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独りの乾杯

※生注意※
オサーン盤
迷彩視点
不謹慎要注意!!
死ネタ注意
捏造注意
萌え無し

|>PLAY ピッ ◇⊂(;A; )ジサクジエンガ オオクリシマス…

一足先に冬を迎えたニューヨークの夜は、吐息をかすかにけぶらせる。
日本を発つときには必要なかったコートに身をくるみ、鉄はタクシーを降りた。
深夜にリトルイタリーの入り口でタクシーを停めさせた東洋人を運転手は怪訝な顔で見たが、余計なことは何も聞かなかった。
英語が不得手と思われたのだろう。
車内では必要最低限のことしかしゃべらなかった。

眠らない街と言われるニューヨークでも、全ての街が眠らない訳ではない。
ここリトルイタリーでもメインストリートこそきらびやかな灯火で夜を謳歌してはいるが、一歩裏通りに入ってしまえばよそ者には不穏な空気をかもし出している。

その澱んだ空気に怯むことなく、鉄はうらぶれた通りに足を踏み入れた。
この界隈も、これから向かう店も、初めてではない。
以前に一度だけ訪れたことがある。
連れられてきた、と言った方が正しいのかもしれない。

記憶をまさぐり裏通りを進めば、見覚えのある古い建物が見えた。
住人がいるのかどうかも怪しいそれは今夜も明かりが灯ることなく、しんと静まり返っている。
そこを曲がり、細い路地を更に進む。
突き当たりの手前に小さな明かりが見え、看板であることを確かめた鉄は、足早に路地を進んだ。
記憶にある看板に間違いはなさそうだったが、店の名前までは覚えていなかった。
アルファベットの連なる店名は、イタリア語に馴染みの薄い鉄にとって記憶に引っかかってくれるものではなかったらしい。

B1の文字を確かめ、地下へと下る階段に足を向けた。
ひとり歩くだけで精一杯な狭い階段は手元さえも薄暗く、非常灯すら灯っていない。
携帯電話を取り出してライトを点灯し、足元を照らしながらそろりと下りる。

階段を下りきった先には古めかしい木扉がひとつあった。
それだけなら店舗の入り口にも見えるが、ここに看板はなく、店の名前すらどこにも出ていない。

鉄は軋む音を立てる木扉を開けた。
階段よりはわずかに明るい店内から、明かりが漏れる。
低い天井から間接照明がスポットライトのように光を降り注ぎ、漂う紫煙をゆらりゆらりと浮かび上がらせていた。

煙る中、鉄は足を踏み入れる。
縦に細長い空間はカウンター八席と申し訳程度にテーブル席が置かれたバールだった。
街中にあるような洒落たものではなく、人がいるのに裏路地同様どこか廃れた雰囲気が漂っているのは、壁を飾る色褪せたポスターの仕業か。
壁際には多種多様な酒瓶がずらりと並び、その前に陣取っているのは仏頂面を下げた店主らしき年老いた男がひとり、煙草を片手にショットグラスで酒を舐めている。
客はいない。
その静寂をあざ笑うかのようにジャジーなBGMが控え目に流れている。

鉄はカウンターに向かい、一番奥のスツールに腰を下ろした。

「グラッパをショットで二杯」

ひとりで来店しているにも関わらず二杯という不自然な注文をした鉄に店主はちらりと目をやり、棚奥からボトルを一本取り上げた。

「前回と同じでいいかい?」

店主の問いかけに気を奪われ、コートのポケットから取り出してくわえた煙草を鉄は危うく落としそうになり、慌てて手で掴んだ。
この店に訪れたのはもう何年も前、ただの一度きりだ。
いくらこの界隈で東洋人が珍しいとはいえ、ただの一度しか来店していない客を全て覚えているのか。
驚きに見開いた目を店主へ向ければ、何事もない顔をした老人は鉄の前に灰皿を置くと、くわえ煙草のままショットグラスに酒を注いだ。

呆然とその動きを目で追う鉄の前へ、静かにショットグラスがひとつ置かれる。
もうひとつは隣のスツールの前へ。
全てを見透かされている気になった鉄は手にした煙草を再びくわえ、火を点けた。
深く深く、肺の奥まで吸い込み、一息に吐き出す。
忙しなく灰にしていく煙草が半分にもならぬ内に、鉄の前にはチェイサーが置かれた。

根本まで灰にしてからようやく鉄は灰皿に煙草を押しつけ、ショットグラスを手にした。
小さなグラスは片手にも余る。
それをほんの少し揺らしてなみなみと注がれた液体を波立たせ、隣のグラスに触れ合わせた。
澄んだ音色が古めかしいジャズに飲み込まれていく。
口元に運べば酒の弱い自身には気化したアルコール臭だけで酔えそうな強い香りが鼻腔をくすぐり、鉄は誘われるままに薄い琥珀の液体を一口含んだ。

それは嚥下をためらうほどの灼熱を鉄にもたらし、一瞬で口内を焼く。
負けじと飲み下せば、口内を焼いた酒は喉を焼き、食道を焼き、胃の腑を焼いてなお気化して口内へと舞い戻っては熱を増長させた。
グラッパが今どこに居座っているのか、灼熱がその在りかを否応なしに知らしめる。

こんな酒を、あの男は生で飲んでいたのか。
炭酸で割って飲んだあのときとはあきらかに違う、暴力的なまでに雄々しく、力強いこの酒を。

すぐさま脇のチェイサーに手を伸ばし、グラス半分ほどを胃に流し込む。
胃の中で水割りにしてやろうという魂胆だったが、ちりちりと熱を持つ粘膜にはあまり効果がないように思えた。

あの男はこの酒を何と評していただろうか。
剛直かつ野趣溢れる土臭さは原始のエロティックさに通じる、だったか。
酒の味などとんとわからぬ人間には理解の及ばぬ語り草でしかなく、そのときは何を気障ったらしいことをと鼻白んでみせたが、味覚に異常がある訳ではない、酒が飲めるか飲めないかの違いでこうも捉え方に差が生じるものかとある種の感嘆を覚える。
マイブームだと言っていた当時、日本ではまだあまり知られていなかったグラッパを、海外に出ると好んで飲むと話していた。
まさしく『呑む』という比喩が当てはまる飲み方で、いつの間に覚えたのやら、粋にグラスを干す様は豪胆の一言に尽き、同じ時代を駆けてきた盟友がずい分と遠く離れた大人の世界に身を浸しているような疎外感を、隣に座る男に感じさせられたものだ。

もちろん、当時の自身とて子供と呼べる年齢ではなかったし、無邪気にはしゃいでいられるだけの立場でもなかった。
見たくもない光景だとて見飽きるほど散々見てきたし、表に立つ者としての責任感も身についていた。

それでも、立ち位置の相違とは明確なもので、ひとつの世界を作り上げる同士でありながら、一方は人の上に立つことを覚え、一方は夢と理想に向かってただがむしゃらに突き進んだ。

初顔合わせから二十年。
いまだに酒宴でもウーロン茶で口を湿らせる自身には、あの男の呑み方は真似できそうにない。

汗をかき始めたチェイサーのグラスを干し、タンと音をたててカウンターに置く。
間を置かず次のチェイサーが目の前に置かれ、鉄はありがたく受け取った。
お世辞にもかっこいい飲み方ではないなど百も承知。
不案内な異境の地、しかも独りで出歩いておいて酒に呑まれる訳にはいかない。
同行のスタッフにすら何も告げずにホテルを抜け出している。
朝になっていないことがバレでもしたら、大騒ぎになるだろう。
それくらいの分別はさすがにつくようになった。

思えばこの業界を共に生き抜いてきた二十年、言い尽くせぬほどの思い出があるはずなのに、一番に浮かぶのは酒に焼けた胴間声と、何物にも左右されない頑強な意思だ。
この店に連れられてきたときも、客がいないのをいいことに声を張り上げ、業界の悪しき慣習を嘆き、取り巻く現状を糾弾し、未来への希望を語った。
白熱する議論に終わりはなく、互いに一歩も譲らないまま、きっと変えてみせると誓った、まだ青き時代。
遠き過去と呼ぶにはまだ近い、手が届きそうで届かないあの頃。

そして、裏方とは思えない、派手でいかつい容姿。
反面、仕事上では誰より細やかな気配りのできる男だった。
空気の読める男、とでもいうのだろうか。
率先してメンバーに絡んでくる姿勢はやることなすこと忌憚とは無縁で、助けられたことも一度や二度ではない。

何もかもが豪快な男だった。
過去形にしなければならないことが、胸をえぐるほど惜しいと思わせる程度には。

込み上げる何かを押さえつけるため、手にしたショットグラスを口元で傾ける。
舐める程度の量でも、視界の揺れを感じた。
不可解な飲み方をする東洋人に何も尋ねてこない店主が、今はひどくありがたい。

煙草に手を伸ばしたついでに、時刻を確かめる。
日付が変わるにはまだ早いが、日本では正午を回っている。
音出しも始まっているだろうあの場に思いを馳せ、煙草に火を点けた。
ちりりと紙が焼ける音と共に、肺腑へニコチンを充溢させる。
レコードでもかけているのかと思わせるほど雑音混じりのBGMはオールドジャズ一辺倒で、名も知らぬ歌手が切々と愛を嘆いていた。

どこまでおあつらえ向きのシチュエーションだろう。
いっそのこと、底抜けに明るく、耳をつんざくほどやかましく激しく、我知らず杯を重ねたくなる曲ならまだ救われるのに。

どうにも感傷を誘われる諸々に鉄は固く目を閉じた。
熱く滲む目頭を持て余し、煙草の煙が目に染みたせいだと自身に言い訳するも、気にかける人間など誰一人いはしない。

何を置いても馳せ参じたかったライブも、心だけはあの場に参加している。
不義理とは無縁な男のことだ。
今頃はあちこちに顔を出して、休む暇もないくらい忙しくしているのかもしれない。
長く業界にいれば当然のこと、交遊関係も広かった。

そう、心だけ届いていれば、それでいい。
他に何を望むことがあろうか。

最高だったと胸を張って言える二日間、確かに背中から押される気負いを感じた。
どこまでも届くように根限り叩いた。
身体を食い破る勢いで暴れる衝動を声に託して何度も叫んだ。
会場のどこかで見ているはずの男へも向けられていた気迫は、何がしかを観る者に与えられたと自信を持って言える。
その姿を見ることは適わなかったが、きっとあの男は爛々と目を輝かせ、拳を握り、人一倍あの時間を楽しんでいたに違いない。

だが、この胸に巣食う昏迷を、自身ではどうにも持て余す。

いっそのこと吐き出してしまえれば、いくらか楽になるだろう。
酒飲みであれば、正体不明になるまで酔ってくだを巻き、わめくついでに悲嘆も吐き出して、代償は翌日の重い頭に重い身体といったところか。
そんな器用な真似などできない自身には、全てを抱えたまま進むしか術がない。
もとより投げ出せるはずもないし、愛しい思い出と共に、投げ出すつもりは毛頭ない。

だからこそ、わずかでもいい、ほんの少しだけ、言葉として残しておきたい気分にさせられたのは、時代から取り残されたようなこの店と、あの男が旨そうに呑んでいた酒の仕業だ。

「ここ、電波は入るのか?」

根本まで焼けた煙草を灰皿に押しつけながら店主に尋ねると、煙草を旨そうに喫んでいた店主はわずかに肩をすくめた。

「知らんよ。携帯電話なんていうハイテク機械は持ったことがないんでね」

老年らしい言いように小さな頷きをひとつ返し、鉄はコートのポケットから小さなノートパソコンを取り出した。
手ぶらで出歩く際にはホテルに置きっぱなしにすることも多いパソコンを今日に限ってポケットに突っ込んでいたのは、何がしか思うところがあったのかもしれない。
それとも、呼ばれる何かがあったのか。
信仰の対象などついぞ持ち合わせのない人間らしからぬ思考にも、今夜だけはそれも悪くないと思える。
電源を入れてブラウザを起動させれば、どうやら電波は届いていることが確認できた。

飾る必要はなかった。
あの男に手向ける言葉に、余計な装飾などいらない。
飾らなければならない関係ではなかったし、何より自身の柄ではない。
ただ思うがまま、胸の内を打てばいい。
そう思いつつ、揺れる視界が邪魔で進まない。
アルコールに悪態をつきながら幾度か瞬きを繰り返し、またショットグラスの酒を舐める。
最後の一文を入力し終えたところでそのまま送信した。
見直しはしなかった。
する必要もないと思った。

すぐさま電源を落とし、パソコンはポケットにしまった。
三分の一も残っていないショットグラスを干し、店主に向かって突き出す。

「同じ物を」

音をたててカウンターに置けば、店主は無言でボトルを取り上げ、そのままグラスに注いだ。
愛想のかけらもない老人に、そんなことで客商売がやっていけるのかと思わないでもないが、だからこそここはいつ来てもがらんとしているのだろう。
道楽でやっているようにしか思えない店だが、それに慰められる人間だけが、ここには集うのかもしれない。
喧騒とは無縁で、見せかけの安寧もなく、時折古き時代のジャズに身を委ねたくなる、そんな者達のためにある酒場。
そんな店が一軒くらいあってもいいだろうというのも、今の鉄なら理解できる気がした。

煙草に火を点け、手慰みにショットグラスを揺らす。
視界だけではなく身体の揺れも感じ、鉄は酔いを自覚した。
最後の一杯。
そう心に決め、グラスを一息に空ける。
灼熱のかたまりが身の内を焼き、方々で暴れるのも構わず、煙草を一吸い。
あの呑み方を真似してみたが、やはり向いていない。
目を閉じるとあの男の笑顔が浮かび、片手で顔を覆った。
ただ無性に会いたいと思ってしまう自身を戒める。

会わなくていい。
会いに来なくていい。
夢になど出てこないでほしい。
どこかで見ていてくれるのなら、心だけ届いているのなら、それでいい。
次に会えるのはいつになるのかわからない。
何年後か、はたまた何十年後か、それすらも。
それでも、顔向けできないようなことをするつもりはないし、俺は俺の道を行く。
だから、待っていてほしい。
自信を持って会いに行ける、その日まで。

またぞろ込み上げてきた遺憾をチェイサーで押し流し、空のショットグラスを手に取った。
満たされたまま減りようがない隣のショットグラスに触れ合わせ、最後の乾杯を告げる。
高直な音色は胸を締めつける残響を伴って、人生賛歌に飲み込まれた。
そうして鉄は腰を上げる。
財布から紙幣を数枚抜き、カウンターに置いた。
その内何枚か帰そうとした店主に、鉄は無言で首を振る。
酒を飲みに来たのではない。
この時間を買いに来たのだ。
その対価として見合う額を置いたに過ぎない。

重い扉を押し開け外に出ると、きんと冷えた空気が首元を洗った。
襟を合わせて寒さをしのぎ、階段を昇る。
酔いも醒ましそうな冷気に身をすくめながら、鉄はタクシーを拾うため表通りに足を向けた。

□ STOP ピッ ◇⊂(;A; )イジョウ、ジサクジエンデシタ…

不謹慎なお話で、大変申し訳ありません

『故人が夢枕に立つということは、その方と縁が切れるということだ』
昔の人はそう言いました

大阪での紫×赤を書いていたはずが、あの日の迷彩ブログを拝読してから言いようのない哀惜に筆が止まり、気づけば不善極まりない代物になっていました
どこにも需要がないであろう話で申し訳ありません


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