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イツモフタリデ

                    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                    | 侍7、イツモフタリデコンビ
 ____________  \         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | __________  |    ̄ ̄ ̄V ̄ ̄|  地上波組・初書きの癖に死にネタですスマソ…
 | |                | |            \
 | | |> PLAY.       | |              ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | |                | |           ∧_∧ ∧_∧ ∧∧ シカモユメネタダカラ、ミャクラクネェヨ
 | |                | |     ピッ   (´∀` )(・∀・ )(゚Д゚ )
 | |                | |       ◇⊂    )(    ) |  ヽノ___
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 予感が、した。

「……、……――」
思わず足が止まる。周りから街の煩雑な音という音が消え去る。どこかの鉄
工所から常に聞こえてきた喧しい硬質の音、すぐそこの屋台での酔っ払い同
士の他愛の無い小競り合い。野良猫の鳴き声。道端で転んで、母を呼び泣き
叫ぶ子供の声。全てが消えた。

 この感覚を、カソベエは知っている。

 音が消えるのは、正直よくある事だ。9ゾウと競り合った時もそうだったし、
目の前で強い眼差しをした娘が落下していく様を見たときも。最早侍とは
名ばかりの押し込みを斬った時だって、カソベエの周りからは音が消えた。
その張り詰めた無音は実に心地良く、カソベエの肉体と魂を溶け合わせ、
刃を振るう一つの個としてくれていた。

 しかし、この無音は違うのだ。

「――殿?」
「ッ……!」
顔を上げた瞬間、鉄の打ち合わされる音、酔った男の上げる罵声、暢気な猫の声、
母に抱かれて少し弱まった子供の泣き声が一気にカソベエの鼓膜を打った。
反射的に耳を塞ぎたくなる。この数瞬で一気に喉が乾いた。道の端に澱む泥水が
妙に芳しく、頭を突っ込んでそれを飲み干したい衝動に駆られた。

「カソベエ殿」

カソベエから数歩離れた先、ゴ口ベエが眉根を寄せてこちらを見ていた。
ヘイ8はその傍らできょとんと立ち止まり、菊千代は後続の異変に気がつかずに
結構先を歩いてしまい、慌ててガシャガシャと足音荒く戻って来る所だった。
「ンだよ急に立ち止まるんじゃねェやい! 早く行かねェと本格的にはぐれちまうぞ!」
ゴ口ベエの後ろで声を張り上げた菊千代は不機嫌そうに蒸気を上げた。

 侍狩りに遭ったのだ。

こちらは七人という大所帯。加えて女性の綺羅羅やこと戦闘に関しては素人
そのものの利吉、利発ではあるがまだ幼い小町もいる。そして止めと言わん
ばかりの見た目も内面も派手な、真っ赤な機械の身体を持つ菊千代を連れて
いれば嫌でも人目につく。
 追っ手に囲まれ、咄嗟に一団の散開を思いつき実行したのは果たして誰か。
今となってそれを追求するのは無意味だ。

 カツ4ロウは、綺羅羅の手を引き路地へ走った。小町、利吉もそれにくっつく
格好となったが果たして大丈夫か。9ゾウが戯れるように追っ手を斬りながら
同じ路地へ入ったのは偶然なのだろう。菊千代も小町を追いかける形で走って
行った気がするのだが、道に迷いでもしたか、犬猫しか通らないような細い
裏路地に嵌まって喚いているのを最初に見つけたのはカソベエだ。その内
ゴ口ベエ、ヘイ8とも合流し、誰とも無く決めた集合場所――今やかなり近づ
きつつある、錆の浮く鉄塔――に向かって進んでいるところだったのだ。

「カソベエ殿、どうされました?」
ヘイ8の穏やかな声がカソベエの追想を破る。カソベエはゆるりと首を振り、
掠れた声を悟られぬ音量で「何でもない」と口にした。
「かーッ、何でもねェなら止まるな! ぼんやりするな! しっかりしやがれよ大将!?」
菊千代が顔を顰め――そんな雰囲気だ――再び唸った。そして話は終わりだと
言わんばかりに背を向け歩き出す。

 予感が、した。

「――――――……」
足が、前に進まない。菊千代のずば抜けて大きな背中が遠ざかる。それに
ついて歩くゴ口ベエの後姿、大柄な二人に挟まれて余計小さく見えるヘイ8、
その刀にぶら下がるてるてるぼうずが左右に可愛らしく揺れていた。

「…………!」
待て。

 その一言が、喉の奥で凝って出ない。
 言ってしまえば、とんでもない事になる気がする。壊れた人形を目の前に
両目を覆って泣き咽ぶ子供のように、この目に入れさえしなければ、この口に
さえしなければ、予感が去って行ってくれる様な、そんな妄想に取り憑かれた。

 分かっている。この予感は去りはしない。カソベエがそれと認識し受け
入れない限り、指先に埋もれてしまった小さな刺のように自分を苛むのだ。
分かっている。

 それでもどこかで願っている。これが気のせいである事を。その僅かすぎる
希望に縋って、予感を未だ扉の締め出したまま動けない。扉の内側で鍵を
握り締め、『去ってくれ』『行ってくれ』とうわごとの様に祈っている。

「侍狩り、あったんだって?」

脇を通り過ぎた男の一言が、再びカソベエを現実に引き上げた。

「そうそう、随分な手練れだったらしいんだけどねェ。結局あそこ、廃材ばっかり
置いてあるあそこよ。そこに追い詰めて殺っちまったらしいねェ」
「何、殺したァ? 侍は捕らえるんじゃあなかったのかい」
「そりゃもうすげェ暴れたらしいから」
「商人もわからねェ事するよなァ」
「本当に、気の毒に。まだお若いようだったよ」
「連中相手に大立ち回りしたんだろ?そんな若いはずはねーよ」
「ああ嫌だもったいない。金髪で肌も白くってねえ――あたしが後十年若けりゃ」

 そこで思考は止まる。『三十年の間違いじゃねぇの』という男の茶化した
物言いがやけに癇に障る。これか。いくら頑なに目を閉じ耳を塞いでも、
アレは遠回りをして入ってくるものなのだ。

 ゴ口ベエが振り向いた。その顔は険しい。その厚い唇が僅かに動く。
『ご冗談を』。そう見えた。
 ヘイ8もいつもの穏やかな笑顔が霞のように消えていっている。ゴ口ベエを
見上げ、それからこちらを見た。その顔はきゅっと引き締められている。
実に悲しげな顔をするものだ。何故かふいに、そう思った。
 菊千代の足は止まっている。ああこの鈍感でも気づいたか。いい傾向だ。

 それでもカソベエは歩き出そうとした。街のつまらぬ噂と決め付けた。
『先生らしくない』とカツ4ロウなら言うだろうか。言うわけが無い。何故なら
これは只の噂であり、決して自分の予感とは関係ないのだ。

「カソベエ殿!」

ゴ口ベエが、あの朗々とした声で怒鳴った。思わず踏み出しかけていた足は
止まり、カソベエはそっとその顔を注視した。自分が今どのような表情をして
いるのかは、考えたくもない。

「行け」

短いその言葉をカソベエは形を確定させた予感と一緒にまだ押し出そうとしていた。
朝、夢から引きずり出されかけながら、布団を引っかぶる事で夢へ帰ろうと
するのと一緒だ。
 何を馬鹿な何を本気にしている?これは只の噂なのだ、気に留める事もあるまい?

それを言おうと、カソベエは口元を歪めた。こいつは酷い笑みだ、と影ながら自嘲した。

「行け!!」

ゴ口ベエの怒気すら孕んだ声に、今度は周りの人間すら足を止めた。
 止まった雑踏の中、カソベエのみが駆け出していた。

「シチ口ージ」
零した名は、既に予感とは呼べない何かと一緒になってカソベエに喰らいつく。

          ++++++++++++
「……」
黄昏迫る斬刀艦の上で、カソベエは難しい顔で顎鬚を撫でた。
 出撃を数日後に控えた、慌しさと穏やかさが混濁する駐屯地。どちらかと
言えば後者の空気漂う場にカソベエはいたが、その心中は何とも微妙な心持ちであった。

 カソベエ本人は斬刀艦に『搭乗』する事は余り無い。空に無数に浮遊し続ける
野伏せりを、斬る。シチ口ージは艦を操って、カソベエの手となり足となり、
その斬撃の補助をするのがいつもの二人の戦いだった。
 先日のカソベエとシチ口ージの獅子奮迅の戦い振りも、兵士達の新たな語り草に
なっている。それでも倒した野伏せりより死んだ味方が多い事には、誰も触れない。

「カソベエ様」
呼び掛ける声に視線を地面へと向ければ、妙な形の髷を風に揺らせるままにして、
シチ口ージが立っていた。
「何してらっしゃるんです?」
自分よりも空に近い位置に立つ男を見上げ、シチ口ージは眩しげに問うた。その目に『上がっても?』という問い掛けを見て、カソベエは無言で視線を
元に戻した。他の者が気後れするようなカソベエの仕草に混ざる無言の了承に、
シチ口ージが艦の梯子に手を掛けた。
 カンカンカン、と小気味良いリズムでシチ口ージの靴音が上がってくる。カソベエは、暮れなずむ空を見ている。
「カソベエ様」
隣に並んだシチ口ージが、カソベエを見遣る。その顔に刻まれた表情に、
碧眼が楽しげに細められた。
「どうなさったんです?」
「……お前がそれを言うか、シチよ」
隠す事なく滲み出る、憮然とした色合いにシチ口ージは破顔した

「やっぱり、気が付かれましたか。もしや気づかれないのではと期待して
いたのですが、やはり貴方には敵わない」
「で、何だあれは」
振り向いたカソベエが指差したのは、操縦席の下にでかでかと彫られた
文字列だった。

【イツモフタリデ】

「見ての通りですよ、皆さんやってるじゃあないですか。嫁さんの名前彫ったりとか」
「それは知っている。だがそれが、お前があれを彫る事になる理由にはならん」
「ですよねぇ」
まったりとシチ口ージは微笑んで、持っていた包みを差し出した。
開いてみると、饅頭である。ほのかな甘い匂いは、餡子か。
「どうした、これは」
「飯炊きの方から頂いたんですよ。カソベエ様の分も貰うの、苦労したんですから」
「…………」
カソベエは再び難しい顔で手の中の饅頭を眺めた。隣に佇む妙に人受けの
いい副官は、夕陽に白肌を赤く染めながら饅頭にかぶりついた。
「……。待て、話を逸らすな」
「――やっぱり無理でした?」
饅頭片手に、シチ口ージはにやりと笑った顔を見せた。
「せっかくだから、彫ろうと思ったんですよ。私には、最早艦に彫る程の
愛着を持つ他の名前を知りません――貴方の名前を彫ろうかとも思ったんですが」
そこで言葉を切って、シチ口ージは再び眼を細めて夕陽を見つめた。やがて
パチパチと瞬きをして眼を逸らし、カソベエへと碧眼を向けた。
「わざわざ名を彫らずとも、貴方は私の隣に居ります故」
そこでくくっと肩を揺らし、共に死線を潜った相方へ、そしてその操縦席に
刻まれた片仮名の文字を目線を移す。
「子供じゃあるまいし、私の名を彫るのも妙な話。なので、あのような文にしたのです」

「……何故だ」
ぼそりと、カソベエは呟いた。

イツモフタリデ、【イツモ】――――。

 この大戦の真っ只中に、それは劫火の前に揺れる一輪の花のように儚い言葉だ。
 この戦いに身を置く以上、変わらないものなど何も無い。失わない物など
一つも無い。一つの戦が終われば、皆何がしかを落としている。それは命だったり、
魂だったり、手だったり、足だったり、友だったりする。
 『いつも』あったものが次の瞬間理不尽にもぎ取られていく。そんな世界だ。

 カソベエは、目の前で死んでいく戦友達を想った。彼らもまた、『いつも』
カソベエのそばにいたのだ。それが消えた。不変など、期待はしない。
カソベエはこの戦の中でそれを学び、刻み、己の生きる支柱とした。
それを傍らでずっと見ていたはずなのだ。この不可思議な金色髷の男は。

「――――――――願っては」
シチ口ージが口を開いた。自分の呟きに、無意識に何か言わねばならないような
気配が隠れていたのかもしれない。女房らしくこちらの心を悟るのに長けて
いるのはいいが、悟られるこちらとしてはたまに戸惑う事もある。
「…………願っては、いけませんかね」
すっとシチ口ージがしゃがむ気配がした。幼い仕草で両手を前にだらりと
突き出し、自分の腕に頭を埋めるようにしながらじっと、菫色に変わっていく空を見ている。

「叶わないかも知れません。願いなぞ、叶わない物の方が多すぎる。――それでも」
カソベエはシチクチージを見降ろした。呼応するように、シチ口ージの視線
が上がる。深茶と青。二つの目線が絡み合い、そしてそっと離れて行く。

「――貴方と一緒なら、叶うのかも知れないと思うんですよ。カソベエ様」
他愛も無い夢なんですがね、とシチ口ージは口元に笑みを形作った。己の言葉を
さっさと散らすかのように、饅頭に思い出したように齧り付いて、美味い美味いとやたら大きな感想と共に咀嚼する。
「……」
カソベエは自分もしゃがみ込むと、シチ口ージの横顔を少し見つめた。
それから空いた手を伸ばし、手を伸ばそうとして、手袋をしているのを邪魔に
思ったので口で布地を咥えて引き抜いた。この男の白肌は、男にしてはとても
手触りが良くて、上等の絹を撫でているような心持がして、頬のみならず胸や
背中や腿と言った部分まで延々撫で擦ってしまうしまうのだ。シチ口ージは
そんなカソベエの癖を時折嫌がって、あまり触らせてもらえないものだから

(たまには触っても罰は当たらん)

身勝手な結論を固めると、手を伸ばしてシチ口ージの形の良い顎をそっと捕まえた。

「? カソベエ様?」
やんわりとカソベエと向き合う形にさせられたシチ口ージの頬には、餡子が
盛大にくっついている。カソベエはためらいなくその頬に唇を寄せて、甘い塊を
舐め取った。
「ッ! カソベエさ――――」
あまり動揺を表に出さないはずのシチ口ージの慌てぶりがたまらなくおかしく、
そして愛おしく思ったので、程近い場所にあった唇にも優しく食いついた。
抗議の呻き声はすぐに立ち消える。自分の唇で挟み込み、感触を楽しむように
食んだ。シチ口ージの口が、観念したように薄く開いたのを見計らうと
カソベエはするりと舌を忍び込ませ、その咥内を浚った。甘い。

 シチ口ージの舌が、カソベエの舌におずおずと触れた。すぐさま絡ませ、
水音まで立ててやる。ちろちろと上顎の天蓋をつつき、歯列をなぞり、
そしてもう一度挨拶するようにシチ口ージの舌を愛でてから、カソベエは唇を離した。
 シチ口ージが息をついた。急な接吻だったので多少息が苦しげなようにも
見える。顔が赤いのは、もう沈んだ夕陽のせいか。
「――カソベエ様」
「叶うぞ」

抗議の第一声が叩き落とされた。

「シチ口ージ、お前の願いは叶う。儂は死なんし、お前も死なん。そうだろう」

既に疑問系ですらない。自信に満ち溢れた言葉に、シチ口ージは照れから来る
ぎこちない笑みを浮かべた。

「……野暮な繰言を申しました――正しく、その通りですね」
肩を竦め、一度頷いた古女房をカソベエは満足げに見つめた。それからいい加減
体温が移って生暖かい自分の饅頭を口に運び出す。接吻の後ではあったが、
シチ口ージの苦労には報いてやらねば、と、そう思ったからだ。

その仕草を半眼で思い切り嫌そうに眺めている視線には、気がつかない。
カソベエはそういう男だ。

空には、既に星が瞬いている。

          ++++++++++++

 シチ口ージ。
 
 まるで脳みそを三分割しているかのようだ。
 一つは淡々と、道行くものを捕まえ件の侍が殺められたとされる場所を
聞き出し、去り際に礼を言う余裕まで持っている。
 一つはあの忌まわしい大戦の頃、常に隣にいたシチ口ージのどこか人を
食ったようなおっとりした笑顔とか、敵を前にした時の氷のような鋭さとか、
戯れに肌の柔い部分に噛み付いたときの甘い呻きとか、そんなものばかりを
つらつら思い出している。

 一つは、只ひたすらに喚いている。
 シチ口ージ。シチ口ージ。シチ口ージ。シチ口ージ。シチ口ージ。シチ口ージ。シチ口ージ。

「――――っ!」
何故かカソベエの足は速まらないのだ。きっと足へ意志を伝える箇所の動力が、
壊れた機械のように名前しか喚かない部分に注がれすぎているのだ。どうにも
視界が狭くてまっすぐ前しか見えないのも、さっきから人にぶつかってばかりなのも、
怒る相手に謝る余裕が無いのも全てそのせいなのだ。

 その場所は、あまりにも分かりやすかった。

 ざわめく人々がたかっている。まるで線でも引いたかのように、その人だかりは
綺麗に円を描いている。その見えない境界を踏み越えるものは無く、只その
周りに立ち尽くして囁いている。呟いている。

 その言葉は聞き取れない。血臭が強すぎて、鼓膜まで曇って固まってしまったかのようで。

 カソベエは知らず強引に人の輪に突入した。怒る男も睨む女も泣く子も
構わず押し退けて、誰も侵入する事のない円の内側へ。眩暈がするほど紅い、その中へ。

 シチ口ージはそこにいた。
 常ならばいち早くカソベエの姿を見つけ、控えめな笑顔を向ける筈なのだ。
しかし今目の前に横たわっている男にそれは出来まい。薄紫の羽織物は赤黒く濡れていた。
 もしかすると、乾きつつあるのかもしれない。あの独特のぬらりと生臭い光沢は、
日の光の下にあっても鈍く、時間の経過をカソベエに突きつけた。

 カソベエは、ふらりと歩み寄っていく。
 地面に突き刺さる彼の得物の紅い槍を眼の端に捕らえ、墓標のようだと
他人事のように思った。

 カソベエはその場に跪いた。地に着いた着物がじっとりと濡れて気持ちが悪い。

 シチ口ージの青い眼は閉じられていた。その口元は固く引き結ばれて、
死せる直前まで槍を振るっていた事が見て取れた。夜に着物を剥ぎ取れば、
月明かりに淡く目立った白肌は、赤みを失ってまっしろだった。
発作的に手袋を放り捨てて、その頬に手を滑らせた。――シチ口ージの肌は
雪の様に白い……その、温度さえ。

 雪すら溶けない、冷たい白だ。

「――――、」

血溜まりに落とした両の手袋と、跪いた膝が、鈍い速度で紅く染まっていく。
シチ口ージなら苦笑するだろうか。『あァ、こいつはもう使い物にならないじゃあないですか』

 両手でシチ口ージの頬を挟んだ。悲鳴を上げたくなるような冷たさだ。
ぱっくりと裂かれた喉の傷が、添えられた花の様で目障りだ。
 残雪の如く、白く冷たいその頬を撫でた。指でそっと、色を失くした唇を辿る。
戯れるようなその仕草を、シチ口ージは恥ずかしがってよくかわした。
直接的な行為より、このようにどこか生々しいかけそい行為に耐えるのが苦手な男なのだ。蛍屋ではどうだったか知らないが。

 しかしシチ口ージは、シチ口ージの骸は、カソベエの手から逃げる事はなかった。
 その魂は、既にカソベエの手の届かぬところにいた。

「――――シチ口ージ」

呼びかけても応えは無し。間髪入れずに返ってきた、あの低いどこか気だるげな
声が恋しい。聴きたいのだ。返事をしてくれ。

「シチ口ージ」

とうとう視界が完全に曇った。眼前の事態に脳の容量が全て持っていかれたに
違いない、と思う前にぼやけた視界は一度揺らいで、そして落ちていった。
視界が晴れた瞬間に眼にしたのはシチ口ージの死に顔で、先程と違うのは
その目元に温かなしずくが垂れている事だ。

 しずくはカソベエの頬にも伝う。時折落ちて、シチ口ージの肌に跳ねる。
二人して泣いている。死人と二人で、泣いている。

「シチ口ー、ジ…………」

【イツモフタリデ】なんて刻んでおきながら、お前が先に消えるのか。
確かにお前は儂がいなくなるのを恐れていたが、儂も同じ事を思っていたと
何故気づかない。いつも聡いお前だが、こういうところは抜けていたのだな。
……、――――。

「シ、チ――」

言葉が喉の奥で詰まった。出てこない。溢れるのは眼から零れ落ちるしずく
だけで、ぱたぱたと浅黒い肌と白い肌とに落ちて伝う。

 この場から離れなければ、とカソベエの冷静な部分が呟いた。いつ追っ手が
戻ってくるとも分からん。行かなければ、あの鉄塔の下に。自分が行かなければ、あの娘は困るのだろう。

 しかし、カソベエは膝を突いたまま動かない。

『…………願っては、いけませんかね』

ああ、シチ口ージ。

 
 暫しここで泣いていては、いけないか。

 ____________
 | __________  |
 | |                | |
 | | □ STOP.       | |
 | |                | |           ∧_∧ モメンワケカタヘタダッタ
 | |                | |     ピッ   (・∀・;)
 | |                | |       ◇⊂    ) __
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回想だけでも良かった気がします。
けど私は謝らない。


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