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ラルアル

                    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                    |  悪魔城イ云説ラルフ×アルカードの四回目デス
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 | __________  |    ̄ ̄ ̄V ̄ ̄|  >>208->>218の続きで。
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 | | |> PLAY.       | |              ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | |                | |           ∧_∧ ∧_∧ ∧∧ 今回で一区切り、と思ったらナガスギタ
 | |                | |     ピッ   (´∀` )(・∀・ )(゚Д゚ )
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            ◆

 その日、珍しく、アルカードは強情だった。
「なにも困ることはないだろう」
 困っているのはこっちだ、とラルフは胸の中で思った。
「今度の街は今までのちっぽけな村とはわけが違う。このあたり一帯の交易の中心になっている大きな街だ。
おまえみたいな身なりをした者くらい大勢歩いている。かえって目立たなくてすむくらいだ。なぜ嫌なんだ?」
 返事がない。
 アルカードはうつむいたまま、自分の馬のふさふさしたたてがみを上の空のようすで撫でている。
 いつもよりいっそう、その横顔が白いように見えるのは錯覚だろうか。最近習い性になってきたため息を、
ラルフはまたこっそりついた。
 村落の多い山里を抜けて、大街道に合流する最初の都市だった。あと馬で半刻も行けば、このあたりではほぼ
最大と言えるカルンスタイン伯の城塞都市にたどり着く。
 ワラキアが魔王ドラキュラの支配によって魔の跳梁する場所となってからは、この街がほぼ魔界と人界の境目のように
なっていた。
 ここからワラキア側の少し大きな集落はほとんど全滅して、今は復興に必死だ。しかしカルンスタイン伯の都市は伯の
手勢による懸命の防衛もあって、かなりの程度までにぎわいを保っているらしい。魔王ドラキュラ打倒の噂が拡が
って、一時は逃げ出していた商人たちも戻ってきているそうだ。今夜は久しぶりにまともな宿を取って湯を使
い、食事もし、暖かい寝床で眠れると、ラルフは内心楽しみにしていたのである。
「おまえ、最近あまり寝ていないだろう」
 アルカードの肩が小さくはねた。

「俺が気づいていないと思うなよ。ここ二、三日は特に、ほとんど朝まで一睡もしてないはずだ。どこか身体の
調子でも悪いのか?」
 やはり返事は帰ってこなかった。アルカードは顔をそむけて、黒馬のつやつやした首に頬を埋めた。アルカードになつ
いている牝馬は、やわらかい鼻先を甘えるように主人の肩先にすりつけて、目をしばたたいた。
「調子が悪いならなおのこと、街へ行ってきちんとした食事をして、寝床をとったほうがいい。おまえはだいた
い食わなさすぎる。小鳥のほうがまだ食うくらいだ。いいから黙っていっしょに来い。サイファも俺の言うこと
は聞けと言ってたんだろうが」
「街へは……行かない」
 細い声だった。だが、意志ははっきりしていた。
「私はここで待っている。街へは入らない。気に入らなければ、そのまま置いていってくれてかまわない。
ただ、街へは行かない。私は、ここにいる」
 駄目だこれは、とラルフは思った。
 理屈もなにもあったものではない。どんなに説得しても、街は嫌だ、行かない、の一点張りで、しまいには気
に入らなければ置いていけ、と来た。
 そんなことはできないくらい分かれ、阿呆が、とむかむかしながら内心呟く。
 置いて行けだと? 一人で放っておいたらたちまち自分で自分を身ぐるみ剥ぐような世間知らずが、よくまあ
偉そうに言えたものだ。
 この数日、ただでさえ言葉の少ないアルカードが、日を追うごとにますます無口になっていくのを、ラルフはずっと
気にかけていた。普段でもあまり喋らない口が、ほとんど「ああ」と「いや」の二語しか発さなくなり、話し
かけても、つついて気づかせるまでぼうっと宙を仰いでいることのほうが多い。

 抜けるような白い肌がだんだん血の気をなくしているようなのも気がかりだった。最近では白いのを通り越し
て、蒼白くさえ見えることがある。頬のあたりにわずかなやつれの影が出ているようなのは、気にするあまりの
錯覚だろうか。
 それに加えて、ここ数日は夜もほとんど眠っていないようだ。体内の魔の血がそうさせるのかもしれないが、
いくらなんでも半分は人間で、生きている以上、いつかどこかで休んでおかなければ体力が保たないのは当然だ
ろう。ましてや、血のつながった父親との、あれだけの戦いをくぐり抜けてきた直後では。
「それならせめて理由を言え、理由を。なんで行きたくないんだ。今まで村に入るときは、そんなことは一度も
言ったことがないだろうに」
「……理由など、言う必要はない」
 アルカードは完全にラルフに背を向けてしまっていた。
「おまえは行きたければ行けばいい、ベルモンド。──私は、行かない」
 とどめの『ベルモンド』呼ばわりで、最後の我慢の糸が音をたてて切れた。
「ああ、そうかよ」
 乱暴に吐き捨てて、ラルフは踵を返した。
「それじゃ勝手にしろ。俺は行く。おまえはここで気がすむまでいつまでも待っていればいい。好きにしろ。俺
はもう知らん」
 アルカードは黙って立ちつくすばかりだった。
 腹立ちまぎれに馬に飛び乗り、腹を蹴る。蹄を鳴らして街道へ出ていく自分の背中を、黙って追いかける蒼氷
色のまなざしをラルフはずっと意識していた。
 振り返らないようにするには、相当の努力が必要だった。

 夕暮れ近くなって、ようやく街の門が見えてきた。
 ともすれば馬の向きを変えたがる自分の手を叱りとばしながら、荷車や徒歩の、または馬に乗った自分と同じ
ような旅行者、馬車を連ねた隊商などに混じって大門をくぐる。
 魔王が滅した今でさえ、夜の外は安全な場所ではないのだ。まだ生き残っている魔物の残党が夜闇にまぎれて
人間を襲うのに加えて、盗賊や追いはぎも横行している。日没後は門はかたく閉ざされ、出るのはともかく、入
ることはまず許されない。もしアルカードが気を変えて追いかけてきたとしても、中には入れてもらえないことになる。
 ──まあ、あいつなら……
 人間の追いはぎやそこらあたりの妖物にやられはしないだろう、と強いて思うことにした。なにしろすべての
魔の上に君臨する王を、その手で倒した腕前の持ち主なのだ。多少身体の調子が悪くとも、そんな小物に遅れを
とるような男ではない。
 そこでまた自分が『心配』していることに気づき、ラルフはむかっ腹を立てた。
 脳裏をちらちらする白い小さな顔をむりやり振り払って、広場に面した一軒の料理屋に入る。宿屋も兼業して
いるその店はけっこう繁盛しているらしく、一歩はいると、料理の温かな湯気とエールの匂いがふわりと顔を包んだ。
「へい、旦那、いらっしゃい」
 店の亭主が前掛けで手を拭きながらやってきた。
「お食事で? それとも、お泊まりですかい?」
 ひとまず食事をすることにして、料理とエールを一杯頼んだ。
 注文を受けた亭主が厨房へ景気よく料理をと怒鳴る。ラルフはなんとなく手持ちぶさたな気分で、ぴかぴかの
テーブルに肘をつき、あたりを見回した。

 席のほとんどは人で埋まっていた。ドラキュラが死んだという情報は、ラルフたちが思うよりも早く、遠くまで
拡がっていったらしい。今こそ稼ぎ時と見たのか、異国風の身なりの商人らしい男たちがいくつもテーブル
についてひそひそと商談をかわしている。大きく胸の開いた女を侍らせて、宵の口から真っ赤な顔をしている
ものもいる。陽気な笑い声や話し声、女の嬌声などがにぎやかに飛びかう。
 妙な違和感があった。
 あの闇の城、ドラキュラ城であったことを考えると、この喧噪はまるで嘘のようだ。魔物の襲撃があったころはこ
こも火の消えたようだったのかもしれないが、今では、それでさえいい稼ぎにしようとしている人間たちが
うじゃうじゃ集まっている。
 こいつらは知らないんだ、とラルフは思った。
 ドラキュラ城での戦い、サイファやラルフ、グラント、そしてアルカードが、あそこで何をし、どれだけ傷つき、
苦しみ、恐怖と悲しみに耐えて勝利したか。
 知らせようとは思わないし、知ってほしいとも思わない。だが、何も知らずに赤い顔で馬鹿笑いしている
太った商人たちを見ていると、わけもなく気分が悪くなってきた。
 こいつらは女を抱いて、酒を飲んで笑っていられるのに、なぜドラキュラを倒したあの美しい青年は、ひとりで
夜の闇に置き捨てられなければならないのか。父を殺した傷を胸にかかえ、戦いの疲れも癒えない身体で、
孤独と沈黙の中、俯いたまま。
 食事が来た。この店の看板料理らしい、鶏肉を赤いパプリカで煮込んだものだ。
 ひと匙すくって口に運ぶ。熱い肉汁と、スパイスの香りが口に広がった。
 パンを割き、スープに浸して口に運ぶ。エールを飲む。肉を噛む。またパンを割く。
 そんなことをしばらくくり返したあとで、ラルフは、目の前の皿の中身がまったく減っていないことに気が
ついた。エールのジョッキもいつのまにか泡が消えかけたまま放置され、ばらばらになったパンくずが手元に
散乱している。

 そばを通りすぎた亭主が妙な顔をした。
「どうなさいました、旦那。うちの料理はお口に合いませんかい」
「いや……」
 料理は確かに申し分のない味だった。エールも濃くて旨いし、パンも焼きたてだ。
 それなのに、どうしても食べる気にならなかった。空腹なのに、喉を通らない。追いはらっても追いはらって
も、まぶたの裏に浮かびあがる白い美貌がある。
 ずっと背中を追ってきた蒼氷色の視線が、今さらのようにずきりと胸を刺した。
 もう大門は閉まっている。もし彼が思い直して追いかけてきていたとしても、門の外で立ち往生していること
だろう。
 あの青年がそう簡単に気を変えるようなことがあるとは思えないが、やはり、引きずってでも無理やり連れて
くるのだったとラルフは悔やんだ。あたりの喧噪に無性に腹が立った。アルカードが外でひとりでいるのに、なぜ
おまえらはそんなに馬鹿みたいに愉しそうなんだと怒鳴りつけそうになる。
 理屈も何もないのは俺の方だな、とラルフは苦い思いで考えた。
 客たちに罪があるわけではない、彼らは何も知らないのだから。ただ、アルカードが払った犠牲のおかげでこう
していられることに、彼らがあまりに無関心でいることが──
 いや、認めよう、とラルフは思った。
 俺はあの白い、美しい顔が隣にないことが、物足りなくてたまらないのだ。
 ほとんど喋らない、喋ってもたまに相槌をうつだけの相手だが、ちょっとしたことで氷の青の瞳がわずかに
和むのを見るとき、また形のいい唇の端がかすかに上がるのを見るとき、どれほど胸が躍るかラルフは今まで意識
していなかった。

 彼がそばにいない今、それがどれだけ大きなことだったかわかる。手をつけられないまま冷めかけている料理
も、アルカードがいたなら、今ごろはあっという間にからになっていたろう。彼はいつものようにひとかけらのパン
とチーズと、少しばかりのワインしか欲しがらないかもしれないが、ラルフが気持ちよく大量の食事を片づけて
いくのはたいてい喜んだ。ほかの人間にはまずわからない程度の、わずかな声や瞳の変化で。
 街へ行かない、とアルカードが言ったとき、なぜあれほど腹が立ったのかも今はわかった。この大きな街で、旨い
料理や目新しい品、たくさんの人や大きな建物を見せたとき、アルカードがどんな顔をするのか、それが見てみたか
った。最近、やつれた顔でうち沈んでいる様子の彼を、少しでも元気づけてやりたかったのだ。
 それをすげなく断られたので、腹を立てた。
 言うならばつまり、八つ当たりだ。
(子供か、俺は)
 ラルフはパンくずだらけの食卓に目を落としてもうひとつため息をつき、心を決めた。
 やはり、今からでもアルカードの所に戻ろう。
 どうせ、こんな気分でひとりで宿をとっても、眠れるわけがない。それより、いつものように焚き火のそば
で、固い地面に毛布を敷いても、そばにあの銀髪がきらめくのを見ているほうがずっとゆっくり休めるはずだ。
「あれ、旦那、お宿はどうなさるんで」
 食事代を置いて席を立とうとするラルフに、亭主がまつわりついた。てっきりこのまま泊まるものだと思って
いたらしく、あわてた顔ですっとんで来て、
「今ごろからお出かけで? なんでしたら、先にお部屋のほうをご用意させていただきますが」
「いや、部屋はいい。少し用を思い出した。食事は旨かった、代金はそこに置くからな」
「いやいやいや、旦那」

 亭主は大げさに両手を振って、
「どんなご用か存じませんけどね、今夜お泊まりになるんでしたら、早い目にお部屋を取っとかれたほうがよう
がすぜ。なんせこのごろ、カルンスタインは新しい聖なる巡礼地になるかもしれねえってんで、そりゃあ大勢のお客が
来るようになってますんでね。夜遅くなってからまたお宿を探そうなんて、無理な相談で。今でしたらこちら
で、正面の広場を見渡せる最上のお部屋をご用意できるんですがね」
「巡礼地?」
 ラルフは眉をひそめた。
「このへんで新しい聖人が出たか、それとも何か奇跡でもあったっていうのか」
「あれ、旦那はご存じなかったんですかい」
 亭主の方が目を丸くした。
「それ、あれですよ。街の中心の広場で。新しい記念碑が建ってるでしょうが」
 わざわざラルフを戸口まで引っぱっていって、指ししめした。人々が行き交う街の目抜き通りの中心に、まだ
できたばかりらしい、石の色も新しい十字架型の碑が建っている。
 亭主は背伸びをしてラルフの耳に口を近づけ、声をひそめた。
「実はありゃあね、旦那、三年前、魔王ドラキュラの妃の魔女が退治されたあとなんで」
「……なんだと?」
 ラルフは愕然とした。
 魔王ドラキュラの妃。魔女。人間の、妻。
 それはつまり、アルカードの──
「あ、もう何も害はねえ場所なんですよ」
 ラルフの顔色が変わったのを、恐怖と勘違いしたらしい。亭主は意気揚々と胸を張り、

「なんたって、教会の方々が何度もお祈りと聖水でお清めなすったし、ああして聖なる十字架も立ててございま
すんでね。それに、あのドラキュラももう退治されたってこってすし、なんにも危険なことなんかございませんとも。
 このごろじゃ、恐ろしい魔女が神の御力で打ち倒された場所だってんで、有り難がってお参りする方も増えて
まさ。悪魔のまどわしを打ち砕く力がいただけるって」
 ちょっと十字を切って、いい気持ちそうに亭主は喋りまくった。
「なんせその魔女と来たら、やさしい顔して病人のいる家をあちこち回っちゃ、薬と騙して、毒を呑ませて殺し
たってことでね。もし告発されてなかったら、カルンスタインの人間全部が毒で死んでたかもしれねえって話ですぜ。
 それでまた、恐ろしいじゃありませんか、なんと魔女めときたら、魔王の間に子供まで産んでたって噂で。
魔女自身はえらく別嬪だったそうですが、まあ悪魔の息子じゃどっちにしろ、二目と見られねえような化け物に
違いねえで──あ、旦那?」
 喋りつづける亭主を無視して、ラルフは大股に祈念碑に近づいた。
 大人の腰ほどの高さの石の台座に、真新しい青銅製の十字架が据えられて、道行く人々を高いところから見お
ろしている。台座には同じ青銅製の銘板がはめ込まれ、文字が刻まれていた。

      『魔王ドラキュラの妻にして呪われし魔女、エリザベート・ファーレンハイツ
         ここにて神の裁きを受け、浄化の火に灼かる』

 つづけてラテン語で二行、

             『イト高キ神ノ正義ハ
           カクテスベテノモノノ上ニ働カン』

 ラルフは無言で拳を振りあげ、銘板の上に叩きつけた。
 すさまじい音がして、銅板が少しへこんだ。周囲の人々が驚いたように振り返った。店の亭主が悲鳴をあげ、
あたふたと走り寄ろうとした。
「だだ旦那、いったい何をなさるんで!?」
「どけ!」
 怒鳴ったラルフの顔に何を見たのか、亭主はひっと喉を鳴らして一歩下がった。
 ラルフはもうそれ以上かまわず、店の表に繋いであった馬の綱を解くのももどかしく飛び乗って、すっかり
暮れた街の通りを、まっしぐらに駆けだした。

 大門の門番はラルフの形相を見るやいなや扉を開けた。止めでもしたら殺されると即座に悟ったのだろう。ほと
んど邪魔もされずにラルフはくぐったばかりの門を出て、夜の街道を、蹄の音を鳴らしながら疾走した。
(畜生)
 なんで言わなかった、と胸の中でラルフは叫んだ。
 あそこは母親が死んだ場所だ、殺された、人間の手で生きたまま火に投げ込まれた場所だ、だから行きたくな
いと、ただそう言ってくれていればすむことではないか。
 それとも、口にすることすらできないほど辛い記憶なのか。そうかもしれない。この数日、アルカードが眠って
いなかったのも、顔色が悪くなる一方だったのも当然だ。彼にとってはカルンスタインへ近づく足の一歩一歩が、思い
出したくない過去の悪夢への旅路だったのだろうから。
 母親が人間だというのは聞いていたが、それ以外のことはアルカードはまったく口にしていなかった。三年前に殺
された、魔王の妻。それはドラキュラが、それまでの沈黙を破って突然、人間たちへの攻撃を開始した時期と一致する。

 あるいは、とラルフは雷光のように悟った。
 最初にことを起こしたのは、人間のほうではなかったのか。
 人間の女性を娶り、子供まで成すほどに魔王が妻を愛していたなら、それを奪われた怒りが、殺害者である
人間に向かなかったはずがない。
 三年前、ドラキュラの手勢である魔物たちは、まったく突然に人間たちを殺しはじめたと考えられていた。だが、
理由はここにあったのだ。妻を殺されたことへの、復讐。
 愛。魔王と呼ばれる者に、愛することができたのだろうか。おそらくできたのだ、配下の魔物たちにも人間へ
の攻撃を手控えさせ、ひっそりと城に引きこもったまま、ありきたりの父親と同じように、妻と子供と静かに暮
らすことを選ぶほどに。
 だからこそその愛と、おそらくは幸福を奪われたとき、ドラキュラ、ヴラド・ツェペシュは狂ったのだ。心を失い、真の
魔王となって、混沌の中に呑みこまれていった。
 そしてその息子は父にそむき、剣をとって、父を殺すための旅に出た。
「──畜生!」
 今度は声に出してラルフは罵った。
 なぜ言わなかった、アルカード。俺が信用できなかったか。母親を殺した人間の、その仲間である、俺が。
 心臓がちぎれそうに痛んだ。それが激しい運動のためなのか、それとも、あの美しい青年と自分との間に横た
わる広く暗い深淵をあらためて思い知らされたためかは、ラルフにはわからなかった。
 無性に怒り、苛立ち、誰かを殴りつけたくてたまらなかった。ことに、自分自身を。アルカードの苦しみの真の意
味に気づいてやれなかった、気づいてやれないまま八つ当たりをぶつけて勝手に置き去りにしたラルフ自身を、
こっぴどく痛めつけてやりたい。
 遠くにちらりと炎が揺れた。
「アルカード!」

 街道脇の草地に、ちらちらと炎が燃えている。昼間、アルカードと別れたあたりだ。焚き火が今にも消えそうに、
灰の奥で震えている。木に繋がれた馬の影が見えた。
「アルカード、俺だ。ラルフだ……」
 馬を下りかけて、異様な雰囲気にラルフはぎくりと足を止めた。
 消えかけた焚き火が、不安な黄色い光で木立を照らし出していた。黒い人影がひとつ、木にもたれるように
してぐったりと頭を垂れている。銀髪がかすかに光を反射した。
「……アルカード?」
 垂れたままの銀の髪はぴくりともしない。
 もやもやとした黒い煙のようなものが、その全身を覆って蠢いている。
 ラルフは腰の鞭をつかんだ。
 馬が怯えたように叫び声をあげた。
 アルカードの肩のあたりにぼこりと盛り上がりができ、血のような赤い光が閃いた。節くれだった腕が伸び、蝙蝠
のようなよじれた翼がはためいた。
 手のひらほどの小さな魔物が、醜い顔をゆがめ、耳まで裂けた口を開いて、ラルフに向かってしゅーっと牙を剥いた。
 ラルフの鞭が一閃した。一撃で小魔は悲鳴をあげて飛び散り、同時に、アルカードの全身を覆っていた黒い煙が
どっと飛びたった。
 羽虫か蝙蝠ほどの大きさしかない、小さな魔物の群体だった。雲霞のような群れはぴいぴいぎゃあぎゃあ鳴き
わめきながら夜の奥へと逃げ去っていった。アルカードは、そのままぐったりと地面にくずおれた。
「アルカード!」
 鞭を戻して、抱き起こす。がくりと顔が仰向いた。青ざめた顔に、脂汗がびっしりと浮いている。呼吸は
浅く、早かった。乱れた銀髪が、ぬれた額に貼りついている。

「しっかりしろ、アルカード。俺だ、ラルフだ、もう心配ない。目を開けろ」
 揺さぶりながら軽く頬を叩く。アルカードはうめき声を上げ、苦しげに眉間にしわを寄せた。手をあげ、何かを押
しのけるような仕草をする。
 まぶたが開く。まだ焦点の合わない瞳が一瞬宙をさまよい、自分の上にひたと据えられた瞬間、ラルフは背筋に
冷たいものが走るのを覚えた。
(黄金の目)
 ──魔物の、眸。
 瞬間、すさまじい力で手を払われた。
『私に触れるな、人間!』
 鋭い声がほとばしった。
 ラルフは本能的に鞭に手を伸ばしかけ、寸前で止めた。
 目の前にいる青年を愕然と見つめる。それは昨日まで自分の連れだった蒼氷の目の青年と同じ顔をした、
何か、別の生き物だった。
 爛々と燃える黄金の瞳は闇の中ですらまばゆいほどだ。白い顔は人のものではない憤怒と力で炎のように
輝き、開いた唇からは、真珠めいた細い牙が覗いている。
 魔王の子、ドラキュラの息子、闇の公子。
 まさにその名にふさわしい者が、そこにいた。

 だが、それはほんのつかの間のことだった。荒い呼吸に揺れながらラルフを睨みつけていた黄金の目は、しだい
に光を消し、もとの蒼い瞳に戻っていった。全身からあふれ出す魔力の気配が潮の引くように薄れ、身体も
一回り小さくなったように思えた。
 アルカードは茫然とラルフを見あげた。
「……ベルモンド」
「アルカード。大丈夫か」
 ラルフは鞭から手をもぎ離して、もう一度アルカードに手を差しのべた。
「一人にして悪かった。魔物どもはもう逃げていったから、心配ない。こっちへ──」
 アルカードは一瞬その手を見つめ、顔をそむけて身をひるがえした。
「アルカード? どこへ行く! アルカード!」
 追いかけたラルフの手は空を切り、見るまに闇にその姿は溶けていった。ガサガサと鳴りひびく足音だけが、
彼の気持ちの乱れを伝えてくる。
「アルカード!」
 顔をそむける瞬間に、ラルフは見たのだ。アルカードの、それまでずっと被っていた氷の仮面がひび割れて、彼の、
本当の顔が覗くのを。
 暗い森の中で帰る道を見失ってしまった、幼い子供の顔。
「アルカード……!」
 深まる夜の闇に、ラルフの呼び声がむなしく谺した。

 ____________
 | __________  |
 | |                | |
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 | |                | |     ピッ   (・∀・ )アト モウイッカイクライデ ヒトクギリ!
 | |                | |       ◇⊂    ) __ 
 |   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  |       ||―┌ ┌ _)_||  |
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