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12doors

 ヤツはなにも知らない。世間知らずのひよっこ。
 それでも最近は色んな知識を蓄えたようで、俺も知らないようなことを知っていたりすることも多かった。
俺の頭の出来はいいほうじゃないから。
ヤツに説明されてもちんぷんかんぷんですぐに言葉半分に聞き流したりもしていた。
 ああ、そうだ。ヤツは頭がいい。俺とは違う。きっと、すぐに世間に慣れる。
半端に外れてる俺とは違って。きっと、まっとうに生きていける。
いつまでも俺に繋ぎとめてちゃいけないんだ。
 だから、本当はこんなことをしちゃいけないんだ。男を覚えさせたら駄目なんだ。
「は…ッ」
 荒い息を飲み込み唇を噛み締める。零れそうになるのは嗚咽と嬌声。
見下ろしているヤツの顔は、もうとっくに快感に染まっている。
 唇を寄せると頭ごとつかまれ口付けを返され、首元に口付けるとお返しのように肩口に吸い付かれる。
 人間も動物だから、子孫を残す行為はある程度誰に教えられずとも知っている。
どんな動きをしてどんなことをすれば気持ちがいいのか。ある程度動けばすぐに見つけられる。
 襲ってくる快感の波に、俺は嬉しくて悲しくて唇を噛み締めた。
 別れは近い。悲しみは深い。こんなことをしてもなににもなりはしない。
 硬く閉じていた目を開き、ヤツの顔を記憶に刻み込もうとじっくりと見つめた。
すると、体の感覚を追うように目を閉じていたヤツは、ふとなにかに気付いたように目を開ける。
 なにかを確かめるように己の頬に指を滑らし、次いで俺のほうに伸ばされた手がぎこちなく俺の頬を辿った。
「…泣いて…いるのか、ジャック…」
 泣いている?俺が?
 問われた言葉の意外さに、俺は自分の頬を撫でてみた。言われた通り、俺の頬は涙に濡れていた。

「なにが悲しいんだ…?それとも、苦しいのか…?」
 気遣うように撫でてくるヤツの手のひら。もうすぐ手放さなければならない温もり。
 そうだよ、俺は悲しい。俺は苦しい。辛くて辛くて仕方がないんだ。だけどそれ以上に。
 頬を撫でるヤツの手に手を重ね、更に頬を寄せて俺は笑んだ。
「…違う、嬉しいんだ」
 嬉しい。悲しみも、苦しさも、辛さも、恐怖も上回るほどに、俺は嬉しい。
 どうしようもない人生だった。ろくでもないことばかりしてきた。お袋をさんざん泣かした。
親孝行のひとつも出来ずに亡くしてしまった。俺の生活は殺風景で、つまらないものだった。
 たくさんの人間を殺し、いつしか罪悪感は薄れていた。ターゲットは人ではないと、
思わなければやっていけなかった。俺はどこか壊れていた。どこか狂っていた。
人として大切なものを、とうに失ってしまっていた。
「…俺は地獄に落ちるだろうな…」
 荒い息の合間で自嘲に染まった独り言は、自分でも驚くほどに明るく、そしてむなしく響いた。
「…この手で、たくさんの命を奪ってきた…」
 笑いたくもないのに零れてくる笑いのまま続けると、ヤツは泣きそうに顔を歪める。
そうして俺の首の後ろに手を回してそっと抱き寄せた。
「…でも、ジャックは私を助けてくれた…」
「助けてねぇよ。俺の方が助けられてばっかりだった」
「しかし、ジャックがいなければ私はここには居ないよ」
 ぎゅっと抱きよせる手に力を込めて、ヤツは穏やかに語りかけてくる。
「それに、仲間の死を悼んでいた。ジャックは仲間を、とても大切にしていた。
確かに人を殺してきたのかもしれないけれども…大切なものはなくしていないよ。
人の死を悲しむ気持ちを、忘れてはいない…」
 穏やかな声に、優しい言葉に、不覚にも涙が溢れた。
堪えきれない嗚咽に体が振るえ、ヤツの体にすがりつく。

 どうしようもない人生だった。ろくでもないことばかりしてきた。お袋をさんざん泣かした。
親孝行のひとつも出来ずに亡くしてしまった。俺の生活は殺風景で、つまらないものだった。
 だけど最後の最後にこいつに出会えた。
あんな事故に巻き込まれなければそもそもここで命が尽きることもなかったのだが、
しかしあのまま生きていたところでろくでもないものに変わりはなかっただろう。
 こいつに出会えたことは俺の人生の喜びだ。こんなヤツ、他にはいない。
この先生きてもきっと出会えやしない。
 だから俺は嬉しいんだ。幸せなままで死ねる。喜びの中で死ねる。
俺の人生最上の時に、終わることができるんだ。
 泣き続ける俺を抱きしめて、やつは小さく笑う。
「ジャックが地獄に落ちるなら、私も地獄行きだよ」
 そうしておどけたように言うから、俺はしゃくりあげながらも「そんなところまでついてくるな」と悪態をついた。
「だって私も人を殺している。おまけに食べてもいる。ほら、私もジャック以上に極悪非道じゃないか」
 笑いながら言うことじゃないだろうに、ヤツはなんか楽しげだ。
「ジャックと一緒なら、きっと地獄も楽しいだろうな」
 そうしてまるで遠足にでも行くような口振りで言う。どうにか落ち着いてきた俺はヤツから体を離し、
涙に濡れた顔のままでにっと笑んだ。
「これから先は蜘蛛一匹殺せねぇな」
「蜘蛛…?蜘蛛の糸の話か?」
「ああ。呑気な仏様に助け上げてもらおうぜ」
 笑って言うと、ヤツも楽しそうに破顔した。「そうだな」とおかしそうに頷いた。
 いい笑顔だ。俺は忘れない。お前のことを忘れない。
 お前の分まで俺が覚えているから。
 お前は俺のことなんか、忘れてしまえよ。
 俺と会ったことも、俺と過ごした時間も、俺の存在そのものも。
 ……忘れてくれればいいのに。

     * * * * *

 夜が明けて、俺は簡単に身支度を整えた。
 その辺にあった紙の裏にヤツに教えなければならない諸々のことを書いて、
その上に重石代わりに一つのパスポートを置く。
 ヤツの戸籍はとっくの昔に作っていた。この国から出られるようにパスポートも作っていた。
正当な手段で手に入れたものではないけれど。
 これを渡さずにいたのは、ヤツを表に出したくなかったからだ。
だが俺がこうなってしまった以上、いつまでもこのままではいられない。
 必要なことだけを適当に書いてペンを置く。ベッドで眠っているヤツの姿を見納めのように見つめ、
少し考えた後に最後に一文書き加えた。
 俺がヤツにつけた名前はアスク。アスク・スパンクマイヤ。
まさか財団も俺の苗字をそのままつけているとは思わないだろう。
 アスクははじめに生まれた人間の名だ。ヤツにはぴったりだろう。
アダムも考えたが、ベタ過ぎるって気がしてやめにした。
それを言うならアスクもベタだが、こっちの響きの方がなんとなく好きだ。
 結局一度も呼ぶことのなかった俺のつけたヤツの名前。これからもきっと呼ぶことはない。
 俺はベッドへ歩み寄り、眠り続けるヤツの唇にそっと口付けた。寝乱れた髪を撫でると幸せにそうに笑む。
 つられて微笑み、「元気でな」と一言だけ言葉をかけてベッドのそばから離れた。

 外に出ると夜明けに白々としていた空は青さを増し始めている。
完全に顔を出した太陽は眠りにまどろむ街を生き生きと照らし、
人々の活動を始める気配が朝の喧騒を生み出し始めていた。
 時間は淡々と流れ日は沈んでもまた昇り、人々の営みは絶えることなく続いていく。
今日もまたどこかで顔も知らぬ誰かが生まれ、また死んでいっているのだろう。
 生きとし生けるもの全てに訪れる絶対の定め。
俺に対してもそれは例外でなく、死は間近に迫っている。
俺一人死んだところで社会はなに一つ変わらずに流れていくのだろうけれども、
ただ一人でも悲しむ人がいると思うとなんだか救われる気分になる。
「…ごめんな」
 俺は最後まで勝手だったな。俺のエゴばかりあいつに押し付けていた。
でも俺の死ぬ姿をあいつには見られたくない。
自惚れかもしれないけれども、あいつが泣く姿を俺は見たくない。
俺が死ぬという現実を、あいつに突きつけたくない。あとを追われそうな気がして怖いんだ。
 それよりだったら生死不明のままいなくなって、あいつに生きる道を残したい。
そのうちたくさんの人に出会うだろう。俺以上に大切に思える人間にも出会うだろう。
それはちょっと悔しいけどな。
「…親離れの時期だ」
 ひどい別れ方だったけれども。まあ、こんな思い出の一つくらい、作っといてもいいだろう。俺のために。
 つくづく勝手。それでもこの先短い人生を過ごすには必要だったんだ。
 そんな言い訳を胸の中でぼやきながら、多少は痛む体を叱咤して俺は歩き出した。
 賑やかさを増し始める街の喧騒にまぎれて、俺はあいつの未来を祈る。
 喜びに溢れているように。これ以上の悲しみがあいつを襲わないように。
 願わくは、俺との別れをあいつが乗り越えられるように。

 幸せに、なって欲しい。

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