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高貴なる狼~Ich liege falsch Aber die Welt ist mehr falsch

ちょっと思いついたので書いてみました。

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高貴なる狼~Ich liege falsch Aber die Welt ist mehr falsch

 無慈悲で禍々しい巨大な天使が、遠からぬ将来、人類に必ず訪れる災いを告げ知らせている。
 ふと、そんな風に思った。
 何のことはない、それはいつも通り、重々しくもの憂げに響き渡る古都ウィーンの鐘の音だったのだが。
 早く、恋人の待つアパートの部屋に帰りたくて、石畳を歩く足を速めた。ぼくは音大に通い、彼は美大の入試を目指してそれぞれ励んでいたけれど、彼の方は勉強が捗っていなくて、最近また憂鬱を深めているようだったから。
 早く帰って話を聞いてやり、ベッドで抱いて慰めてやりたかった。

 刺すようなブルーの瞳は、陰鬱で、しかし、時に異様な熱気を帯びて明々と燃え上がり、彼の言葉に耳を傾ける人間を底なしの小暗い沼へと引きずりこむようだった。
 だが、多くの場合、彼は細くてちょっと神経質な、どこにでもいる十代後半の少年に過ぎなかった。同輩に自己紹介する時には、やや自虐的に、大人びて、こんな風に言っていた。
 「生まれはブラウナウ・アム・イン、税関吏の小倅さ」
 今となっては、彼のそれほど人類の歴史に対して大きな、そして多くの意味を持つ名前もなかなかあるまい。恐らく、ナザレのイエスに比肩し得るだろうが、違っているのは、その全てがこの上もなく不吉で、一点の栄光も救済もない、汚辱に満ちたものばかりだという点だ。
 数々の不名誉の中の一つに、おぞましい近親姦の為し手というものがある。そのことも他の全てと同じく、ぼくと彼との関係が終わってずっと後に起こったことだけれど。
 彼自身の両親も、ごく近い血の持ち主どうしだったようだ。十九世紀のオーストリアの片田舎にはしばしばあったことなのか、ぼくは知らないが。
 逆子で、母親は大変な難産を経験したという。貶めて、後世の歴史家たちは言う、悪魔の申し子に相応しい誕生の逸話だと。
 またこうも言う、生まれてこない方が本人の為にも、全人類の為にもよかったに違いないと。
 でも、ぼく自身は、彼のことをそんな風に思ったことはない。
 ぼくにとっての彼は、いつまでも、飢えた絵描きで、自分の物語にのめりこみすぎては時々別の世界に飛んで行ってしまう危うげな夢追い人。
 二十世紀の黎明期、十代の日々の情熱と驕慢と、芸術や自然への純粋な愛好を分かちあった友人。
 並外れた洞察力を以て、ぼくの音楽家としての素質を見出し、高く評価し、並外れた雄弁を以て、父をはじめとした周りの人たちを説得してくれた恩人。
 そして、ただの愛しい男の子だった。

 彼との交わりは、大抵の場合、彼の描く風景画の空の塗り方のように、のっぺりとした平々凡々たるものだった。ただ不器用に口づけを交わし、裸になって体を重ねるだけで、失神するようなエクスタシーとも、ロマンティックな囁きとも無縁だった。
 でもぼくは、彼が普通の人ではないことはわかっていた。彼が他の人と違っていることはよく知っていた。ぼくが十六、彼が十五の秋、リンツのオペラ劇場で初めて出会ったあの時から。
 知っての通り、彼は、後年、その神秘的な美しさにあれほど熱中し、選りすぐりの軍隊まで作ったゲルマン的な容姿からは程遠い。どちらかといえば色素が濃い方で、金髪でもなければ、百八十センチを超す長身でもない。
 そして、そのことが内心では生涯不服であったかのように推測されることもある。彼だけでなく、彼の側近たちまで含めて、外見やら経歴の劣等感がその怪物じみた悪意、攻撃性、残虐性の遠因ともなり得たと主張する者すらある。
 それはわからないし、ぼくにとってはそんなありふれた分析などどうでもよい。人の人生、国家の存亡がたった二行や三行の文章で結論付けられるわけがない。
 ぼくにとって大事なことは、ぼくは彼の陰府(よみ)の闇のような黒髪が好きで、よく指を絡ませて愛でたということだ。
 ウィーンで二人のささやかな生活を送ったあのアパートの、あのベッド、ぼくが彼の体の上で汗だくになって息を弾ませている間、彼はよく、あのドナウのように碧い目をゆっくり閉じたり開いたりしながら、じっとぼくを観察していたものだ。元々下から顔を見られるのは何となく気恥ずかしかったし、彼の視線がこんな場合に相応しくなく、何とも冷静に見えて、そういう時は本当にきまりが悪かった。
 「アーディ・・・・!出すよ」
 ぼくは専ら、女性を相手にする時と同じように、彼の中に挿し入れて機械的に体を上下させるだけで、若かったせいもあって大抵あまり時間をかけずに果てたが、彼はしばしば、女性のように、必ずしも射精を伴わない、長い、複数回に亘る絶頂感を得た。
 行為の後は一つのシーツにくるまり、肩を寄せあって、よく話したものだった。
 「詩人はなんで、『青春』なんて呼んで称えるんだろう。若さが素晴らしいなんてちっとも思えない。思うようにならないことばかりで、愚かさや醜さや悔しさや憤激の塊じゃないか」
 何の話のついでだったか、ぼくが予てから不満に思っていたことをふと洩らすと、彼はごく短い間考え、絵描きとして至極当然な見解を述べた。
 「若い肉体は美しい。美しいものに憧れたり、描写したがったりするのは人間の自然な心の働きだと思うけど。花や子犬やギリシア彫刻を醜いと忌み嫌う人はないだろう?」
 「ああ、そうかな。でも、この世界はこんなに美しいもので溢れているのに、どうして人間はめちゃくちゃにしようとするんだろう?」
 「めちゃくちゃって?」
 「戦争とかさ」
 後から考えると少し意外なことだが、この時、「戦争」という単語は、蓮の葉に置いた露のように、するすると彼の心を滑り落ちて行ったようだった。それには全く反応せず、彼はこう尋ね返した。
 「グスタフ、美しさって何だろうね?」
 ぼくが答えられないでいると、
 「悪の華とか、滅びの美とか、そういう感性もある」
 そう淡々と語った。例の神懸かり的な興奮は見せず、声は上擦らなかった。
 「君は美しいよ、アーディ。君も、君の絵も、本当に美しいとぼくは思う」
 ぼくは力を込めて訴えた。その無邪気な告白がどんなに罪深いかも知らずに。
 彼はきれいな横顔のままで、聞き取れないくらい微かに、Dankeと呟いた。ぼくの渾身の愛の吐露だったが、今にして思えば、あんまり気がなかったのかも知れないし、例によって、ぼくと肌を合わせていながら、何か全然別の、誰も考えつかないような壮大なプランに思いを巡らせていたのかも知れない。イーゼルと、グランドピアノと、古びて染みの浮いた安アパートの壁の向こうに、途方もない光景を見据えていたのか。やがて、十字架を捻じ曲げるという何とも冒涜的な得体の知れない奇怪なマークと、右手を高々と掲げて彼個人を称える前代未聞の奇妙な敬礼と共に、後の世の人々にとっては戦災と圧制のシンボルとなったあの恐ろしげな軍帽の鍔の下から、全世界を睥睨したように。
 「私は間違っている。しかし、世界はもっと間違っている」
 後年、すっかり逞しくなり、男らしく成熟した彼が政治演説でそんな風に嘯いていたのをぼくはラジオや映画で見聞きした。世界で最も冷静沈着な民族を恍惚とさせ、熱狂の渦に巻きこみ、血と爆風の破滅へと誘ったあの魔性のスピーチ。
 彼の言というだけで、今となっては誰も称賛する人はいないし、実際全く道徳的ではなく、深い思索に裏打ちされてもいない勢いだけの台詞だけれども、何かを変えたいと思っている人間には多かれ少なかれ共有できる感覚ではないかとも思う。
 「アーディ、もう一度しよう」
 ぼくにしては珍しく、矢庭に、凶暴なまでの情欲が全身を駆り立てた。やや乱暴に彼の肩を掴んで引き寄せた。
 その舌は人類の大いなる災厄そのもの、唇は戦火。御民イスラエルに、ヤーヴェの神すら耳を覆うような凄まじい悪罵を投げつけ、残酷な命令を下して彼らを死の獄へ追いやる。
 でもその時のぼくは、そして恐らくは彼自身も、そんなことは露知らなかった。十九のぼくはただ、それを欲しいままに貪った。
 彼は大人しく、されるままになっていた。ぼくは無抵抗の彼を仰向けに押し倒し、両腕を広げさせて、掌にぼく自身の両手を重ね、組み敷くようにした。
 もしもその時、彼が暗黒のキリスト・イエスだと知ることができたら、ぼくは地の果てまでも彼について行って、暗黒の伝道師パウロになりたいと思っただろう。
 その役柄はどうやら、あの小児麻痺を患った背の低い文士崩れに奪われてしまったようだけれど。もしかすると、タルソスのパウロがそうであったように、本当に人類にとって手強く、厄介だったのはあの男の方だったかも知れない。後に指揮者としてはそこそこ成功したぼくだが、幸か不幸か、とてもそこまでの非凡な才覚は持ち合わせなかった。
 あばら骨の浮いた胸に顔を寄せ、ピンク色の小さな堅い果実のような乳首に代わる代わる口づけた。花を摘むように、もう一方を軽く指で触れながら、一方を啄むように吸い、舌先で転がすと、頭の上で彼の小さな溜め息が聞こえた。
 腹から腰へと唇を這わせてゆき、透明な雫を滴らせながら戦く亀頭を口に含んだ。その下にある温かな膨らみをそっと掌に包みこんだ。ぼくにとってとても愛しかったそれだけれど、彼はこの六年後に勃発した第一次世界大戦に従軍し、負傷して片方の精巣を失ったとも伝えられている。それが本当なら、子宝に恵まれなかったのはその為かも知れない。
 ぼくが彼の中に押し入り、充分に満足する深さまで埋没すると、彼はぼくの両足に自分自身のそれをきつく絡みつけ、あの忌まわしい十字の紋章のようにがっちりと交差させた。それだけで射精してしまいそうになったが、辛うじて堪えた。動くことも忘れて、彼の頭を掻き抱き、熱情の迸るままにその名を叫んだ。
 「ああ、アーディ・・・・アドルフ・・・・!!」
 それは、古ドイツ語で「Adel(高貴な)」「Wolf(狼)」という意味で、古くから好まれる素晴らしい名前だったが、二十世紀後半以降は、ドイツ語を話す人々の間で、その名前を息子に付ける親は滅多にいなくなってしまった。
 ひとえに、ぼくの若き日の恋人、その人の故に。

 ウィーン西駅での突然の別れから三十年後、1938年のリンツで再会を果たした時、彼に十代の頃の面影は殆ど残っていなかった。その印象的な瞳の輝きを除いては。
 予めメディアで見知ってはいた––––最初は同姓同名の別人だと思った––––が、ぼくの前に現れたのは、役者みたいなちょび髭を生やし、七三の髪を撫でつけ、ちょっとずんぐりした体格のふてぶてしい中年男性、きらめくような権力の絶頂に上りつめ、いかめしい軍服に身を包んだ強面の最高司令官だった。
 それにも関わらず、リラックスした雰囲気で迎えてくれて、親しく話しかけ、丁寧にもてなしてくれたことをぼくはずっと忘れない。

 我が青春の友アドルフ、人は君の墓に、偉大な画家になる夢に頓挫した負け犬だと唾するけれど、それは違う。
 君は確かに、ドイツ最大、二十世紀最大、いや人類史上最大の画家になったんだ。
 世界という巨大なキャンバスに、誰もが永遠に忘れられない血染めの絵を描いたのだから。

Ende

□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!

アウグスト・クビツェクの著作より。
「我が妄想」でした。


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