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止まり木

1乙です。

生 昇天と合点 昇天紫緑+合点×昇天・灰先代司会者絡みのネタにつき注意

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!

楽屋の中にそれぞれのテリトリーとも呼べる居場所があるのは、長年此処に通っているのだから
当たり前かも知れない。
定位置に座った樂太郎は頭の中だけで自分の周囲を着物と同じ紫色に塗ってみる。好樂はピンク、
小優座は水色。菊王は外へ出かけて行ったから、今は透明。鯛平は前の仕事が長引いているらしく、
到着にもう少し時間が掛かるとの事で、こちらも透明。
問題は、唄丸の深緑の端っこに滲んでいる灰色。否、樂太郎とて無闇に突っかかろうとは思わない。
そこまで大人気がない訳ではないので。大体翔太に妬いても仕方が無い。ゆっくりとしたペースで
話している二人の姿は、老人と孫の様なのだから。
翔太を孫呼ばわりしたら、きっと唄丸に睨まれるだろう。二人の年の差は親子程度のもの。
翔太の落ち着きのなさと童顔が悪いと、樂太郎は心の中で悪態をついた。
この二人が仲が良いのは仕方が無い。仕方がないという言い方が正しいかは分からないけれど、
唄丸は前座の頃から翔太を見ているのだから、そりゃ情も湧くだろうと樂太郎は思う。
唄丸のお茶を淹れながら――――寄席の楽屋で散々淹れて来たからか、翔太はいとも簡単に
唄丸の好みのお茶を淹れて差し出す。ありがとうと礼を述べて唄丸が湯飲みを口に運ぶのを
ちらりと横目で見ながら、俺だって淹れられるぞっと言いたくなったけれど、やっぱり
心の中だけに留めた。
自分の分のお茶を淹れながら、ふと翔太が尋ねた。
「唄丸師匠は、どうして噺家になろうと思ったんですか?」
「んー、そうだねぇ。昔ね、まだあたしが子供って位の頃に、家に流翔師匠が来たんだよ」
その話は知らないと聞き耳を立てていた樂太郎は、出てきた名前に驚いた。今は亡き流翔は翔太の
師匠だ。
翔太も流翔からこの話は聞いていなかったのだろう。目を丸くしながら食いついている。
「えっ、唄丸師匠のご両親と、うちの師匠って知り合いだったんですか?」
「違うよ。話はちゃんとお聞きなさいって。あたしの家は置屋だっただろ。年に何回か、
お店の人達の娯楽で人を呼ぶ習慣があったんだよ。それで、うちのお女郎さん達の前で流翔師匠に
落語をやってもらったんだ。あんたの師匠、まだ二ツ目だったかねぇ。それを見て、あたしも
落語家になろうって決めたんだよ」
「そうだったんですか」
へぇーっと素直に感心した翔太は、不意に悪戯っぽく眼鏡の向こうの目を細める。
唄丸がその表情を問い質す前に柔らかそうな唇が言葉を紡いだ。
「ねぇ、師匠。うちの師匠の落語聴いて、これならあたしも出来るって思ったんでしょ?」
「……あたしがこの話をしたら、あなたの師匠も同じ事を言いましたよ」
嫌そうな言葉とは真逆に、柔らかく目を細めて唄丸が笑んだ。
その笑顔を向けられた翔太に対して、樂太郎が抱いた気持ちは悋気ではなかった。
ひどくささやかに、翔太が微笑んだので。
少し伏せられた視線の先にいるのが誰なのか、樂太郎には分かった。
今はもう会えない、翔太の大好きな師匠が、流翔が、きっと其処に居る。
仲の良い師弟だった。決してべたべたしたものではなく、甘やかしもせず、流翔は翔太を慈しんで
育てた。また翔太もその愛情に応えて、しっかりと生命力逞しい噺家に育った。
きっと翔太は何時かの師匠と今の自分が同じ感想を抱いた事を喜んでいる。
切なさに似た感情が胸の中を満たす。郷愁は薄い青色から始まるグラデーションを描いて、
最後にはくすんだ紺色になった。そう、まるで園樂の着物の様な――
吐き出された息に滲んだのは、きっとその色だ。師匠の不在に、樂太郎はまだ慣れてはいない。
何時か慣れる日が来るのかも分からない。乗り越えた翔太は立派だと思う。
視線を感じて顔を上げると、唄丸が樂太郎を見ていた。きっと思考が顔に出ていたのだろう。
樂太郎は知らず眉間に刻んでいた皺を解いて、ただ困った様な笑顔を浮かべて見返した。
唄丸は心の内を覗き見しておきながら、それを隠す事もなくただ静かに視線を注いでくる。
慰められるよりも、それは堪えた。
悲しみの深さを知ってくれている人がいると思うと、寄りかかりたくなってしまう。ましてや唄丸は
長らく樂太郎にとって大切な人であり、師匠とはまた違った尊敬する相手でもあったのだから。
心の内で己に喝を入れ、傾ぎそうになる気持ちをしゃんと立て直す。
大丈夫と視線で頷いて見せて、樂太郎はついっと立ち上がった。余り長くは表情を
保っていられなさそうだ。
さも用事がある風を装って携帯を片手に廊下へと出た。携帯を耳に当てて歩くと、邪魔をしては
いけないと話しかけてくるスタッフもいない。
人気のなさそうな非常階段の辺りに辿り着くと、細く細く息を吐く。壁に寄りかかって苦笑いが
浮かぶままに小さく笑った。
「……駄目だなぁ」
日が経つにつれ、悲しみは遠ざかるどころか樂太郎の中に深く根を下ろした。きっと消える日は
こなくて、少しずつ当たり前のものとして馴染んでくれるのを待つしかない。
きゅっと瞼を閉じて界を遮断する。そっと近付いてくる足音を耳が拾った。
――優しいんだから、もう。
樂太郎の強がりは点で通じなかったという事だ。土台唄丸を誤魔化せるだなんて、樂太郎自身も
思っていなかったけれど。
せめて情けない姿は見せるまいと背を張って樂太郎は振り返ったけれど、ただ穏やかな表情で
立っている唄丸を見て負けたと心の中で呟いた。
叱るでも諭すでもなく、唄丸が名前を呼んだ。
「ねぇ、樂さん」
「はい」
「一門を背負って立つ大名跡を継ぐからって、感情に蓋をする事はないんじゃないのかって、
あたしは思うんですよ」
「でも、弱いのは嫌です」
「感情を殺すのが強い訳じゃないでしょ。誰彼構わず見せろって言ってるんじゃない。あんたには
見せても構わない人間がいるでしょ。好樂さんにしろ、他の兄さんにしろ」
「そうですね……唄丸師匠もですか?」
「はい?」
「師匠も、ですか」
子供じみた口ぶりに自分でも笑うしかない。こんな甘えを見せて尚、まだ言葉を欲しがる
己の弱さはただただ苦い。
唄丸は一度あからさまな嘆息を静かな床の上に落とした。叱られるだろうかと身構えた樂太郎の
強張りを、いかにも唄丸らしい言い草の優しい声が解す。
「違うと思ってるのかい?」
「……思ってません」
「ならそれでいいじゃないか。あんたが今悲しいのは、それだけ園樂さんを慕っていたからで、
園樂さんがあんたに向けた愛情をちゃんと受け取っていた証拠だろ?」
愛情という単語に胸が詰まる。
尊敬している、なんて言葉だけでは言い表せない。父親の様に思っていたあの大きな背中と
豪快な笑い声が耳に返って、樂太郎は俯きながら咽喉から掠れた声を絞り出す。
「だったら、少し甘えさせて下さい」
「好きにおしよ」
背を丸めて、唄丸の細い肩に額を預けて、樂太郎はぎゅっと目を閉じた。
頬を濡らすものはない。涙は師匠の棺の中に入れてきた。
頭の片隅を、先刻の翔太が過ぎった。翔太は泣いただろうか。それとも泣けなかっただろうか。
あの伏せた睫毛が濡れたのを、誰かが見ていただろうか。
誰しもが通る道といえばその通りで、師匠を直に送れなかった弟子もいる。先代の子さんの葬儀の時、
壇 氏は家に足を向けなかったと聞いている。師匠を安置した家の横に建てられた剣道場で、
一晩壇氏を待っていたのは弟弟子の壱羽。ついぞ来なかった兄弟子に、彼はどんな気持ちを
抱いただろうか。憤ったのか、あの人らいしと笑ったのか。破門されているからと、それを押してまで
駆けつけなかった壇氏を薄情とは思わない。壇氏が子さんを惜しまなかった筈がない。
決して背を抱いたりしない唄丸に妙な安堵をしながら、樂太郎は心の中だけで泣いた。

***

着信を告げた携帯を三コール目に取ると、電話の主はいきなりこう聞いた。今日、どっか寄る? と。
名乗らなくても少し高いその声で分かる相手に、性急にそんな質問をされた経験はついぞなく、
士の輔はかなり泡を食った。特に予定はなかったけれど、寄るよと返してお互いに行き着けにしている
バーの名前を告げた。
待ち合わせを決めた訳ではないが、落ち合う様にして顔を合わせたバーのカウンターに隣同士で
腰をかけたものの、翔太はあんな電話を寄越したとも思えない呑気さでウォッカベースのカクテルに
口を付けている。
何か良くない事でも起こったかと、会うまで揉んでいた気を返して欲しくなりつつも、言わないのは
それなりに理由があるからだとも思い直す。翔太が理不尽な真似をしない事を、士の輔はこれまでの
長くて深い付き合いでよく知っている。
焦れる気持ちを抑えつつも何度か横顔を伺っていると、ついに視線がぶつかって、士の輔は思わず
ぱっと逸らしてしまう。これじゃぁ盗み見していたのがバレバレだと、うかつに顕著な反応をした
自分を責めかけたけれど、それも翔太の忍び笑いで気勢を削がれてしまった。
「翔ちゃん」
「ごめん、ごめん。そっか、そうだよね。あんたの事だし、あんな電話貰ったら気にして
考えてくれちゃうよね」
物事を考え込まずにはいられない士の輔の性質を簡単な言葉で表して、翔太はもう一度ごめんねと
口にした。謝られてしまえば強くも出られず、別にいいけどと同じウォッカベースのカクテルを煽る。
「嫌な事があったんじゃないんだよ。……唄丸師匠にね、どうして噺家になったんですかって
聞いたんだよ」
「うん」
「そしたらさぁ、子供の頃にうちの師匠を見たから、だって師匠が言うのね。それで
『これならあたしも出来るって思ったんでしょ?』って言ったら、『あなたの師匠も同じ事を
言いましたよ』って」
小さな声で、まるで宝物の在り処を告白する様な口調で、翔太は言った。
嬉しさと切なさの混じった表情に士の輔は翔太を抱き締めてやりたい衝動に駆られたけれど、
勿論この場でそんな暴挙に及ぶ事も出来ずに、持ちうる限りの優しさを総動員した声で返す。
「そっか」
「うん。そんだけなんだけどね。……帰り道に思い出してたら、何か士のさんに
会いたくなっちゃって。悪いね、忙しいのに」
珍しいまでの直球な素直さを晒した翔太に、その心の中で流翔の存在がどれだけ大きいのかを、
また再確認する。
敵わないと思う気持ちに悔しさは滲まない。そんな不遜さは持ち合わせていなかった。
士の輔にとって稀有だと思う翔太の感性を、寄席や伝統といった縛りですり減らさせる事なく、
また囲い込んでしまう事もなく深い愛情の元の放任で育て上げた流翔に、尊敬の念を抱くだけだ。
明るく軽いキャラクターだけでなく、計算高くてしたたかで、落語に対して何処までも貪欲に
挑んでいく、そんな翔太だからこそ惚れ込んだのだから。
カウンターの上に放り出していた煙草の赤い箱を取ると、中から一本抜き出して火を点ける。
一口吸ってから、何も気付いていない風に明るい口調で言った。
「指名してくれて、俺は嬉しいけどな」
「あんた指名すると、後々高くつきそうで嫌なんだよなぁ」
わざと顔を顰めた翔太に、そんな事ないだろと言い返す。
どれだけ忙しくても、翔太に求められればこうして来てしまうのだから。
分かっている筈の横顔が小憎らしくて、少しいじめてみようかと揶揄ってみる。
「翔ちゃん、他にいないもんな」
「何が?」
「こんな風に甘えられる相手。……って、俺の自惚れ?」
「勝手に自惚れとけばいいじゃん」
先刻の素直さを何処に仕舞いこんだのか、つっけんどんに言い放たれる。否定をしなかったのが
本心だというのは、もう分かっているから気分を害する事もない。
ちらりとこちらを伺った翔太の瞳に、気持ちを探ろうとする気配を感じて、士の輔は笑った。
妙な所で弱気になる翔太が可愛い。
「じゃぁ、勝手にそう思い込んどくわ」
「……うん」
カウンターの下で互いの手の甲が触れる。それ以上は触れないけれど、離れない。じんわりと伝わる
温もりが言葉にされない翔太の答えだ。
だから士の輔は自惚れていられる。お互いが唯一の相手だと。
遅くなれば明日に響くと分かっていながら、士の輔は三杯目のカクテルを注文した。
タイミグを合わせて飲み干したグラスを掲げて、翔太も同じものを頼む。
翔ちゃんも分かってるとは思うけど、と前置きを口にしようとして、動きかけた舌を止める。
恥かしいのでもなく、言いづらいのでもなく、必要がないと思ったからだ。
ふと交差した視線が呼んだのはささやかな笑み。わざわざ声にしなくても気持ちは添っている。
今士の輔が翔太の隣にいるのが、その証拠だ。
――俺にとっても、他にいないよ。
飲み込んだ言葉の代わりに、空になったグラスの中で氷がカランと音を立てた。

□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!
途中ageてしまった件と、ナンバリングミス、すみませんでした。


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