籠目の夢
更新日: 2011-04-24 (日) 17:43:40
|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!
記憶喪失逃避行モノの続き。
暗闇の中に倒れている人影があった。
男だった。顔は見えない。誰かもわからない。
それでも心が叫びを上げる。
『助けて!』
走り寄ろうとする。しかしその行く手は男に届く前、現れた柵に阻まれた。
その隙間から懸命に手を伸ばしてもその身には届かない。
どころか刹那、その肩を突如強引に後ろに引かれる。
冷たい床に引き倒され、その上にのしかかってくる、これもまた黒い人影。
何不自由なく……大事にしてやったのに……あのように下賤な……
呪詛のように落とされる、しかしそんな声も今の自分には遠い。
心はただひたすらに、柵の向こうの存在へと向かう。
『助けて…っ』
捕らえられ逃げられない体勢の下から、それでも必死に手だけを伸ばす。
それしか頼れるよすががないように伸ばす。
けれどその指先にその時、冷たい何かが触れた。
暗闇の中、それでも色はなぜか赤だとわかるそのどろりと冷えたものは、柵の向こうから
流れてきていた。
倒れている男の下から流れてきていた。
それが何かと悟った瞬間、自分の唇から迸った……それは理性を失った獣のような叫びだった。
自分の声は聞こえなかった。それでも咽喉の痛みから、自分が我を忘れたような悲鳴を
上げている事はわかった。
わからないのは、ここがどこで、自分は誰か……
夜明けのまだ来ぬ暗い部屋の中、その時、間仕切りの衝立を押し退ける勢いで、自分の寝床に
踏み込んで来た男の影があった。
伸ばされた手が両の二の腕を掴み、この身を引き起こしてくる。
そしてその体はそのまま彼の胸元に抱き込まれた。
上げる叫びを抑えようとするかのように、頭を後ろから支え、顔を強く肩口に押し当てられる。
そして耳元、名を呼ばれる。
けれど、その名が本当に己の物なのか、今の自分にはわからない。
何もわからない。それでも心は悲鳴を上げ続ける。そして、
「たす…けて…っ」
ずっと言えずにいた訴えを、ようやく最後まで口に出来ていた。
「たすけて…やってくれ……っ!」
誰を?それは暗い夢の中に見たあの人影を。
名は?……わからない。
こんなに悲しいのに、苦しいのに、自分は呼んでやるべきその者の名を持たない。だから、
救ってやりたいのに名を刻めぬ唇がわななく。混乱と絶望にただ呼気が乱れる。
そんな自分の背をこの時、目の前の男は宥めるように撫でてきた。
頭上から声が聞こえる。
「つらければ、噛んでくれていいですから。」
何を、と理解をする前に更に抱く力を強くされ、目の前に迫った着物に包まれた肩にあぁと思う。
そして逃げ道を見つければもう、耐える事は出来なかった。
腕が上がり、爪を立てるように懸命にその背に縋りつきながら、口を開ける。
歯に感じる布越しの肉の感触。
ぎりぎりと軋む。
そうやって噛み殺したいものがいったい何なのか、今の自分にはやはりわからないままだった。
再び目を開けた時、部屋はすでに明るい光に満ちていた。
障子戸越し、外からは鳥の鳴く声が聞こえ、廊下の方向からは、足音も大きく行き来する人の気配が
感じられる。
旅宿の朝は忙しない。
この旅の中で初めて知った事に思いをやりながらそっと顔を上げれば、そこにはごく近い距離で
自分を腕に抱いて眠る男の顔があった。
間近に見る、その顔には一夜では抜けきらぬ疲れが少しだけ瞼の辺りに翳を落としているようだった。
その原因を思い、わずかに視線を彼越しの背後に向ければ、そこには夜いつも必要以上に
自分達の寝場所を分け隔てる衝立の影が無かった。
自ら作った境界を飛び越えてまで、彼が自分の側にいる。
そしてこの咽喉の痛み。
(またか……)
覚えがまったく無い訳ではない。それでもその実感は目が覚めればいつもどこか朧げだった。
夢にうなされ、悲鳴を上げて目を覚ます。
そんな夢の内容は、自分の過去の記憶なのか。
ぼんやりと思い出す暗い闇の中には、倒れている男がいた。
あの男の為に……自分は記憶を失くしたのだろうか?
わからない。何も思い出せない。
自分の記憶はある一定の所まで遡ると、その先を見失う。
思い出せる一番古いものは、冷たい床と冷たい柵。
そして光の射さぬどこかの地下らしき檻の中で、事の前後も分からず脅えていた自分に差し伸べられたのは、
今自分を抱く、この腕だった。
もう一度、近くの男の顔に視線を戻しながら、その時の事を思い出す。
かろうじて蝋燭の明かりだけが灯る暗い空間に、あの時響いた鍵が開く重い音。
寄ってくる者の気配はすべて恐ろしかった。だから角に身を寄せ、震える。
けれど、そんな自分の前にあの時彼は膝を折った。
そして自分と目線の高さを同じにし、静かな低い声で、こう告げてきた。
『逃げましょう。あなたは私がお守りします』
持ち上がった指先が男の頬に触れる。
初めて見た時、髭は無かったと不意に思う。
自分を見張る為にいるとばかり思っていた彼は、しかしあの時も、逃げる途中も、そして今も
不思議な程自分に優しかった。
どうしてだろう。こんな足手まといな自分に。
外に出て痛感した我が身の知識の無さ。それは記憶が無いゆえなのか、それともそれ以前の問題なのか。
自分は一人ではほとんど何も出来ず、そして歩く事すら意のままにはならなかった。
長く捕らわれ足の力が奪われてしまったのか、道行きの途中で歩けなくなった自分を昨日、
彼は背に負ってくれた。
宿の手配も、その金も、すべて彼の差配。
年は自分より幾分か上で、近しい身寄りはいないと言っていた。
しっかりと世慣れした一人前の大人な彼に対し、自分はきっと彼がいなければその日の内に
路頭に迷うだろう。
感謝している。けれどそれと同時に心苦しくもある。
何か少しでも返せるものがあればと思うが、その矢先で自分はこの始末だ。
つこうとした溜息が、痛む咽喉元で引っかかり軽い咳になる。
するとその振動で、この時不意に目の前の体が身じろいだ。
頬に触れていた指をそっと引き戻す。
そしてゆっくりと持ち上がった瞼から覗いた彼の瞳をまっすぐに見つめていると、少しの沈黙の後、
彼は慌ててその身を跳ね起きさせた。
「うわっ…えっ?!」
「…いた…っ…」
巻き込むように抱かれていた腕から投げ出され、布団の上に落ちた痛みを口にすれば、途端、
彼は再び慌てて倒れた自分ににじり寄ってきた。
「申し訳ありません。大丈夫です…つっ、」
かけてくる、しかしその言葉が途中小さく上げられた声によって途切れた。
「……どうかしたのか?」
痛むのか手首を掴もうとして、しかしその寸前で止まる彼の手元に視線をやりながら問いを口にすれば、
それに彼は少しの逡巡の後、まるでこちらを安心させるかのように苦笑めいた笑みをその口元に浮かべてきた。
「すみません、何でもないのです。ただ、腕が少しだけ痺れて…」
「しびれ……」
「大丈夫です。すぐに治りますから。」
言いながら身を正し、その痺れをやり過ごそうとする。が、その時またしても小さな悲鳴が
彼の口から洩れた。
今度は何?とたまらず自分も身を起こす。
そして心配から彼の様子を不安げにうかがっていれば、彼は腕とは反対側の肩を少し庇っているようで、
その場所に思いが至った瞬間、自分は反射的にその場に立ち上がっていた。
「顔を洗う水を…もらってくる。」
「そんな事は私が、」
「腕が痺れているんだろう。大丈夫、少しは私にも役に立たせてくれ。」
最後はほとんど懇願するように、小さくそう言って部屋を後にする。
そして部屋の戸を閉め一度だけその場で深く息を整えると、自分は人の気配のある階下へその足を向けていた。
階段を下りてすぐの場所にあった玄関口には、早朝からの出立者の姿がすでに幾人か見えていた。
そこに行き交う宿の者に声をかけようとし、しかしその機会をなかなか捕らえられない。
するとそんな自分に背後から不意に声をかけてくる者があった。
「お客さん、何か御用で?」
見れば、そこにいたのは昨日宿についた時、足を洗う水桶を差し出してくれた女将だった。
人に慣れず咽喉で詰まる声を、自分はそれでもこの時懸命に絞り出そうとする。
「…あの…すまないが、顔を洗う水をもらえないだろうか…」
「顔を洗う水ですか?」
「あぁ、部屋の者が今動けなくて…」
「何かございましたか?」
「いや…昨夜、少し……」
問い返され、しかしどう説明をしたらいいのかわからず、結局口ごもる。
するとそんな自分の様子を察したらしい女将が、突然あぁっと手を叩いてきた。
「もしかして、昨夜大きな声を出されていたのはもしやお客さん方でしたか。」
「…………っ」
いきなり思いもかけず昨夜の事を指摘され、絶句する。
けれど女将はそんな自分の顔を見てもなんら変わることなく、笑いながら言葉を続けてきた。
「うちは安普請ですからね。上の物音は下に筒抜けなんですよ。だから一瞬驚きましたけど、
すぐに静かになりましたし大事は無いかと思っていたんですが。何かありました?」
正面からまっすぐに見つめられ、ますます返答に困ってしまう。だから、
「いや…迷惑をかけて…」
ただ小さくそれだけの謝罪を口にすれば、女将は尚も笑いながら、あら、お客さんを責めてるつもりは
ないんですよと返してきた。
「こんな宿屋をやっていたらいろんな事が起こりますからね。どうぞお気になさらずに。で、
御入り用は水でしたか。今用意させますから少しお待ち下さい。」
そう告げて、自ら奥へ足を向けようとする。
そんな女将の背に自分はこの時、もう一度気力を振り絞って声をかけていた。
「あっ、あのっ」
「まだ何か?」
振り返られ、やはり声が一瞬詰まる。それでも意を決し、手を握り締め、自分はこう告げていた。
「もう一つ、頼みたい事があるんだが。」
部屋に戻ると、そこはすでに布団も畳まれ、彼が荷物のまとめを行っていた。
「少しはゆっくりしていればいいのに。」
少々の呆れと、昨夜眠りを妨げてしまったことへの後ろめたさから、ぽつりと小さな声を零すと、
それに彼ははっと振り返ってきた。
「申し訳ありません。」
走り寄り、手に持っていた桶を受け取ろうとする。
痺れは取れたのか。しかしその手を自分はこの時制していた。
「座ってくれ。」
言いながら、自分もその場に膝をつく。すると彼は一瞬戸惑った様子を見せながらも、すぐにそんな自分に
従ってきた。
その彼に、自分はこうも続ける。
「着物を脱いでくれ。」
「えっ?」
「右肩だけでいい。」
言われた言葉に、瞬間彼の表情が何かを察したように強張る。
けれどそれにも引かぬ覚悟で自分が押し黙っていると、彼は最後には観念したようにその右肩から
着物を落としてきた。
さらされる、その肩には赤黒く鬱血した噛み跡があった。
想像していたより酷いその傷の状態に、自分の眉根が痛ましく寄る。
それでも自分は次の瞬間その表情を厳しく引き締め直すと、懐から小さな入れ物を取り出し、
蓋を開け、中のものをその指先に取っていた。
「宿の女将から薬をもらった。痛いかもしれないが少しだけ我慢してくれ。」
「……そんな事は自分で、」
「いいからやらせてくれ!」
どこまでも自分の手を遠慮しようとする彼にたまらず叫び、有無を言わせず薬を傷に塗りこんでゆく。
打ち身のようになっているそこは、触れるだけで痛みが走るはずだった。
しかし彼は自分を気遣ってか、痛みに対する声はけして上げようとしない。
それがかえって心に苦しくて、傷を負った訳ではない自分の方がどうしてか泣きそうになってしまう。
だから唇を噛み締め、ただ無心に手当てをし、塗った薬の上に油紙を乗せると、これもまた
もらった細長い布でそれを固定するように縛る。
傷には触れないように柔らかく。するとそれに頭上から彼が声を落としてきた。
「ありがとうございます。」
礼を言われる筋合いは自分にはなかった。
彼にこの傷を負わせたのは自分だ。
何も出来ず、彼に甘え続け、その庇護の下でしか生きていけないのも自分だ。ならばせめて、
「今日は…歩くから。」
「はい?」
「今日は最後まで、自分の足で歩くから…」
せめて足手まといにはならないように、負担にならないように。
だから……捨てないで、置いて行かないで欲しい。
声にならない願いを胸に抱きながら、傷触れぬよう、肌けた彼の肩口にそっとその顔を伏せる。
するとそんな自分に彼は少し驚きながらも、この時それを引き離そうとはしてこなかった。
代わり、彼の大きな手が、自分の後ろ髪に触れる。そして、
「そんな事…あなたは私がお守りしますから。」
だから、共に逃げて下さい。
優しく囁かれる声に、閉じた瞳の淵から涙が溢れた。
本当に、その言葉のままどこまでも逃げられればいいのにと思う。
彼と共に、追手からも、なにもかも。それでも、
彼を傷つけ、自分を捕らえる失われた過去。
今は何もわからない。
けれどあの籠の中の記憶の夢からだけは、この先、自分はどうやっても逃れる事が出来ない予感がしていた。
□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!
PC規制解除記念!というよりは、PC規制が解除されてるうちに投下させてもらいました。
規制長いよ…
このページのURL: