に食費兼光熱費として払っ
てたんだ。『あいつ』が嫌がっても、払ってたんだ。だって一緒
に暮らしてるんだ。当然じゃないか。もちろん、俺が払った額な
んて『あいつ』にとっては価値がないってわかってたけど、それ
でも払ってたんだ。

 それなのに一体いつ、なんで俺は自立した立派な男であるのを
やめてしまったのか、そういうことを俺は今、窓際の席に腰を掛
けて、頬杖をついて考えていた。だってすごく大切な問題じゃな
いか。これははっきりさせておかなくちゃいけない。ええと、ど
うしてだっけ、そう、仕事をやめたきっかけは、デブで禿げのボ
スがわけわかんないことで怒鳴ってきたからだ。けど、それは問
題じゃないんだ。俺にはそういうことってよくあるんだ。つまり、
上司とソリがあわなくて、喧嘩してやめちゃうとか、そういうこ
とが。でもあの禿げのボスも悪いんだ。新しく入ってきた女を口
説き損ねたことで苛々してて、それでやつあたりしてきたんだっ
てこと、俺にはよくわかってたんだ。もちろん、俺だって我慢が
足りなかったんだろうけど。けど、とにかくそれは問題じゃない。
そこをやめたって、すぐにまた次の会社を探せばいいんだから。
それまでだってそうしてきたんだ。
 ああ、そうだった、思い出してきた。俺はとにかくそのボスに
腹を立てて仕事をやめて、家に帰って『あいつ』にそれを伝えた
んだ。俺が働いてたのは夜だったから、『あいつ』はもう寝てた
けど、目を擦りながら俺の話を聞いてくれた。それで、俺が事の
顛末を話し終えると、薄暗い部屋のなかで微笑んで俺にこう言っ
た。――それならもう、君は自由だ!ずっと家にいればいい!

どうして俺がその言葉に頷いたのかはよくわからない。今考え
ると、俺はそんなわけにはいかないと言って、ちゃんと外で新し
い仕事を見つけるべきだった。俺は自由になんか、ならなかった
んだから。けど、当時『あいつ』と俺は俺が夜掃除の仕事に出て
しまうことで(その方が割がいいんだ)、よく喧嘩していた。こ
れじゃあ一緒に暮らしていても会う時間がない、というのが『あ
いつ』の言い分だった。そうはいっても『あいつ』だって普通の
勤め人みたいに朝家を出て会社に行ったりしてたわけじゃないか
ら、午後なんかには会えたわけだけど。けど、君は僕の恋人なん
だから働きになんか行かずに一緒にいてくれればいいんだって『
あいつ』はことあるごとに繰り返してた。とにかく『あいつ』は
俺が仕事に、特に夜働きに出てるってことが嫌だったみたいなん
だ。もしかしたら、嫉妬なんかもあったのかもしれない。俺は『
あいつ』と暮らし始める前は、夜の仕事の合間に、男に声を掛け
られてセックスして、恋人を見つけたりちょっとばかしの金を貰
ったりしてたから(言っとくけど、これはダニエルやサミーみた
いにヒモ暮らしするのとはちょっと違うんだ。そういうことをや
ったことないやつにはわかんないだろうけど、それがないと生き
ていけないわけじゃないってところが決定的に違うんだ)。『あ
いつ』と出会ったきっかけも、次の清掃場所に移動しようとして
いた俺を『あいつ』が声を掛けてきたことだったから、『あいつ』
もいろいろ不安だったのかもしれない。

ああ、そう、ここでまた話が変わるんだけど、俺は『あいつ』
と出会ったとき、『あいつ』が誰なのか知らなかったんだ。俺は
音楽とか、前は全然聞かなかったし、テレビなんかも観てもすぐ
忘れちゃうから。尤も、音楽の方は『あいつ』と暮らし始めてか
ら、随分聴くようになったんだけど。それだから、キャップ帽を
目深に被った『あいつ』に街で声を掛けられて、薄汚いトイレに
連れ込まれて壁に押付けられたときも、相手が誰だかなんて知ら
なくって、ただ暇なやつがファックしたいだけ、そう思ってたんだ。
 それで、さっさとやっちまえばいいのに、くさいトイレで『あ
いつ』があんまり長いキスしてくるもんだから、なあ、夜っての
は短いんだよって教えてやったんだ。それくらい長いキスだった
んだ。そしたら『あいつ』はちょっとびっくりしたみたいで、キ
スをやめてから、少し笑った。それで、手品の種を明かすみたい
にキャップ帽を脱いだんだ。今思うにあれは、スターである自分
の正体を見せて、驚かせてやろうってことだったんだろうけど、
悪いけど当時の俺は『あいつ』を知らなかった。だから変な色に
髪を染めた、ハンサムだけど、どこかアンバランスな印象の男を
見ても、ぜんぜん驚かなかった。――キュートだとは思ったけど。
 そういうわけで帽子を脱いでにやにやしてる『あいつ』を見て、
俺は何か褒めてほしいのかと思って、素敵な髪の色だねって言っ
てやった。そうしたら『あいつ』は驚いて君は僕を知らないのっ
て言うから、気まずくなった。だってぜんぜん知らなかったから。
けど、自分のことを知らない人間を前にして、途方に暮れている
ようにも腹を立てているようにも見えた、子供みたいな表情のお
かしな男を見つめているうちに、俺はなんとなく目の前のその男
をすごく好きになってきちゃったんだ。俺は胸が痛いような、ど
きどきするようなときめきを感じて、こんなの変だと思いながら
黙ってた。だって変だろ?会ったばかりのやつを好きになるなん
て。

 それで結局、いつまでも黙ってても仕方ないから、暫くして俺
は肩を竦めてこれから知るよダーリンって答えた。そして抱き寄
せて、キスをしてみた。今度は長いキスの間も、俺は夜が短いな
んて無粋なこと言わなかったよ。
 それからはファック、ファックの連続だった。最高だった。自
分のいる場所が小汚いトイレだなんて信じられなくて、何故だか
わかんないけど、俺はついに出会ったんだって思ったんだ――運
命と。俺がそう囁くと、『あいつ』も同じ気持ちだとうっとりし
た目で囁いてきた。
 それで『あいつ』はその夜、俺が仕事を終えるのをバーで飲み
ながら待ってた。俺の仕事が終わると、じゃあうちにおいでよっ
て言ってきた。俺はもう『あいつ』が運命の相手なんだって思っ
てのぼせ上がってたから、一緒にいられればどこでもよかった。
だから『あいつ』のとりまきが運転するベンツに乗って、あの家
に行ったんだけど、驚いたね。金持ちなのかなとは思ってたけど、
まさかあんなに大きい家に住んでるとは思わなかったんだ。けど、
正直言うと、俺はその晩(というかもう明け方だったけど)あん
まり『あいつ』の家に良い印象を抱かなかったんだ。なぜって、
『あいつ』の家には、サミーとかダニエルとか、そういう『あい
つ』のとりまき連中がたくさんいて、落ち着かなかったんだ。俺
は『あいつ』と二人きりになりたかったんだ。もちろん『あいつ』
のおっきな寝室に(そのあと、『あいつ』の家に転がり込んでか
らは、ついさっきまで俺も使ってたあの部屋だ)入って、二人き
りになったけど、なんだか一階とか、寝室の外のいたるところで
『あいつ』の友達が騒いでるのが気になって仕方なかった。俺は
多分古い人間なんだと思う。だから、『あいつ』が友達にハイな
んて手を振りながら、俺を連れて寝室に入っていったときにはす
ごく恥ずかしかった。だってこれからこいつとセックスするよっ
て言ってるようなものなんだ。友達っていうか、とりまきってい
うか、とにかく知り合い連中にそんなこと知らせたあとファック
するなんて、どうかしてる。だから俺はあんまり『あいつ』の家
では落ち着かなかったんだ。

それで、付き合いだしてからは俺のアパートに呼んでみたりも
したんだ。だって、俺の部屋はあの家に比べれば汚くて狭いけど、
ちゃんと二人きりになれる部屋なんだから。けど、上手くいかな
いもんで、『あいつ』は『あいつ』で俺の部屋が気にいらなかっ
たんだ。『あいつ』は鼠が走り回る音とか、隣の部屋でドラッグ
漬けのカップルが大喧嘩したりする声に、耐えられなかったみた
いなんだ。で、「こんなとこにはいられない!」って『あいつ』
が叫んで、自分の家に来てくれって懇願するもんだから、そのう
ち俺たちは『あいつ』の家でデートするようになった。まあ、だ
んだん俺も古風じゃなくなって、人前で寝室に連れ込まれるのに
慣れてきたようなところもあったし、サミーやダニエルにもみた
いな連中にも慣れ始めてたから、前ほど『あいつ』の家に行くの
も嫌じゃなくなった。一方、『あいつ』は俺の部屋の汚さとか壁
の薄さには慣れなかった。だから俺が『あいつ』の家に出入りす
るのが日常になっていったんだ。
 そしたらそのうち『あいつ』は君もここで暮らすべきなんだ、
何かっていうと下町のアパートに帰っちゃうのはほんとにひどい、
こんな大きな家に僕を放っておくのはひどいことだってわめきは
じめたんだ。そのうえ、もしかしたら、俺にはもう一人恋人がい
て、だから『あいつ』と一緒に暮らせないんじゃないかなんてこ
とも言い始めた。言っとくけど、俺には他に恋人なんていなかっ
たし、『あいつ』の家には前も言ったようにサミーとかダニエル
とかも暮らしてたんだ。だから『あいつ』はほんとに一人ってわ
けじゃない。だけど、俺は『あいつ』が寂しがる気持ちや、俺と
一緒に暮らしたがってることが理解できたから、結局あの家に越
すことを承諾したんだ。だって一緒に暮らすとしたら俺のあのア
パートか、あの家しかないけど、『あいつ』は絶対俺のアパート
では暮らせないってことはわかりきってたから。そしたら俺が引
っ越すしかないじゃないか。

まあ、そういういきさつで俺と『あいつ』は出会って、一緒に
暮らし始めたんだ。出会いが出会いだから、『あいつ』が俺が仕
事に、夜仕事に出ることを不安がる気持ちはわかった。だから俺
は仕事をやめたんだと思う。もしかしたら、それだけじゃないの
かもしれない。
 いや、違うんだ。ほんとのこと言うと、俺は働くのが馬鹿馬鹿
しくなってきてたんだ。もちろん、前から働くのなんて馬鹿げて
るって思ってたさ。俺は労働に尊い意味があるとか、そんなくだ
らないことを言うやつとは違うんだ。けど、そういう馬鹿馬鹿し
いことをしないと生きてけないから、しょうがないんだって思っ
てたんだ。でも『あいつ』に会ってから、『あいつ』のとこで暮
らし始めてからは、そんな気構えが薄れてきてたんだ。なんたっ
て、家に帰れば俺が一生懸命稼いだ週給の何倍もの値段のキャビ
アとかワインとか、そういうものが毎晩用意してあって、俺が働
いて稼ぐ金なんてすごくちっぽけなものなんだって思い知ってた
ところだったから。だから『あいつ』の言葉に頷いちゃったんだ

だけど、これだけははっきりさせたいんだ。仕事をやめてほし
がったのも、俺に金を払いたがったのも、革ジャンや時計を買っ
たのも『あいつ』なんだ。クリスマスやニューイヤーデイ、バー
スデイになると、プレゼントだとか言って小切手を渡してきたの
も、俺がねだったからじゃなくて、『あいつ』がそうしたかった
からなんだ。そうなんだ、『あいつ』は愛情とか感謝の気持ちと
かを、すぐ金で表そうとする癖があったんだ。こう言うと下品な
ように聞こえるだろうけど、『あいつ』には下品なところなんて
ないんだ。ただあいつは、可哀想なやつなんだ。人にものをあげ
ることで、心底ハッピーになるだけじゃなくて、安心もするんだ。
ほんの一瞬だけだけど。
 だから『あいつ』は、俺がプレゼントを受け取らなかったらめ
ちゃくちゃ不機嫌になって、馬鹿高いアンティークの食器とかそ
ういうものをばんばん壊す。その様子といったら、ほんとにひど
いんだ。だから俺はにっこり笑って受け取るようにしてた。そし
たら『あいつ』も喜ぶから。そうさ、金や物目当てじゃない。俺
は『あいつ』を愛してたから一緒に暮らしてたんだ。
 なのに一体いつこんなことになったんだろう?別れることじゃ
ない。多分、相手が誰でもきっといつかは別れるものなんだ。悲
しいけど、そうなんだ。けど、豪邸を出て普通の掃除夫に戻るこ
とになったからって絶望的な気分になるなんていうのは、ほんと
にどうかしてると思うんだ。

もちろん、確かに俺は『あいつ』の金でいろいろ贅沢したんだ。
というのも、寂しがり屋の『あいつ』がいつも俺に側にいてほし
がったから。だから『あいつ』のする様々な贅沢に、俺も付き合
ったんだ。いろんなことがあったよ、旅先でのゴージャスなホテ
ル、素敵なシャンパン、瓶入りのキャビア、すべすべのシャツ、
豪邸での暮らし。いろんなことをしたんだ。普通の掃除夫には、
もちろん夢の夢だろうっていうことを、たくさん。
 だけど俺達は、ただ遊び呆けてたわけじゃない。あいつは孤独
で――たまに見ていてかわいそうになるくらい、おかしくなるこ
とがあった。真っ青な顔をして子供みたいに震えて泣いて、「ど
うすればいい?」って繰り返すんだ。そんなときあいつはたまに
言ったよ、自分がこんなに不安なのは、異常な人間だからだとか、
ゲイだからだとか、とにかくそういうことに違いないって。
 でも、俺はあるときこう返した。あんたが寂しいのはあんたが
金持ちでゲイだからでもない、人間だからだよって。だって俺の
お袋は同性愛者でもないし金持ちでもない、ただの貧乏なアル中
だったけど、それでも寂しいってよく泣き喚いてた。それを見て
たガキの頃の俺だって寂しかったもんさ。だからゲイとか金とか
は関係ないんだ。どんなに金があっても、ストレートでも、きっ
と生きてれば寂しいもんなんだって俺は自分に言い聞かせて、こ
れまで生きてきたんだ。酔っ払いのゲロにまみれた汚い床を拭い
たり、禿げに怒鳴られたり、ボーイフレンドと別れるたびに、そ
ういうもんなんだって俺は自分にこれまで言い聞かせてたんだ。
慰めになんてならないけど、最初からそういうもんだって思って
れば、やってける気がするから。

そういうことを言うと、『あいつ』は親父を尊敬する子供みた
いな目で俺を見て、君はすごいと言った。俺にはなにがすごいの
かよくわからなかった。ただ、『あいつ』が泣くのをやめたこと
にほっとした。それで俺達はセックスをして、愛してるよと囁き
あった。そんな関係だったんだ。
 寂しがりやで情緒不安定の癇癪持ちと、神話の英雄みたいに美
しくて強いシンガー。そうなんだ、『あいつ』にはそんな全く違
う二つの面があって、俺はどっちも愛してたんだ。とりまきがう
じゃうじゃしてる、大きな家の馬鹿でかいベッドの上で寂しいっ
て泣く『あいつ』も、声を張り上げ、ライトを浴びて汗を輝かせ
ながらオーディエンスを惹きつける『あいつ』も。そのどっちも
愛してたんだ。誰かをこんなに愛したことはなかったくらい、す
ごく愛したんだ。俺もあいつに夢中だったんだよ。恋をしてたん
だ。

ああ、バスがもうすぐ終点についてしまう。日が暮れる。これ
からどこに行けばいいんだろう。ヒュー、デライラ。ああ、でも
一番会いたいのは、『あいつ』なんだ。『あいつ』に会って愛し
てるよと囁きたいんだ。
 『あいつ』が俺に飽きてきてたのはわかってたんだ。正直、俺
も『あいつ』に飽きてきてたんだ。だって、三年も一緒に暮らせ
ば、飽きることもあると思う。特に、性的な意味では。それで、
このところ俺たちは喧嘩ばかりしてたんだ。最近『あいつ』は俺
のこと役立たずでごくつぶしだって言ってたし、俺は俺で『あい
つ』のこと、金以外は何も持ってない弱虫だって言い返してたん
だ。なんていうか、二人きりでいても昔みたいな甘い気持ちにな
ることは少なくなって、お互いの嫌な面ばかり見えるようになっ
てきちゃってたんだ。だから、『あいつ』が最近俺を置いていろ
んなところに遊びに出かけていくことも平気だったし、ダニエル
越しに別れたいっていう伝言を聞いたときにも、そんなに驚かな
かったんだ。けど、こうしてバスに乗って、いろんなことを思い
出しているうちに、なんだか胸が苦しくなってきたんだ。違うん
だ。ただの掃除夫に戻るのが辛いんじゃないんだ。多分、違うん
だ。俺は『あいつ』を愛してたんだ。きっと今でも、すごく愛し
てるんだ。確かに、俺には問題があったんだ。認めたくないけど、
いつのまにか『あいつ』に養われてたんだ。
 ああ、『あいつ』は俺が出て行ったって知ったら泣くだろうか?震えるだろうか?
――バスを降りて、あの家に帰ろうか。いや、
そういうわけにはいかない。帰ってあいつの家の掃除夫になるの
か?ああ、そんなわけにはいかない!だって俺はあいつを愛して
るんだ!ほんとに、ほんとに心の底から愛してるんだ。だから、
『あいつ』から金なんて貰うべきじゃなかったんだ。そうするべ
きじゃなかったんだ。俺は下町の小汚い店の床を拭く掃除夫で、
あいつは億万長者のスター、それでよかったんだ。それでよかったのに!
 

だけど今帰っても、多分駄目なんだ。帰ったら俺はきっとまた、
『あいつ』から小切手を貰う生活に戻ってしまうんだ。シャンパ
ンやキャビア、そういうものを、俺は『あいつ』の金で味わって
しまうんだ。『あいつ』も俺に側にいてもらうからにはと思って、
小切手に金額を書いてしまうんだ。わかってるんだ。
 けどだからってこのまま帰らなかったら、『あいつ』はきっと
泣くんだ。孤独や不安に怯えて泣くんだ。『あいつ』を慰めるや
つはきっと他にもいるんだ。けど、そういうやつらがほんとに『
あいつ』のことを愛してるかっていうと、多分そうじゃないんだ。
『あいつ』が世界的なスターだって知らなくても、億万長者だっ
て知らなくても、小汚いトイレでセックスして運命だって感じる
のは、多分俺だけなんだ。だって運命っていうのは、そういうも
のなんだから。『あいつ』が愛するのも、多分俺だけなんだ。不
安とか孤独とか、そういうものについてわかりあえるのも、多分
俺だけなんだ。だってそういう運命なんだ。
 ああ、バスがもうじき終点に着いてしまう!どうすればいいん
だろう?こんなに愛しているのにどうすればいいのかわからない。
愛しているからわからないんだ。『あいつ』の寂しげな微笑が頭
から離れない。かと思うと、俺に気前よく小切手を書いている『
あいつ』の顔が胸を過ぎる。その傲慢な表情。どうしよう?どう
すればいいんだろう?――誰か、誰か、誰か!

もうすぐバスが駅で止まる。俺は立って、バスを降りなきゃい
けない。そしてどこに行くのか決めなくちゃいけない。ああ、『
あいつ』を愛している。ほんとに、愛している。だけど俺は行か
なくちゃいけない。いや、違う、俺は走って帰って、『あいつ』
にキスをしてやらなくちゃいけない。ああ、どっちなんだろう?
苦しいんだ、愛してるから。
 この気持ちを伝えたい、だけどそれは止したほうがいい。全く
正反対の囁きが、両側から聞こえる。俺は困ってるんだ。ほんと
に、困ってるんだ。『あいつ』を世界で一番愛しているから、ど
うしたらいいのかわからなくて、ほんとに困ってるんだ。
 

長々と突然すみません…


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