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愛某鑑札菅上司部下

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース! キス スラ シテナイ、ヌルイ ハナシ デス。

 雨は苦手だ、と彼は言った。


「高校時代、自転車通学をしていたから。」

 土砂降り、という言葉の見本のような光景が、大河内さんの視線の先に展開している。
 今回の調査対象者はまだ建物の中だ。この雨では、当分出てこないだろう。
 半ば眠気覚ましに、そんな話になった。

 若い頃嫌っていた名残で、今でも少し雨は苦手だ、と。

「降れば電車で通学せざるを得なくなる。それが嫌でね。」

 この上司が個人的な話をするのを、初めて聞いた。いや、それ以前に、仕事と無関係な話をする事自体が初めてだった。

「どうして、電車通学が嫌だったんです?」

 彼にそう言った直後、予想に反して対象が外に出てきて、それきり答えは聞きそびれてしまった。

 大河内の自宅には、ほとんど物がない。
 転勤族だからというのもあるのだろうが、それにしても、ものの見事に必要最低限の物しかない。例外は、いま部屋の主が
寝転がっているソファだけ。だが、これさえもひょっとしたら、布団を敷くのが面倒になった時の寝床がわりなのかもしれない。
殺風景もここまでくると、いっそ清々しいくらいだ。
 そういう有様なので、客に勧めるべき椅子もクッションも、ある訳が無い。
 だから湊はごく自然に、上司の傍に座り込んでいた。

 カーテンすらかかっていない窓の外は、雷雨。
 その光景に、以前の、中断されたままの会話を思い出す。

 どうして電車通学が嫌だったんだろう?

 改めて湊が尋ねると、大河内は少しためらったあと、こう答えた。

「……一番悩んでいた時期だったから。」

 言われて、ああ、そうか、と湊は思った。
 同性を愛してしまう者たちの誰もがたどる、あの地獄。
 この人もそれをくぐり抜けてきたのだと、今更ながらに気が付いたのだ。

 どうにもならない事実と、無限大の絶望感。
 自分は運良くこの人と出会えて、救われた。だが皆が皆そう幸運に恵まれる訳ではない。たった一人で全世界と戦わされる
毎日、それに耐えかねて死を選んでしまった"仲間"が、どれだけいることか。

「湊?」

 思わず、湊はソファに寝転がったままの恋しい人を抱きしめていた。

 電車ほど手軽な自殺の手段はない。
 線路に向かってちょっとプラットホームを蹴り、その前へ身を躍らせれば、簡単にあの世へ行けてしまう。
 その誘惑に抗し切って、この人は生き延びてくれたのだ。
 生き延びて、俺の前に現れてくれた。

 ありがとう。

 そう言いたくて、けれどそう言うのも何だか変な気がして、哲郎はただ黙って腕に力を込めた。
 抱きしめられたほうは、ますます訳がわからない。

「どうした?」

「いえ… 貴方がいてよかったな、と。」

 その言葉をどう取ったか、大河内は彼をゆったりと抱き返し、その背をなでた。

「安心しろ。私は、決してお前を一人にはしないから。」

 たとえ愛人という立場に堕ちようとも、社会人生命を脅かす爆弾を抱え込むことになろうとも、そんなことはどうでもいい。
今はただ、二重三重に良心の呵責を受けているこの青年を、せめて孤独からだけでも解放してやりたい。大河内の胸の内に
あるのはそれだけだ。

「何があろうとも、私はお前を突き放したりはしない。どんな事があっても、とことんまで付き合うから。だから、おかしな事を
考えるなよ?」

 彼を守りたい。この手はあまりにも頼りないけれど、どこまで役に立てるのか不安だけれど、それでも現身に可能な限りの
ことは。
 とても大切な人だから。
 生まれて初めて、想いを返してくれた人だから。

 奈落の底まで付き合うよ。

 そう思い、けれどそれはちょっと言葉が過激なような気がしたので、春樹はただ黙ってつむじにキスをした。
 されたほうは、そのまま体を預けて、相手の胸元に頭を摺り寄せる。
 鼓動に耳を澄ますかのように、目を閉じて、ただじっとして。

「…ピルイーターを抱き枕にして寝る奴は、お前くらいだろうな。」

「寝てませんよ。とりあえずは、まだ。」

「いずれは寝入る気か?」

「俺を掛け布団にしてくださるおつもりがあれば。」

「出来れば敷布団になってもらいたい。」

「昼間の時点で既に座布団なのに?」

「文句あるか?」

「座布団なのを否定してくれないんですか!?」

 他愛のない無駄話、他愛のないじゃれあい。どちらともなく、笑う。
 笑えるように、やっと、なった。

『俺、あなたのことが好きみたいなんですよ。 …尊敬ではなく、恋愛感情で。』

 誰も居なくなった深夜の庁舎、薄暗い廊下で、そう自分に向かって告げた湊の眼差しが忘れられない。
 過去の苦い経験が教えてくれた。こいつは死ぬ気だ、と。
 そのまま去ろうとした湊の腕を掴んで、引き寄せて。
 お前の仲間はここにいる、と、無言で彼の唇に教えた。

 独りではない、と思わせることが、少しは出来ているのだろうか? 春樹の自問自答に、未だ答えは見つかっていない。

 青少年の自殺者のうち、3~4割は同性愛者だ、という説がある。
 唱えられた数値が正確かどうかは怪しいものだ(と大河内は思っている)が、つまりは自殺原因のかなりの割合を占めて
しまえるほどに、苦痛と困難をもたらすものなのだ …恋の対象が異性ではないという、ただそれだけのことが。
 自分だとて、と、彼は想いを巡らせる。
 自分だとて、その3割の中の一人だったかもしれない。いや、あの高2の夏の日、プラットホームから飛び降りようとした
自分の襟首を、一本の腕が掴んで引き止めてくれなかったら、確実に3割の仲間入りをしていた。

 あれから何度も、誰かが差し出してくれた手に救われて、ここにいる。
 だから今度は、自分が手を差し伸べる番だと思う。

「…まだ降っているな。」

「止みませんね。ここまで降ると判っていたら、埃だらけの車を外へ出しておいたのに。」

「却って汚れが酷くなりそうな気がするんだが。 …一つ頼みがある。」

「何でしょう?」

 湊の髪を手で梳きながら、春樹は自分の中にある精一杯の言葉を口にした。

「雨のときはそばに居てくれないか。」

□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・;)


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