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クローズ ヒロミ×阪東 「嗚呼、小市民」

クローズ(原作)よりヒロミ×阪東。
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「あー、今百万あったら何すっかなー」

 大容量の安焼酎とホッピーをかき混ぜて行儀悪く割り箸をしゃぶる。
酔いで腫れぼったくなった目で奈良岡が呟いたのは去年の大晦日のことだ。

「とりあえず、家賃と携帯代だろ?」

 いつになく真剣な顔で指を折りながら、奈良岡はしばらく所帯じみた取らぬ狸を披露した。
どうするのこうするの、とありもしない百万を使って見せた奈良岡は、「おまえらはどうよ?」と、
同じこたつに背中を丸めて酒をすすっていた桐島と阪東に顎をしゃくった。
阪東はあたりめをかじりながらいつもの調子で鼻先に小馬鹿にした笑いを滲ませる。
それでもしつこく聞くので桐島は仕方なく「でかい犬を飼う」とかいい加減なことを言った。
その「ロックと犬」というのが奈良岡の哲学によるところどうも食い合わせが良かったようで、
ひとしきり「犬はいいぜ」と頷かれた後で、二人の視線は残りの一人に注がれた。
阪東は「何見てんだよ」と、鼻の頭に皺を寄せたが二人が構わず視線を外さずにいると、
落ち着かなげにライターを擦ってから、観念したように「ギターのローン」と煙を吐いた。
それから煙草をパーラメントに変えるだのリムジンで里帰りをするだのと、三人であれこれとくだらない夢の金額を見積もった。
最後に奈良岡が「死ぬほど肉食いてー!」と、叫んで床を転げたところで、
近所の寺からまさに煩悩を振るい落とすような除夜の鐘がいやに厳かな響きを上げて、酒臭くこもった四畳半の空気に余韻を引いた。
何となく顔を見合わせてから背筋を伸ばし、それぞれの湯飲みやマグカップに酒をつぐ。
改まって咳払いして「今年もよろしく」と、乾杯してそのまま昼まで飲み続けた。

 そんな生活が一変したのは正月気分がようやく抜けた頃で、年明け一発目のライブの後で打ち上げの居酒屋に遅れて現れた阪東は、
食い散らかした皿の間に一枚の名刺を置いて目で笑った。
あれよという間にレコード屋にCDが並んで、畳の毛羽立った四畳半からオートロックの小綺麗なマンションに引っ越した。
もう財布の中身を掻き集めて予約を入れなくても、倍以上も広さのあるスタジオで存分に楽器をならすことが出来る。
相変わらずセブンスターを吸ってはいるが、阪東のギターにはローンを返して釣りがきた。
今年の大晦日には死ぬほど肉を食いながら稀少ものの銘酒で乾杯が出来るだろうし、地元に帰れば知らない親戚や友人も増えているだろう。
あの夜からもう一年だ。

 たとえばこんな金の使い方が自分の選択肢に加えられることなど一年前には思いもつかなかった。
電車は人目につきすぎるからタクシーを拾い「これもロックか?」と口の端を持ち上げる。
サングラスをかけ直しながら一緒に車内へ滑り込む奈良岡は「これは別だろ」と、肩をすくめてシートに体を投げ出した。
桐島ははは、と笑って運転手に行き先を告げた。
ゆるゆると走り出す車に合わせて、買ったばかりのラム皮のコートの上をガラス越しの街の電飾が鈍く光って流れ出す。
スプリングのゆるいシートに沈み込むように背中を預けると、さっきまでの昂揚はとたんにうんざりするような疲労に変わった。
腰や背中が重力にまとわりつかれたように重い。

 奈良岡を誘って、たった今新宿の「風呂屋」で女を抱いてきた。
ただで足を開く女ならいくらでもつかまるものを、わざわざ商売擦れした女の懐に六万円を落としてきたことに大した意味はない。
どうせ財布の中に金があるなら使いたくなるのが人間だ。酒乱に酒、ガイキチに刃物、ガキに大枚か。
桐島は鼻から長い息を吐きながら、女の体の上で果てた瞬間を反芻した。

「なあ、ヒロミ」
「んー?」
「おまえさ、女でもイケんの……?」
「は?」

 思わず顔を向けると奈良岡は前を向いたまま決まり悪そうに小さく咳払いして、桐島に控えめな横目をよこした。

「いや、ほら……。おまえ阪東とさ……付き合ってんじゃねーの……?」
「ああ、そーゆーことな」

 桐島はかちかちと点滅する緑の矢印を眺めながら「イケるけど?」と、なげやりにあくびする。
返す言葉に詰まっている奈良岡に苦笑まじりに口元を歪めて「むしろ女の方が全然いい」と、付け足した。

「……ケンカしたとか?」
「してねー日がねーよ」
「だよな」
「大体阪東相手にソープがあてつけになるかよ」
「だよな」
「っつーか、おまえが言ったんだろ?」
「何を」
「百万あったら何するか」
「……?」
「覚えてねーだろ」

 怪訝そうに眉根を寄せて顔を向ける奈良岡に「バーカ」と、目を細め窓の外へ首を巡らせた。
窓外の景色はいつの間にかけばけばしい看板の群れから閑静な住宅地に変わっている。
奈良岡が不服そうに身を起こし口を開こうとしたところで、タクシーは止まった。

「おまえ自分とこまで乗ってけよ」

「釣いらねーから」と運転手に一万円札を押し付ける。
一緒に降りようとする奈良岡を残してドアを閉め、ガラスの向こうの何か言いたげな顔に手を振った。
車が生ぬるい排ガスの尾を引いて角の向こうに消えると、桐島は深々と溜息をもらした。
吐いた息が白く濁って渦を巻く。

『新宿で一番イケてる女を買う』
『タクシーで釣を受け取らない』

 煙草に火を点け二、三度吹かして首を振る。
一年も前に酒に酔って交わした他愛もない馬鹿話だ。引きずる方がどうかしている。
噛みしめたフィルターを犬歯が突き破る。桐島はひしゃげた吸殻を足元に吐き捨ててポケットに両手を押し込んだ。
立ち止まって見上げる目の前のマンションがいつもの倍もそびえて見える。
去年の今頃こたつ布団をかぶっていたのは二階建ての木造アパートだ。
打ちっぱなしのコンクリートをなぞるように五階の一部屋に視線を這わせた。
分厚いカーテンの赤が室内の照明で鈍く浮き上がっている。
桐島は小さく鼻をすすり上げると、エントランスに続くオートロックのガラスドアを蹴った。ポケットの中で手探りで携帯電話をなぞる。
ボタンひとつで繋がるように登録してある番号だ。

「阪東ーーっっ!!!」

呼び出しを押して相手が出る前に窓に向かって大声で叫んだ。

『馬鹿か、テメェは。インターホンあんだろ』
「使い方わかんねー」
『次やりやがったら前歯折んぞ』
「じゃあ鍵くれよ」
『……』

 電話が繋がるのと同時に施錠を解かれたドアの奥に滑り込む。
エレベーターの壁にもたれてへへ、と笑ってやるとぶっつりと電波が切れた。
通話終了の画面表示にひとりで肩をすくめる間に五階のランプが点灯して音もなくドアが開く。
角部屋のノブを引くと玄関の鍵は開いていた。
もうもうと煙のこもったリビングに控えめな音量で気だるそうなピンクフロイドが流れている。
ソファの端で雑誌をめくっていた阪東は黙ったままくわえ煙草の顔を上げると
眉間にひときわ深い縦皴を刻んで目を細め、尻ポケットから出した鍵を桐島に投げつけた。

「叫んでんじゃねーよ。キメてんのか、テメー」

 桐島は「さあな」と首をすくめて鍵を拾うと、乱雑にコートを脱ぎ捨てた。阪東の隣に腰を下ろして煙草をくわえる。
サイドテーブルのライターに手を伸ばしながら横目に一瞥する飲みさしのバーボンは量販の大衆銘柄だ。

「安い酒飲んでんなよ」
「うるせぇ。たまには自分とこ帰れ」
「っつーか、何でおまえだけ別のマンションなんだよ」
「知るかよ」

桐島は大袈裟にソファにもたれて天井を仰ぎ煙を吐いた。

「飯は?」
「食ってねー」
「おまえまた痩せただろ」
「知るかよ。つーか、どこ行ってたんだよ」
「ツネと新宿。なあ、鍵マジでもらうぜ?」
「好きにしろよ」

 顔も上げずページをめくる阪東を意外そうに眺めてから、桐島は「じゃあ遠慮なく」と、二本の鍵をキーチェーンに通した。

「明日も仕事か……」

 新しい鍵を目の前で二、三度揺らし溜息のように呟いた。
体も頭もひどく重たい。ずるずると崩れるように阪東の薄い体に身をもたれる。しみついた煙草の匂いがきつく鼻の奥を突く。

「帰って寝ろよ」
「動きたくねー……」

 何かに吸い込まれていく感覚に任せて目を閉じ、女の体の中で爆ぜた瞬間を反芻する。
肉体を確実に満たすだけの快感をともなって走る悪寒に似た小さな痙攣。
財布の中の使うあてもない札と頂上を知らないロックンロールミュージック。
転石苔生さず、か。一体どこに向かって転げ落ちているのだろう。

「悪ィ、阪東……。おれ全然ロックじゃねーよ」
「あ?何言ってんだ」
「前のアパート戻りてー……」

 阪東の溜息が額にかかる。

「だせーツラしてんじゃねーよ」

 阪東はぐしゃぐしゃとぞんざいに桐島の頭を掻き回して、灰皿に煙草を押し付けた。
頭の下に阪東の肋骨がこすれるかすかな感触が心地いい。

「阪東」
「あ?」
「やらせろ」
「好きにしろよ」

「じゃあ遠慮なく」と、腰に手を回すと阪東は面倒臭そうに雑誌を床に放った。
一段と筋っぽくなった細い首に顔を埋めて「殴んなよ?」と念を押してから阪東の顔を見下ろす。

「おれさっきソープでやってきた」

 怪訝そうに細めていた阪東の目が危なっかしい色に据わっていく。
変わらないのはこの男のキレやすさだけだ。
「やっぱ無理か」と、観念して奥歯を噛みしめながら、桐島はひどく満ち足りた顔で笑った。

□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!


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