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#title(作られた世界)
ナマモノ、馬の師匠が司会になって間もない頃の焦点の紫と緑です。
|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!
自分としては、かなり頑張ったつもりだった。会場の客の笑いを取れると思った。
しかし、一瞬の静寂の後にパラパラとしたお情けの拍手が聞こえたとき、愕然とした。
この世の終わりが来た、とはまさにこの瞬間かもしれないと感じた。収録が終わる。
師匠である圓樂も、他のメンバーも楽屋に帰って行く。彼らの背中をぼうっと見つめる。
圓樂は振り返らない。怒っているだろうな、と感じた。実際にそうなのか、考えすぎなのかはわからない。
それほどに頭の中はめちゃくちゃだった。
桃色の背中と、緑色の背中が、ちらりとこちらを見たような気がした。
しかしやがて遠くなり、樂太郎は舞台の袖に一人残された。圓楽の稽古に必死で着いてきた。
噺家として芽が出てきたね、という言葉をたまにもらえるようになった。
小言と小言の合間の、束の間の誉め言葉。
しかし、結局それは寄席に慣れた、というだけのものだったようだ。
寄席とは違う、大喜利という形式。自分の実力という現実に蓋をして見ないようにしてきた。
笑いが取れなかったという現実は、これほどまでに悔しさを覚えるものなのか。
「噺の稽古だけしててもうまくできないのは当たり前さね」
いかにも圓楽が言いそうな言葉ではあったが、声は圓楽のものではない。
声がした方を見ると、緑色の着物から洋服に着替えた唄丸が立っていた。
「噺の稽古だけでは駄目なんですか?」
「なんていうかな、ほら、大学受験だけ頑張ったとしても社会に出たら違う勉強が必要になってくるとかそういう類の奴だよ」
「ああ、憲法についていくら論じても、シュプレヒコールを重ねても、世界に平和は訪れない、という奴ですね」
「はあ?」
「…気にしないでください。学生運動にあけくれた元バカ学生の戯言です」
歌丸は、悔しさを滲ませている表情を見て、思案した。
「これに関しちゃ、あたしが稽古つけたげよう」
そう言って連れ出された先は、後楽園ホールに近い喫茶店であった。
唄丸はコーヒーを2杯注文した。やがてそれは運ばれてきて、互いの前に置かれる。
伝票は唄丸がさっさとジャケットの胸ポケットにしまった。
「まずね、固い」
「固い、ですか?」
「圓楽さんを前にして優等生になろうとしている、とは後楽さんの感想だけどね。あたしも同感だね」
楽太郎は、コーヒーを一口含んだ。
「優等生は、一つの集団に二人もいらない」
「はい」「与太郎、優等生、動物、犯罪者。隙間を歩くのは大変だが、やる価値はあるね」
唄丸は、樂太郎の目をじっと見据えて言った。
「腹黒でいけ」「は、腹黒?」
「まず、あたしの悪口言ってみな」
樂太郎は言葉に詰まる。
「難しいか?じゃ、練習するか」
唄丸自らが、『じじい、うるせえ』と発する。閉じた扇子の先で促されたので、樂太郎は恐る恐る声に出す。
「…じじい、うるせえ」
「いいねぇ」
唄丸が破顔する。樂太郎は思う。この人はなんて柔らかい表情で笑うのだろう、と。
この笑顔をもっと見たいと思った。
「こんなこと言って大丈夫ですか?」
「あたしかい?あたしのことは自由に使いな。あたしは、馬を担当するから」
唄丸はライターを取り出した。
「あんたの師匠はね、後楽さんに、離婚寸前の夫婦のような真似をさせたからね、説教しといた。樂さんのこれからの方向性に口出しはさせない」
離婚寸前の夫婦、とは、唄丸なりの表現だ。
数週間前のことだ。後楽の挨拶が気に入らなかったと圓楽は注意した。
そんなつまらない挨拶しかできないならやめちまえ、破門だ、とも言ったと、樂太郎は小耳に挟んでいる。
後楽は、楽屋の荷物をまとめるとホールを飛び出したという。その後楽を連れ戻したのはスタッフであるが、圓楽にこんこんと説教をし、仲を取り持った人物こそが樂太郎の目の前にいる男だ。
「かみさんが、荷物をまとめて『わたくし、実家に帰らせて頂きます』なんていう場面、経験あるか?」
「まだ、我が家にはないです。…師匠のところは?」
「わざわざ宣言するような真似はしないな。ふらーっと出掛けてふらーっと帰って来る。それで終いだ」
まさか、長屋の夫婦喧嘩の仲裁役が自分にふりかかってくるとは唄丸自身も思っていなかったのだろう。
「まあ、そんなわけで。樂さんは悪人を演じてみなさい。何が起きてもあたしが守ってやる」
守ってやる。唄丸は、守ってやる、と言った。きっぱりと、その言葉に力を込めて、守ってやる、と言ったのだった。
唄丸の言葉が樂太郎の体の中に染み渡る。
その言葉さえあれば、悪人にだって何だってなれそうな気がした。
次の収録で、唄丸は司会を再び動物に例える。
客は笑いこけ、司会も笑い、他のメンバーも笑ういつものパターンだ。唄丸はふと左側の樂太郎の方に顔を向けた。
目が合う。
「樂さん、握手」
唄丸は握手を求めて来た。樂太郎はその手を握る。温かい手だった。
マイクに入らないように、唄丸は口の形だけで伝えようとしている。
『今度は樂さんの番』樂太郎にはそう聞こえた。促しの言葉だ。
『守ってやる』あのときの言葉が頭の中で繰り返される。体の中に染み渡った言葉に背中を押され、樂太郎は手を挙げた。
師匠である圓楽は樂太郎を指名した。
「はい。唄丸師匠なんですがね」
「なんですか?」「ピカピカ光ってまぶしいなあ、って」
「悪い奴だねぇ~」
後楽が突っ込む。ホールの客は手を叩き、笑い、隣の人と目を合わせる。
それは初めて体験する、拍手と声による喧騒。
「腹黒い奴だよ、本当に」
圓楽も笑っている。もっともその笑顔は、司会者としての体裁であり、本心は違うのだ。それでも。
渋い表情とも小言の表情とも違う、今までに記憶にない笑顔。
樂太郎は喧騒の中で隣の唄丸を見る。
「悪い奴だね~」
そう言いながら怒ってなんかいないことはわかる。心底、この喧騒を楽しんでいる、そんな具合だ。
笑いと拍手の喧騒、それは噺家をとりこにさせる。それは夢にも似た世界でもあり天上のようでもある。
樂太郎自らの手でつかんだ技術ではないから、作られた世界。
しかし、唄丸に守られたこの空間の中では束の間ではあるがこの夢を見ていられる。
束の間の天上を見ることができるのだ。
収録が終わり、舞台袖でのことだ。唄丸の細い指が、樂太郎の肩をたたく。
「良いよ。この調子で」
喫茶店で見た笑顔だった。
隣に座っているのに遠く、技術は己より抜きん出ている、古典落語の名人。
例え作られた世界でも、もっとこの笑顔を見たい、引き出してみたい。
樂太郎は唄丸に握手を求めた。固く握り返された手は収録中と同じく温かい。
例え作られた世界でも。体に染み渡る言葉、手の温かみ、笑顔。
その3つだけは真実だ。
□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!
- 緑師匠が亡くなり寂しかった所に新作。楽しませてもらいました。でも、寂しいなぁ…。 -- &new{2018-07-20 (金) 18:07:53};
- 紫緑の深みに入ってる一人であります。ただ甘い物語があれば読んでみたいのも一つなのですが(それを読みたいだけ)また新作お待ちしてます。 -- [[かおまる]] &new{2018-07-21 (土) 04:06:52};
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