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邂逅

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!

某諸国漫遊記時代劇のお付きの二人のエピソード0。ほとんどオリジナル。
一方の家族構成は完全捏造。こんなのでも大丈夫そうな方だけどうぞ。
長くなったので途中で一度中断します。

お互い顔くらいは知っていたのだと思う。
同じ主人の下、同じ仕事に携わっている同年輩同士。
それでも彼は、同じような境遇にいる者達の中でも一際華やかな集団の中心にいるような
人物だったから、正直自分とは縁のない人間だと思っていた。
しかしだからと言って、
「げっ…」
顔を見た瞬間、その一言は無いだろうとも思う。
薄闇の下り始めた宵の口。
仕事を終え家路につく自分の前、突然大きな屋敷の門から飛び出てきた相手のその一言に、
熱海各之進はその秀麗な眉間に深い縦皺を刻み込んでいた。
そして手にした提灯で照らし、再度良く見直したその顔はやはり見覚えある笹木介三郎のもの。
勤め先で見かけた時よりは幾分くだけた着流し姿の、それでもその慌てぶりと表情に走った
狼狽の色に各之進がいぶかしさを覚えたその瞬間、これまた門の奥から飛んできた声があった。
「そこの御方!どうぞその人を捕まえて!」
「あっ…」
「あっ…って!」
「やった!」
耳に届いた叫びに思わず反射的にその首根っ子を取り押さえてしまった各之進に対し、
瞬間介三郎が批難じみた声を上げる。
しかしそんな彼の訴えを打ち消すように、この時、屋敷の中から追いかけ出てきた女は
2人の姿を見とめた瞬間、手を叩きながらうれしげな歓声を上げていた。

「すいません…」
「…信じらんねぇ」
「だから何度も謝ってるじゃないですか。」
「でもだからって、人の事泥棒と間違えるなんていくらなんでもありえなくないか?!」
「いきなり門の外に飛び出してきた人間が、屋敷の家人から追いかけられていたら、
普通は誤解しますよ!」
「屋敷の家人って、ここは俺の実家だ!」
「そんな事知りませんよ!!」
「あら?どうかしました?」
「いーえっ!」
2人横並びに座る座敷の障子がすうっと開けられ、その向こうから現れた女性の姿に、
介三郎と各之進は同時に声をそろえて返事をしていた。
するとそれに女性、セツはにっこりとその丸い小柄な顔に笑みを浮かべ、運んできた茶を
各之進の前に差し出す。
「あの、どうぞおかまいなく。」
少し困惑の面持ちで各之進が遠慮の言葉を口にする。
けれどそれにセツは、浮かべた笑みを絶やさぬまま答えた。
「いえいえ、貴方様にじゃそこのやんちゃ坊主を捕まえていただいたのですから、お茶くらいは
お出ししないと。」
「やんちゃ坊主って。義姉上、私はもう子供ではないのですから。」
「旦那様に叱られるのが嫌で、屋敷からこっそり逃げ出そうとなさった方が子供ではなくて
何だと言うのですか。」
「それは…」
ピシリと言い切られ、介三郎が返す言葉を失う。
そしてその交わされるやり取りに、各之進は改めてこの女性が介三郎の兄嫁なのだと理解していた。
あの後、屋敷の門前で介三郎を取り押さえてしまったしまった自分が、実は彼と共に静山荘に
勤める人間だと知ると、この女性は喜びと共に自分を屋敷の中に招き入れた。
しかしお礼をしなければならないからと言う言葉は実は建前で、本音は一度捕まえた介三郎を
再び逃さぬようにする為の見張り役にさせられた感が無きにしも非ず。
そんな状況において、今こうして並び座る2人の間に流れる空気は言うまでも無く微妙なものだった。
厄介事に首を突っ込んでしまったかなぁと思わず後悔の念が頭をよぎる。それでなくとも、
「ところで今更になりますけど、お友達をちゃんと紹介して下さいな。介三郎さん。」
「しょっ、紹介ですかぁ?」
普段の繋がりからして微妙なのに。
セツに促され、介三郎が困惑の声を上げながら視線をチラリと横に流してくる。
しかしそれにも各之進は(だから俺にどうしろと)と言う思いしか抱けなかった。
けれどそんな2人をよそにセツの攻撃は止まない。
「ですからお名前とかもまだうかがってませんし。」
「名前ですかぁ?」
(そうか、名前も知らなかったのか……)
思いっきり素っ頓狂な声を上げる介三郎の様子に大体の事情を察して、この時各之進は仕方無く
息を一つつくと、次にはその指先を畳みの上にそろえ、その頭を下げていた。
「申し遅れました。私、熱海各之進と申します。笹木殿とは同じご老公様にお仕えしている身では
ありますが、何分私が静山荘に上がったのはごく最近の事。故に笹木殿に友と呼んでいただくには
いささかおこがましい事情を、奥方様にはどうぞご理解いただけたらと存じます。」
暗に『友人と言えるような仲じゃねーんだよ』という思いを込めた挨拶を口にする。
しかしそんな各之進の腐心の甲斐も無く、この時セツが返してきた反応は人の話をまったく
聞いていないものだった。
「まあまあ、なんて丁寧なご挨拶。介三郎さんにこんな礼儀正しいご友人がいたなんてセツは
驚きました。どうぞこれからも仲良くしてあげて下さいね。」
にこにこと微笑まれ、毒気が抜ける。
だから友達じゃないし、てかあの程度の口上でこの反応ってあんた普段どんな奴らと付き合ってるんだ、と。
唖然とした面持ちで各之進がこっそり隣りをうかがい見ると、そこには彼は彼でどこか疲れたように
遠い目をした介三郎の引きつった笑みがあった。
彼もどうやらそれなりに、この兄嫁には苦労しているらしい。
思わず一瞬同情の念が沸きかける。
しかしそんな各之進の意識は、その時不意に廊下の方角に感じた人の気配の方へ流された。
障子に映る黒い影。そして、
「おや、えらく賑やかだな。」
穏やかな声と共に部屋の中に入ってきた、その人影の正体を察した瞬間、各之進は驚きのあまり
とっさに己が頭を低く下げていた。
自分から僅かに遅れて、介三郎とセツも礼の形をとる。
そうして迎え入れたその人物は、いささか世辞には疎い自分でも知らないではすまされない、
笹木長頼、介三郎の兄にして現三戸藩主に使える重臣の一人だった。
「お帰りなさいませ、兄上。」
そんな相手に向け、介三郎は弟ゆえの朗らかな声で出迎えの言葉を口にする。
するとそれに長頼は静かな頷きを返すと、すぐさまからかうような声色で介三郎に言った。
「どうやら逃亡に失敗したらしいな。あの介三郎様が首根っ子をつかまれて屋敷に戻されたと
皆が楽しげに私に耳打ちしてくれたぞ。」
「そっ、それはこいつが!」
「ちょっ、な…っ」
「こいつ?」
痛い所を突かれてとっさに隣りの自分に指を突きつけてきた介三郎に、思わず狼狽して各之進が顔を上げる。
するとそんな見慣れぬ存在に、長頼はこの時すっとその視線を向けてきた。
「貴殿は?」
問われ、たまらず緊張に硬直する。
が、そんな各之進の心中など知らぬげに、介三郎は喜々として口を開きかけるが、しかしそんな動きは
すぐに固まり止まってしまった。
「こいつの名前は…えーっと…」
「…熱海各之進と申します。笹木長頼様にはお初にお目にかかります。」
いい加減名前くらい覚えてくれとの介三郎へのいら立ちに助けられ、なんとか名乗りを口にできる。
するとそんな各之進に、介三郎は瞬間不思議そうな目を向けてきた。
「あれ?おまえ、兄上の事知ってるのか?」
「……三戸の人間なら知らぬ者はおりませんよ!」
抜けるのも大概にしてくれと、さすがに語尾も強く小声で反論すると、それに長頼は穏やかに笑いながら
それでも一瞬何かに気づいたような表情を見せた。そして、
「熱海、と言うと、もしかして先日まで城の祐筆方にいた?」
問うてくる声。それに今度は各之進の方が驚きに目を見張った。
「はい、確かに先日まで…」
「あれあれ?兄上がどうしてこいつ…じゃなくて彼をご存じで?」
これはさすがに彼も意外だったのか、介三郎がまたしても横合いから口を挟んでくる。
するとそれに長頼は、こちらも幾分怪訝そうな表情を見せながら答えを返してきた。
「先日ご老公様が自ら静山荘での書史編纂の為に優秀な若手を引き抜いて行ったとの話を聞いた。
その影響でしばらくの間城方の公務に支障が出たともな。」
「へぇー」
「へぇーって、おまえの方こそ知らなかったのか?」
暗に『友人なのだろう?』と目で問われ、それに介三郎はいやその…と言葉を濁す。
そしてそんな挙動不審な弟に畳みかけるように、長頼はこの時更に言葉を継いできた。
「なんにしろ、そんな優秀な人材がおまえと知り合いとは珍しい事もあるものだな。普段のおまえの
遊び相手と違って、この熱海殿はツケの取り立てが実家に来るほどの茶屋遊びに付き合ってくれるような
御仁には見えんが。」
「茶屋遊びの取り立てぇ?」
ギョッとするのと同時に、嫌悪にも似た非難のまなざしが隣りの他称友人に向けられる。
するとその声色に乗る様に、今度はセツからも小言が飛んだ。
「本当に恥ずかしかったんですからね!向こうのお店の方もこちらの体面を慮ってすまなそうな顔を
してらっしゃるし。でもあなたが捕まらないから仕方なくと。ねえ、介三郎さん。どうしていつも
そんなに遊び歩いてばかりいらっしゃるのですか?この家にはほとんど寄りつかず、静山荘で寝泊まり
ばかりされて。このセツになにか不満でもあるのですか?ならばはっきりとおっしゃって下さい。
直すように努力いたしますから。」
「いえ、義姉上に不満などは…」
「ならばどうして?!」
「…………」
矢継ぎ早に責め立てられ、とうとう介三郎が返事に窮して黙りこむ。
そしてそんな歯切れの悪い彼の態度に、この時各之進は一瞬何だ?との疑念を覚えたが、そんな行き詰った
部屋の空気は、次の瞬間放たれた長頼の言葉で破られた。
「セツ、客人の前だ。あまり身内のみっともない所を晒すのはよそう。熱海殿失礼したな。」
突然話を振られ、各之進がビクッと背筋を伸ばし、いえと小さな声で返事を返す。
すると長頼は今度は黙ってしまった弟の方へ視線を向けると、静かな口調で語りかけた。
「そして介三郎。とりあえずおまえは今晩は泊まっていきなさい。そしてセツが立て替えた金は
きちんと返すように。」
「はい……」
まるで尻尾を掴まれた猫のように、介三郎が大人しく答える。
そしてそんな従順な弟の様子に長頼は無言で頷きを見せると、最後はもう一度各之進の方へ向き直り
声をかけてきた。
「なにやら落ち着かぬ状況での顔合わせとなってしまったが、とにかく君のような優秀な友人が
いてくれる事は、この子の兄としてとても喜ばしく思うよ、どうかこれからも仲良くしてやってくれ。」
やんちゃな身内への愛情を合くさずに告げられる申し出。
さして時間をおかぬ内に夫婦そろって同じことを頼まれ、これには各之進はもはや黙って頭を下げるしか
他なかった。

『少しだけ送ってきます』との言に『そのまま逃げちゃ駄目ですよ』と言うありがたい釘を背中に
受けながら、介三郎と各之進が屋敷を出たのはそれからしばらくたってからだった。
もうすっかり暗くなってしまった夜道を、それぞれが手に持った提灯で照らしながら、無言で歩く。
何とも言えない気まずさに互いに口にする言葉が見つからず、しかしそのくせそのままではさすがに
嫌だなぁと気ばかり焦って、考えあぐねた結果2人が取った行動。それは、
「あ、あのさ…」
「あの…」
どこまでも間悪く、同時に声を掛けあう事だった。
思わずお互いの顔を見合わせ、その視線を絡めあってしまう。
究極にばつが悪かった。だから、
「そうぞお先に。」
とにかくなんとか先手を打って、各之進が先を譲る。
するとそれに介三郎は提灯を持たぬ手で一度後頭部を撫でると、おずおずと言った感で再度口を開いてきた。
「いや、まぁ、その…色々とすまなかったな。巻き込んじまって。」
いささか聞き取りにくい小声で。
それでも一応悪いと思っていたのかと、告げられた謝罪に各之進がおっと言った表情を見せる。
するとそれを目ざとく見つけた介三郎は、半ば照れ隠しのように語調を強めながら反撃に出てきた。
「で?そっちは何だったんだよ!」
きつくこちら側の言葉の続きを促され、それに各之進は一瞬戸惑う。
あらためて問われても先程の言は苦しまぎれに発しただけのもので、特に内容は無く、実際何を
言いたかったのか各之進はすでに忘れてしまっていた。
けれど隣りで待つ彼は、そんな自分の言い訳をとても聞き入れてはくれなさそうで……
だから仕方なく、
「何と言うか…驚きました。まさかあんな気さくなお人柄だとは思ってもいなかったので。」
「ん?俺の事?」
「違います。」
真面目に呆ける相手にきっぱりと否定を口にする。
するとそれに介三郎はあぁと軽く手を打つと、ニッとその口角を引き上げてきた。
「どうだ、いい人だろう。高位にあって威に猛からず。清廉潔白、公明正大。俺の自慢の兄上だ。」
目に喜々とした色を浮かべながら告げてくる、介三郎のその言葉には一片の偽りも無いようだった。
だから各之進はそんな彼の表情をしばし見つめた後、一つの疑問を口にする。
「ならば何故?」
いささか言葉足らず君の問い掛け。
言外にどうして家に寄りつかないのか?と尋ねてみると、その真意を介三郎は過たず汲み取ったようだった。
「それはまぁ、色々事情はあるんだよ。一応俺もそれなりの年だからな。兄上に甘えてばかりも
いられないし、その結果の一人立ちって事さ。」
しれっと答える介三郎に、一瞬(茶屋に借金する暮らしのどこが一人立ちだ)と言う思いがよぎったが
さすがにそれは口に出さず、各之進は何とはなしに言葉を継ぐ。
「しかしそれが奥方様にはご不満だったようですが。」
武家の、しかも藩の重臣の妻女としては、これまた面食らうほどの大らかな気性の持ち主に見えた
小柄な女性の事を思い出しながら告げる。
と、それに介三郎はまたしても更なる笑みをその目元に浮かべてきた。
「あの人は昔からお節介な程世話好きだからなぁ。」
「昔?」
「あぁ、あの人は父の親友の娘で、物心つく頃から兄の許嫁に決められていたんだ。だから幼い頃から
しょっちゅう屋敷に出入りしていて、3人でよく遊んだりもした。おかげで今では本当に血の繋がった
家族のような感覚なんだが、まぁその分あまりに遠慮が無さすぎて責める言葉がなかなか手厳しい。」
「………」
「って、俺ばかりに話をさせるなよ。そっちはどうなんだ?」
「どう…とは?」
穏やかに語られる事情に耳を傾けていた矢先、いきなり話の矛先を向けられて各之進が瞬間言葉を詰まらせる。
「だからそっちの家庭の事情はどうなんだよ?家ここらなのか?でもだったら俺が知らない訳ないよな。」
長年居を構えているこの界隈に住んでいて自分が知らない事があるなんて許せない、とばかりに
強く問い質してくる介三郎の勢いに、各之進はわずかに気圧される。
が、そこはそれ。一度落ち着く為に深く息を吐くと、各之進はスラリと自分の事情を説明した。
「実家はこの付近ではありません。城勤めの時ならばともかく、静山荘に通うにはいささか遠く
なりすぎたので、今は叔父の家に間借りの居候をさせてもらっています。居を移したのもつい先日の
事なので、笹木殿が知らぬは当然の事かと。」
暗に家に寄りついていないのならば尚の事、との含みを持たせて丁寧に告げる。
しかし介三郎は今度はそんな嫌味には一向に気づく気配もなく『そう言えばご老公様に引き抜かれたんだっけ』
と小さく呟くと、不意に立ち止まり、真顔で問い詰めてきた。
「何故受け入れた?」
「はぁ?」
わざとではない本当の言葉足らずに、意味がわからず各之進が思わず聞き返す。
すると彼はさすがに己の性急さに気付いたのか、あっと一度天を仰ぎながら言い繕ってきた。
「いやその、兄上がおまえを優秀だと言っていたからさ。ならばそのまま城勤めを続けていれば
それなりの出世も見込めただろうと思って。確かにご老公様のお声掛かりはありがたい事ではあるけれど
今はあくまで隠居の身。そのお方に仕える事はやはり出世の本流からは外れるだろう?」
突然真面目に政治論を展開してくる。
そんな介三郎に各之進はこの時、驚くより何より…少し呆れてしまった。だから、
「その台詞はそっくりそのままあなたにも返せますけどね。」
いくら跡取りではないとは言え、城下でも屈指の名家に生まれた男が、自分を棚に上げて何を言ってやがると。
強くそう目で語ってやると、それに介三郎は初めて自分の境遇に思いが至ったようだった。
「それは、確かにそうだが…」
思いもかけない反撃に面食らったように言い詰まり、しかしそれでも介三郎は次の瞬間不意にその表情を崩す。
突然零れ落ちた笑顔。
意外な彼のその感情の変化に、一瞬各之進は目を奪われる。
それゆえ、何だ?といぶかしげに眉を微かにひそめると、そんな各之進に介三郎は朗らかに言い放ってくれた。
「俺はご老公様が好きだ。」
「はぁ」
「あのお人柄に惚れ、この人について行きたいと真剣に思わせてくれた初めての方だ。だから出世の為とか
お家の為ってのはこの際兄上にすべて任せて、俺は好きにさせてもらう。静山荘に上がった時にそう
決めたんだ。もっともだからその分、兄上にはまったく頭が上がらなくなってしまったんだが。でも
こんな気持ち、おまえならわかるだろう?」
「俺が、ですか?」
いきなり同意を求められ、戸惑いを隠せずおうむ返しにする。
しかしそんな各之進にも介三郎は尚も楽しげな表情を変えず、頷きを見せてきた。
「ご老公様の事、好きだろう?」
打算でも、それは尊敬ですらなく、ただ純粋な好意からくる衝動で話を受けたのだろう?とまっすぐに、
それはあまりにもまっすぐに言い切られ、これに各之進は下手に言葉を重ねる愚を悟る。だから、
「そうですね。」
素直に己の意を口にして思わず表情をほころばせると、介三郎はそれに更に子供のような笑みを見せた。
しばし互いに笑いあって、でもそんな行為にはやはりまだどこか気恥ずかしさも残って、だから最後
各之進は息を整えるとこう切り出した。
「では、送っていただくのはここまでで結構ですよ。あなたは今日はちゃんとご実家に戻られて、
明日は遅刻しないように出仕してきて下さい。」
少し非礼に当たるかなとは思いつつ、説教じみた口調で告げると、それに介三郎は一瞬目を丸くしながら
それでもすぐににやりとした笑みを口元に浮かべてきた。
「おまえはまるで義姉上のような口のきき方をするな。」
発せられたからかうような語調。
しかしその中のある一点がこの時どうにも神経に触って、各之進は一度軽く咳払いをすると即座に返事を返す。
「あの、いい加減人の事を『おまえ』呼びするのはやめてくれませんか。俺にはちゃんと、」
「『熱海各之進』と言う名前がある、か?」
しかしそんな反撃の言葉尻を途中から奪い取って、介三郎がまたも得意満面とばかりにこちらを見つめてくる。
だからそれに各之進が再度渋面を作って咳払いを零すと、介三郎はこの時尚も笑いながら人の名を
繰り返し呼んできた。
「『熱海各之進』『各之進』な。よし、さすがに覚えたぞ。明日からはそう呼ぶから今日のところは
許してくれよ。」
なんのてらいもなく『明日』という言葉を口にする、そんな男に一々講釈を垂れるのもなんだか馬鹿らしく
思えて、各之進は一つ無言で頷きを見せ、それを了承の代わりとした。
それに介三郎は最後もう一度笑うと、それをきっかけにこの時「じゃあな」と一言言い置き、あっさりと
その背中を見せる。
そんな手にした提灯の明かりで少しだけ照らし見たその後ろ姿は、夜の闇の中それでもどこか軽やかで、
それに各之進はあらためて苦笑ともため息ともつかない息をつくと、自分も再び歩み出す。
「何だったんだかなぁ。」
そして無意識に零れおちた呟きの中、思い出すのは突き抜けたような明るい笑顔ばかりだったから。
(本当によく笑う男だったな)
そんな事を思いながらふと見上げた頭上。そこには丸い月が白く照り輝いていた。

□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!
ナンバリングを失敗しました。すみません。
規制解除記念に堅物の恋萌え、でした。


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