Cheers for Tears Ⅰ
更新日: 2011-05-04 (水) 12:15:46
*半ナマ注意 映画「ス/ル/ー/ス」より ネタバレ内容なので未見の方はスルーを。
*『女は嫌いだ、むしろ犬か山羊か少年の方が…』というマイ口の台詞から。
マイ口以外の登場人物はオリジナル。
*完結しています。途中中断あり。
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Every Knave will have a slave, You and I must be he.
みんなとりつかれるようになる おそらくきみかそれともぼくか
あんなにひどい彼なのに - マザ一グ一スより
そういえばマイ口・ティンドルが死んだってね、言い出したのはクリスだったか
レキシーンか。いつもの<ヘラジカの角笛亭>に集った顔ぶれの誰かだ。
間違ってもぼくではない。
23時を過ぎていて、座はとうに白けていた。20代の頃とは違い、一晩中飲み明かせる
体力は減退し、家庭持ちの者は頻繁に入る家族からのメールを頻りに気にしている。
これで今夜はお開きに、と誰でも一言いえば、自堕落ぶりたがるアーロンだって従ったろう。
話の接ぎ穂のつもりが、そのニュースは上等でもない好奇心をくすぐる
興味深い事案として、忽ち歓迎された。
「死んだって、あのマイ口がかい? おやじが危篤と聞いてもドッグレース場に
行きたがるようなヤツなのに?」
「ねえ待って。それより<誰に>殺されたの?」
ローズが大仰に顔を顰め、ノーと口を窄める。しかしアーロンとクリスは
すかさず同意した。在りし日のマイ口が見事に偲ばれる反応だ。
アーロンと付き合い始めて間のないローズは、女性同盟のレキシーンに教授を
乞うよう目配せすると、『ちょっとお化粧を直してくるわね』と席を立った。
残されたぼくたちは目の前の空のグラスをしばらく見つめ、どうしたものかと
互いの思惑を推し量る。
「真面目な話、本当なのか、その、マイ口が?」
明日と明後日の週末を利用し、ヘレフォードの実家まで生れたばかりの赤ん坊を
見せにいかねばならないと、店に着いた早々こぼしていたクリスが煙草に火をつけた。
「おれも詳しいほどじゃないが、確からしい。ギルは何か聞いてないか?」
アーロンに促されたぼくは肩を竦め、目を丸める。今初めて聞いたよ、
と驚きで声もでないフリならお手の物だ。
「又聞きだから話半分で聞いて欲しい…」
と話だしたクリスによると、マイ口はやはり殺人の犠牲者となり、老いさらばえて
自慢の美貌を失う前にあの世へ召されたそうだ。
「で、誰の手にかかったんだ? もちろん痴情絡みだろう? どこで発見された?」
「まぁ待てよ。ええと…(懐から旧式の電子手帳を取り出すクリス)
ああ、了ン卜゙ノレ一・ワイ勹邸だ」
「ワイ勹? 誰だそりゃ」
「物書きさ。いわゆるベストセラー作家で、TV映画になった著作も多い」
これは差し障りない情報なので、会話の潤滑としてぼくは正しく補則してやった。
「凄い豪邸住まいでな。ハイテク警備システムで管理されてるとは思えん
カントリーハウスの外観なんだと」
「作家ならギルは詳しいんじゃ?」
水を向けるアーロンに、ぼくは申し訳ない顔をし、
「あいにくうちの弱小出版社では執筆依頼すら門前払いされるひとだよ、ワイ勹なんて」
そう答えるに留める。実際百科事典部署にいるぼくは地下の倉庫で目録整理を任されているという、
過分な左遷をされてからはベストセラーの動向にも無縁になっていた。
「そんな売れっ子作家とマイ口を結びつけるといやあ…」
「女と金以外にあるもんか。ワイ勹はまさか両刀とか?」
「さあね。マイ口なら60過ぎの爺さんを腹上死させても不思議じゃないが。
で、その家で何があった?」
「…銃で撃たれたそうよ」
手洗いから戻ってきたマキシーンが座り、居心地悪そうなローズを隣へ招く。
塗り直したばかりの真っ赤なルージュにショートピースを咥えると、
ローズが点けたライターを差し出した。手元が微かに震えている。
化粧を直してきただけでは、どうもないようだ。
「誰から聞いた、マックス?」
「先週のサンに載ってたわ」
怖がらないで、とでも微笑むように、マキシーンの細い指がローズの頬を掠める。
マキシーンは酷く楽しそうだ。本当は真っ先に言いたくてたまらなかったのに、
彼女の氷の忍耐力は決して心情の動揺をおもてへ漏らそうとはしない。
マキシーンがいかにマイ口を憎んでいたかを思うと、ぼくは今でも胃の辺りが重くなってくる。
「なぜすぐに言わなかった?」
「被害者の名前は載ってなかったの。あたしも今知ったとこよ。
美容師兼日曜俳優なんて所詮無名の一般人ですもの。
ワイ勹の知名度に比べたらゴミみたいなもんでしょ?」
「だがゴシップのキャストとしては大分有望なんじゃないかな」
あら、と意外そうな目を向けるマキシーンの口元が何か言いかけ、ぼくの周囲を
訳知り風に見た。
「亡くなったひとをそんな風に言うなんて…」
「気にするな、ローズ。君はマイ口を知らないから」
「そうよ。庇ったところでその真心を換算しないと相手への対応をいくらでも
変えられるのがマイ口という人間なの。見かけはボー・ブランメルみたいに
綺麗だけど、両足はいつも溝板に突っ込んでいて、それを自慢にしていたわ」
アーロンとクリスが下卑た口笛を吹いた。
「それよりギル、あなたがマイ口を悪し様に言うなんて」
「別に悪口じゃないよ。マイ口はずっと有名になりたがっていた、たとえ一日でもね。
ほら、ボウイの、あれが大好きでいつも歌っていたじゃないか」
誰でも英雄になれる、一日だけなら、妙な節をつけアーロンが合いの手を入れた。
「最初で最後の大舞台だったかは知らないけれど、全国紙の一面に有名人の被害者として掲載されたなんて、いかにも彼らしいね」
「一面なんかじゃなかったわ。タブロイドの三面記事よ」
深く煙を吸ってから、マキシーンは唾でも吐き出すように剣呑に言った。
「それで、肝心の理由がまだだ。どうして作家爺さんはその、マイ口をヤっちまったんだ?」
アーロンがTVドラマのチンピラを装ってわざと下卑た口調になったのを、
ローズは本気で疎ましいらしく睨みつけている。
「誘ったベッドで足を開かなかったのか?」
「よしなさいよアーロンったら!」
可哀想なローズを差し置いて、マキシーンは満足したように喉奥で笑い、
クリスも吹きだした。静観しているぼくに助けを求める視線をローズは投げたが、
その救命信号をぼくは無視した。
見なくても彼女が裏切られたように目を剥いているのがわかる。
「それがちょっと違う。ワイ勹の女房を寝取ったんだ」
「なんだ、そうなのか?」
「つまらないでしょ? ほらご覧なさいギル、これのどこが有望新人扱い
になれるというの。三流ゴシップ誌とはいえ、ね?」
アーロンの様子から、勿体ぶった割に大したことではなかったと判断される
マイ口の所業でも、この5人の中で一番若い20代前半のローズにしてみれば、
不倫はまだ充分嫌悪できる不純行為なのだろう。とうとう彼女は口を噤み、
両手を膝の上に揃えて俯いてしまった。
「寝取ったってことは、マイ口の射程距離も随分底上げされたってことかな」
「ワイ勹の女房はワイ勹より20も年下さ」
「まぁ色ボケ爺さんの情熱殺人なら当然必要な設定ね。金と名声で買った美女を、
息子ほどの若造に奪われる」
「ところがこの美女が曲者で、贅沢三昧が身についてるもんだから、マイ口の顔と
身体だけではもたなくなった。そこで爺さんとの離婚で貰える慰謝料当て込み、
ヤツみずから交渉に行ったところをズドン、でジ・エンドってわけ」
ローズがあまりにも可愛らしく身を竦めるので、ぼくはだんだんイライラしてきた。
「そしてとどのつまりは消えてなくなった…」
「よしてギル、マクベスに悪いわ」
「なぜマクベスなの?」
「そうだ、せいぜいライサンダーか無理してパッサーニオだろ?」
「もうやめて! わたし帰る!!」
宣言するローズの声は鼻水交じりで、クリスがアーロンに追いかけないのか?
という視線を向けたが、ヒールを鳴らして店のドアを出て行く恋人を
見送っただけで、彼は座りつづけている。
「可愛い子で羨ましいことね、アーロン」
「女に靡く素養持ちじゃおれの手に余る」
マキシーンが悪びれなくアーロンを見返している。とても嬉しそうだ。
だがアーロンの声音も別段不快という風でもない。
「まぁ。そんな小さい器じゃ遅かれ別れてたわね。あなた、相変らず自分は棚に
上げてるの?」
「意味がわからんが」
「とぼけなくていいわ。テレンス・トーンブリッジにマイ口を紹介したのが
あなただって、あたし知ってるのよ」
それならぼくも知っている。ついでにマキシーンがヘンリーレガッタの優勝チームで
主将を務めたテレンスと、既に2度デートしていたことも知っていた。
テレンスは生れが良い割に、見た目が’80年代始めのエアロビクスブームに便乗した
インストラクター風の野暮ったいスポーツマンだが、コーパスクリスティカレッジを
出ているマキシーンには理想的だった。当然セックスに最適と踏んだからで、
むしろオツムの出来は先刻のローズぐらいがちょうどいいと考えていた。
実際テレンスはホラティウスの詩を寝物語に育った美人のマキシーンと
連れ立って歩くのをひととき喜びはしたが、いっしょにベッドを過ごす相手には
マイ口を選んだ。
アーロンはテレンスと同じスポーツジムに通っていて、トレーナーも同じだ。
マイ口がしばらくしてそのジムのゴールド会員証を格安で作らせた頃、マキシーンは
チェルシーのレストランでテレンスとのディナーを予約していたが、
直前になり彼から断りメールを携帯電話で受け取った。間が悪い時は重なるもので、
愚かなテレンスはメイフェアホテルからマイ口と連れ立って出てきたところを、
店へわざわざ出向いてキャンセルしたマキシーンに見られてしまう。
「おれがマイ口と寝ていたと言いたいのか?」
「テレンスとも楽しんだ?」
「ふざけるな!」
どうしてひとは真実を衝かれると激昂するようにできているのだろう。
気の毒だが今の抗弁で、アーロンはクリソ卜トソの『ズボンの染み』ゲート事件を
担当した弁護士でも呼んでこない限り、勝ち目はないだろう。
「マイ口に男をとられたからって見苦しい真似は止せよ、マックス」
「あなたにそう呼ばれると虫唾が走るわ」
「ヒステリーと月経の相互作用に関する論文でも書くか?
だがリサーチ相手を間違えてやしないか、え?」
「品性下劣な男でも友達だからあなたを哀れんであげてよ。
そりゃローズも不満なはずだわ、5分と保たないんじゃ、ねえ?」
見る間にアーロンの顔面が青ざめたかと思うと、すぐにドス黒い赤に変色した。
賑やかなことだ。
こういう時のクリスは逆に面白がって、絶対アーロンを擁護しようとはしない。
それどころか『5分』なんて気にするな、問題は保持力じゃなくDNA細胞の
優劣だけだからな、と手酷い当て擦りを言う始末だ。
軍配は悠々とマキシーンに上がり、敗残兵のアーロンは最終答弁もさせてもらえず
スゴスゴ退場していく。
「マイ口がまだどこかで笑ってるんじゃないか?」
ニヤニヤするクリスの妙に芝居がって低めた声に、マキシーンは鼻でせせら笑った。
グラスのペリエを飲み干すと、縁にべったりとルージュ痕が残って、
ぼくはうんざりと目を逸らす。
「でも変だな、マックス」
「何が?」
「ギルさ」
マキシーンの口元には皮肉っぽい笑みが浮かぶ。
「何もおかしいことはないわ」
「だってマイ口はおれたちの中で一番ギルを信用していただろう?」
「信用じゃないわよね、ギル?」
マキシーンは誘導尋問のプロか何かか。スコットランドヤードへ出向でもするのだろうか。
とはいえ、大分脱線もしたがどうせ話すことになると、ぼくにはわかっていた。
情報を仕入れたクリスと、素晴らしい補填に加え、知る価値もない者たちの
一掃までしてくれたマキシーンには知る権利、いや知って共に嗤い、
かつ不愉快になる懲戒を分かち合わなくては。
「信用と利用は違うようでどこか似ているのかもしれないな。相乗効果があるせいかもね」
「もう御託はいいのよ、ギルバート。あなたなら、主ならず我の代理人として
鮮やかなる復讐を代行せしめん、でしょう?」
「君の想像力は下方修正すべきだよ。ぼくがそんな御大層な決断に関われると
思うなんて、過大評価もいいとこさ」
「弱ったな、帰らなくちゃならないのにギルの告懈を聞くまでは動けなくなってきた」
と、少しも困っているようには見えないクリスは、ウェイターを呼び
ワインリストを持ってこさせようとしている。わかっている、マキシーンはアーロンに
挑んでまで捨て身の自白を引き出せた。本当はその証拠を盾に自分で決着をつけたかったのに、
それを出し抜かれたのが彼女には悔やんでも悔やみきれないのだろう。
その萌芽から経過、そして決意と実行によって成立した<終止符>が、
マキシーン本人の契機や考えていたシナリオよりも愚劣で浅はかで
見下げ果てていればいるほど、彼女自身の平安は確実となるのだ。
だからぼくは話してやる。墓にまで持っていくほど価値のないマイ口という
愛すべき俗悪な魂の消去に、光栄にも携わることのできた
ぼくのささやかなストーリーを。
[][] PAUSE ピッ ◇⊂(・∀・;)チョット チュウダーン!
Cheers for Tears Ⅱ †
354からつづき |>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!
◇
男が欲しくなれば、マイ口は決まってギルバートへ連絡をした。ソーホーに出入りするのは
嫌がるうえ、道端でハスラーを拾うのも病気を理由に身震いしながら御免だねと
のたまうマイ口に、ギルバートはもはや斡旋業者に成り果てている身分を自覚していた。
「ネットで検索すれば5分も待たされず派遣されてくるだろうに」
「止してくれよ。写真だけで相手を決めるなんて僕の主義に合わない」
主義が聞いて呆れるが、どうせ意味もわからず使っているだけなのだ。
それにマイ口はハイテク機器が苦手で、いまだにパソコンの操作ができない。
相応のサイトに接続し、登録して、課金制度を理解するにはおそらく来世紀まで
待たなくてはならないだろう。
だからギルバートはマイ口から連絡がくると、大して楽しくもなくなっている
オールドコンプトン・ロードへの進軍に従卒として赴かなくてはならない。
今回は付き合っていた不動産屋の女社長が仕事でマヨルカ島に行くのに
連れて行ってもらえなかったから面白くないと、呼び出しがかかった。
『ダーリン、わかって。仕事なのよ。あっちであなたの相手をしている暇はないわ。
わたしがあなたをひとりきりにして、寂しい思いをさせたがるとはまさか思わないでしょう?
だから、ね? いい子だから、しばらくの辛抱よ。お土産に素敵に日焼けして
戻ってきてあげる、いいわね?』
「あのババあ、自分だけイイ思いしようって肚さ。さんざん僕にイイ思いさせてもらったくせに…」
「で、マダムのカードで男遊びしようってのかい」
「いけないか?」
「悪いと思わないきみに言うことは何もないね」
何を言われたのか一瞬わからないという風に首を傾げるマイ口は、闇に潜んでもいない
たくさんの蛾を既にひきつけていた。恋人にするにはこれほどそぐわない不誠実という
痘痕を、えくぼどころか詩的ですらない声音と安っぽい睦言でコートする必要も
なく、その美貌ですべてを凌駕し、ほんの短期ならそれはもう理想的で
ロマンティックな夢の伴侶になってくれるマイ口・ティンドル。イーストエンドの
公立校からの付き合いだからもう10年以上になるが、こうして幻滅させられるたび
ギルバートは、誰と寝てもまだ知らない友人との愛の行為と勝手に比べることの
できる愉悦を保留できる喜びを見出し、情けないこの堂々巡りを恥部と自認している。
友達とは寝ない、それがマイ口の流儀であり、ギルバートの聖域であった。
ただしその不可侵圏ではあらゆる不徳が淫靡を肥料に大輪の食虫花を咲かせているわけなのだが。
マイ口はギルバートと並び歩いて、とても楽しそうだった。こういう時のマイ口は
本当に気安く、話しているだけで幸せな気分にしてもらえ、感じの良さにかけては
バッキンガムパレスの近衛兵さえ交替中に頬を緩ませかねない。ほんのついさっき、
年上女の情人を口汚く罵っていた同じ口で、スクールガールも恥らうような
世迷い言を吐くのさえ厭わない。
「ねえギル、本当に気持ちのいい夜だね。ほら、みんなとっても楽しそうに
笑ってるよ。何がそんなに嬉しいのかなあ。あ、今のひと、僕に笑いかけてたよ!
ちぇっ、声かけてくれりゃあいいのに、残念だなあ!」
母親ほどの中年女性に囲われるのが生活のためとはいえそれほど嫌なくせに、
需要と供給の永遠則がマイ口の本質を強引に矯正させ、結果こうした自堕落なジゴロに替えた。
馬鹿な男なのである。だがその馬鹿さ加減が亢進すればするだけ、マイ口の魅力を
光り輝かせるという罪深い悪戯を、自然は時々恥知らずにもやってのける。
美しい器はできるだけ軽やかに、その短い謳歌を長らえるべきなのだ。その好みは
いつでも実質を伴わず、表面的な整合性を取り繕い、実存よりも視覚的効果こそ重要であると、
無謀なほど暴力的に定義されてきた。
そぞろ歩きという名のマイ口の顔見世興行が飽きると、彼はギルバートにある店への案内を乞う。
何度も通っているのに、まだマイ口は<ギルバートの連れ>と呼ばれるのを好み、
決して店の店員や常連客たちと旧知のようにはなりたがらなかった。
そうしたお高くとまった風情さえ、マイ口には許された。
『まぁマイ口、久しぶりじゃない、どうしてたの? うちならいつでも大歓迎
なんだから、もっと頻繁に顔を見せに来てちょうだいな。あら、何もあなたを
客寄せパンダにしようってんじゃあないわ、とんでもない! アタシたちがどれだけ
あなたに会いたがっているか、ねぇギル、このつれない坊やに言ってやってちょうだい……』
逞しい剥き出しの二の腕も露にした上半身裸のマッチョ“ママ”ことローラは、
マイ口が嫌がらせにローランという本名を連呼しても唯一機嫌も損ねず
聞き流してやる。他愛のないマイ口の悪ふざけを看過しても、彼が店にいるというだけで
どれほど場が華やぎ、彼が来店しない週末の倍近い売上があるという事実が示す以前に、
ローラはこのミステリアスな美青年を愛でたくてたまらないのだ。
そして、ちやほやされるのが何よりも好きなマイ口がますます増長し、口さがない連中が
まことしやかに呆れ果てた虚像の伝説を吹聴してまわる。幸福なこの循環の中央に
いられる限り、マイ口が女だけの愛のために生きようとは思わないし、この賞賛の
快楽をより強烈なものにするためにも男の愛だけのものになるわけにはいかなかった。
どうしようもないほど軽薄なこの男の隣で、自分は何をしているのかといえば、
絵に描いたように忠実で有能な引き立て役なのだ。ギルバートは店の誰ひとりとして、
自分を見ている者がいないのは解っていた。マイ口といっしょでなければ、
ローラですら気づかなかったと悪びれずにコロコロと笑う。
おまけにもっと悲惨なのは、この下僕風情にギルバート自身さして口惜しくもないことだ。
恐ろしいまでの惰性と鈍化だった。彼のようになりたいなどでは当然なく、
彼を誰かの慰み者にする妄想の方がよっぽど愉快で、むしろ彼を独占したいとも
思わない矛盾に、もう少し懊悩してもよさそうなものだと思うのだが、ギルバートはただ、
このまやかしの親友ごっこが形成しているありもしないマイ口との信頼関係に
展望などないと知りながら、敢えて甘んじていられる無軌道を愛してやまなかった。
放蕩息子を帰還させてはならない、聖書のヤツらだって結局失敗したではないか。
そのプリンス・チャーミングは、惜しげもなく下々の者たちへ癒し以上の笑顔を振り撒き、
まやかしの愛を一心に受け止め、我が世の夏の陽盛りを満喫していた。
涼しい顔で荒んでいくばかりの心に疲弊を覚え始めたギルバートは、そっと場を離れていく。
けぶるようなスモークに遮られる通路の照明の下で、湿って淀んだいくつもの過呼吸が
上昇気流を立ち込めさせる。息苦しくて、股間を解放させる必要があるが、
そこでギルバートはどこまでも透明になれた。
トイレの小便器へ立ち、背後の個室から周囲憚らぬオルガスムの長い叫びが聞こえ、
入れ替わり出ていく客達の下卑た笑いを誘う。フリーライブショウのカメラが
どこかにない方が今時珍しいのだが、オーナーのローラはそういう搾取にかけては
ほんの少しばかり融通の利かない気質だった。
あぶれたギルバートを察して這わされる手もあるが、それを彼は丁重に遠慮し、
元来た方向でない通路を歩む。奥まるほどに幅は狭くなり、濡れた肩や皮膚に
直に触れると、報復とばかりに下半身へ獰猛な手が重ねて伸びてくる。
放出される性の濃密なエッセンスが霧状に立ち込めて、ギルバートの普段過敏でもない嗅覚を
否応も刺激していく。
ようやく非常階段へ逃れ、彼は深呼吸した。夜気が冷たく心地好い。汗ばんだ掌を
確認すると、甲は得体のしれぬ粘液でテラテラと濡れていた。
おぞましさに力一杯腕を振ると、傍らで蠢くものがある。
「あっ…と、すまない! いると思わなかった…」
蹲る少年が顔を上げおそるおそる見返している。
雑居ビルの狭間で、電光は遮られている。星が輝くことはない街で暗がりを敢えて
選び、決して心地好くもない非常階段の踊り場に潜んでいた子供へ、
所在の意外さを謝罪する自分の空々しい応答にギルバートは我ながら冷笑しかけた。
「その…ここで何をしているの、きみ?」
「あなたこそ」
尤もだ。
「中は蒸すからね。…きみは寒くはないの?」
安っぽいのか高級なのか、合成繊維を信奉するティーンエイジャーの大半が好む
アノラックは、どう見ても春先の宵には不十分だ。室内にいるなら別だが、
脛を抱える腕の震えを見ると、ここで膝を折って大分経つのだろう。
「中へ入ったほうがいい。大丈夫、そっと店を出ればバレないよ」
「何か知ってるの?!」
少年の突然の叫びに、ギルバートはつい辺りを窺ってしまった。
「いや。偽IDで店に入ったんじゃないのか? 出ていけなくて困っているんだとばかり…」
「…階段上ったんだ。おれ、追われてるから…」
「追われて? 誰にだい?」
それを口走るほど、少年も愚かではないらしい。
「わかった。とにかくここじゃそのうち耳や鼻が凍って取れちゃうよ。
この店じゃなくて、どこか暖かいところでミルクでも飲もう」
「……ないで…」
「え、何か言ったのか?」
「こども扱いしないで…」
と、涙を浮かべる円らな瞳で見つめられ、否と言える者がいるなら
その者は己の薄情を猛省すべきだ。寒さに血の気をなくした少年の
真っ白な顔に浮かぶたくさんのそばかすは、若さを失う代わりに消えていく刻印で、
ギルバートをなぜかとても遣る瀬無い気持ちにさせる。華奢な首、無色の産毛を宿す
滑らかな顎の線、少しベタついているが新芽を綻ばせる若木に似た香りを
立ち上らせる鳶色の髪。少年は訳を言わなくてはならない不安で相手は拒みたいのに、
全身が救済を求めている。
「わかった。とにかく立って。今夜はぼくのところでやすめばいい。あとは朝になったら考えよう」
「…警察に言ったりしない?」
「はぁ…約束する。ほら、ぼくまで冷えてきた。早く早く!」
ギルバートは自分の口調が妙に滑らかなのに驚いていた。相手の若さが理由だろうが、
少年の庇護欲を掻き立てる拠所なさが警戒の必要を締め出しているのかもしれない。
この子は確かに目を引く愛らしさだが、マイ口とは断じてカテゴリーを
異にするものだ、それぐらいの良識なら彼にも持てた。別に下心でこんな風に
恩着せがましい世話を焼くのではない、そう自分へ言い聞かせる側から、
疚しさを正確に伝える心中がギルバートには疎ましい。
「おなか空いてないかい、きみ。ぼくはペコペコだ」
まだ俯いている少年の頭頂には、つむじがふたつ渦巻いていた。その渦巻きが
頼りなく上下してから、ようやく緊張を解いて信用を示す細面がギルバートを見つめる。
「何を食べようかな…きみは何がいい? あ、まだ名前を聞いてなかった。
ぼくはギルバート、ギルでいいよ」
「おれは…アレックス……」
「そう、よろしくアレックス」
こくり、と小さな頭が揺れて、少年は初めて寒さを厭うようにギルバートへ寄り添った。
いじらしい。抱きしめたい、そうギルバートは思ったが、自制心を無くすほど
酔ってはいない今にこれほど感謝することも二度とないだろう。
「嫌なら目を瞑って。ぼくが手をひいてあげるから」
原始情欲の園と化している通路を目にしたアレックスの脅えが、ギルバートとの
密着部位から漏らさず伝わってくる。この子は外にどれぐらいいたのだろう。
誰かが自分のように気まぐれを起こして非常ドアを開けるたび、扉の陰で息を殺していたのだろうか?
この推測はギルバートへ容易に罪悪感を募らせた。やはり相応しい年齢まで
見せなくて良い世界は隔絶されるべき、らしくもなく彼は馴染みのない正義感を
多少得意にも感じ、背筋が反れてしまう。
「アレックス? もう嫌なものは見えないよ」
覗き込むと、アレックスはギルバートの左手に必死で掴まり、ぎゅっと瞼を閉じていた。
そこがゆっくりと目覚めるように開く。だが瞬間目を眩ませるカウント不能の
ライトに射抜かれ、咄嗟に右手が顔を庇った。耳をつんざく打ち込みのレイヴチューン、
上半身を噴き出る汗に濡らすか、羽とレザーを纏って無心に踊り狂う、
ある切実な願望を共有した男たちの群れ。
「…なんならまだ目を閉じててもいいんだよ?」
「ちょっとギル! 何あんたその赤ちゃんは!?」
金切り声に向けばローラの般若顔が突進してくるところだ。
「ああ勘違いしないで。この子はそういうんじゃないから」
「当然でしょ! まったくどうやって忍びこんだのかしら。セキュリティに確認しなくっちゃ」
鼻息荒いローラにアレックスが益々萎縮しているのがわかる。
「だから違うって言ってるだろ。このフロアの上階は確か中古レコード店だね?
そこの非常階段で一服してたら9時閉店って知らずに閉め出されちゃったんだってさ。
ここの通路はバックルーム仕様だから出るに出れなくて仕方なく外にいたんだよ。
おわかり?」
「あら、そうだったのね…」
ギルバートの珍しい力説にローラが気圧されているという光景を、
周囲は面白がっていたようだ。みるみる客が集まりだしたのでしまったと思ったが、
ギルバートはその後方から王侯のように様子見するマイ口の注視を見つける。
ますますぴったりと身体を寄せるアレックス以外を、マイ口は見ていなかった。
嫌な予感がしたが、ギルバートはその効果を狙ってわざとゆっくり近づいて来る
マイ口に浮かぶ微笑で、これから何が起こるのか覚ってしまった。
「ギル、ずいぶんだな。僕には新しいともだちを紹介してくれないつもりか?」
ダンスフロアのどぎつい照明など、もう目ではない。マイ口のキラキラと輝く
ペイルブルーの瞳に見つめられ、アレックスは何か言いたそうに唇を開いたが、
声にするのは忘れてしまったようだ。
なぜマイ口が誰かを魅了するほど簡単なことを、条理は脅威と制定できないのか。
□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!
絡みスレで注意を受けたのでこれでやめます。
不快にさせてどうもすみません。
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