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月明りに照らされて

焦点、紫×緑です
151、155の後のいつかです
74とも被っている部分があります

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!

「よくもまああんな恥ずかしいことを淀みなく喋れたもんだね。聞いてるこっちが恥ずかしかったよ」
「全部本音ですからねえ、そりゃあすらすら出てきますよ」
「気味が悪いね、明日は雪でも降るんじゃないの」

そんないつも通りの軽口から始まり、二人会の打ち合わせに入る。
ああしようこうしよう、いやいやこっちの方がと議論するこの時間が、圓樂はとても好きだった。
今日はお互い弟子の立ち会いもない、本当のふたりきりだ。
今更何を期待している訳でもなしと自分を諫めつつも、心が躍るのを止められなかった。

ふいに、唄丸が話すのを止めた。
何だろうと顔をあげると、穏やかな笑顔をたたえてこちらを見ている。
「どうか、いたしましたか」
ずっとその表情を見ていたいと思ったが、思わず静寂を破ってしまった。
「いやね、幸せだなあ、良い心持ちだなあと思って」
ゆっくりとかぶりを振りながらそう答える。
「師匠や同輩や兄弟子弟弟子には先にあっちに行ったり続けることが難しかったりする人もいるのにね、あたしはこうやってまだ高座にしがみつかせていただいて。
寄席という舞台が、焦点という番組が、そして落語があたしをここまで引っ張ってきてくれた」
目があっている筈の唄丸の輪郭がぼやけていく。
「樂さんがジジイジジイと貶しながら、師匠師匠と慕いながら一緒にきてくれたから、あたしはこうやってここまでこれたんだ」
勿論、あんただけのおかげじゃないけどねと釘を刺しながら静かに言葉を続ける。
「嫌がるかもしれないけどね、息子がいたらこんな風かなと思ったこともあったよ。
樂さんと出会えて、噺家として共に人生を歩んでこられて、本当に良かった。
てめえこの野郎と思うこともそりゃあ沢山あったけど、それも引っくるめて、本当に、心の底から楽しかった。
仕事仲間として、一門は違えどひとりの弟子として、良い好敵手として、そして気の置けない友人として共に歩いてきてくれて、本当にありがとう」
そう言うと、唄丸は深く深く頭を下げた。

「やだな師匠、そんな」
何か言わなければいけないのに、堰が切れたかのように後から後から溢れてくる涙と感情とがそれを許さない。
そんな、今生の別れのような言葉。
唇が震えて震えて、うまく声を発することが出来ない。
「私だって、いや、私の方が」
あの番組を通して側に居られて、一緒に落語というものに真剣に向き合うことができて、馬鹿なことを言い合って笑うことができて、一体どれだけ幸せだったか!
それは、叶わない恋慕の情を抱く前も、抱いた後も変わらない。
伝えたいことの何もかもが、涙と嗚咽となって零れ落ちていくようだった。
「ああ、折角の男前が台無しじゃないか」
ほらほらこれで涙をお拭きよと手拭いを手渡そうとするその細い腕を、思わず掴んでいた。
ぱたりとテーブルの上に手拭いが落ちる音を聞いて正気に戻るべきだったが、もう止まらなかった。

「師匠」
やめろ、
「あなたの落語が、あなたの声が、あなたと過ごす時間が、あなたのその芸に対するひたむきな姿勢が」
やめてくれ、
「もう、ずっと、いつからかも覚えていません。迷惑なのはわかっているんです、それでも」
やめてくれ、早く冗談だと、いつものように笑い飛ばせ…
「あなたのことが、好きです」
ああ、もう、お仕舞いだ。
唄丸が目を見開いてこちらをじっと見ている。
そりゃあそうだよな、驚くよな。
仲間だ弟子だ息子だ友人だと長年慕っていた男から愛の告白なんてされたら。
なんと詰られても、気持ち悪がられても仕方がない。
それでも、その手中にある細い腕を離すことがどうしても出来なかった。
「折角私なんかを大切な友人だと思ってくださっているのにこんな感情を抱いてしまって、本当に申し訳ありません。
もう何年も何年も裏切るようなことをしてしまった。言い訳もできません。
でも師匠、私よりも先にあっちの花見にいっちまうんでしょう。だから、どうしても、どうしてもお伝えしておきたかった。
これからも友人でいてくれだなんて言いません、軽蔑されたって、縁を切られたって仕方がない。それでも」
震えて震えてつっかえて、なんて酷い声だろう。
噺家失格だと頭のどこかで思いつつ、何十年にも亘って育った行き場の無かった想いは止めどなく溢れてくる。
「それでも、あなたのことを想い続けることを許してくださいませんか」

言い切った後で、耐えようのない後悔が圓樂を襲った。
傷付けてしまった、裏切ってしまった、もう今までのように笑い合う関係に戻れないのだという絶望が心を黒く黒く塗り潰していく。
「樂さん」
もうすっかりぼやけていない鮮明な視界の中、それまで閉ざされていた口がゆっくりと開かれるのをじっと見ていた。
ああ、やっぱりこの人の声が、この人のことが本当に好きだなあだなんて、この期に及んで考えながら。
「何言ってるんだい、あんた。そんなこと、ずうっと前から知っていましたよ」
泣き笑いの表情で、腕を掴んでいる手に、もう一方の掌を重ねながら続けた。
「待ちくたびれて、すっかり爺になっちまったじゃないか」

「しかし樂さん涙もろくなったねえ」
「そっちだって泣いてたくせに。名人の名が泣きますよ。まあ、お互いこのことは秘密にしておきましょう」
「勿論、墓まで持っていきますよ。大泣きしただなんて知れたら、下のものに示しがつかないものね。ねぇ、六代目」
そう言うやにいっと笑って、小指を立てて圓樂の前に出してみせた。
一瞬ぽかんとした表情をしたが、すぐに合点が行き、破顔しながらその細い小指に自分の小指を絡ませる。
「私と師匠だけの秘密ですよ」
「破ったら承知しないよ」
「あと、来年も一緒に花見に行きましょう」
「念を押されなくたって指切りしなくたって、あたしは元からそのつもりだよ」
場所取りは任せてくださいと笑いながら、最後に歌ったのがいつかも思い出せないような懐かしい歌をふたりで歌う。
指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。
「これからもよろしく頼むよ、樂さん」
「勿論です」
お互い泣き笑いの顔を見合わせ、秘密を共有する子供のように笑った。

報われたのかと言えば、全肯定はできないのだろう。
しかし、それでもよかった。それでよかった。もう、十分すぎるくらいだ。
桜の樹と同じようにこの感情のほんの一部が花とあらわれ、少しでも喜ばせることができたのならば、これ以上の喜びはない。
この先も隣にいることが許されるのならば、抱き締めたいという気持ちを宮戸川にでも品川にでもすっかり沈めてしまうことなんて朝飯前だ。
あのとき掌から、小指から伝わってきたほんのささやかな体温が、この恋のすべてだ。

きっとあなたは先に花見に行ってしまうんでしょう。
そのときは名残惜しいけれど、しっかり手を振ってお送りいたします。
しばらくうんと落ち込むでしょうが、なあに私は大丈夫ですよ。
あなたがくれた数々の教えが己の芸に生き、一緒に過ごした時間といくつもの思い出が、進むべき道を優しく照らしてくれるから。
だから師匠、 来年も再来年も、一緒に花見に行きましょう。
約束、忘れないでくださいね。

歌丸を見送ってからふと顔をあげると、雲ひとつない夜空の中で月が光をたたえていた。
ああ、綺麗だ。
今夜はうんと滲んでいるけれど、これはこれでいいじゃあないか。
追い出し太鼓が叩かれるのは、まだまだ先でいい。
たとえ出てけ出てけと鳴り響こうと、みっともなく高座にしがみついてあなたへの思いを声に乗せよう。
いつかふたりで見たときと変わらず美しい月を見上げながら、圓樂はひとり道を歩いていった。
舞台袖で何度も聞いた、何度聞いても心を震わせてやまないあの出囃子を口ずさみながら。

また一番太鼓が鳴る。
【了】

師匠の益々のご活躍、番組、落語の益々のご発展を心から祈っております
お付き合いいただき、本当にありがとうございました

  • 続きをお待ちしていました! -- もえ。? 2016-05-25 (水) 12:43:04
  • 二重にすみません。二人の関係性はもちろんですが、作者様の言葉の選び方が、この世界を大切にしていらっしゃることがわかって、とても好きです。ありがとうございました! -- もえ。? 2016-05-25 (水) 12:44:09
  • もっともっとたくさん小説を書いて頂きたいです(^^) -- 2016-06-01 (水) 10:37:01
  • 泣けます…!!!切なくて好きです -- 2016-08-30 (火) 12:33:54
  • 泣きました… -- 2016-09-02 (金) 17:24:46
  • 泣きました…素敵な小説をありがとうございます!また書いて頂けたら幸いです。 -- 2016-09-02 (金) 17:28:06
  • ここが2でなかったらお友達になりたかったです…… -- 2016-11-17 (木) 11:42:21

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