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12doors

 ヤツはなにも知らない。世間知らずのひよっこだ。
 突然口付けそのまま抱きしめ離れずにいる俺に、ヤツは目を白黒させていた。
「どどどうしたんだ、ジャック?!」
 しゃべる言葉までどもるほどの慌てぶり。だがそれを笑う余裕は今の俺にはない。
 がしっと抱きつき力いっぱい抱きしめている俺の背中をわたわたと叩きながら、
「く、くる…くる…」と言っているのは鳩の真似でもなんでもなく、
「苦しい」とでも言いたいんだろうな。
 頭の隅っこでそんな呑気なことを考えて、ヤツの肩口に顔をうずめる。
合わさった胸からいやに早い鼓動がダイレクトに伝わってきた。
なんだか安心する。そして少し、苦しい。
そのうちにヤツは漂う血臭に我に返ったようで、
俺の肩を両手でつかみ無理やり引き剥がすと、
「と、とにかくうちに帰って手当てをしよう!」
と真っ赤な顔で強く言い切った。
 それから引っ張られるようにして家に帰り、
ヤツが必死に手当てを施している間も俺は一度も口を開かなかった。
ヤツが心配しているのは分かる。ひでぇ顔をしているのも分かる。
時折伺うように俺の顔を覗き込むヤツの顔をぼんやりと視界におさめながら、
俺は胸の中で暴れる感情を持て余していた。
 もうすぐ終わるかもしれない俺の人生。残していくこいつのこと。
離れなければならないと分かっているのに、なぜか今目の前にいて…なぜか手当てを受けている。
 離れなければならない。だが、離れられない。
 相反する矛盾した感情が、しんと冷えた胸の奥でお互いを排除しようと躍起になっている。

「…仕事でなにかあったのか?」
 へたれた俺が発する無言の重苦しい雰囲気に耐え切れなくなったのか、
腕に包帯を巻きながらヤツが尋ねてくる。
うんともすんとも答えない俺にヤツはちらりと俺の顔を見て、浅い溜め息を落とした。
「…怪我をするようなへまを犯したから、落ち込んでいるとか…?
でも、これくらいなら大丈夫だよ、ジャック。見かけほどにひどくない、すぐに治るさ」
 今度は励ましにかかったようだ。「な?」と笑顔を向けてくるヤツに、やっぱり俺は答えられない。
そんな理由で落ち込んでいるわけではないからだ。
 いつもならここで笑顔を返す。見当違いのことでもヤツが俺を気遣ってくれているのが分かるし、
それは純粋に嬉しいことだ。しかし今は、笑うことなんか出来ない。なぜかは知らない。
ただ、今笑ってしまうのは、今顔の筋肉を動かすのは、非常に危険なことのような気がした。
「ジャック…」
 反応しない俺にヤツの笑顔は困惑の表情に変わり、少しの逡巡の後そっと俺を抱きしめてきた。
「…なにか、怖いことでもあったのか?」
「…怖いこと?」
 思わぬ言葉を口にされて、俺は思わず鸚鵡返しに聞き返していた。
 ヤツは言葉にせずに頷くだけにとどめ、「恐怖に震えているように見える」と苦しそうに呟いた。
俺の頭を優しく腕の中にくるみ、耳元で囁いてくる声音は心配の色に彩られている。
 怖い。恐怖。ああ、そうか、これは恐怖なのか。俺は怖いのか。
 ぼんやりとそう思うと、途端に喉の奥からなにかせりあがってきた。心臓が早鐘を打つ。
 そうだ、俺は怖い。怖くて怖くてたまらない。
 もうすぐ死ぬことも、ヤツを置いていくことも、ヤツから離れなければならないことも…怖くて怖くてたまらない。
 今よりももっと差し迫った状況で命の危機に面したあの時よりも、死に対する恐怖は格段に増していた。
あの時と違うのは、考える時間が出来てしまっていること。大切な、失えないものが出来てしまったこと。
真綿で首を絞められているようだ。じわじわと迫り来る終わりに、恐怖で身が竦んでしまう。

 情けない。情けない。情けない。
 それでも…怖い。
 息が苦しくなって、闇に飲まれてしまったような錯覚に陥る。見渡しても見渡しても黒。
今までなんとなくあると信じてきた未来がすっぽり闇に飲み込まれて、
ただの一歩すら前に出せない。
 そして、居ても立ってもいられなくなるほどの――恐怖。
「っ!」
 しがみ付くように、すがりつくように、ヤツの体をきつく強く抱きしめていた。
「ジャック?」という驚きを含んだヤツの声を聞いても力を緩めることは出来なかった。
 ヤツは少しの間を置いたあと、俺がいつもそうするように宥めるように背中を叩いてくる。
いつもと立場が逆転していた。今まで保護者気取りしてきたっていうのに、
これじゃ日ごろの面目がたたねぇな、と思うと泣けてきた。
せりあがってくる涙に泣くもんかと息を飲み込むと、喉の奥が痛んで更に息苦しくなる。
 一瞬硬くなった俺の体にヤツはそっと距離をとり、俺の顔を覗き込んできた。
「…ジャック、無理はするな。息を吐け」
 そうして俺の顎に手をかけ指で無理やり口をこじ開けようとする。
それを振り払おうと顔を背けると、強引に前を向かされ触れるだけの口付けをされた。
 驚きに思わず唇が開いた。ふっと息が漏れる。間近から俺の様子を伺っていたヤツは、
安心したように目尻を下げた。
「…やっと息を吐いたな。このままじゃ窒息するところだったぞ」
 無邪気に笑ってそう言うヤツに、てんぱっていた俺は自分の中で何かが弾けたのを感じる。
 俺はバカだ。考えるのは苦手だ。中華料理みたいな名前の博士――シャオロンだかシャマランだか、
そんな名前の博士が言っていた話も半分も理解できなかった。
ちゃんと会話を成り立たせていたヤツとは違う。頭のメモリはそんなに広くない。
 それでも色々考えた。それでも必死に考えた。特効薬なんかない。
逃れる道はない。突破口なんかどこにも…見当たりすりゃしない。

 俺は死ぬんだ。ヤツとは別れるんだ。離れなきゃならないんだ。
 分かっているけど……感情を理性で押さえられりゃ、そもそもこんなに苦しくねぇんだよ!
 恐怖に混乱が重なり沸きあがった衝動を堪える抑止力すら働かない。
 無垢な笑顔で発破をかけてくれたヤツに、俺は強引に口付けた。
 さっきヤツがやったような触れるだけなんて甘っちょろいもんじゃない。
不意をつかれて驚き開きかけたヤツの唇の間に無理やり舌をねじ込む。
「ちょ…ジャッ…!」
 なにか言おうとしているヤツの言葉ごと唇でふさぎ、そのまま床に押し倒した。
驚き慌てているだけのヤツを押し倒すのは簡単だった。
「…お前、これがなんだか知っていてやったのか…?」
 ヤツの腹を跨ぐようにして足を置き、呆然と見上げてくる目元を指で撫で上げ俺は笑う。
低い声で問いかけると、ヤツは目を見開いたまま「き、キスだろう…」とどこか恥ずかしそうに答えた。
「ふぅん…知ってるんだ。…だったらどんな関係のヤツらがやるもんかも、当然知ってるよな?」
「知っている。親子とか、恋人とか…」
 知ってんのか。なら話は早い。
 息が吐きかかるほど近くまでぐっと顔を寄せ、くすりと息だけで笑った俺はさぞや酷薄に見えたことだろう。
「ジャック…どうしたんだ、なんか雰囲気が怖いぞ…」
 一瞬怯んだように声を掠れさせたヤツに、
俺は床についていた右手を滑らせるようにしてヤツの左胸に置いた。
「…なら訊くが、お前一体どういうつもりでこんなことした?」
 声を低めて囁くように問うと、右手の下の心臓がトンと跳ねる。
今までも早かったけど、更に早くなった。

「まさか親子のつもりとかは言わねぇよな?」
 無言。だけど心臓の動きは正直だ。血の巡りが早くなって、ヤツの顔がどんどん赤くなる。
 なんだかひどく残酷な気分になる。無邪気なお前。子供のように無垢だ。違う。
子供なんだ。まだ生まれたばかりの人間。
 汚したくなると思う一方で、こんなことは今すぐやめるべきだと訴える声が俺の中から聞こえてくる。
これから別れるのに、もう離れなければならないのに、余計なことは覚えさせるなと。
 俺が死んだあともおそらくまっとうにまっすぐ生きていくだろうヤツに、いらないことを教えるなと。
 ……これから死ぬ人間と、これ以上余計な関わりを持たせるなと。
 分かっているさ。こいつは希望の星。この世のどこにもいない、唯一つの遺伝子をもつ人間。
これから子孫を残さなけりゃならないんだろ?分かっている。
 だけど、この衝動はもう止められそうにない。
 だから。
 俺は瞠目したままのヤツの目尻に唇を落とし、そのまま耳元へ寄せ囁いた。

「…なら、セックスってのは知ってるか…?」
 ヤツの目が一瞬きょとんと丸くなり、すぐにぱっと赤くなった。
「だ、男女の、せ、性交のこと…だろう…」
 目をそらしてぽつりと言う。その声は上ずり、心臓は今までにない速さで鼓動を刻んでいた。
 俺はにやりと性格が悪そうな笑みを浮かべ、体を起こす。そのまま体を後ろのほうにずらしていくと、
ヤツが慌てて身を起こしかけた。
 その動きを止めて、ヤツのジーンズの止め具に指をかける。
「…なにも、男と女だけが出来るってもんでもないんだぜ」
 唇には笑みを浮かべたまま、目だけをヤツに向けて意味ありげに言うとハッとヤツは息を飲む。
 ことさらゆっくりジッパーを下ろし、左手を前について身を起こしかけたまま
固まっているヤツの耳元に顔を寄せる。
「…教えてやるよ。お前がまだ知らない、世の中の楽しみ方を」
 勢いよく振り向いた顔。瞠目したままの目。なにかを言わんとしているが、なにも言えないで喘ぐだけの口。
するりと中に入り込んだ俺の右手にぎょっと肩を跳ね上げて、息を呑んだ唇に有無を言わさず口付けた。

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