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笑点 三遊亭圓楽×桂歌丸

初投稿、昇天の紫緑です。

―――――――――
努めて澄ました顔をしながらも、岐阜から東京へと向かう列車の中、男は密かに焦っていた。

舞台の上で決まった役割を演じるのは、それほど難しいことではない。
インテリ、腹黒。そんな呼び名にふさわしい立ち回りを続けてきた。自分以上にそんな答えをできる者もないと自負している。
生放送に間に合う列車にも無事乗れた。直に東京に着き、待ち望まれたやりとりをしてみせる。
だから、焦っているのは、そんなことが理由ではない。

男はそっと目を瞑り、老人の背中を思い出す。
小さく、細く、折れそうな背中だ。けれど、どんなことがあっても折れなかった、強い背中だ。
その背中にどれほどの重圧が掛かっているか。胸中を慮って唇を噛み締めた夜は数え切れない。
長としての立場、長寿番組の顔役、己が身を削る芸への姿勢、そして―――自分。
先代から託されたと自分を背負い込んだばかりに、しがらみの中でしなくていい気苦労まで背負わせてしまった。
老人の小さな背中には似つかわしくない荷物の量に、野暮だと知りながら詫びたこともある。
そんなとき、決まって柔らかな声で老人は言うのだ。「だったらいつもどおり、あたしの背中をさすっとくれ」と。

触れた手から想いよ伝われと願うと、応えるかのように目を細める。
もう幾度となく繰り返されてきた、そんな穏やかな時間が好きだった。
年下のメンバーが代わろうかと声をかけてきたこともある。
爺ばかりの楽屋にいやすいようにと話しかけ、時には仕事を振ってきた。けれど―――どうしても、その役割だけは譲れなかった。

今日はもう着物に着替えているだろう。メンバーも先に着いているはずだ。自分の役割を、よりによって今日この日に奪われてしまうだろうか。
あまりに子どもじみた嫉妬心に呆れながら、知らず男の手に力が入る。
タクシーに乗り込みホールへ向かう。
一目散に向かった楽屋のドアを開けたとき、一番に聞こえたのは耳に馴染んだあの言葉だった。

「樂さん、お疲れ。着替えたらあたしの背中さすっとくれよ」

円樂の手がそっと唄丸の背中に置かれる。
「師匠、今日は他の誰かにマッサージさせなかったんで?」
緊張を解すように優しく手が動く。
「なに言ってんだい、あたしの背中をさすれるのは樂さんの特権だよ」
笑い声に合わせて背中が揺れる。
「そんな嬉しいことを言ってくれるなんて、飛んで帰ってきた甲斐がありますね」
ぽんぽんと優しく背中を叩く。
「すまないね、ありがとうよ。…あぁ樂さん」
澄ました顔で顔を覗き込む。
「なんです?」
本音は知っているとばかりに唄丸の目が光る。
「今日でお役御免なんかにしてあげないからね、これからもずっとあたしの専属マッサージ師でいてちょうだい」
―――隠しきれずに円樂満面の笑み。
「一生お仕えしますよ、唄丸師匠」

  • 最高です 作者さまありがとう そして師匠が司会の某番組よ永遠に・・・ -- 2016-05-31 (火) 21:54:50
  • きれいな文ですね! -- あず? 2016-06-01 (水) 10:35:02
  • これからももっと書いて頂けたら嬉しいです -- 2016-06-01 (水) 10:35:40

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