落語物語 小六←小春 「熊が泣く日和」
更新日: 2011-04-18 (月) 08:23:09
投稿再挑戦、半生 邦画「落.語.物.語」より師匠←コハル
・超絶ネタバレ注意 ・エロ無し、ぬるい、暗いです
パチン(>⊂(・∀・)マイドバカバカシイ(
今日も日差しは温かい。洗濯機は師匠と、僕のぶん、二回楽々回せるだろう。
それが済んだら掃除をやって、ご指名のライスカレーに取りかかる。
家事がまるまる僕の仕事になって、最近ようやく慣れてきた。
師匠は相変わらず家事にうるさく、稽古にいい加減だ。
師匠はよく僕をからかってのほほんと笑う。
「小.春、お茶くれーい」家のどこかで声がした。僕は洗濯機の蓋をばたんと閉めて返事をする。
「はい!緑茶ですか?」「うん、濃いやつねー」
僕は慌てて手を拭いてから台所に駆け込み茶筒を手に取る。そうだ貰い物のカステラが残ってる。
厚めに切って盆を持ち、こぼさないよう慎重に、師匠の部屋に運びこむ。
「師匠、緑茶です」
「うん、そこに。そうそう」師匠は本から顔をあげるとニヤッと笑った。
「カステラかあ、気が利くな。手づかみってのもたまにはオツだよな」
「あっ」僕は正座のままで小さく跳ねる。皿にフォークが載ってない。「すみません!すぐ、すぐ持ってきます」
「いい、いい、それより、今日は肉じゃががいいな」
「え、昨日は…ライスカレーって」
「そうだっけ?忘れた。似たようなもんだろう、芋と、肉と、玉ねぎと」
一応の抵抗を試みる。「ジャガイモも、もう切ってますし、豚の薄切りは買ってこないと…」
「いや、今日は絶対に肉じゃがだな」
もちろんその抵抗は無駄だ。わかりました、と答えて立ち上がる。
「ああ、葵」部屋を出ようとする僕に師匠が声をかけた。
ああ、葵、それを聞くと心臓が砂粒を噛んだみたいになる。
世界じゅうの音がほんの一瞬なくなってしまったみたいになる。
師匠は気づかずにこにこと、小さな皿を僕に差し出す。
「カステラ、食っていいぞ。だから今日は肉じゃがでな。なんだそんな顔して。上物なんだぞ、これは」
手の中のカステラはすごく黄色い。
おかみさんが亡くなったすぐあとも、葬儀の間も、師匠は大きな声でわあわあ泣いた。時には呻くように泣いた。
人類が誕生してからやった泣き方の全部を試すように師匠は泣いた。葵、葵、ばか、葵と言って泣いた。
僕は家から取ってきた防虫剤臭い喪服を着て、できる雑用をこなしていた。
噺家には悲しいことがあった時、平気なふりで周りを笑わせる人と嘆き悲しむ人がいるらしい。
師匠は嘆き悲しむ人で、大きな体を揺すぶって涙を流した。葬儀に来た噺家たちの中に、小六は噺家らしくないと
厳しいことを言う人があった。僕は楽屋でいつもやるみたいにじっと顔を伏せていた。
本当は、おかみさんがどんなに師匠を好きで、師匠がどれだけおかみさんを支えにしていたか、言いたくて言えなかった。
そうして大泣きに泣いたあと、師匠はぱったり泣かなくなった。
仏壇に手を合わせてから高座に出掛け、上機嫌で帰ってくる。
僕の家事にあれやこれやと文句をつけて、理不尽ないたずらをして、毎日稽古をしてくれる。
けれど夜中にふと目が覚めると、隔たった部屋の向こうからきっと声が聞こえてくるのだ。
熊がしゃっくりするような、くぐもった声。
熊がしゃっくりをするのかどうか、僕は知らない。
台所は静かで妙に蒸し蒸しする。窓を細く開けてカステラを食べた。
こんなに温かいけれどあの人はずっと冬の中にいるのだと思う。
稽古中、台所に向かって師匠が「コーヒー」と叫んだあと、あるいは僕がつけている家計簿の食費の欄を覗き込んで
「なんだあ、やけに少ないな」と呟いたあと、師匠は変なくしゃくしゃ顔になり、僕はその度におかしな気持ちになった。
内弟子がこんなことを思うのは間違っている。でも僕が師匠を守っていかなければと思う。
おかみさんもそんな気持ちだったのかもしれない。おかみさんがくれた大学ノートを取り出して、僕は肉じゃがのレシピを
探し始めた。『六ちゃんは』と肉じゃがのページに書かれたメモを読む。
『六ちゃんは、ジャガイモのサイズにうるさいので、大きめのひと口大に切ること(六ちゃんのひと口は春ちゃんの2倍)』
その途端、自分でもよくわからないままに僕は狼狽してノートを勢いよく閉じた。
なにか後ろめたくて、誰かに何かを謝りたくてたまらなかった。初めてノートを見ずにご飯を作って、
僕は見事に鍋を吹きこぼした。
「ジャガイモが小さいよ、肉は牛だし。ライスカレーの材料、そのまま使ったろ」
「すみません」
「小.春には家のこと全部任せてるからなあ。父子家庭は大変だな」
そう言って師匠はわはは、と笑ったが、僕はどう応えたものかわからなかった。
「どうした、高座で何かあったか。…弟子入りしに来た時のフニャフニャに戻ってる」
僕は喋らなくてもいいようにご飯を箸でかき集めて頬張る。師匠もお茶をゆっくりと飲む。
おかみさんだったら「しみったれた顔するんじゃないの」とか、あの下町口調で言うんだろうか。
ご飯ばかり食べていたら、肉じゃががずいぶん余ってしまった。居候の身でおかわりは滅多にしないけれど、
今日だけは炊飯器を開ける。それをからかいもせずどこかぼうっとした師匠は、茶碗を突き出した。
「葵、おかわり」
自分のをよそってから師匠の大きな茶碗を受け取る。ご飯は温かい湯気をたてている。
師匠に茶碗を返す時、「小.春です」と僕は言った。
「ん?」
「僕は。今戸.家小.春、です」師匠はきょとんとしていたが、やがて「間違えてたか」と呟いた。
「今までも間違えてたか?」
「いえ!」すぐさま答えたが、顔で伝わってしまったらしかった。
平気になったつもりでも、こんな時にコミュニケーショ下手が出る。
「そうか。…悪かったな。小.春」謝られたのが意外で、僕はただ座るしかない。
「小.春」師匠が僕の目を真正面から見た。「はい」
「小.春。うん、お前は、小.春だ。な」「はい!」
「ほんとにいい名前だなあ。ぴったりだよな。まあ俺がつけたんだけどな」師匠はそう笑った。
「はい、師匠と、おかみさんに、つけてもらいました!」
途端に師匠はあのくしゃくしゃ顔になって、箸をぱたんと置いた。椅子が大きな音を立て師匠の大きな影が
食卓に落ちた。離れていこうとする袂をぎゅっと掴むと、あっけないほどの軽さで師匠はまた腰を下ろした。
広い手のひらでもっと広い顔を覆って、師匠は泣いた。手のひらの下で口が誰かを呼んだけど僕には聞こえなかった。
師匠はしゃっくりをする熊にそっくりで、僕は熊がしゃっくりをするかどうか知らないけど、袂を離すことができなくて、
机を回って師匠のそばに立った。一際大きな嗚咽が漏れ、それはすぐ僕のTシャツのお腹のあたりに押し当てられて
かき消され、僕は誰かに謝りたい気持ちのまま、師匠と一緒にフニャフニャと泣いた。
m(・∀・)mイジヨウ、オアトガヨロシイヨウデ
長々と失礼しました
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