ヒカルの碁 ヒカル×アキラ 「止まない雨はない」
更新日: 2011-01-29 (土) 21:46:24
ヒカアキです。いつも感想をくれる方、ありがとうございます
新婚旅行はどうしても書きたかった
|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!
気がつけば窓外を流れる景色はのどかな田園風景に変わっていた。
空を覆う雲から初夏の白い陽射しが透けて見える。
東京では昨夜から雨が降りしきっていた。
新幹線で梅雨前線を抜けたのだろうか。
自分たちを取り巻く諸々の厄介事からも逃げることができたようで、ヒカルは小さく吐息を漏らした。
「キミの番だよ、進藤」
ぼうっとしていたらしい。ヒカルはアキラの声で我に返った。
窓枠に置かれた小さなプラスチック盤の右上、黒のハネに対し、白もハネて応戦している。
ここはツグべきか中央にオクべきか。
しばし悩んだ末、ヒカルは中央に進出する手を選んだ。
ヒカルの正面でアキラが細い顎をやや引き、考え込んだ。
恐らく、右下の黒石に上からツケるか下からツケるか迷っているのだろう。
アキラなら上ツケを選択するはずだ。
ヒカルとアキラは二列のシートを対面させて四席分を占領していた。
最初はおとなしく並んで座っていたのだが、静岡を過ぎたあたりで我慢できなくなった。
平日の昼間に新幹線を利用する客は少ない。
ヒカルは勝手にシートを回転させ、アキラに向かいに座るよう促した。
アキラは「あとから団体のお客さんが乗ってくるかもしれないだろう」と渋った。
だが、白のカカリに対し、三連星の真ん中にコスんで意表を突くと、黙って正面に座り、あとは何も言わなくなった。
先ほど松永を通過したから、そろそろ新尾道のはずだ。
アキラは予想通り上からツケてきた。
ヒカルはツイで黒を補強した。
その時、目的地到着が近いことを知らせるアナウンスが流れた。
「打ちかけだね」
「ああ」
ヒカルは碁石をくっつけたまま盤を折り、バックパックの外ポケットにしまった。
アキラは腰を上げ、旅行バッグを棚から下ろしている。
東京からここまであっという間だった。
今打ちかけの対局で四局目だ。
三年前に河合と広島を訪れた際はひどく遠い道のりに思えた。
あの時は河合にずいぶん失礼な態度を取ってしまった。
それだけ子供だったし余裕もなかった。
ヒカルはふと、当時よりもいくらか大きくなった手のひらを見つめた。
今、自分は大人と言えるのだろうか。
十八歳の誕生日まであと三ヶ月。
どんな契約も親の署名と捺印がなければ交わせない。
経済的に自立してはいるが、いまだ実家暮らしだ。
ヒカルの脳裏に行洋の渋面が浮かんだ。
「どうしたんだ、進藤?」
新幹線はすでに停車していた。
アキラは通路に立ってヒカルを待っている。
「なんでもねー」
ヒカルは慌ててバックパックをしょい、アキラのあとに続いた。
別の新幹線に乗り換えて三原駅に向かい、そこからローカル線を乗り継いで尾道駅で降りた。
昼食は三原駅ですませた。
二人は駅前で因島行きのバスに乗り込んだ。
バスは他に地元客を数人乗せ、因島めざして発車した。
「すごい、瀬戸内海を見るのは生まれて初めてだ」
アキラが嬉しそうに窓に顔を寄せた。
凪いだ群青の海に小島が点々と浮かんでいた。
二人は石切神社で参拝したあと、秀策記念館を開けてもらい、中を見学した。
河合と来た時はろくに展示物を見ることもなかった。
アキラは秀策の書やぼろぼろの碁石にしきりに感心した。
秀策の墓前でも熱心に手を合わせた。
ヒカルもアキラにならってしゃがみ、目を閉じて合掌した。
佐為、お前はそっちで虎次郎と打ってるのか。
オレがそっちに行くのはかなり先だけど、また会えたら思いっきり打とうな。
オレ、絶対負けないから。
塔矢がお前と会ったらどんな反応すんのかな。
やっぱ驚くのかな。
今さらかもしんねーけど、オレと塔矢――。
「いい眺めだな」
いつの間にかアキラは立ち上がり、眼下に広がる瀬戸内海を見下ろしていた。
ヒカルもアキラの隣に並んだ。
以前もこうして瀬戸内海を見下ろしたことがあった。
ヒカルの目から勝手に涙が溢れた。
「進藤、泣いているのか?」
アキラが驚いたように聞いた。
「大したことじゃねーんだ。いろいろ思い出しちゃってさ」
ヒカルは手の甲で何度も涙を拭った。
だが、涙は止まってくれない。
見かねたアキラがハンカチを渡した。
ヒカルはそれで両目をごしごしこすった。
事の発端は先月の囲碁ゼミナールだった。
ヒカルはアキラと同じ仕事が割り振られてはしゃいだ。
それがいけなかった。
同室の真柴にアキラとキスしているところを見られてしまったらしい。
らしい、というのはヒカルがその事実を知ったのが今月に入ってからだったからだ。
それも噂が日本棋院中に広まったあとでようやく聞かされた。
噂を教えてくれた和谷は「気にすんな」とヒカルを励ました。
ヒカルは今まで自分に向けられていた視線の意味を知り、納得した。
と同時に、これだけではすまないと直感した。
しばらくして、アキラから「父がボクたちに聞きたいことがあるそうだ」と電話をもらった。
ヒカルは腹をくくって塔矢邸に向かった。
二人の未成年を前に行洋は回りくどい言い方をしなかった。
単刀直入に「アキラと進藤君は恋人同士なのか?」と尋ねた。
ヒカルは迷わず「はい」と答えた。
「そうか」
そう呟いたきり、行洋は眉間に深い皺を寄せ、押し黙ってしまった。
佐為とネット越しに対局したあの日。
ヒカルはもちろん病院の個室にいる行洋の様子を知らない。
だが、プロ生命を賭けたあの対局の時でさえ、こんな顔はしなかったのではないかと思えた。
それほど行洋の表情は苦渋に満ちていた。
ヒカルの胸で冷たい不安が頭をもたげた。
行洋にとってアキラは目に入れても痛くないほどかわいい息子のはずだ。
その息子が男と付き合っている。
二人を別れさせることなど行洋にとってはいとも簡単だろう。
修行と称してアキラを中国に連れていくことだってできる。
そうなればヒカルには手も足も出ない。
ヒカルの胃がきりきりと痛んだ。
「お父さん」
アキラの低い声が重苦しい沈黙を破った。
「例えお父さんが反対したとしても、ボクは進藤を選びます」
ヒカルは座布団からどき、その場で土下座した。
「お願いします、塔矢先生。オレと塔矢のことを認めてください」
再び長い沈黙が続いた。
ヒカルがもうだめかと諦めかけたその時、行洋が「いいだろう」と頷いた。
「アキラと進藤君が選んだ道なら仕方がない。私は黙って応援しよう」
「ありがとうございます!」
ヒカルはもう一度深々と頭を下げた。
隣でアキラがほっと息をついたのが気配でわかった。
ヒカルは、サンダルをつっかけて門まで見送りに出てくれたアキラに因島に行かないかと誘った。
「新婚旅行は因島って決めてたんだ」
「新婚旅行か? それはまた大げさだな」
アキラは苦笑したが嬉しそうでもあった。
ヒカルは二人の手合いのない日を急いで調べ、尾道の旅館を予約した。
佐為と虎次郎が共に過ごした景色をアキラに見せたかった。
「塔矢、お前に話したいことがあるんだ」
旅館の大食堂での夕食のあと、部屋に戻ったヒカルは窓を開けた。
雨が降っていたが、東京と違い、不快な熱気はなかった。
一番安い部屋にしたため、目の前に広がる景観は駐車場と古びた商業ビルだけだ。
「なんだ?」
アキラも隣にやって来て同じように外を眺めた。
「佐為のこと」
アキラは勢いよく顔を振り向けたが、何も言わなかった。
ヒカルはまず、小学六年生の頃、祖父の蔵に盗みに入ったことを告白した。
蔵には古い碁盤があり、碁盤には血の染みがこびりついていた。
アキラは黙って静かに聞いていた。
佐為の名前、入水したいきさつ、虎次郎に取り憑いたこと、それでもなお成仏できずにさまよっていたこと。
話がアキラとの出会いに及ぶと、アキラの肩がぴくっと震えた。
ヒカルは佐為がどれほどアキラを評価していたか、佐為の言葉を忠実に再現して伝えた。
佐為に向いている目を自分に向けさせたいと願ったことも正直に話した。
思えば、それが恋の始まりだった。
アキラを追いかけることでプロになれた。
代わりに佐為に打たせてやる機会がなくなった。
「五月五日だった。すげーいい天気だった」
佐為はさよならも言わずに消えてしまった。
佐為を探すため、ヒカルは秀策ゆかりの地を巡った。
最後に行き着いたのは日本棋院の資料室だった。
そこで神様にお願いした。
佐為に会った一番初めに時間を戻してと。
神様は何も答えてくれなかった。
佐為がいないなら碁を打つ意味などない。
ヒカルは手合いをサボった。
だが、佐為はちゃんといた。
自分の打つ碁の中に。
碁を打ち続けたいと心の底から思った。
ヒカルは心地よい疲労を感じ、サッシにもたれかかった。
雨に濡れた車が電灯の光を反射し、整列した海ぼたるのようにちらちらと輝いていた。
アキラを窺うと、真剣な眼差しで遠くを見つめていた。
その端整な顔にかかった黒髪が風で音もなく揺れた。
「まあ、すぐには信じらんねーとは思うけど……」
「信じるよ」
アキラはヒカルの言葉を遮って目を戻した。
「キミの言うことだ。信じるよ」
その瞳に余計なものは一切なかった。
アキラが自分の正気を疑うわけはないとわかってはいた。
だが、やはり断言してもらえたことは心強かった。
「オレ、佐為にはすげー感謝してるんだ。佐為のおかげでお前にも碁にも出会えたんだもんな」
「ボクも感謝しなきゃね」
アキラは顔にまとわりつく髪をかき上げた。
「キミに出会えなかったらひどく寂しい人生を送っていたと思う」
「なあ、塔矢、一緒に住まないか? 塔矢先生にも認めてもらえただろ。それに、これは新婚旅行なんだし」
ヒカルは上目遣いでアキラを見た。
「いいよ、住もう」
アキラは微笑んで頷いた。
「よっしゃ。じゃあ、帰ったらさっそく雑誌を買わなきゃな。あと不動産屋にも行かねーと」
「進藤」
「ん?」
「話してくれてありがとう」
「オレの方こそありがとな、責めないでいてくれて。東京に戻ったらまた変な目で見られるだろうし、
いろいろ陰口叩かれるだろうし、根も葉もない噂だって立てられるだろうし……」
「ボクは気にしない。周りがとやかく言えないほど強くなればいい。それはキミだって同じだろう?」
「ああ、そうだな」
ヒカルはアキラの首に腕を回した。
「塔矢、お前がいてくれてほんとに嬉しい」
「ボクも嬉しいよ」
アキラもヒカルの背に腕を回し、そっと抱きしめた。
「進藤、ボクはキミを一人にしない。どんなことがあっても消えたりしない。いつまでもキミのそばにいる」
「ずりーぞ、塔矢。それ、オレが先に言おうと思ってたのに」
ヒカルは笑いながらぼろぼろと涙をこぼした。
「つらかったね、進藤」
アキラは幼い子供をあやすように優しく背をさすった。
「うん、すげーつらかった」
ヒカルは涙を溢れるに任せた。
「よく頑張った」
「自分でもそう思う」
アキラがおかしそうに笑った。
ヒカルはアキラの髪に顔をうずめて泣きじゃくった。
翌日、早めに宿を出た二人は慈観寺、糸崎八幡宮、宝泉寺を訪れ、新幹線で帰京した。
その日の夜、ヒカルは両親にアキラとの関係をカミングアウトした。
行洋からはすでに許しを得ていることも伝えた。
両親は相当ショックだったようで、絶句したまま口をぽかんと開けていた。
「オレ、塔矢と一緒に住むから」
ヒカルはそう言い残し、二階に上がった。
ジャージに着替えていると雨が降り出した。
勢いはたちまち強まり、室内は雨粒が世界を叩く音で満ちた。
ヒカルはベッドに潜り込み、目を閉じた。
陰気な雨音も今は快く聞こえた。
雨は降るが、じきに止む。
□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!
このページのURL: