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From星座スレ

                    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                    |  某スレにモエを垂れ流しただけじゃ足りなかった
 ____________  \         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | __________  |    ̄ ̄ ̄V ̄ ̄|  殆どオリジナルになっちゃってるよ!
 | |                | |            \
 | | |> PLAY.       | |              ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | |                | |           ∧_∧ ∧_∧ ∧∧ ナガクテ スマナイ・・・
 | |                | |     ピッ   (´∀` )(・∀・ )(゚Д゚ )
 | |                | |       ◇⊂    )(    ) |  ヽノ___
 |   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  |       ||―┌ ┌ _) ┌ ┌ _)⊂UUO__||  |
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 西の空が鮮やかなオレンジから濃い紫に変わり始めていた。大海にせり出す形で設置された空軍基地
からは、地平線に形を潜めていく太陽の様が目の当たりに出来る。
 日没はもうすぐだった。
「お、戻ってきた戻ってきた!」
「どこにっ?」
 そんな中、隣で上がった声に山岸は眼鏡の奥の目を限界まで細めた。光を失いかけた空の中からたっ
た一体の戦闘機を探す作業は、山岸にとって非常に困難なものだった。
「ほら、あっちあっち。はは、ふらふらしてる」
 ずいと身を乗り出した山岸に、最初に声を発した男――洋は笑いながら空の一点を指した。だが、それ
でも機体を見つけ出すことは出来ない。やがて黒点のようにその姿を確認出来るようになった頃には、
狭い滑走路のあちらこちらで声が上がっていた。それは笑いと喝采と、少しの安堵に包まれたものだっ
た……が、山岸は周囲の反応とは逆に声を失った。
「……」
 すごいことになっている。
 それが、徐々に近付いてくる機体を見て抱いた感想である。
 山岸が見ている目の前で、ふらふらと辛うじて空にその身を維持していた戦闘機は、五度、その体勢を
崩した。それに目を見張るまもなく、一度は半分海に突っ込んだ。水面に投げられた石のように跳ね上がっ
た機体に、周囲で笑いが起こる。当人には聞こえるはずもない揶揄もちらほらと聞こえてくる。
 だが一人、山岸だけは顔面から血の気を失いふらりと地に膝を付いた。
「……これだから……これだから、空軍なんて来たくなかったんだ……」
 ぽつりと呟いた声は、誰の耳に届くことも無く雲一つ無い空に溶けた。

 非常に危なかしいながらにも何とか滑走路に戦闘機が降り立つと、避難していたメンテナンスたちが
わらわらとその周囲に集った。この機体の帰還方法は実に様々で、滑走路に降り立つ寸前に海に
落ちてみたり、また広々とした場所ではなくわざわざ狙い澄ましたように倉庫に突っ込んでみたり、
果てはぽっかりと海に浮かぶ空軍基地を通り抜けて陸軍本部を破壊して止まったりもする。
お陰で彼が戻ってくる時は、その機体が完全に停止するまで誰も近づけないのだ。
 幸い今回は無事着地した戦闘機は、遠目で見ている時よりも一層酷い有様だった。横っ腹はへこみ、
翼は曲がり、命とも言えるエンジン部分からは嫌な煙が上がっている。
「……」
 愕然とその姿を眺めていた山岸の視界の先で何度か鈍い音がしたと同時に、満身創痍の戦闘機の
中から小さな塊が転がり落ちた。空に姿を見せただけで周囲に笑いを喝采を運んだ機体の、操縦者その人
だ。
「おー、ザジ! お疲れ!」
 膝を折る山岸の隣で、洋が明るい声を放った。操縦者が転がり落ちてきた事実に動転する気配は
微塵も無い。いつものことだった。洋の声に応えるように、転がり落ちた操縦者は跳ね上がるようにして
立ち上がる。これもいつものことだ。
 山岸は彼の――ザジの酷く負傷した姿を見たことがない。たとえ戦闘機の翼を折ろうと、エンジンを大破
させようと、その中身として共に在ったはずのザジの傷は何故かいつも舐めておけば治る程度の軽いもの
だった。非常に悪運の強い男なのだ。
 だからこそ、毎度毎度無茶な飛行をすることが出来るのだろう。

「おう、早いな洋!」
「お前が遅すぎんだよ。日没までにはお家に帰ることってママに教わらなかったのか?」
「あー、教わった気もするけど……守ったことねえわ」
 洋との応酬に声を上げて笑いながら、ザジは駆け寄ってきていたメンテナンスにゴーグルと上着を押し
付けている。その足がこちらに向かってきたところで、漸くザジの視線が跪く山岸に移った。
「お、どうした山岸ィ。眼鏡でも落としたか?」
「……落としていない」
 そんなわけはない、と、ザジ自身も分かっているであろうことにわざわざ真面目に返答をしてしまうのは、
山岸の悪い癖だった。案の定ザジはからりと笑い、狭い操縦席に押し込めていた身体を存分に伸ばした。
 やはり今回も、怪我をしている様子はどこにも見当たらなかった。腕にも、足にも、身体にも。頬に多少の
擦り傷はあったが、負傷と呼ぶにもおこがましい程ささやかなものだ。
 それに密かに安堵しながらも素直に表情に出すことは出来ず、山岸は軽く眉間に皺を寄せながら立ち
上がった。
 言わなければならないことがあるのだ。例え当人が聞こうとしなかったところで、言わずにはいられない
ことがあるのだ。
「……ザジ、もう十八回目になるけどな、」
「山岸ィ、カトリーヌは今日も良い女だったぞー。お前は本当、床上手だな!」
「……」

 口を開くと同時に言葉を被せてきたザジに、山岸は一層眉間の皺を深くした。一応は褒め言葉である。
だが、それに単純に喜ぶ心などとうの昔に枯れ果てていた。
「……良い女だと思うなら、もう少し真摯に接してやれ。毎回毎回これじゃ、愛しのカトリーヌがスクラップ
になる日も近」
「女に紳士なのはアルだけで十分だろ。それよりシャワー浴びてえ。シャワー室空いてる?」
「空いてるだろうけど、水温機ぶっ壊れてっから水しか出ねえぞ」
「またかよ! ……まあ良いや、行ってこよ」
「シンシ違いだ。大体お前は……て、おい! ザジ!」
 話を聞く気がまるでない。ひらりと後ろ手で手を振って去って行くザジに、山岸は眩暈を覚えた。精魂込
めて手入れした戦闘機を毎回ボロボロにされ、それなのに小言の一つもまともに聞いてはもらえない。
「……だから俺は、空軍なんて来たくなかったんだ」
 ここは何と理不尽なところだろう、と。すっかり人気の無くなった滑走路で山岸は憎憎しげに吐き捨てた。

    +++

 一つの作戦を終えると、その翌日は二日酔いになるまで飲みなさい。
 そんな規則があるのかと疑いたくなるほど、空軍の人間は作戦後に飲んだ。理性を保って自室に戻る
者の方が少なく、殆どは度の強い物が揃っていることだけが取柄の酒場で朝を迎える。それは今夜も
例外ではなく、薄汚く狭い酒場の中はむさ苦しい男でごった返していた。

 そんな中、カウンタの隅で山岸は力いっぱい派手な音を立ててジョッキを下ろした。
「大体! 俺は! そもそも! 何でこんな所にいるんだ! 空、空軍なんて! 空軍なんて!」
 水温機は一週間に五日は「故障中」の札が下げられていて。食事は不味く。便所は汚く。ベッドは固い。
それどころか、軍にとっての要であるはずの倉庫のシャッター開閉すらままならず、時に数人の手を借り
て手動で上げなければならない。
 おまけに、トップの人間からして破天荒な所為か秩序というものがない。
「汚いし! 臭いし! 固いし!」
「汚くて臭いのは拙いけど、硬いのは良いと思うけどな……ていうか、山岸。飲みすぎだぞ」
 弱いくせに、と。
 誰にと宛てるでもなく毒づく山岸の隣で、アルは頼まれてもいない相槌を打ちながらグラスを傾けた。
この恐ろしく堅物な同僚は、一つの作戦が終わるたび……いや、空軍大将でありエースパイロットでも
ある男が空から帰還するたび、酒場で浴びるように飲んでは癇癪を起こす。
 どうしてザジはいつもああなのだ。大将の癖に真っ先に空へと飛び出し、戻ってくるのは一番最後という
のは一体どういうことか。あんな男がトップだから、いつまで経っても空軍は「はみ出しものの吹き溜まり」
などと言われ続けるのだ。

 そもそも己は、こんな所に来たくはなかったのだ、と。
 総じて見ると同じ事を繰り返しているだけの愚痴は毎度明け方まで続き、翌日は二日酔いの頭を抱えて
この世の終わりのような顔をしながらエースパイロットが限界まで痛めつけてきた専用機の整備に取り掛
かる。いつものことだった。
「……アル」
 きっと今日も同じだろう。
 そう判断して曖昧な相槌を返しながら自身の酒量を調整していたアルは、不意に山岸に名を呼ばれ顔を
上げた。見ると、ジョッキを抱え込むようにしてカウンタに身体を預けた山岸と視線が絡んだ。見つめてくる
その目は、既に虚ろだ。
「ん?」
「……俺、辞表を出そうと思う」
 ぽつりと呟かれたその言葉に、アルは内心ぎょっとしながらも辛うじて瞬き一つの反応に留めた。だが、
表に出さずとも驚いていることに変わりは無い。軍自体や大将に対しての愚痴ならば今まで散々聞かされ
てきたが、辞表という言葉が彼の口から飛び出したのは初めてのことだったのだ。
「また急にどうしたんだ」
 極力冷静にと自身に課しながら、アルはなんでもないことのように問いかけた。その言葉に、山岸は
ゆるりと目を閉じた。火照った身体を冷やすように、抱え込んだジョッキに頬を寄せている。
「別に急じゃない。本当はずっと……もうずっと前から考えていたことだ」
「……」
「元々俺は、空軍じゃなくて海軍に入りたかったんだ。でも泳げないから海軍では使えないって言われた。
本当ならそのときに、大人しく田舎に帰っていれば良かったんだ。親父の仕事を手伝って、畑でも耕し
ながら日々を平穏に暮らす……俺にはきっと、その方が似合ってる」

「……そうかな? オレは、お前は畑よりも戦闘機の方が似合うと思うけど」
「そんなわけない」
 ぽつりぽつりと零される山岸の言葉の隙に挟んだ相槌は、思いの他強い口調で否定された。虚ろな瞳は
相変わらずだったが、その奥に見えるちらりとした光は素面そのもののように見える。軽く咎めるように
山岸はアルを睨んだが、だがその力はまたすぐに光を失った。
「そんなわけない……アイツも、ザジもきっとそう思ってる。だからこそ、ああやって嫌がらせみたいに毎度
毎度ボロボロになって帰ってくるんだろう」
 お前はここには相応しくないと。だから、さっさと故郷に帰って平和に暮らせと。
 それを知らしめるために、あの男は一切の抗議を受け入れることもせずに毎回無茶をして帰ってくるの
だろう、と。
「きっと裏で賭けでもしてるんだ。俺がいつ辞めるか、て」
「それはまた、随分突飛な発想だな」
「何が突飛なものか。乱痴気騒ぎと悪乗りをさせれば、ここらの連中の右に出られる奴なんて居ない」
「……」
 至極真面目に言い放った山岸の言葉に、アルは思わず苦笑した。酷い言われようだとは思うが、即座に
否定することが出来ないのもまた事実だった。
 大将であるザジを筆頭に、空軍の連中には「軍に身を置いているのだ」と態度に出して示す者が殆ど
居ない。翌日に作戦が控えていなければ夜通し飲み、街へ繰り出して女を抱き、浮かれはしゃいで道端で
眠る。
 そんな連中を目の当たりにして、和と秩序と仲間意識に重きを置く海軍に憧れていた山岸が驚かなかっ
たわけがない。そしてまた、認められないのも。
「……それは、もう決めたことなのか?」
 にやついていては、真面目な同僚は気を悪くするだろう。そう思い、アルは緩みそうになる口角を叱咤し

ながら短く問うた。
「ああ」
 うすぼんやりとした表情をしながらもしっかりと頷く反応は、予想できていたものだ。
「ザジはこの中で……いや、多分この世の中で誰よりも一番、お前を必要としていると言っても?」
「そんなわけない。俺が居なくなればきっと、清々したと思うはずだ」
「頑なだな」
「事実を言っているだけだ」
 堪えきれずにふと笑みを漏らしたアルに、やはり山岸は僅かに眉根を寄せた。
 はみ出しものの吹き溜まりと言われる空軍の中で、アルは周囲と少しだけ匂いが違う。乱痴気騒ぎを
否定するわけではないが、それに混じって同じように騒ぐこともしない。そんなところに親近感を覚え、
声をかけるようになり、いつしか酒の場で愚痴を零すようになったのだ。
 アルは、空軍という集団に馴染むことの出来ない山岸にとって唯一の心の拠り所だった。
 それなのに、真面目に話しているのに、何故笑ったりするのかと。
「悪い。別にお前を馬鹿にしているわけじゃない」
「……そうは思えない」
 謝罪してくる割に、その目は未だ笑みを刷いている。山岸はアルからつんと顔を背けると、そのまま
カウンタに突っ伏した。
 目を閉じると、つい今しがた見たアルの微笑が瞼の奥で破天荒なエースパイロットのものへと変わった。
 あんな風に無邪気に笑う目の奥に、無邪気だからこその残酷さがある。それに負けまいと今まで虚勢を
張ってきたが、アルに、愚痴ではなく弱音を吐いたことによってその堤防は脆く崩れた。
 きっともう、向けられてくる笑顔を挑むような心持で見つめ返すことは出来ないだろう。
「……結構、重症みたいだな」
「既に末期だ」
 ぽつりと呟かれたアルの言葉に、山岸は顔を上げぬまままたぽつりと返した。

    +++

 鮮やかな水色の中に、白い塊がいくつか浮かんでいる。その日は快晴と呼ぶに相応しく、心地の良い日
だった。
 前回の作戦から、一ヶ月と少し。今日で漸く、この軍でありながらもスラムのような場所から離れることが
出来る、と。窓から差し込む光に目を細め、山岸は小さな溜息を吐いた。

 前回の作戦のあった夜、田舎へ帰ると告げた山岸にアルが言った言葉は、山岸を引き止める類のもの
ではなかった。
 ただ、次の作戦まで待て、と。
 その真意は山岸には理解できないものだったが、それでも曖昧に頷かずにはいられなかった。アルは、
ここへ来て出来た唯一の友人だ。その彼の言葉に首を振り、半ば仲違いしたような心持で飛び出すことは
出来ない。
 たった一月程度の時間を耐えるだけで今後も友人としてやっていくことが出来るなら容易いものだった。
「さて……」
 ぽつりと吐き、山岸は一つ伸びをした。たとえ今日の夜には出て行く事になるとはいえ、己の仕事を
さぼるわけにはいかない。
 パイロットの使用する戦闘機の最終チェックを――特にあの男のものは、その直前まで念入りに見て
おかなければならない。そうでなければ、襤褸雑巾のようになることも出来ずに大破する恐れがあるからだ。
「今日のデートは……」
 一人呟いて、山岸ははっとして己の口許を掌で覆った。自身で口走った言葉に驚いていた。

 戦闘機に女の名前を付け、作戦をデートと呼ぶ。
 それはあの男の常套句だ。いつもはそんな言い方は止めろと眉を顰めていたはずの己が、まさか同じ
ように呟いてしまうとは。
「……気が緩んでるな」
 拳をこめかみに押し付けて自身を叱咤すると、山岸は唇を引き締めてドアノブに手をかけた。しかし。
「……あれ?」
 扉を開く体勢のまま、山岸はふと頭を捻った。鍵が掛かっているわけではない。ノブを捻ることは出来て
いる。だのに、扉が開かないのだ。
 何度かノブを捻り直し、体重をかけて押してみたところでぴくりともしない。がちゃがちゃと雑音めいた
音が部屋の中に響き、山岸は再度頭を捻った。
「何で開かないんだ」
 先刻、ルームメイトが出て行くときは普通に開いていたはずだ。その証拠に、ルームメイトの姿は
今ここには無い。
 大体、鍵は部屋の内側に取り付けられているのだから、その内側から開くことが出来ないというのは
道理的におかしい。普通ならば、開かぬわけがないのだ。
「……おい、誰か居るのか?」
 軽く扉を叩き、山岸は外へ向けて問いかけた。
 鍵が内側に取り付けられた部屋で、内側から扉を開けないというのなら……扉の前に何かしら重いもの
が置かれているか故意に誰かが押さえているとしか思えない。そして、扉がぴくりともしない程に重いもの
など思いつかなかった山岸は、外で誰かが悪戯をしているのだとうと判断した。

「おい、開けろよ。悪ふざけしている場合じゃないだろ」
 この場合、あからさまに動揺した姿を見せてしまっては、悪戯をしている誰かを喜ばせるだけだ。そう考え、
山岸は極力平穏さを失わぬよう再び外に声をかけた。だが外からの返答はなかった。
「おい、こう見えても結構忙しいんだ。開けろ」
 今度は少し強く扉を叩いてみたが、それでも外からの反応は無い。
 しんと静まり返った部屋の中で、いるかどうかも分からない人間に声をかけるのは妙に気恥ずかしく、
山岸は誰も居ないと分かっていながらも周囲を気にしながらまた扉を叩いた。

 しかし、山岸が周囲を気にしていられる時間もあまり長くはなかった。
 押しても引いても開かぬ扉と格闘し、目に見えぬ悪戯者に屈しまいと動揺を表に出さずにいられるのにも、
限界があった。最終チェックをする時間はとうに過ぎ、既にミーティングすら終わってしまいそうな時間に
差し掛かっている。抑え込んでいたフラストレーションはピークに達していた。
「大体、何だって誰も呼びに来ないんだ!」
 憎憎しげに吐き捨て、山岸は舌を打った。
 いつもならば真っ先に倉庫に顔を出し、せっせと戦闘機の整備に取り掛かっている自分の姿がなけれ
ば……普通ならば誰か一人でも変だと思うのではないか。どうしていないのだろうという話になり、
その中でもせめて一人くらいは呼びに行ってみようと言い出すものが居ても良いのではないのか。
 それなのに、パイロットが空へと飛び出して行こうという時間になっても、誰一人やって来る気配も無い。

「……俺は居ても居なくても一緒、てことなんだな……?」
 酷く自虐的な言葉を零した瞬間、脳の奥で何かが切れる音がした。
 途端に山岸は眦を吊り上げ、叩くというよりは殴りつけるようにして激しく扉を殴打した。
「ふざけるな畜生! 子供じみた悪戯なんかするな! そんなことしなくても……ご希望通り辞めてやるさ!」
 口汚く罵る言葉が、一体誰に向けて吐き出されているものなのか。それは山岸自身にも分からなかった。
 鼻の奥が痛い。涙が出そうだった。
「わざわざ嫌がらせなんてしなくても、今日限り出て行ってやる……!」
 一際強く拳を叩きつける音が、静かな部屋の中に響いた。
 それと同時に、かちゃりと、小さな音を立てて扉が開かれた。押しても引いても叩いても殴ってもぴくりと
もしなかった扉が、まるで山岸のその言葉を待っていたとでもいうようにして開いたのだ。
 漸く言ったか。その言葉をどれだけ待ち侘びたと思っている。いい加減気付けよ。
 お前など要らない。
「辞めるなよ」
 だが、開いた扉の向こうからかけられてきた言葉は、山岸の想像とは真逆のものだった。
「……洋?」
 姿を現した男に、山岸は一瞬思考を固まらせ、それでもぽつりと男の名を呼んだ。洋はきまりの悪い顔
をしながらも、一度山岸を睨み、それからすぐに視線を逸らした。手に長い鉄パイプを持っている。扉を
塞いでいた道具だろう。
「お前さあ、悩み事とかあるんなら言えよ。ちゃんとさ」
 口に出してもらわなければ気付けないんだから、と。
 洋は一度逸らした視線を戻しながら、そう山岸を叱った。ついでのように、軽く握られた拳が胸元に押し
付けられる。それらを受け止めながら、だが山岸は未だ言葉を発することが出来なかった。

 想像もしていなかった男が扉の前にいて、また想像もしていなかった言葉を投げかけてきている。
 それを視覚が、聴覚が理解していても、頭が理解しきれていなかった。
「ああもう、ほら。いくぞ!」
 間の抜けた顔で固まる山岸に痺れを切らし、洋は山岸の腕を掴んだ。ぐいと引っ張られると、勝手に
足が踏み出す。洋に山岸の反応を待つ気はないらしく、自然と足が動いたことを切欠にそのまま駆け出し
た。
「おい、ちょ……行くってどこに!」
 漸く我を取り戻した山岸が洋に問いかけた時には、既に二人とも全力で駆けている状態だった。
「どこって、外に決まってんだろ! 俺だって出撃しねーといけねーの! もう時間がないの!」
「なら何でわざわざ嫌がらせに来たりするんだよ!」
 怒鳴られたのにむっとして反射的に怒鳴り返すと、洋は一瞬目を丸くさせ、それからまた拗ねたように
視線を逸らした。
「知らねーよ。優秀なエンジニア逃がしたくなかったら、暫く部屋に閉じ込めとけって言われたんだよ!」
「誰にっ?」
「アルに!」
「!」
 洋の口から飛び出した名前に、山岸は目を瞠った。また想像もしていなかった名前だ。
「アルが……何で」
「知らねーよ! 分かるのは、お前が辞めるとか何とか言い出した所為で俺が使いっぱにさせられたって
ことくらいだ! てめ、今は時間がないから仕方ないけどな……戻ったら覚悟しとけよ」

 じろりと睨みつけてくる洋の視線に、山岸は思わず瞬いた。本気で怒っている顔だ。初めて見るその表情に、
怯えるよりも先に驚いた。
 それが自分が辞めると聞いたから、使いっ走りにさせられたことに対してなのかは分からなかったが、
兎に角彼が本気で怒った姿を見たのは初めてのことだったのだ。

 二人揃って外に飛び出すと、既に半分ほどのパイロットが空に発った後だったらしく……狭い滑走路に
残っている人数は少なかった。その中からアルの姿を見つけ出すと、洋は眦を吊り上げて口を開いた。
「アル! てめーも覚えてろよ! 今夜の飲み代はお前らの奢りだからな!」
 そう吐き捨てると、洋は掴んでいた山岸の腕をアルに押し付けるようにして離し、そのまま滑走路へと
駆け抜けて行った。尾を引く捨て台詞に、アルが肩を震わせて笑っている。山岸には、一体何が起こっ
ているのか分からなかった。
「アル、これは一体何事なんだ……?」
 控えていたメンテナンスからゴーグルを受け取り戦闘機に乗り込んで行く洋の姿を見守りながら、山岸は
呆然とアルに問うた。
 何故今日に限って、こんなわけの分からないことを起こすのか。辞めると決意し、その最後となる日に。
 山岸の問いかけに、アルは再び微笑し軽く頭を振った。
「まあ黙って待って……ああ、意外と早かったな」
「?」
 言葉の後半は、自分に向けられたものではない。呟き笑うアルに、山岸は頭を捻った。
 だが、アルが指差した方角に顔を向け、瞠目した。
「何だ……?」
 戦闘機が一機、こちらに向かって飛んできている。皆が海に向けて離れて行く中、一機だけ滑走路に
向けて近付いてきている。その不自然さに驚かずにはいられなかったが……滑走路に降り立った機体から
飛び出してきたパイロットに、山岸は再度目を瞠った。
「……ザジ」

「無理! 無理無理無理無理無理! 何か気持ちわりー!」
 山岸が呆然と見守る前で、ザジはゴーグルをひったくるように外しながら一人頭を振った。恐らく今日も、
いつもと変わらず真っ先に空へと飛び出して行ったはずだ。そして彼は大体、一度出ると日が沈むまでは
戻ってこない。それが、何故。
「もう整備終わって無くても良いから、メアリで行くわ。山岸は? まだ腹下してんのか?」
 近付いてきたメンテナンスに問いかけるザジに、山岸はぎょっとしてアルを見た。その視線に気付いた
アルは、優雅にというよりはどこか妖艶に微笑んで片目を瞑った。
「ザジに言ったんだ。腹下して便所の住人になっている山岸から伝言です。生憎カトリーヌもメアリも
マドンナも整備が終わっていないので、今日は別の機体で行って下さい……精魂込めて整備しておき
ました、て」
「は?」
 アルの言葉にまた驚いて滑走路に目を向けると、確かにザジの乗って戻ってきた機体は彼の専用機
三体のいずれでもなかった。一度で起こす損傷が激しいため、ザジは三体の専用機を持ちそれらを順に
使いまわしているのだ。しかし。
「……俺、あんな機体、触ったこともないぞ」
 呆然と呟き、山岸は滑走路に止まる戦闘機に瞬きを繰り返した。ザジの痛めつけてきた機体を修理する
のは容易いことではなく、一度取り掛かると中々終わらない。お陰で山岸は、殆どザジの専用機専用の
整備士のような状態になっており、他の戦闘機には殆どまともに触ったこともないのだ。
 だから、精魂込めて整備しておきました、と告げたアルの言葉はおかしい。
「そう、おかしいよな」
 途切れ途切れに疑問を口にした山岸に、アルは笑って頷いた。
「オレは、代わりに山岸が別の機体を整備しておいた、とも言った。だからザジは、あれはお前が整備した
と信じて乗り込んで行ったんだ」
「……」
「それなのに、こんなに早く戻ってきた……この意味、分かるか?」

 含み笑いの問いかけに、分かる、と即答することは出来なかった。
 未だ脳内は混乱し、巧く考えを纏めることが出来ないのだ。
 アルはわざわざ己を部屋に閉じ込め時間稼ぎをし、己が整備していない機体を整備したと偽って男を
空に送り込んだ。だが男は、一時間も待たずに帰還した。
 恐らく、気付いたのだ。
 滑走路の片隅では、こちらに気付く様子もないザジが数人のメンテナンスと共にわっせわっせと倉庫の
シャッターを持ち上げている。彼の専用機の一体である、メアリが収納されている倉庫だ。今日使う予定
ではない機体だったため、わざわざ昨夜のうちにシャッターの壊れた場所と入れ替えておいた。
 そのことを思い出し、山岸ははっとして飛び上がった。
「ザジ! 違う! 今日はメアリじゃない、マドンナだ!」
 慌てて駆け出した山岸の背中を、アルの笑う声が追った。
 それに何かしらの言葉をかけようにも巧い言葉が思いつかず……山岸は声を振り切るようにして倉庫へ
と走った。
「おう山岸! 腹の具合は治まったのか?」
「え、あ、まあ……」
 この意味が分かるか、と。
 そう訊ねてきたアルの言葉の意味は、既にもう分かっている。その奥に隠れる本意も。頬が熱かった。
身体中の血液が眉間に集まってくるような感覚に、山岸は眩暈を覚えた。
「メアリはまだ整備が終わっていない。連れて行くなら、マドンナを」
「え、マドンナもまだだって聞いたけど……」
 山岸の指示に、ザジは小首を傾げて見せた。そんな反応に、山岸は苦々しい思いで頭を振った。
「……伝達ミスだ。マドンナはもう終わってる」

 成り行きとはいえ、アルの吐いた嘘に便乗することに抵抗があった。嘘を吐くのは好きではないのだ。
だがそのお陰で心の奥を覆っていた霧が晴れつつあることも事実だった。
 一概に否定することも出来ない嘘に、山岸は戸惑いを隠すように別の倉庫を指差した。
「大体俺が、お前のデートの日に、女を用意し損ねるとでも?」
 問いかけた山岸の言葉に、ザジは目を丸くさせた。山岸がこういった物言いをするのは非常に珍しい。
 だが驚いたもの一瞬らしく、ザジはすぐに口角を持ち上げ不敵に笑った。
「流石は床上手。言うことが違うねえ」
「ふん。馬鹿言ってないで、さっさと行け」
「はーい」
 短く命じた山岸の言葉に、ザジはまたにこりと笑って駆け出した。その背中を見送り、山岸は深い溜息を
落とした。
 恐らく今日も、彼は今にも海に落ちそうになりながら戻ってくるのだろう。
 それが、己に対しての嫌がらせで無いことは分かった。ザジは頭ではなく身体で、山岸の手を覚えて
いるのだ。そしてそれを必要としているらしいことも理解した。何せ、一度出て行けば夜まで戻ってくる
ことの無い男が、戻ってきたのだ。この事実に揺るぎは無い。だが。
「……だったら、もう少し丁寧に扱ってくれても良いんじゃないか……?」
「だから、それは逆だ」
 独り言のつもりで呟いた言葉に返答があり、山岸は驚いて背後を振り返った。見ると、いつの間にか
近付いていたアルがひっそりと笑っていた。
「アイツは、お前が整備したと分かっているから、あれだけ無茶するんだ」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿だからわざわざ戻ってきたんだろう? さっきの機体じゃ、思う存分無茶できないからな」
「……」

 無茶をするために、お前の手の入った機体に好んで乗り込むのだと。
 そう告げたアルに、山岸は渋面を作った。その理屈では、いつまで経っても己の心に平穏は訪れない
ではないか。
 そんな山岸の心中に気付いたのか、アルは軽く肩を竦めて見せた。
「まあ、それが運命かもな。けど……まだ辞めるとか言わないように、もう一つ駄目押しをしておこうか」
「?」
「一度、軍事会議の後で、お前の話が出たことがあったらしい。泳げもしないのに、海軍に入りたいって
何度も入隊試験を受けていた男が居た、て」
 アルの言葉に、山岸は「あ」と小さく呟いた。身に覚えがないわけがない。入隊試験を受けたのは既に
一桁では足りず、最後の方では「また来たのか」と試験官に呆れられたくらいなのだ。
「変わってるよな、泳げないのに海に出たいなんて。とか、そんな風な話をしている中で、ザジは一人頭を
捻っていたらしいぞ」
「……どうして」
「海軍は山岸の何が気に入らないんだろうな。オレだって、空を飛ぶことなんか出来ないけど空軍にいる。
それにそもそも、泳げる泳げないは関係なく、アイツの乗る船ならば沈むはずが無いのに」
「!」
「この意味、分かるな?」
 ゆったりと微笑むアルに、山岸はやはり言葉を返すことが出来なかった。過剰評価だ。思わずそう呟いて
しまいたくなるほど、アルの告げた言葉は甘かった。泳げぬ劣等感を追い流すように、抱いていた卑屈さを
叩き潰すように、雲間から差し込む一筋の光のように。

 甘い言葉に脳が蕩けそうになり、山岸は片掌で顔面を覆った。頬が熱い。他人から信頼され、必要とされ
る感覚というのは、こんなにも心地好いのかと。

「山岸ィ!」

 遠くから名を呼んでくる声に、山岸とアルは同時に顔を上げた。既に操縦席に乗り込んだザジが、身を乗り
出してこちらに手を振っている。それに手を振り返すべきかどうかと悩んでいる間に、ザジの手が止まった。
そして、振られていたその手はそのまま真っ直ぐアルの胸へと向けられた。
「アル! てめーは今夜お仕置きな! 伝達ミスの罪は重い。今夜の飲み代はお前の奢りってことで、
よろしくねん」
 恐らくそう言って笑ったのだろう。言葉尻で分かるザジの表情に、山岸は僅かに肩を落とした。
 洋にせよザジにせよ、何故彼らはああもあっけらかんと「夜」の話をするのだろうか?
 無事に戻ってこられるという保障などどこにもないというのに、彼らは極当然のように自分が再びここに
戻ってこられると信じているようだ。
 もしそんな確信の一端を自分が担えているとするならば……辞めるだなどと言い出せるわけがないでは
ないか。
「じゃあ、いってきまーす!」
 そう告げてひょこりと操縦席に姿を消したザジに、山岸は反射的に言葉を返した。
「気をつけて!」
 それに対する応えは、差し出された手が後ろ手に振られることによって返された。
 澄み渡る空に消えていく機体を眺めながら、山岸は少しだけ笑った。
 

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 | |                | |
 | | □ STOP.       | |
 | |                | |           ∧_∧ 軍のことなど何も知らないのにやった。
 | |                | |     ピッ   (・∀・ ) 今は反省している。
 | |                | |       ◇⊂    ) __
 |   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  |       ||―┌ ┌ _)_||  |
 |  °°   ∞   ≡ ≡   |       || (_(__)  ||   |

いざ落としてみると本当に長かった。ごめんなさい。
でも楽しかった。ありがとう。


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