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刃鳴散らす 赤音→伊烏 後編

「刃鳴散らす」赤音→伊烏の過去話後編。前編は前スレ474-480。
ネタバレ気味、エロ皆無。マイ設定炸裂&将棋ルール無知につき御免。
長いので一度中断を挟みます。

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!


「では」
「ああ」
 布巾で手を清め茶で口内を流したのち、互いに姿勢を正し一礼。
「お願いします。お手柔らかに」
「安心しろ。もはや手心の余裕などない」
「ほんとですか? なら嬉しいんですが」
 今度も先手は赤音、後手は彼。
 時に黙して熟考し、時に他愛のない言葉を交わしつつ交互に駒を進めてゆく。
「師範代には先手必勝どころか、一度も勝てたためしがないものなあ」
 7六歩――
「お前に師範代と呼ばれるのは、どうも慣れないな」
         ――4四歩
「昔みたいに、伊烏さん、なんて馴れ馴れしく呼べませんよ」
 4八銀――
「あなたはいずれ刈流の看板を背負って立つ器の方なんですから、もっと自覚を
持ってくださらないと困ります」
「大袈裟だな。俺ごとき若輩をそう持ち上げるな」
         ――3二銀
「自覚がないのは、むしろお前だろう」
「おれ?」
 ああ本当に無自覚なんだなこの人は、などと考えていた当の相手に指摘され、
赤音の手がはたと止まった。

「ああ。最近の上達は目覚ましいと先生が仰っていた。俺も同意見だ」
 彼に褒められた。
 赤音の胸が一気に高鳴った。
「基本の修練を怠らず、己の特性をよく理解しているから応用力が高い。何より
咄嗟の反射神経がずば抜けている。もう同年代でお前に敵う者は居まい」
「あ、ありがとうございます!」
 彼が自分の剣を認めてくれた。
 たとえそれが師範代の務めに過ぎなくとも、赤音は天にも昇る心地だった。
 こんな彼の長広舌は稀という点でも感動的だが、それはまた別の話である。
「っと、す、すみません」
 嬉しさにすっかり惚けていたことに気付き、慌てて次の手を打つ。
「慢心は禁物だが、今の自分の位置を知るのは悪くない。お前の先導があれば、
同輩や後進の者も励みになるだろう」
「はい! おれ、頑張ります」
 勇む赤音に、うむ、と彼は頷き、
「弛まず精進し、他の門弟にも範を示してやって欲しい。だからな」
 ぱちり。
 音高く駒を置き、赤音の目を正面に見据えて言った。

「街に使いに出るたびに何かと騒動を起こすのはよせ」
「……肝に銘じます」
 素行を改めよ、との迂遠な説教であった。

「もう、人が悪いですよ師範代」
 よもや持ち上げて落とすなどという高等戦術を彼が駆使するとは思わなかった。
本題はそっちか。説教は勝手に絡んでくる馬鹿や言い寄る阿呆にこそ必要だろう。
 内心やさぐれる赤音に、しかし彼は静かに首を振ってみせた。
「全て本当のことだ。お前は自分で思っているよりも強い。だからこそ、道を
誤ることなきよう心を鍛えねばならぬ、と先生も危惧しておられた」
 そんな心配は無用だ。諭す青年を前に赤音は思う。
(道、か)

 道ならば間違えようもない。見誤るはずもない。
 なぜなら赤音の剣の道は、闇を貫く一条の光線さながら、くっきりと疑うべくも
なく、常に彼方の一点を指し示しているからだ。
 目の前の一本道に迷うべき如何なる要素も存在しない。
 一点、ただ一点のみを見つめて修行してきた。ずっと。
 それで赤音が強くなったというのなら、それこそが赤音の正しい道だ。
 もしもそれが邪道と謗られるならば、赤音にとって剣の正道などというものは
毫ほども価値を持たない。

「先生ほどの高潔な武人を俺は他に知らん。お前もあの方を模範に道を学ぶといい」
 違う。
 彼は何も知らない。わかっていない。
 確かに師は尊敬すべき人格者だ。教えを乞うに相応しい武の達人だ。
 けれども赤音の到達点とは似て異なる。
 まして、原動力には決して成り得ぬのだ。
(おれの)
(おれの道は)
(おれの剣は――)

「おれの剣は、あなたなんです」

 気付けば赤音は、胸に秘め置くはずだった熱情を吐露していた。

 やらかした。
 微動だにせぬ無表情の――虚を突かれて呆然と固まった――彼の前で、赤音は
猛烈な後悔と混乱に陥っていた。
 何うっかり本音を口走ってるんだ。しかも文法的に崩壊して意味不明だ。
 普段は流暢に回る舌が錆付いて動かない。頭が真っ白だ。フォロー。フォロー。
 凍て付いた彫像相手に、口をぱくつかせること数秒。
「――――」
「…………あ、ああのですね! つまりはあれですその要するにおれにとっちゃ
あなたはいわゆるひとつのあれが剣の星だっていうか明日のためにその一というか
ああ誤解しないでくださいね別にあなたの猿真似したいってんじゃなくてそのゲホ、」
 言語機能より運動機能が先に復活したらしい彼が無言で湯呑を差し出す。
「あ、どもすいません」冷めた茶を一気飲みし、「……つまり、ですね」
「――……俺が剣の目標だ、と?」
「……ぶっちゃけそうです」今の自分は耳まで赤いに違いない。
「……そうか」彼は眉間の皺を深くして表情を曇らせた。「悪いことは言わん、
やめておけ」
「なぜです」否定など聞きたくなかった。「さっき後輩に範を示せと言ったのは
あなただ。ならおれがあなたの背中を追って何がいけないんですか」

 稽古場で初めて会った日。一目見たときから彼の剣に恋していた。
 才が花開く前の拙い剣技に宿る、他の誰とも違う輝きに魅せられた。

「馬鹿な夢と笑ってくれて構いません。あなたみたいにおれも、おれだけの剣が
欲しいんです。あなたが誰にもない、あなただけの剣を持っているように」
 言ってから、赤音はまたも口を滑らせたことに気が付いた。
 叱責が来ると思った。未熟者が論評家気取りの口を利くな、と。
 返ってきたのは予想外の問いであった。

「いつから――知っていた」

 驚愕を声に乗せ、彼は瞠目していた。
 まるで何かの禁忌でも暴かれたかのように。

 彼の不可解な態度の意味は判じかねたものの、赤音はただ真実を答えた。
「もうずっと前です」彼と出会ったのは入門してすぐの頃だ。
「……そうか」彼は深く溜息を吐いた。「人目には常に注意を払っていたのだが」
「……師範代」
「しかし同じ道場で暮らしていれば、隠しおおせるものでもないか」
「…………あの」
「折り入って頼む、赤音。先生や皆には内密に――」
「師範代?」
「なんだ」
「なんの話です?」

 二人の間を吹き抜けた涼風が、りん、と風鈴を鳴らした。


 ……何やら自爆した格好の彼が自首犯よろしく訥々と白状したところによると、
深夜皆が寝静まった頃合を見計らって、人知れずある特訓をしていたものらしい。

「……俺にも夢というか、な。野望がないわけではない」
 ぼそりと呟きめいた告白に、赤音は少なからず驚いた。およそ野心などという
ものとは最も縁遠い人だと思っていたのだ。そういえば、彼が何を思って日々
鍛錬に打ち込んでいるのか、肝心なことを自分は何も知らない。
 普段彼に軽口を叩いてはいても、互いの夢や理想について語り合うことなど
赤音はこれまで一度もなかった。資格の有無を己に問うたことさえなかった。
 天の高みに冴え光る月が、いきなりすとんと目の前に降りてきたような不思議な
心地だった。
「聞かせてください」どぎまぎする内心を押し隠して訊ねる。
「笑わないか」
「約束します」

 ――勝利への飽くなき希求。そのための新しい方法論の模索。流派に囚われぬ
既存の型の改良と応用。新技の考案と実用化――
 静かな口調に熱意を秘め、彼は己の抱負を語った。

「刈流兵法の末尾に俺の技を連ねる、などと望みはすまいが……古の技を学ぶに
とどまらず、いかなる強敵にも常勝を期する戦法をこの手で完成させたい」
 なるほど彼は、毎夜密かに新技の開発に励んでいたのだ。
 流派に拘らぬ発想とは、場合によっては刈流の否定にも繋がりかねない。師が
聞けば、道半ばの青二才が徒に刀刃を弄ぶな、と激怒するのは目に見えている。
 最悪の場合は破門だ。師範代の彼が門弟への影響を恐れたのも無理はない。
「それが、あなたの夢なんですね」赤音には、勝つための高みを目指す彼の貪欲な
姿勢は全く正当なものと思われた。「それで、その技はどんな?」
 彼は、ん、と少しの間ためらった末、口を開いた。
「……そうだな……実を言えば行き詰まっていた。もし欠陥があれば指摘して
くれるとありがたい。……聞いてくれるか」
「ええ。ぜひ」
「……世話を掛ける。……まず――」

 ――――魂の震撼、としか形容しようのない衝撃だった。

「……それは」
 戦慄と高揚。全身を貫く相反する感動に絶句し、知らず身震いが起こる。
 やはり自分の直感は正しかった。赤音は今こそ確信する。

 伊烏義阿こそは真の天才。闘刃の化身だ。

 刈流がベースでありながら全く新しい形にまで昇華した、異形かつ必勝の型。
 常人には及びもつかぬ逆転の発想。
 実現すれば無敵に近い、まさに剣術の極北。
 いみじくも彼の言う通り、兵法書に新たな頁を書き加えることは不可能だ。
 彼自身の類稀なる才能と磨き抜いた技術のいずれが欠けてもこの技は成立しない。
 ロジックのみを語り伝えたところで後世の誰に再現できよう。
 この世で彼のみが振るうことを許された、それは魔剣だ。
 赤音を魅了した剣の至極が、今まさに結晶しようとしている。

 だが、と。赤音は思う。この魔剣には――欠陥がある。
 致命的、あまりに致命的な。彼の天賦の才や努力では埋めるべくもない欠陥が。

「――やはり、無理があると思うか」
 問われてはっと我に返り、赤音は努めてゆっくりと、言葉を選んで答える。
「……そう……ですね。ひとつだけ、大きな穴があります。それは――」
「それは?」
 一拍の間を置いて、赤音は悪戯めかして片目を瞑ってみせた。
「練習相手の不在です」
 ぽかん、と盲点を突かれた様子の彼を見て、あはは、と破顔する。
「おれでよければ手伝わせてください。人目に付かない特訓場所も知ってます。
斬られ役でもなんでもやりますよ。もちろん真剣以外で、ですけど」
「赤音……」と、彼は思い直したように首を振る。「……いや、駄目だ。お前まで
俺の酔狂に付き合わせるわけにはゆかん」
「水臭いですよ今さら。聞いたからにはおれも同じ穴の狢です。先生にも皆にも、
誓って他言しません。大事な夢を、酔狂だなんてどうか卑下しないでください」
「だが――」
「理論上は完璧です。確かにあなた以外には絶対に無理ですけど。実際の人間を
相手に練習を重ねればきっと、いえあなたなら必ず成し遂げます。おれにできる
ことはなんでも言ってください。おれも、あなたの夢を見てみたいんです」
「……赤音」
 かなりの葛藤を見せたのち、意を決したように彼は右手を差し出した。
「……ありがとう、赤音。恩に着る。よろしく頼む」
 笑顔で彼の手を握り返しながら、赤音は彼の心の鈍感さに初めて感謝した。


 あれほど楽しみにしていた彼との勝負だというのに、有耶無耶になった一局の
仕切り直しに臨む赤音の心境はひどく沈鬱だった。
 対面で棋盤を睨み黙考する青年を複雑な思いで眺めやる。

 彼はいずれ魔剣を会得する。
 十日後か十年後かは不明だが、それは確定した未来だ。ずっと彼の剣を見てきた
赤音にはわかる。彼は必ず異形の必殺剣を極める。
 だが、極めてどうする?
 現代の剣術界に、死ぬまで斬り合う真剣仕合の場などもはやない。
 それ以前に、既存の戦いの常識を真っ向から覆してのける魔剣を相手にしては、
木刀での模擬仕合すら成立しない。刈流はおろかどの流派でも異端視は免れまい。

 長い歴史の中で洗練と進化を重ねた先人の技に、彼が独自の研鑽を加えて昇華
した必勝のシステム――魔剣。
 極限まで合理性を追求したその基本理念は、結果だけ見れば皮肉にも、洗練とは
対極の蛮行に酷似している。すなわち、勝機の別も敵の力量すらも関知せず、全て
等しく斬り捨てる、という慮外の暴挙。
 技の原型は刈流であっても、世界と調和する人間性の完成をもって剣の究極と
する刈流の思想はそこにはない。師ならば外法と罵倒することだろう。
 襲撃し、殺傷する。ただそれのみを冷徹かつ確実に遂行する。それが彼の魔剣。

 世が世ならば、戦神もかくやの活躍を見せた絶技に違いない。
 だが銃火器や爆弾によるテロが横行する当世、刀剣を用いた実戦はただ一箇所の
例外を除き、とうに過去のものと化した。巷間において剣術に求められる役割は、
かつての戦闘術から護身や精神的修養としての側面にシフトしている。
 思想性とは無縁の、特異で異常な攻撃性を有した魔剣は、一般社会はもちろん
剣術界にも受容される余地がない。
 そして何より、彼以外の人間には修得さえも成し得ない。
 ――つまり。
 必勝不敗を誇るはずの魔剣は、ついに鞘から抜かれることなく。
 その存在すら認められず。
 ひとりの天才の寿命が尽きると同時に、ただ人知れず消えるのだ。
 生まれる時代が遅過ぎた、という欠陥ゆえに。

 静寂の中、ただ盤上の戦局だけが刻々と変化してゆく。
 彼は黙して語らず、赤音もまた言うべき言葉がなかった。

 どの剣よりも勝利の頂に近付きながら、忌み子として闇に葬られる。
 あまりに哀しい魔剣の宿命を彼は知っているだろうか。
 酔狂と自ら言ったように、承知の上だろう。探究の最初期に考え至らぬはずがない。
 それでもきっと彼は、そうせずにはいられなかった。
 世の理も流派の教えも自らの立場も顧みず、ただ、剣者として。
 ひとりの剣者として、錬磨の果てを見極めずにはいられなかったのだ。

 彼の勝利に対する狂おしいまでの渇望が、赤音には痛いほど肌身に感じ取れた。
 おそらくそれは自分というひとりの剣者が、彼という高みに恋し、焦がれ――
いつの日か戦う未来を切望して己を高め続けるのと、どこか質を似通わせていたから。

 自分だけの剣を手に入れて、彼の剣と競い合わせることをずっと夢見てきた。
 同門に学ぶ者としては、彼の魔剣開発を制止すべきだったのだろうと思う。
赤音の言葉程度で志を曲げる彼ではなかったろうが、それでも止めるべきだった。
 理解と支援の姿勢を示し、彼の背を押したのは、断じて彼のためなどではない。
いつか交えたい剣の至高の姿を見極めたいと願う、赤音のエゴに他ならなかった。
それが彼の人生において、報われぬ徒労の結果に終わろうとも。
(ああ――そうか)
 自分と彼は魂の造りが似ているのだ、と赤音は悟る。だから彼の剣に惹かれたのか。
 剣の前では他の全てが意味を失う、度し難くも愚かしい生き方。
 愚者と愚者がたまたまこの道場で出会った。それだけのことだ。

 劣勢の盤上を赤音は見る。容赦なく赤音を攻め抜き、追い詰める青年を見る。
 彼は赤音の次の手を待っている。
(――――待っている? ……)

 落雷の衝撃をもって理解は訪れた。

 待っている。彼は、そう、待っているのだ。対手を。
 待ちわびている。鎬を削り、剣者としての生命を燃焼させるに足る敵手を。
 勝利に飢え、振るう当てなき暴虐の剣をひたすらに磨く。
 それらはひとえに彼が、まだ見ぬ己の敵を欲しているためではなかったか。

 腹の底から沸々と滾り出す灼熱を赤音は自覚する。
(何をちんたらやってるんだ、おれは?)
 それは未だ力及ばぬ自分への怒りであり、眼前の青年に対する闘志であった。
 彼の魔剣は徒労ではない。徒労であるはずがない。
 なぜならばこの自分の剣がある。
 因果の順が破綻していようと知ったことではなかった。ただごく自然に思った。
 彼が待っているのは、おれだ。その望みに応えなくてはならぬ、と。

 仕合で交えるのは所詮紛い物の木刀に過ぎない。魔剣の使用も許されぬだろう。
 それでも、彼が持てる力を出し尽くしてなお、それを受け止め尽くす互角の
好敵手として自分が共にあったなら。互いを越えんと高め合ってゆけたなら。
 彼の飢えは満たされ、剣者の魂は全うされるのではないか。
 そして、彼の剣を求め続ける自分の魂もまた。
 公の場で魔剣が封印の憂き目を見ようとも、自分だけは彼の傍らで余さず認め、
知り尽くそう。その煌きにこそ魅了されて武田赤音という剣者は生まれたのだから。
(――おれは強くなってみせる)
 かつてないほど強力に誓い念じながら、赤音は逆襲の一手を放った。

 草木さえも寝静まり、時おり静謐を破るのは駒が盤を打つ微かな音と、りん、
と頭上に存在を主張する小さき観客のみ。
 彼は一言も発しない。赤音もまた語る言葉を持たない。
 それでいい。真剣勝負に一切の無粋は無用。

 彼の指し手は常に巧妙精緻で、かつ苛烈極まりない。
 彼と共有するかけがえのない時を赤音は愛おしむ。心優しき彼がちっぽけな
駒に仮託して見せる闘争の本性を。耽々とこちらの急所を狙う猛禽の眼光を。
獣の牙と爪をもって迎え撃つ自分を。入り乱れる数多の駆け引きを。一手たりとも
気が抜けぬ息詰まる攻防を。永遠にこの連鎖が続けばいいと願うほどに。
 彼はどうなのだろうと、ふと思う。
 こちらが改心の一手を打つごとに、彼の駒運びが嬉々として精彩を増すように
感じるのは、果たして赤音の気のせいだろうか?

 なぜだろう、彼の次に指す手が今までにないほどわかる。
 幾手も先を、先の先を読み、裏また裏をかき合っているにも関わらず、互いの
攻め手と応じ手はかちりと噛み合い、一進一退を繰り返して拮抗する。
 彼はおそらく戦い方そのものを変えてはいない。
 きっと彼は、いつもずっとこうだったのだ。
 ただ赤音が、蓄積し続けてきた彼の、そして自身の戦いの像を、真にあるべき
姿に正しく結んだ。それだけのことなのだろう。
 それはいっそ舞踏的とさえ言える、奇妙な調和と均衡を成していた。
 ――ああ、楽しくてたまらない。
 時が経つのも忘れ、果てるともなき盤上の交歓と相剋に赤音は酔い痴れた。

 東の空が白みかけた頃。
 これまで彼と重ねた三桁に及ぶ勝負の中で、赤音は初めて対手の投了を聞いた。


 耳を疑った。
「え、……今なんて」
「参った。俺の負けだ」敗北を認めるにも関わらず、彼の声はさっぱりと嬉しげな
色を含んでいた。「強くなったな、赤音」
 眼下の盤を見直す。……確かに、相手方が詰んでいる。
「……勝った……のか、おれ?」
 思い返せば細かな記憶はあるのだが、終盤は ほとんど忘我の境地だったため、
にわかには信じかねた。
「次はむざむざと勝ち星はやらんぞ」
 手加減抜きだったことを示す彼の言葉に、じわりと実感が込み上げる。

「――――初めて、……初めて伊烏さんに勝てた……!」

 一番鶏に代わって大声で叫びながら道場中を走り回りたい気分だった。
 今日の棋譜はきっと生涯忘れまい。
「あっ……、すみません師範代」
 興奮のあまり呼び名を誤った赤音に彼は首を振り、伊烏でいい、と言った。
「え、でも。他の門下生に対して示しが」
「今は俺とお前しかいない。堅苦しいのは抜きだ」
 言うと、彼は赤音が一度も見たことのない表情を、に、と浮かべて付け加えた。
「お前にはこの先、嫌と言うほど斬られて貰うからな。二人のときに遠慮は要らん」
 どこか共犯者めいた、気安さと不敵さを帯びた笑みだと赤音は思った。
「斬られ役が強くなっちゃって、油断してると逆に斬られるかもしれませんよ」
 赤音も同じように笑った。――こんな笑い方の彼も、悪くない。

「じゃあ伊烏さん、勝負に勝ったお祝いをください。おれに」
「藪から棒だな」
「戦での敗者は、勝者に略奪されるっていうのが昔からのお決まりじゃないですか」
「その理屈なら、お前はとうに搾り滓だ」
「ちぇ。けち」
「……無理難題でなければ聞こう」
 何やら構えた彼の言いように苦笑する。外道や鬼畜相手じゃあるまいし。
 彼から奪い取る最高の戦利品を、赤音はとっておきの笑顔で宣言した。

「名前。新しい技の。おれに付けさせてください。ないと不便でしょ?」

「構わんが」彼が意外そうに眼を瞬かせる。「なくとも別に困らないぞ」
「困りますよ、これからはあなた一人の練習じゃないんですから」
「もう少し形になったらな」
「よーし。じゃあとびきり格好良いのを考えておきますね」
「……まともな名だろうな」
「どこかの刀鍛冶じゃないんですから。任せてください」
「そうか。期待しておく」


 この日、武田赤音と伊烏義阿は共に無二の親友を得た。
 二人は綾瀬刈流門下の高弟として互いを尊び、陰日向に切磋琢磨し、二年後には
門弟衆の見守る中、仕合にてその剣を全力で競った。伯仲の好勝負であった。
 そして、その日の夕刻――

 剣を認め合った二人の片割れは、刈流宗家の娘・鹿野三十鈴を斬殺、逃亡。
 残された者は親友と未来の妻、光ある前途の全てを失った。


 奇怪な致命傷を刻まれた衛士達の死体を見て、武田赤音は歓喜に打ち震えた。
 伏した骸を裏返して驚愕の表情を確認するまでもなく、後背に穿たれた刀傷は
彼らが末期に見たものをどんな遺言より雄弁に語っている。
 それは有り得ざる天の怪奇。
 具現化した不条理。
 赤音が名付けた幻魔の如き妖技。
 共に陽光の下を歩んでいた頃は、ついに全き姿を見ることが叶わなかった。
 見えるはずがなかったのだ、と今ならわかる。我ながら改心の命名であった。
(こーいうのも、結果的に『手伝って』やったことになんのかねえ?)
 運命の皮肉におかしみが込み上げる。
 月を中天に昇らせるための最後の一押しを、堕とす形で与えてやれたとは。

 こうしている間にも、肌はちりちりとその存在を感じている。
 居る。この通路の向こうに。息を潜めて。
 かつての魔剣に欠けていた力――鋭利かつ激烈な殺意を剥き出しにした気配。
 この屍は怨敵たる赤音への宣戦布告、そして死刑宣告だ。
(ったく、遅えんだよ根暗野郎。鬼ごっこに四年もかける鬼がどこにいやがる)
 剣馬鹿の赤音が行き着く先など、この時代錯誤な剣闘が幅を利かす閉鎖都市の
他にはないと、同じ剣馬鹿ならすぐわかりそうなものだろうに。相も変わらず
抜けている。待ちくたびれて腐るところだった。
 本当に――待ちわびた。
 彼が、来た。
 赤音への燃え滾る憎悪にその身を灼き、赤音を屠る断罪の刃を極限まで研ぎ、
赤音に至る道に立ち塞がる全てを斬り、屍山血河を踏み越えて。
 赤音の、赤音のための、宿敵が。

 先刻斬った10人分の返り血と、彼がぶち撒けた脳漿混じりの血の海。
 馴染みきった戦場の臭いは、下品な女の香水混じりの体臭を程良く消してくれた。
 歓喜を込めて、虚空に復讐鬼を呼ばわる刹那――
 ふわり、と。
 剣狂者の鼻孔を、存在しない夏橙の芳香が掠めて消えた。

††

□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )オシマイ

「昼の月」誕生秘話妄想。聖都はいろんな意味で最高でした。
平和な道場で凶悪無敵技を大真面目に練習してた伊烏のヤバさについて。

場を貸してくれたこのスレと読んでくださった方ありがとうございました。


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