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イソップ寓話 アリとキリギリス

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!

 照りつける太陽の下、私は一歩、また一歩と砂の上を歩いていく。背負った荷物がひ
どく重かった。膝が重さに耐えかねて微かに震えている。私は負けじと足を踏ん張って
歩を進める。肩に食い込む重みは徐々に鈍い痛みへと変わっていっていた。一度荷物を
降ろして休みたかったが、後ろにはまだ仲間たちが続いている。私がここで立ち止まる
訳にはいかない。眼前には陽炎が揺らぎ、前を歩く仲間たちの背中が歪んで見える。と
めどなく流れ落ちてくる額の汗を手の甲で強く拭い、私は荷物を背負い直した。

 砂と石だけだった周囲の景色に、少しずつ緑の草木が混ざり始めた。頭上には赤や黄
色の花々が咲いているのも見える。この辺りからは日陰も多くなるし、地面もいくらか
歩きやすくなってくる。このままあと少し進めば、私たちの住処だ。漸く見え始めたゴ
ールにほっと気が緩んだ瞬間、地を蹴った筈の一歩がずるっと石の上を滑った。
「っ、あ」
 前のめりにバランスが崩れる。まずい――と思う間もなく、私は勢いよく地面に倒れ
臥していた。
「っ……」
 急いで体を起こそうとするが、疲弊しきった足腰と痛む膝に阻まれて、なかなかうま
く動けない。仲間たちは自分の荷物を運ぶのに精一杯で、勝手に転んだ私などに構って
いる暇はないだろう。なんとかして起きあがろうと顔を上げた私の目を、金色の輝きが
射った。
「平気?」
 陽光に透けてきらきらと輝くそれは、私の傍にしゃがんでいた青年の髪だった。柔ら
かそうな金髪に、茶色の大きな瞳もやや金を帯びて輝いている。青年は鮮やかなライト
グリーンのシャツに包まれた細長い腕を、舞台俳優の如き優雅な仕草でこちらに差し伸
べた。

 この派手な青年には、見覚えがある。一度も話したことはないし、これからも会話を
することなどないだろうと思っていたが。
「キ、キリギリス君……」
「どーも、アリさん。どこもケガはしてないよな。荷物背負ったままで立てる?」
「あ、ああ」
「よし、じゃー行くよー。せーのっ」
 キリギリスは私の手を強く掴むと、そのまま勢いよく引っ張り上げた。ふっと体重が
軽くなった気がして、次の瞬間、私は自分の足で地面に立っていた。
「ん、ちゃんと立てた?良かったね」
 キリギリスは屈託なく笑う。私は少し顔が熱いのを感じながら頭を下げた。助けても
らったのはありがたいが、よく知らない男に転んでいるところを見られ、しかも助け起
こされたというのは大分気恥ずかしい。
「……ありがとう。助かったよ」
「いいよ、たまたま通りかかっただけだし。つーかさ、こんなとこで倒れてたら邪魔っ
しょ」
 キリギリスは脇に置いていたらしい四角い鞄を肩にかけると、両手を頭の後ろで
組んでしげしげと私の姿を見つめる。私の爪先から頭まで無遠慮な視線を走らせ、
「しっかしご苦労さんだよね、そんな重い荷物背負って真っ黒い服着て行列してさあ。
しかもアリさんたち毎日そうやって働いてるでしょ?やばいよね、俺ぜーったいマネ
できない」
 キリギリスは笑いを含んだ声で言った。先刻とは別の意味でカッと顔が熱くなる。キ
リギリスの美しい服と引き比べて己の砂にまみれた黒い服が恥ずかしく、同時にあまり
にも不躾な物言いが頭にきた。私だって好きで毎日重い荷物を運んでいる訳ではない。
第一、今食料を蓄えておかなければ冬を越せないのはキリギリスだって同じ筈だ。私は
唇を噛んで、キリギリスの顔を睨みつけた。

「冬に飢え死にしてもいいのなら、私もあなたみたいに遊んで暮らしますけどね。生憎
私はごめんですから」
 口に出してしまってから、助けられた身で少し言い過ぎたかと後悔したが、キリギリ
スは意に介した風もなく鼻先で笑って、肩にかけた四角い鞄を地面に下ろして蓋を開けた。
「そんな先のこと俺には分かんないから。それにさ、俺は働いてる暇なんかないの」
 その中から現れたのは、優美な曲線を描くバイオリンとその弓だった。夏の明るい陽
光を受けたバイオリンは、何ともつややかな飴色に輝いている。
「弾かないと、すぐ下手になるし」
 キリギリスはバイオリンと弓を手にして呟くと、鞄を肩にかけ鮮やかに身を翻して
近くの葉の上に飛び乗った。バイオリンを構えながら顔だけをこちらに向けて、逆光
の中、唇の端でにっと笑う。
「じゃあね、アリさんも早く行列に戻りなよ。置いてかれるぜ?」
 振り向くと、列の最後尾の仲間がこちらを振り返り振り返り歩いていくところだった。
私は慌ててその後に続く。
 土を踏みしめ、再び住処に向かって歩き始めた私の耳に、遙か頭上からバイオリンの
優雅な旋律が降ってきた。私は思わず足を止めて空を仰ぐ。キリギリスの姿は見えない
が、音の連なりは絶え間なくきらきらと降り注いでくる。
 どこまでも明るく澄みきった音に、ふとあの陽に透ける美しい金髪が目に浮かんだ。
と、同時にあの嘲るような声も耳によみがえり、私はそれを振り払うように軽く頭を振
る。次の一歩を踏み出した私の足下で、小枝がぱき、と音をたてた。

 私たちにとって冬とは、絶え間ない閉塞感と共にある季節だった。地面の中は夜明け
だろうが昼間だろうが常に薄暗く、四方を土に覆われている圧迫感には息が詰まりそう
になる。しかしこの住処は暖かく、夏の内に蓄えた食料は一冬を越すのに足りる量がある。
肌を刺すような冷たい風も、鼻の奥が痛くなるような冷えきった空気も、住処の中にい
る限りは味わうことがない。それだけで充分だった。
 くらく、あたたかい土の中、私は住処の入り口近くで壁に背を預けて体を丸めている。
一応見張りという役割でここにいるものの、敵など来たことがないから心持ちは部屋で
休んでいる時とそう変わりない。少し前から右の肩が熱を持ったように疼いているのは、
夏の間に酷使しすぎたからだろうか。仲間の中にも膝や腕を痛めている者は少なくない。
しかしそれも、また春が来る頃にはきっと癒えているだろう。私は近くに落ちていた布
きれを引き寄せ、膝にかけて瞼を閉じる。

 何分経ったのだろうか。うとうとと微睡んでいた私の耳に、微かな声が聞こえてきた。
「アリさん……?」
 はっと目を開ける。外だ。振り向いた私の目に、入り口にもたれかかるように立つ痩
せた青年の姿が飛び込んできた。乱れた金色の髪、泥に汚れた白い貌。
「キリギリス君……!?」
 私は目を疑った。華やかな輝きを放っていた金髪は以前のようなつやが消え、肩まで
伸びた毛先は乾いたような砂色になっている。羽織った外套の中に着ているライトグリ
ーンのシャツは汚れて色褪せ、元々が鮮やかな色だった分だけ余計に見窄らしく見えた。
以前から細かった体はもう病的な程に痩せており、シャツと薄い胸の間に隙間ができて
いる。ろくな物を食べていないのは一目瞭然だった。

「……よかった、会えて」
 キリギリスはほっとしたように息を吐き、乾いた唇で弱々しく微笑んだ。
「あなた、は……」
 咄嗟に言葉が出ない。あの、自信に満ち溢れた美しく不遜な青年が、何故こんな姿に
なっているのか。
 ――いや、私は知っている。その理由を、私は既に知っている。
「あなたは――本当に蓄えをしなかったんですか!?こうなるのは分かりきっていたこ
とでしょう!私に、あんな風に言っておいて、そんな姿になって、まさか食べ物を恵
んでくれなんて頼みに来たんじゃないでしょうね……!?」
 立ち上がって矢継ぎ早に言った私にキリギリスはちょっとの間目を丸くしていたが、
すぐに笑って目の前でひらひらと手を振った。
「ああ、違う、違う。いくら俺でもそこまで図々しくないよ。まあ、頼みがあって来た
のはそうだけどね」
 キリギリスは肩にかけていた四角い鞄から、例のバイオリンと弓を取りだした。キリ
ギリスの見窄らしい身なりと対照的に、バイオリンは以前と変わらず深い飴色の光沢を
放っており、丁寧に手入れが施されているのがよく分かる。キリギリスは手にしたバイ
オリンを愛おしむように軽く撫でてから、弓と一緒に私の胸の前にすっと差し出した。
私は反射的に両手でそれを受けてしまう。
「こいつさあ、アリさんにもらってほしいんだ。とりあえず、今預かってくれるだけで
もいいんだけど。誰か弾く人がいたらその人にあげていいからさ」
「は――?でも、このバイオリンは……」
 キリギリスはふっと目を伏せて、大きく、大きく溜息をついた。淡い金の睫毛が、瞳
に影を落としている。

「相棒、だったんだけどね。でも俺もうバイオリンは諦めたんだ。これで生きていきた
くて、ずっと、ずうっと練習してきたし、怠けてたつもりはないけど、俺才能ないみた
い。人様に聞いてもらえるぐらいにはなったけど、じゃあ俺の演奏で食べ物がもらえる
かって言ったらそれはもう全然レベルの違う話でさ」
 キリギリスは下を向いて少しの間沈黙してから、突然ぱっと顔を上げて笑い、
「俺さあ、多分もうすぐ飢え死にすると思うんだ」
 そう、明るく言い放った。
 心臓に熱い塊を突き立てられたような衝撃が走る。怒りとも悲しみともつかない、や
り場のない感情が胸にせり上がってくる。
 絶句している私を無視して、キリギリスは続ける。
「相棒抱いて心中ってのも悪くないけど、俺のせいで道連れにしちゃうのも気が引ける
しさあ。こいつ、結構いいやつなんだぜ。低音がよく鳴って、音も深みがあるし」
 キリギリスは私が持っているバイオリンの表面を中指の関節で軽く叩いてみせた。コ
ンコンという音は場違いなほどに暖かく響き、土の壁に微かな残響を残して消えた。
「誰か音楽好きな人が買うかもらうかしてくれたら良かったんだけど、そういう人もい
なくて。どうしようかと思ってたとこでアリさんのこと思い出したんだ。アリさんの家
って暖かそうだし、土の中だから外と違って乾燥してないだろうし、誰か欲しい人が見
つかるまで預かってもらえれば嬉しいなって。あ、できればなるべく風通しの良さそう
なところに置いてくれるともっと嬉しい。強風直撃とかはまずいんだけどね。それと、
気が向いたらたまに柔らかい布で拭いてくれるとありがたいなあ。あ、それから――」
 痛々しいほど痩けた頬に穏やかな笑みを浮かべて、キリギリスは楽しげにバイオリン
の手入れについて話し続ける。
 キリギリスの言葉は、半分も私の耳に入っていなかった。バイオリンを受け取った両
手が震える。頭の中が煮えたぎるように熱い。脈の音が体に響く。
「そうそうあとね、弦のことなんだけど、当分誰も弾く人がいなさそうだったら――」
「――あんたは、」
 キリギリスがぴたりと言葉を止めた。

 驚いたようにこちらを見つめるキリギリスの顔を見返しながら、私はゆっくりと息
を吸う。止めて、一気に言葉を吐き出す。
「あんたは何を考えているんだ!馬鹿か、馬鹿だなあんたは本物の馬鹿だ!!」
 キリギリスがびくっと目を閉じて肩を竦める。自分でも思っていなかった程の大声に
驚きながら、それでも私の口は止まらない。
「私の寝覚めのことも考えろ!どこにそんなことを言われてはいそうですかと受け取
れるやつがいるんだ!いやどこかにはいるかもしれないが私はそんな人非人じゃない!
バイオリンは諦めた?だからもうすぐ飢え死にする?勝手なことをぬかすな!演奏に価
値があるかどうか決めるのはあんたでなくて客だ!」
 私は両手にぐっと力を込めて、バイオリンと弓をキリギリスの胸に突き返した。
「――弾いて下さい」
 キリギリスの、金を帯びた瞳が揺らぐ。私はその眼を睨み据えて続ける。
「私があんたの客になる。今死なせるには惜しいと思うだけの演奏を聞かせてくれたら、
食べ物でも何でも差し上げますよ。ずっと練習してたなら、夏よりは上手くなっているん
でしょう?」
 キリギリスが息を飲むのが分かった。
 堅く拳を握っていたキリギリスの指が、ゆっくりと開かれていく。いくらか骨張っては
いるがしなやかな白い指が、バイオリンに、弓に触れる。
 キリギリスは、それをしっかりと握った。
 一歩、二歩と下がり、キリギリスはバイオリンを肩に構える。弓を引いて軽く音を鳴ら
し、糸巻きに触って音を調える。
 それからキリギリスはこちらを向き、すっと腰をかがめて何とも優雅な仕草で一礼した。
薄暗い住処にそこだけ光が差し込んだように、バイオリンを構えるキリギリスの姿がくっ
きりと浮かび上がって見える。私は壁を背に座りなおし、ただ一人で演奏者に拍手をする。
 土の壁に柔らかく響いた拍手の残響が消えた瞬間、キリギリスの瞳がきらりと輝き、鋭く
息を吸う音と共に、張りつめた弦に弓が触れた。

□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!

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