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オリジナル ヴェネツィアもの

                    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                     |  作者はありあを見てたらヴェネツィアもの書きたくなったんだって!
 ____________  \            / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | __________  |    ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄|  これ書く前に珈琲プリソス1号店(ハン流ドラマ)見てたから
 | |                | |             \ 脳内はお花畑ご都合主義状態なんだよ!
 | | |> PLAY.       | |               ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | |                | |           ∧_∧ ∧_∧ ∧∧ 下らないのに長いから注意してね!
 | |                | |     ピッ   (´∀` )(・∀・ )(゚Д゚ )
 | |                | |       ◇⊂    )(    ) |  ヽノ___
 |   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  |       ||―┌ ┌ _) ┌ ┌ _)⊂UUO__||  |
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そこは気を付けなくては簡単に見逃してしまうような小さな道を通り抜けたところにある。
多分、テニスコートの半面くらいの広さ。石畳の敷き詰められた地面から生えた木がぽつんと
あるだけ。古びた建物の壁や階段がついた石垣のようなもの、今は使われていないだろう
橋の脚などで四方を囲まれた.
――いや、違う。四方じゃない。日が沈む方向、そちら側を向けば見事な木の緑と雲の白、
そして空と海の青だけが広がっている。こんなに純粋で自由な風景はこの街にはそうないだろう。
やっと見つけた、僕の安らぎの場所だった。

「君、よくここに来るね。ストゥッデンテ(学生さん)?」
そうアルベルトさんが話しかけてきたのは、夏のはじめだった。長めの弛いウェーブがかかった
榛色の髪。勿忘草色のやらわかな瞳。少し日に焼けた肌。きっと女の人は放っておかないだろう
整った顔立ち。僕のアルベルトさんへの第一印象は「僕と対極にいる人」だった。その時
アルベルトさんは目の前の海でゴンドラの上でレモ(櫂)を弄っていた。
僕はてっきりここにいるのは、もっと言うならここを知っているのは僕だけだと思っていた。
混乱して、気の弱い僕はついついどもってしまう。
「え?あ、あの、えと、僕…?」
「チネーゼ(中国人)じゃないよね。コレアーノ(韓国人)とも発音が違う。」
アルベルトさんは優しく笑いながら僕を眺めていた。
「は、はい。ええと…ぼ、僕はジャポネーゼ(日本人)です。」
「あはは、やっぱり。ナカタやナカムラみたいな話し方だからね。名前は?」
僕は答えていいものか迷っていた。まだ不馴れな街で、見ず知らずの人に名乗ることは
気が引ける。暫く答えあぐねていると、アルベルトさんはからからと笑って自分の頬を人差し
指でつついた。

「大丈夫だから落ち着いて。僕はアルベルト。ご覧の通りただのゴンドリエーレ(ゴンドラ漕ぎ)
だよ。君があんまりよくここに来るから気になってね。世間話でもと思ったんだけど。
君が気を悪くしたなら謝るよ。」
アルベルトさんの言葉に僕は少し警戒を解く。アルベルトさんが言う通り、当時の僕はよく
その場所に通い詰めていた。それを知られていることに対しては少し不信感はあったけれど、
アルベルトさんの笑顔は悪い人のものじゃないと感じた。
「…僕の名前は優貴です。半年前、ヴェネツィアに来ました。」
まだ覚束無いイタリア語で自己紹介をすると、アルベルトさんは
「こんにちは、はじめまして」と日本語で返してくれた。
「あはは、ゴンドリエーレの試験の時に日本語も勉強したからね。なかなかのもんだろう?」
人懐っこい笑顔と口調は僕にとって居心地の悪いものだった。きっと、その時の僕はそれを
隠さずに顔に出していたと思う。けれどアルベルトさんはそんなことには構わず、ゴンドラを
岸につけて近くの木にロープを巻き付けた。それからさも自然なことみたいに僕の側まで
来てしまった。
「さてと、ユーキ。僕はそろそろプランズォ(昼食)に行くんだけど。お近づきの印に一緒に
どうだい?いいトラットリーア(食堂)を知ってるんだ。」
アルベルトさんは僕の肩を抱いてそう促す。僕は身を強張らせたものの、運悪くお腹の虫が
鳴いたせいでアルベルトさんの誘いにのる羽目になる。

それがアルベルトさんと僕の最初の思い出だった。

僕は両親の仕事の都合でこの街に来た。父と母はついに憧れの街で大好きな仕事ができると
はしゃいでいた。それはそうだろう。父と母にとっては僕よりも大事で大好きな仕事なんだから。
僕は昔も今も放りだされたままだ。
僕は日本とは全く違うこの街にはじめはとても戸惑った。
言葉も違うし、文化も違う。僕が生まれ育ったのは緑に囲まれた街だったけれど、ここは海に
囲まれた街。何もかもが異質で、僕はとても落ち着かなかった。水の都ヴェネツィア。
アドリア海の女王。確かにここは美しい街だ。だけど僕にとっては決して安らげる街ではなかった。
元々人付き合いも苦手な僕は学校でも孤立しがちだった。クラスメイトはみんないい人たちばかり
だったけれど、不安や気まずさから僕の方から皆を避けていたんだと思う。
迷路のようなこの街の構造も嫌いだった。
すぐにでも逃げ出したいのに、それを許してくれない。焦る僕をまるで嘲笑うかのように石と水は
街へと僕を閉じ込める。空に救いを求めても、それは狭く切り取られていてますます閉塞感が増す
だけだ。
だから僕は必死に探した。
広い空を。
自由な海を.

「……僕といて楽しいですか。」
一度思いきって聞いたことがある。
「嫌だったら何度もこんな風に顔を突き合わせて食事なんてしないよ。」
アルベルトさんは少しも笑顔を崩すことなく切り返してきた。
「ユーキはどうなんだい?いつも付き合ってくれてるけど。」
面白そうにアルベルトさんは聞いてきた。何かを期待した目だ。
「……わかりません。」
それが僕の嘘偽りのない答えだった。何となく後ろめたい気がしてそっと俯く。きっと
アルベルトさんは気分を害したに違いない。
「よかった。」
だけど答えは意外なものだった。よかった、だなんて。恐る恐る顔を上げてみる。
「嫌われていたらどうしようかと思ったよ。」
やっぱりアルベルトさんは笑っていた。どうしてアルベルトさんはこんなに笑うのか分からない。
僕はこの街に来てから、心の底から笑った記憶がないのにアルベルトさんに比べて、僕はなんて
つまらない、嫌な人間なんだろう。また暗い気持ちが込み上げてきた。同じテーブルで向かい合い、
同じカプチーノを飲んでいるのに、アルベルトさんと僕はこんなにも違う空気を纏っている。
やっぱり僕は、ひとりぼっちだ。
寂しくて悲しくて、逃げ出してしまいたかった。

とても寂しかった。辛かった。毎日が孤独との戦いだったから。
でもその戦いはある日突然終わりになったんだ。

その日アルベルトさんがチェーナ(夕食)に誘ってくれた。
「僕はこの街は嫌いだよ。」
いつもの柔らかい口調。多分、アルベルトさんは少しお酒が入っていたと思う。
「小さい頃泣きそうになりながら街を走り回ったんだ。街中ぎっしり詰まったみたいな石造りの
家のせいで、空は狭く閉ざされて息ができなくなりそうだった。うるさい観光客でごった返してる
中、必死に走ってピアッツァ(サン・マルコ広場)まで出るんだけど、そこもバシリカ(寺院)だ
パラッツォ(宮殿)だでがっちり固められてる。そしてダメ押しのカンパニーレ(鐘楼)。高いところ
から僕を見下ろして、空を遮った挙げ句これでもかって威圧してくる。
まるで僕を閉じ込めるみたいにね。」

まるで心を覗かれたような気がした。まさか、ひまわりみたいに笑う人が僕と同じ思いを
抱いていたなんて。

「僕はこの街は嫌いだ。」
いつもの柔らかい口調で語る、いつもとは違う鋭い言葉。
「変だと思うかい?」
はじめて見るアルベルトさんの笑顔以外の表情。
困ったような、悲しいような、そんな顔だった。僕は首を横に振り、アルベルトさんの言葉に答えた。
途端にアルベルトさんは笑った。
それは曇りのない笑顔で、僕は目が眩んでしまいそうになったことを覚えている。

うっかりしていると、すぐに知らない場所に迷い込んでしまう。すると僕は突然言いようも
ない孤独感に襲われる。冷たい石に四方を囲まれ、閉じ込められたかのような錯覚に陥る。
上を見上げても酷く狭い空しか見えない。どこからか聞こえる水音は気味の悪さすら感じさせた。
普通の人はこの美しい街に対してこんなこと感じないんだろうけど。僕と似た感覚を
アルベルトさんも感じていた。何だか僕はホッとして、嬉しくて,少しアルベルトさんに
親近感を感じるようになった。
僕は、ひとりぼっちじゃない。
ひとりじゃないんだ。

それから数日後。僕は初めて仕事中のアルベルトさんを見かけた。優雅なレモ捌き、とでも
いうんだろうか。普通ゴンドリエーレは中腰になってレモを漕ぐのに、アルベルトさんは背筋を
ピンと伸ばして鼻歌を歌っている。かっこいいともきれいとも違う。やっぱり優雅なんだと思う。
「アルベルトさん。」
僕が呼び掛けるとアルベルトさんはふざけて投げキスをする。一緒にゴンドラに乗っていた
きれいな人も手を振ってくれた。少ししてアルベルトさんが一段落つくと、僕は途中で買った
カルツォーネと飲み物を持って側に駆け寄っていった。
この所、夏のヴァカンスで街中に人が溢れている。アルベルトさんも忙しそうにあちこちゴンドラで
駆け回っている。だから本当は僕なんかと食事なんかしてる暇は無いんだろうけど、アルベルトさんは
わざわざ時間を作ってくれいていた。
「ああ、ありがとう。まだ温かいね。」
「はい。さっき買ってきたばかりですから。今日もあそこで食べますか?」
その僕はきっと散歩に連れていって欲しくてたまらない犬みたいだったんだと思う。アルベルトさんは
少し吹き出して、僕の頭を撫でてくれた。
「そうだね。それもいいけど、今日はちょっと遠出してみないかい?」
「遠出、ですか?」
そう言うとアルベルトさんはぐいっと僕の腕を引っ張ってゴンドラに乗せた。そしてびっくりして
いる間にゴンドラはどんどん出発してしまった。
ギイッ、ギイッという規則的な音と共にゴンドラはどんどん進んでいく。それは街を縦横無尽に
走るカナル(運河)に向かってではなく、逆の――
「アルベルトさん、そっちは沖ですよね?」
「言ったろう?遠出だって。とっておきの場所があるんだ。」
アルベルトさんは悪戯っぽく笑う。
よく考えて見ると、アルベルトさんのゴンドラに乗るのは初めてだ。何だか緊張する。自然と
顔が下を向いたけれど、不安からちらりとアルベルトさんを見る。思いがけず視線が合ってしまい、
僕はまた下を向く。アルベルトさんがくすりと笑う声がした。きっと落ち着きの無い僕がおかしかった
んだろう。少しだけ恥ずかしくて頬が熱くなる。

「どうだい?ユーキ。」
アルベルトさんの声がすうっと大気に溶け込んで、僕の回りを包む。僕はその大気を吸い込み、
音の波を作る。
「………きれい、です……」
ありきたりな言葉だけど、それしか言えなかった。アルベルトさんは語り続ける。
「君にも見て欲しかったんだ。この空と海を。君は僕と同じだから。そして、君は僕の大切な
人だから。この場所を知って欲しかった。」
アルベルトさんが振り返る。日だまりみたいに暖かな眼差しはどこまでも深いやすらぎを
与えてくれるようだった。
「ユーキ。何度だって行こう。あの場所にも、この海にも。君が望むならいつだってどこに
だって僕が連れていくから。君の望むところへ。君と僕の二人で。」
「アルベルト…さん…」
ふいに涙がこぼれた。アルベルトさんはそっと僕を抱き締めてくれた。
その腕が、胸が、堪らなく愛しかった。

あれから僕は少しだけクラスメイトや近所の人と話すようになった。アルベルトさんと一緒に
過ごす内に、この街と人を好きになれる気がしたからだ。それに、あの場所へ行けばアルベルトさんが
いてくれる。アルベルトさんがいてくれると思うだけで、不安もどこかに消えてしまった。
もっともこの街の人々皆いい人達ばかりだから、すぐに僕を受け入れてくれたから、心配なんてする
必要なかったけれど。
特に同じクラスのルイージとシモーネは待ってましたとばかりに僕を歓迎してくれた。
「チャオ、ユーキ!週末空いてるか?」
ルイージが真顔でそう聞いてきたのは金曜日だった。続けてシモーネが必死の形相で捲し立てる。
「よく聴け!ソフィアとエンリエッタが明日クラブに行かないかって誘ってきたんだ!しかも
お前連れてきたらアレッサンドラも呼ぶって条件付きだ!サンドラだぞサンドラ!!!」
「シーモはサンドラ狙いだかんな。お前絶対参加ってことで。いいな?ちゃんとキメてこいよ!」
ルイージとシモーネは何だかやたらと盛り上がっていた。訳が分からずボーッとしていたけど、
結局僕の意思なんて関係なく話は進み、土曜日の夜、街のクラブに行くことになってしまった。
相手はシモーネが熱を上げているアレッサンドラと、スピーチ部にいるソフィア、それから最近よく話す
ようになったエンリエッタ。僕達はさり気なくシモーネとアレッサンドラを二人きりにして援護射撃する。
もし上手くいった場合シモーネが合図をするから、僕達は先にソフィアとエンリエッタを家まで送って
行く、というシナリオらしい。
ちょっとアレだけど、これは所謂、グループデートなんだろうか。こんなの初めてだ。
少し胸の辺りがそわそわする。
するとルイージは嫌らしい笑顔で耳打ちしてきた。
「あのな、エンリエッタ。アイツ、お前のこと気に入ってるみたいだぞ。」
その瞬間、心臓がどきりとした。

「そう。良かったね、ユーキ。」
いつもの場所で、いつものように学校での出来事を話すとアルベルトさんはそう言った。
アルベルトさんがあっさりそう言うものだから、僕は少しがっかりする。てっきり気を付け
なさいとか、何か忠告してくれるものだと思っていたからだ。その後の会話もいつものようには弾まず、
どことなく気まずい雰囲気だった。
今日はアルベルトさんの機嫌が悪かったんだろうか。
不安や後悔の混じった感情が襲ってきて、僕は黙り込む。
アルベルトさんも何も話してはくれなかった。
日が沈みそうになった頃、その沈黙をアルベルトさんが破った。
「ああ、そうだ。ユーキ、今晩飲みに行こう。」
思いがけない提案に、僕はどう答えていいかわからなかった。
「構わないだろう?ユーキ。」
いつもとは違う凄みのある低い声。表面的には僕に選択権があったけれど、実際には僕にはそんな
権利は与えられていないんだと思い知らされる。僕は黙ったまま、頷くしかできなかった。

その晩僕はアルベルトさんと少し大人っぽい店でお酒を飲んだ。
一応18歳にはなっているから法律的には問題なかったけれど、お酒は苦いし喉が焼けてしまいそうで
とても美味しいものだと思えなかった。
しかも初めて飲んだせいだろうか。体が上手く動かない。頭も霧がかかったみたいだ。
何とかアルベルトさんに連れられて、店を出たのは覚えている。
そしてその後ゴンドラに乗せられたことも覚えていた。アルベルトさんに声をかけたけれど、返事はない。
僕は気だるさと心地よいゴンドラの揺れに負けて、すうっと眠りについてしまった。

暫くして、胸に妙な感覚を覚えた僕は目を醒ます。
「…ん…アル…ベルト…さん…?ぁっ……」
ぴちゃぴちゃという水の音。ゴンドラが水を割っていく音とは違う音だ。
そして同時に襲ってくる奇妙な感覚。思わず身体をぶるりと振るわせた。
僕は眠い目を擦り辺りを見回す。
周りを壁で囲まれた、やっとゴンドラが通れる程度の狭いカナル。僅かに月明かりが差し込んでいる
程度の不気味な場所だった。
「静かに。暴れない方がいい。この時期の海は冷たいからね。転覆でもしたら大変だ。」
「え…アルベルトさ…ぅんっ…ここ…僕達…?」
アルベルトさんは人差し指を口にあて、しいっと息をはいた。
「騒がない方がいいよ。――まあ、多分ここなら叫んでも誰も気付かないけど。見つかったら
大変だよ。レイプした方はもちろん、された方も周りからこっ酷く扱われるから。」
「…アルベルトさんっ…?…何、を…っひ……!」
性器に触れられて上ずった声が出てしまう。そのままゆるゆるとかかれると腰が抜けてしまい
そうになった。固さを増していく自分が恥ずかしくてしかたがない。ぐちゃぐちゃと音がして
下着が濡れていくのが分かった。
「何、で…お願っ…あぅっ…やめて…くださっ…」

お酒のせいか、身体が動かない。抵抗出来ない。
怖くなって僕は涙を流しながらやめてほしいと懇願した。でもアルベルトさんはやめるどころか、
滑った指で僕のアソコをいじり始める。いくらお願いしてもアルベルトさんはやめてくれなかった。
いつもの優しいアルベルトさんじゃない。今僕に覆い被さっているのは全く知らない、怖い人だ。
そうであってほしい。僕は必死にアルベルトさんにしがみついた。
「叶うはずないのに、僕もバカだな。」
ぽつりとアルベルトさんが呟く。
「どうして君なんかと逢ってしまったんだろう。逢わなければこんなこと望まなかった。」
意識が朦朧としていて、アルベルトさんが何を言っているのか理解できない。でも、それでも
わかるほど悲しいアルベルトさんの声に、僕は酷く驚いた。
「はぅっ…やぁっ…アル…ベルトさ…何、言…?」
アルベルトさんに問いかけたつもりだった。でもアルベルトさんの耳には届かなかったようだ。
「……叶わないなら、絶望を味わうのなら、せめて――」
アソコに熱いものがあてがわれる。それが男のモノだということはすぐにわかった。
そういう知識がなくても、本能的にこの先どうなるからわかる。
僕は叫んだ。
「いやですっ…何で…!?ひぁっ…だっ…だめ…!やめてくだっ…!助けて…アルベルトさん…!」

「絶対に忘れられないようにしてやる。」

そう甘く耳元で囁かれた瞬間、熱い塊が僕を引き裂いた。

「大丈夫か?風邪だって聞いたけど。」
久しぶりに学校に行くと、早速ルイージとシモーネが話しかけてきた。心配してくれる二人に、
無理に笑顔をつくって答える。
「うん…何とか、ね…」
「この時期の風は冷たいから、ちゃんと暖かくしなきゃダメだって。」
「エンリエッタも心配してたぞ。」
優しい言葉が、逆に心を抉る。
風邪なんかじゃない。
もっと辛くて、悲しくて、苦しい――悪夢だ。
いきなり僕を押さえ付けて、無理矢理乱暴した。
どんなことされたとか、はっきり覚えていない。
けど、僕はただ痛くて、怖くて、悲しくて、ずっとアルベルトさんの名前を呼んでいた
ことだけは覚えていた。
気付けば家のベッドで寝かされていた。
ぼやけた記憶からは何もわからない。
アルベルトさんも酔っていた?それならあれはただの事故なんだろうか。それともなにか他に
理由が?もしかしたら僕が何か機嫌を損ねるようなことをしてしまったんだろうか?
いずれにしろあの行為そのものは異常としか言えない。
だったら何故アルベルトさんは――僕はぐるぐる終わる筈のない思考を巡らせていた。
僕がまた黙り込んでしまったからだろう。ルイージは場を取り繕うようにそそくさと自分の鞄を漁り、
何かを取り出した。とん。目の前に置かれたのはステンレス製の魔法瓶。予想外のものに
思わず目を丸くしてしまう。
「ヴィンブルレ(ホットワイン)だよ。マンマがお前に持ってっやれってさ。」
「お、さっすがロベルタおばさん!『いいワインはいい血を作る』って言うしな。」
「そーそー。ユーキもこれ飲んで元気出せって。何てったってイタリアのワインは
『ヴェリタス(真実)』が入った特別製だ。そこに俺のマンマのアモーレ(愛)が入ってる。
これ以上効くヤツなんてないぜ~。」
In vino veritas。
真実はワインの中にあり。
多分、その諺を踏まえた言葉遊びなんだろう。
でも今の僕にはその言葉がとても重くのし掛かってきた。

真実。

あの時、何故アルベルトさんはあんなことをしたのか。アルベルトさんはあの時、何を考えていたのか。
――真実が知りたい。そんな気持ちがもたげてきた。
「真実…か……」
そう呟いた僕に、ルイージはそれは違うと、大袈裟な身振りと映画のような台詞回しで、
あくまでマンマのアモーレが効くんだと釘を指した。
その言葉に僕は少しだけ笑った。

あの細い道。
いつもはそこを見つけるだけで胸が踊っていたのに、今はそれが嘘だったように気が重い。
それでも僕は石のように固まった足を引き摺って歩みを進めた。そこにアルベルトさんがいる
保証はなかったけれど、アルベルトさんと会うためにはここに来るしかない。そんな気がした。
一歩一歩足を前に運ぶ。いつものように視界が開けて、あの場所がそこに現れた。
飛び込んできた視界に、アルベルトさんはいない。落胆と安堵を同時に覚える。
「もう来ないかと思ったよ。」
ギクリと心臓が跳ねる。上の方から声がした。声の方を見れば、予想通り――「
言ったろ?いつもここからユーキを見てたって。」
橋桁のない橋脚の上。夕日を浴びて微笑んでいるアルベルトさんの姿がそこにはあった。
とん、とん、と崩れた煉瓦を階段がわりにアルベルトさんは下へと降りてくる。そしてそのまま
僕の前まで歩いてきた。実際にアルベルトさんと対峙すると、体が石になったみたいに動かない。
体はあの時のアルベルトさんをしっかり覚えていて、恐怖で身が竦み上がってしまう。

「こんなに会わなかったのは久しぶりだね。」
「……は…い……」
僕はアルベルトさんの顔を見ることができなかった。ふいにアルベルトさんが手を伸ばす。反射的に
後退り、壁に背を預ける格好になる。さっきまで真実が知りたいなんて偉そうに思っていたのが嘘
みたいだった。
「……俺が怖い?」
アルベルトさんの問いに答えられない。僕は俯いたまま黙っていた。
「『沈黙は是なり』…この国の諺だよ。」
少し悲しい声色でアルベルトさんが言う。僕はなんとか強張る顔を上げて、アルベルトさんを見た。
いつかみた、悲しい笑顔で僕のことを見ている。ただ、その笑顔はあの時、この街を嫌いだと告白した
時よりも、きつく僕の心臓を締め付けられた。胸があまりにも痛くてその場に踞る。ぎゅっと瞼を
閉じれば目尻に涙が浮かんできた。

「ユーキ!」
すぐにアルベルトさんは駆け寄って来てくれて、背中を抱いてくれる。微かにその手が震えている。
優しいその腕に身体を預けたくなった。けれど誰かが耳元でこの手が僕をめちゃめちゃにしたのだと囁く。
その声に僕は恐怖を思いだし、自分の身体を抱き締める。
「どうして……」
やっと出た声は酷く掠れていた。それでも胸に力を入れて肺から空気を押し出す。
「あんな、酷いこと………」
そこまで言ったら涙が溢れて止まらなくなった。後から後から頬を熱いものが流れ落ちてきて、嗚咽が
零れる。
「っ…嫌いなら……そう…言って下さ……もう……」
「違う、違う…ユーキ、そうじゃない……」

「ひっ……!」
いきなりアルベルトさんは僕を抱き締めた。その腕の強さはあの夜を更に強烈に思い出させる。身体中の
血管に氷が流されてたような錯覚に陥ってしまいパニックになった。何も分からず、ただ僕を押さえ
つける手を引き剥がそうともがく。
「…だっ…!やだやだやだっ!離しっ…!やめて!嫌だっ……!」
ぼろぼろ泣きながら多分、僕は酷いことをした。叫んで突き飛ばそうとしたり、殴り付けたり、酷く
傷つける言葉で罵ったり…噛みついたりもしたと思う。でもアルベルトさんは僕を離さなかった。
何度もごめん、ごめんと壊れたレコードみたいに繰り返して。僕を抱き締める腕の力だけは強いままで。
僕はずっとアルベルトさんの腕の中で泣いていた。

「……痛くないですか?」
月が高くなった頃、少しだけ血の滲んだ手の甲を撫でながら僕は聞いた。アルベルトさんはいつもの
穏やかな仕草で僕の背を撫でてくれる。
「……離せばよかったんです。」
散々暴れた僕はもう疲れ果てて動くのも億劫になっている。でもアルベルトさんは僕を離さないでいた。
今だって僕の頭を撫でていてくれる。怖いとか、嫌だとかいう気持ちはまだあったけど、それでも
さっきよりずっとずっと心は静かになってた。
「……何であんなことしたんですか。」
アルベルトさんは答えない。
「とっても怖かったんです…」
アルベルトさんはまだ答えない。
「…何で…何も話してくれないんですか…」
何度も何度も聞いた。それでもアルベルトさんは何も答えてくれない。諦めにも似た感情が込み上げる。
その時、僕の唇が意思とは無関係に動いた。
「…僕は…あなたが好きだったのに……」
自分でも驚いた。でもそう口にして、初めてはっきりと気づいたんだ。

僕はアルベルトさんが好きだった。
ずっと一緒にいるうちに、いつの間にか、好きになっていた。
その気持ちはシーモやルイージに感じてるような友情とか親近感なんかじゃない。
もっともっと強くて熱くて大切な気持ちだ。
あんなことされて、恐くて悲しくてどうにかなりそうだったし、二度と会いたくないと思った夜もあった。
でもきっと心の奥底の方ではアルベルトさんが好きだって気持ちが消えずに残っていたんだ。
だからアルベルトさんに真実を、本当のことを聞きたくてどうしようもなかった。
自分でもおかしいと思うけれど、酷い目にあってなお、僕はアルベルトさんに嫌われたくない、
また一緒に同じ時間を過ごしたいと思っていた。
(僕は馬鹿だ……)
アルベルトさんは黙ったまま、何も答えてはくれない。
また目の奥がじんと熱くなってくる。
「……俺は、君を愛してる。」
時間が止まった。
風も、波の音も、葉のざわめきもみんな止んだ。
ゆっくり伏せていた顔をあげて、アルベルトさんを見た。月明かりに照らされたその顔は、泣き顔にも
笑い顔にも見えた。
「君が好きだ。最初は僕と同じ瞳を持ってる君に興味を持っただけだった。僕は孤独だったから。
独りでいる時間をなくしたかった。」
よくわからない。アルベルトさんが、僕を?
「でも、君と過ごすようになってから変わったんだ。あんまり君が純粋だから。あんまり君が優しいから。
『独りは嫌だ』から『二人じゃなきゃ嫌だ』に。――だからユーキが俺以外の人間に盗られてしまうと
思ったら…いてもたってもいられなかったんだよ。」
くしゃりとアルベルトさんが笑った。僕はそれを呆然と見ていることしかできない。
「最悪だろう?子どもだってこんな質の悪い我が儘なんて言わない。
ましてや、力ずくで奪うなんてこと――」
そこまで言うとアルベルトさんはずっと僕を抱き締めてくれていた手を離して立ち上がった。体が急に
冷たい風に晒される。その時アルベルトさんの温もりが僕から離れていくのを嫌と言うほど
感じさせられた。

「ユーキ。いくら謝っても償いきれないのはわかってるけど、俺の気持ちだけ伝えたかったんだ。…最後までエゴだらけでごめん。」
僕はまじまじとアルベルトさんを見上げた。寒くて寒くて仕方なかった。なのに、胸の奥だけ熱くて
死んでしまいそうだった。

好きだ。

ただそれだけなのに、その言葉を聞いただけでとめどなく感情が湧き上がる。
「君の望む罰を受けるよ。警察に行こうか。それとも、気が済むまで殴る?一層ココを刺してみるかい?」
アルベルトさんはそう言ってとんとん、と自分の胸を指でつついた。
「僕は…そんなこと……っ……」
そんなこと望んでなんかいない。
そう言いたかったけれどダメだった。
先に涙が零れだして、声がでなかった。
だから僕はアルベルト思いっ切り抱き付いた。
抱き付いたというよりも、タックルしたという方が正しいかもしれない。アルベルトさんはよろけて尻餅をついた。
「ユーキ……」
「アルベルトさんっ……アルベルトさんっ……アルベルトさんっ………!」
僕はもう一度アルベルトさんの胸で泣いた。
今度は突飛ばしたりせず、逆に絶対離すもんかとしがみつきながら。アルベルトさんは驚いていたみたい
だけど、そんなの気にしてられなかった。
きっと今こうしないとアルベルトさんは二度と僕の目の前にいてくれなくなる。そう思った。だからどんなに身体が震えてもこうしなきゃいけないって思った。
「ユーキ……僕は君に最低なことをしたんだ。」
「…っ…はいっ…すごく、いや、で…したっ……」
「僕は君を傷つけたんだよ。」
「…は…いっ……すっごく…くるし…かった…です…」
「僕は許されない罪を犯したんだ。」
「…っ…はい…すごく…すご、く……こわかっ、た………」
「……それじゃあどうしてユーキは僕を抱き締めてくれるんだい?」
そんなの一つしかない。近過去でも、半過去でも何でもない。この気持ちは『今』のものだ。
今、ちゃんと伝えなければもう二度と伝えられないかもしれない。

「…っ……っ……好き、ですっ…アルベルトさんっ……」

僕は自分の言葉で、自分の気持ちを精一杯の思いを込めて伝えた。
「『スキ』…?」
アルベルトさんは不思議そうな、不安そうな声で聞き返してきた。僕は一気に胸の中に詰まって
いたものを吐き出した。
「そうです、『スキ』です。アルベルトさんが好きです。大好きです。アルベルトさん、
アルベルトさん、好きです。好きなんですっ……!」
次の瞬間、アルベルトさんは信じられないくらい強い力で僕を抱き締めて、大声で泣き出した。
「ユーキ…済まない……!ユーキ…ユーキ……愛してる、愛してるユーキっ!……」
静かな僕とアルベルトさんだけの秘密の場所で、僕とアルベルトさんはずっとずっと抱き合っていた。

くしゅん、とアルベルトさんがくしゃみをする。もう大分夜もふけて、僕達の身体は思ったよりも
冷えていた。さっきまで涙で濡れていた頬なんか寒さもあって真っ赤になっていて、僕達はくすくす
笑った。
「無理をさせたね……ゴンドラにコペルタ(毛布)があるから。行こう。」
アルベルトさんに手を引かれ、僕はゴンドラに乗る。差し出されたコペルタはアンゴラのようで、
ぱちぱちと静電気が起きた。僕は肩にそれを羽織り、アルベルトさんはコペルタと一緒に置いてあった
ピーコートを着る。
「家まで送るよ。」
その言葉を合図に、ゴンドラはゆっくりと動き出す。波とそれを割る船首の水音が気持ちいい。
コペルタのお陰で寒さも大分和らいだ。
「あ…そうだ。まだ大丈夫かな……」
ふと僕は鞄を探る。教科書や筆箱をかき分け底を覗き込むと、鈍い金属の肌が見えた。
「アルベルトさん、少しいいですか。」
「何だい?」
きょとんとした顔でアルベルトさんは僕を見た。
「約束しましたよね。いつでもどこにでも、って。」
その一言でアルベルトさんは僕が何を言いたいのか分かってくれたみたいだった。いつか見たような
優雅なレモ捌きで向きをかえて、ゴンドラはゆっくりと海を進んだ。

「やっぱり沖は風が強いね。」
「でも星がきれいです。」
ゆらゆら揺れるゴンドラの上で僕達は並んで座っていた。二人して膝にはコペルタ、肩にはコートを
かけると肌寒さは殆んど無くなった。僕はルイージから貰った魔法瓶を取りだし、中身をカップに
注いだ。ふわりと甘酸っぱい香りが辺りに広がる。
「……凄い。まだ温かいです。」
「さすが日本製,保温力抜群だねえ。」
くつくつと笑いながらアルベルトさんにカップを渡す。アルベルトさんはそれを受けとると少し香りを
堪能してから口に運んだ。
「ミエーレ(蜂蜜)とリモーネ(レモン)たっぷり。エルバ(香草、薬草)もいい。
素晴らしいヴィンブルレだね。」
ぐいっと飲み干すと、アルベルトさんはお代わりをする。結構気に入ったみたいだ。
「ヴェリタスとルイージのお母さんのアモーレ入りの特製だそうですから。」
それを聞くとアルベルトさんは大笑いをした。よくわからないけど、ツボに嵌まったらしい。
「あははははは、なるほど、なるほどね。マンマのアモーレか。それは体に良さそうだ。
くっくっくっ…だけどヴェリタスの方はどうなんだろうね?ははっ、風邪に聞くなんて話は
聞いたことがないけど。」
ついに涙まで浮かべながらアルベルトさんは言った。…本当に息が苦しそうだ。
そんなに笑わなくてもいいのにと言おうと思ったけれど、アルベルトさんが笑っていてくれるのは
嬉しいから、僕は言うのをやめた。その代わり視線を手にした魔法瓶にやりながら僕はそっと囁いた。
「……少なくとも僕は、元気になりました。」
一瞬の沈黙。風の音だけが聞こえた。
「本当のこと、教えてくれてありがとうございます。アルベルトさん。」
僕はそのままアルベルトさんの肩に身体を寄せて頬擦りした。アルベルトさんはその温かい手で
僕の肩を抱いてぐっと抱き締めてくれる。心地いい体温がじわりじわりと僕の身体全体に伝わっていく
のが分かった。

「……まだ僕が怖い?」
「……はい。」
「もう二度としない。絶対傷つけるようなことなんかしない。誓うよ。」
「……はい。」
自然と僕達はお互いに見つめあっていた。
きれいな勿忘草の瞳に僕の姿が写っている。それがなんだか嬉しかった。
ゴンドラを揺らす波のように、ゆっくりと僕達の距離が無くなっていく。あと少しで距離がゼロに
なるという時、急にアルベルトさんがびくりとして止まった。
「……?」
不思議に思い、首をかしげる。アルベルトさんは目を附せ、何か躊躇うように視線を巡らした後、
小さな声で僕に聞いた。
「…ユーキ、その…キスをしても…?」
怯えたような声に驚いたけれど、僕を気遣っていてくれるんだと気付くとその声も視線も全てが愛しく
なった。僕は答える代わりに目を閉じる。澄んだ波の音と頬を撫でる風の中に僕達はいるのだと改めて
感じる。ふいに甘い香りがした。
それから温かくて柔らかな感覚が僕の唇を包んだ。

アルベルトさんの唇は、甘酸っぱい、ワインの味がした。

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        //, 停   ||__           (´∀`⊂|  < ご迷惑おかけしました
        i | |,!     ||/ |           (⊃ ⊂ |ノ~
         | |      /  , |           (・∀・; )、 < 二度寝してくるよ!
       .ィ| |    ./]. / |         ◇と   ∪ )!      
      //:| |  /彳/   ,!           (  (  _ノ..|
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