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ブルーオーシャン

 夕暮れが近い、日曜のワイキキビーチを眺めながら、春星(しゅんせい)の長い、整った指先を思い出す。
 今日は昼間から赤ワインで独酌しつつ、もの思いに耽って過ごした。東京は今、週明けの真昼頃だろうか。春星は忙しく働いているだろうか。池袋の自宅兼オフィスで、孤独にパソコンの画面と睨めっこしているだろうか。それとも、自分が仕込んだ通り、「近所のスタバではなく、ホテルのラウンジで」、クライアントと話しあっているだろうか。
 ふとした折に、その埼玉の貧しい石工の倅らしからぬペダンチックな名の由来を尋ねたことがある。
 「じーちゃんが俳人だったもんでね」
 と、彼は何やら忌々しげに答えたものだった。

 「海が好きなんです。山育ちだから憧れがあるんでしょうね。海外はグァムに二回、シンガポールと台湾に一回ずつ行きました。で、ハワイに行きたいなあと思って、ネットで検索してたら、青木さんのサイトを見つけて」
 テーブル越しのソファに座った青年は、頬を紅潮させつつ、ヤンキー丸出しの蓮っ葉な口調で喋る。
 受け取った名刺には、「スピカパブリッシング代表取締役 達岡春星」とある。青木の新刊ビジネス書「ハワイ楽勝セミリタイアのススメ」を読んで感銘を受け、来日した折にホテルの部屋まで会いに来てくれたそうだ。
 「ああそう」
 青木は、若くして桁外れの社会的成功を収めた富豪らしく、寛いだ態度で、鷹揚な笑みを浮かべ、穏やかに相槌を打ちながら彼の話を聞く。
 年の頃は自分より一回りほど下だろうか。利かん気そうな顔、というより、今にも噛みつきそうな顔、というより、つい夕べ、人をコンクリート詰めにして東京湾に沈めてきました、という顔をしている。
 「俺、いや、ぼくが思う『カッコイイ男』というのは、『自由に生きている男』のことかなあ。武論尊の『サンクチュアリ』みたいなね。そういう意味で、青木さんはぼくの理想の男なんです」
 「ああそう」
 青木はその作者も、漫画(だろう。多分)も知らないのだが、面倒くさいので適当に聞き流しておく。武論尊の方はどこかで聞いたことがあるような気もする。
 「だから、ぼくも青木さんを目指して――青木さんのご本にもありましたけど、これからの日本、いや世界っていうのは――」
 「今日、暑くない?何か冷たいものでも取ろうか」
 青木は春星の演説を遮り、唐突に立ち上がって窓のブラインドを降ろした。
 「あ、俺、缶コーラでいいっす」
 「ほい」
 冷蔵庫から取り出した缶コーラを春星の目の前に置き、彼の隣にどさっと腰を下ろした。
 「な、何すか?」
 パーソナルスペースとやらを侵害されたと感じたのか、春星はやや面喰らった様子で青木を見返した。
 「いや、大したことじゃないよ。男どうしのセックスに興味はないかと思って」
 青木は醒めた口ぶりで言うと、春星の黒いスーツジャケットの襟を掴み、ぐいっと自分の方に引き寄せた。
 「いやいやいや、冗談キツイっすよ青木さん」
 春星は度を失って、青木の手から逃れようとする。青木は平然とした風で、そのまま彼の襟元から手を差し入れ、シャツの上から胸を撫で回す。鍛えられた胸筋の感触。後でフェイスブックをチェックした所だと、最近、ジムに通って体造りに勤しんでいるらしい。
 「冗談じゃないよ。聞いてないかな?ハワイの青木譲は女はダメだって。一部では結構有名な話だと思うんだけど」
 「つか、そんな逸話知らないっす!」
 百八十近い春星よりだいぶ小柄な青木は、体躯に似合わぬ結構な力で春星の肩を掴んでソファに押し倒し、華麗な手捌きで衣服を脱がせにかかる。
 「そうだねえ。缶コーラ一本じゃあまりに阿漕ってものだよね。明日、君の口座に一億振り込んであげようか?ぼくにとっても少なくはない額だよ。年収の十パーセントくらいだから」
 シャツの釦を外そうとする青木に抵抗していた春星の動きが一瞬止まった。
 「いや、それは魅力的な話ですけど!でも、俺が青木さんのこと理想の男だって言ったのはそういう意味じゃなくて!」
 「ほーら、かわいいおっぱい。きれいなサーモンピンクだ。やらしい」
 青木は春星のシャツをはだけ、露になった胸に指を這わせ、片方の乳首をピンと弾いた。親指と中指で両の乳首を摘まみ、人さし指でこちょこちょと弄ぶ。
 「なっ、ちょ、やめて下さいって」
 「ほらほら、乳首勃ってきた。気持ちいい?気持ちいいんだろ?大人しくしろって」
 「やめて下さい!俺は女じゃない・・・・っ」
 構わず、春星の両手首を掴んで押さえつけ、妖しく形を変えて固くなった乳首をチロチロと舌でいたぶった。
 「・・・・っザケんな・・・・!やめろよ・・・・放せよ・・・・!」
 青木は春星の胸から口を離した。体勢を変え、彼の顎をつと持ち上げて正面から顔を見る。
 「誰に向かって言ってる?そんなお行儀の悪い口の利き方していいのかな、春ちゃん?」
 なんて目だ、と春星は寒気を覚えた。中島みゆきの「ツンドラ・バード」が、ネイティブ・アメリカンの老女がそっと耳元に囁きかけるような曲想が脳裏を過った。
 “お日様と同じ空の真ん中に 丸い渦を描いて鳥が舞う”
 「大人しくなったね。いい子だいい子だ」
 糸の切れた操り人形のように、くったりと力の抜けた春星の大柄な体を掻き抱き、彼が憧れたハワイの雄は、彼の首筋を思う様、愛おしそうに吸った。
 “あれはオジロワシ 遠くを見る鳥 近くでは見えないものを見る”
 春星の胸元から筋肉の割れた腹へと、口づけの雨を降らせ、ベルトを外してスラックスを脱がせにかかりながら、青木は彼の反応を見守っている。諦念の表情で、半眼になり、予想だにしなかった恥辱と快楽の間を揺蕩っている。
 ついさっき聞いた身の上話によると、埼玉の山里に生まれ、高校を中退して、ホストや土方や運転手といったアルバイトを渡り歩いていたらしい。何をしている企業やら、会社勤めをした時には常にトップの営業成績を取っていたそうだが、ある朝突然、全社員が、「明日からハローワークに行って下さい」と宣告され、職を失った。つまり倒産である。
 世田谷生まれで裕福に育ち、アメリカの大学で経営学の博士号を取得した後、世界中を放浪しながら遊び半分に始めたビジネスで巨万の富を得た青木、これまでの人生で望み通りにならぬことなど何一つなかった青木にとって、何もかもが想像を絶する世界だった。
 それ故に、この男を欲しいと思ったのだろうか。青木は身を起こし、上着を脱いで放った。
 “あの丸い渦の真下の辺りは 必ず獲物が潜んでいる”
 ――もう勤めるのは嫌だって思ったんですよ。毎日満員電車に揺られて、眠たいだけの会議に出て、どんなに一生懸命会社の為に尽くしたって、首を切られる時は一瞬なんですから。で、起業しようと思って、何となくこれからはネットビジネスで個人事業かなと思ったもんですから。本なんか読んだこともなかったし、パソコンなんか触ったこともなかったんですけど。寝る間も惜しんで勉強しました――。
 ――そいで、たまたま本屋でジョン・C・マクスウェルの本を見つけて感動したんです。ぼくが今まで考えたこともなかったようなこと、「利他の心」とか、なんかそういうことがいっぱい書いてあって。一冊の本が人の人生を変えることもあるんだなって、目を開かれた思いで、本に関わる仕事をしたいと思うようになったんです――。
 自分が作家とか書評家とか文学の研究者とか国語の教師とか、とにかくそういう職業に就いている人間だったら(作家といえば作家だが)、いや、素人でも読書家とか本好きとか文学青年とか呼ばれる人種だったら、この発言を聞いて泣くか笑うかどっちかだな、と青木は思った。
 ――でも、ぶっちゃけ紙の本って、読み手にも書き手にも不都合なことが多いし、地球環境にもリスクがかかるじゃないですか――。
 「ぶっちゃけ」という言葉のセンスは青木は大嫌いであるが、しかし、それまで本なんか読んだこともなかったのに、本に関わる仕事をしようと思ったというこの男の天真爛漫っぷりはすごい。ついでに喘ぎっぷり、よがりっぷりも、男とは初めてにすればなかなかすごい。
 星条旗をモチーフにした派手な柄のボクサーパンツを引き下ろすと、充分に血の通った陰茎が勢いよく、びょこんっと手の中に飛び出してきた。青木は目を剥く。
 「でかっ。羨ましい」
 “獲物は灌木に紛れてくぐる オジロワシには全部見えている”
 電子書籍か。まだまだ未知の領域だ。十年、二十年も経たなければどう転ぶかはわからないが、しかし、いずれは必ず、紙の書籍を駆逐するだろう。この若造は至って無謀だが、いい所に目をつけたと思う。
 “ツンドラの鳥は見抜いているよ 遠い彼方まで見抜いているよ”
 青木は指を舐め、更に、春星の亀頭から滴る透明な雫でよく湿らせて、後ろの秘めやかな部分にそっと忍び入れた。
 「ひゃっ!」
 春星の体が雷撃でも受けたように弓なりに反った。
 「君は随分女にもてそうだけど、彼女たちにこんなことされたことないだろ?イナカの子だものね」
 青木は朗らかに笑って、指を奥に侵入させ、実は男の体で一番感じるとも言われている所を刺激した。
 「あっ・・・・ひゃっ・・・・やだっ・・・・てか、田舎関係ないでしょ・・・・埼玉ナメないで下さい・・・・俺の実家の近くはムーミン谷だってあるんですから・・・・ッ」
 男にフィンガーファックされながら何を主張しているのだろうか。なんでヤンキーっていうのはやたら郷土愛が強くて、田舎や都会に関わらず、地元贔屓したがるのだろうか。
 とはいえ、この負けん気の強さもなかなか青木好みである。何とも健気でいじらしく、ラブリーでもある。埼玉人は自虐的な傾向があると言われるが、春星も例に洩れず、故郷に対してアンビバレントな感情を持っていると見て間違いあるまい。
 「失敬失敬。埼玉はナメないけどこっちの玉はナメてあげよう」
 青木は春星の長い、かさばる両足を軽々と両肩に担ぎ上げ、股間に顔を埋めた。
 「あっ・・・・あっ・・・・青木さ・・・・いいッ」
 春星が歓喜の悲鳴を上げ、青木の体に足を強く絡みつけ、もどかしそうに腰を突き上げる。
 「しかし、立派なご神体だねえ。白人や黒人の子もいっぱい抱いたけど、というか、普段相手にするのはだいたいそうだけど、誰にも引けを取らないよ」
 ちょっと舌を休め、鼻先で濡れしょぼたれてヒクつく春星の陰茎に浮き上がった血管を指でなぞって、冷静に呟いた。
 「青木さん・・・・なんでこんなことになったのか、俺わけがわかりません。早く、早く何とかして下さい」
 春星が半べそをかきながら悶え、懇願する。
 「ははっ、下の顔だけじゃなく、上の顔も泣いちゃってるね」
 青木は陽気に言って、突然体勢を変え、春星の腕を掴んで引き起こした。猫のような身のこなしで春星の背後に回り、組んだ両足の上に彼を抱え上げた。暫く両手で乳首をいじくった後、下半身に手を伸ばした。
 “イバラ踏んで駆け出してゆけば 間に合うかも 狩りに会えるかも”
 「足開いて。リラックスしてぼくにもたれかかって。そう」
 左手で竿を握りしめ、右手で雁首に向かって強く摩擦を加えた。春星が娘のような、切なげな嬌声を上げ、腰を揺らし始める。青木は春星の首筋を軽く噛みながら、彼の動きに合わせ、タイミングを見計らって、無理なく、緩やかに挿入を試みる。
 「ゆっくり、大きく息して。もうちょっとだから」
 すっかり春星の温もりの中に埋没し、暫くその感覚を楽しんでから、青木は矢庭に、やや荒っぽく彼の髪を掴み、自分の方へと振り向かせた。
 貪るような口づけの後、その耳朶を舐めながら、熱い息と共に囁きかける。
 「なんでこんなことになったかって?そりゃあぼくが君を気に入ったからだよ。Nothing more,nothing less,Honey」
 春星の陰茎を擦り上げていた掌に、いつの間にか、さっきまでと違う粘つく感触があった。赤くなって顔を背ける彼に笑いかけ、もう一度その髪に、今度は幼い少年にするように、親しみを込めてくしゃくしゃと指を絡ませた。

 翌日、春星の口座に一億円、振り込まれていた。
 スピカパブリッシングから電子書籍を何タイトルか出版してみたものの、ぜんっぜん売れなかったもの書きの風木ナナが、春星と青木をモデルにした恋愛小説を書いて一躍ベストセラー作家となるのは、このもうちょっと後のことである。

 赤い日が海に落ちた。
 青木はグラスに残ったワインを飲み干し、書斎兼寝室へと引き上げる為に立ち上がった。

 “ツンドラの鳥は見抜いているよ 遠い彼方まで見抜いているよ 氷踏んで駆け出してゆけば 間に合うかも 明日に会えるかも 間に合うかも 生きている内会えるかも”

Fin.


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