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15-435

電話を切って時計を見ると、既に今日が昨日になっていた。窓を叩き付ける雨は土砂降りのまま、やむ気配を見せずにいる。
宵の口、依頼人が震えた声で第一報を寄越してきたのが、コトの始まり。仲介してやった護衛の仕事中、守るべき少女ともども奴が消えて約6時間。
その間、私の携帯にかかってきた電話は、依頼人から2本と警察から1本、そして、名乗らぬ内に何者かの罵声と細い悲鳴を残して途切れた1本、それだけだ。
今し方の連絡は、知己の警察官から。監禁先から逃げてきた少女を保護したという。
ただし、奴の安否は、いまだ判らない。
彼女から聞き出した現状を手短に伝え、警察官は慌ただしく電話を切った。恐らく、上司に呼ばれたのだろう。用済みの携帯電話をワイシャツの胸ポケットに収め、最悪の事態は免れたかと安堵する私の脳裏をされどその時、通話の最後に残された言葉がよぎった。

…あなたは、そこで待っていて下さい…

何故、彼はあんな事を言い残したのだろうか。
奴と私の間には、ビジネスライクな繋がりしか存在しない。
自他ともに認める遊び人から見れば、冗談一つ通じない男などつまらないであろうし、私から見ても奴は下らない人間だ。

偶然巡り会い、たまたま5年以上取引している、私営のボディガードと仲介人。
こちらの都合でものを言うなら、依頼人が満足し、適宜な報酬さえ頂ければ、請けた仕事が原因で奴が死のうと狂おうと、知った事ではない。
代わりは…私からの連絡を待つ者は、いくらでもいるのだから。
第一、泥酔状態で一度上がり込んだだけの所を選ぶ理由もないだろう。
お互い、必要としているのは、プロとしての手腕のみ、それ以外に期待する事など、何ひとつ…
警察官の見当違いを鼻で笑ったまさにその時、雨とは違う水音が、微かに聞こえた。降りしきる単調な雑音にうんざりし、カーテンを閉ざして尚も止まぬそれは、密かに、確かに、こちらへ近付いて来る。マンションの廊下など、誰が通っても不思議ではない。
当然の答えに行き着いて、なのに私の耳は、記憶する靴音と僅かでも似ていないか、滑稽なほど必死に聞き分けている。
酷く頼りない足取りは、はたして私の部屋の前とおぼしき位置で、止まった。
鉄扉が軋む音に施錠忘れを思い出して、振り返った刹那、多量の水を含んだ気配が無断で玄関へ踏み込み、上目遣いで私を見やる。

よぉ…壁に寄りかかった姿勢で片手を挙げ、奴が笑んだ。
カシミアの黒いコートとフルオーダーのスーツを泥と血で汚し、ずぶ濡れた姿は、がっしりとした体躯を一回り小さく見せる。用意していたバスタオルを引っ掴み駆け寄ると、息も絶え絶えな声が、ごめんね、と呟いた。「ここしか、思いつかなくって、さ」
頭から被って乱雑にかきむしるタオルの下、殴打されたらしい口許と、乱れほつれる前髪、そして鈍く陰った瞳が垣間見える。
「色男が台無しだな」「でも、水も滴るいい男、だろ?」
先ほど知己から聞かされた事が本当なら、口を利くのはおろか、まともに歩くのさえ、困難な筈だ。
「連絡があった。彼女は無事だ」
安堵の溜息をつく奴からタオルを受け取り、ついでに肩を貸そうとしたが、大丈夫だと拒まれる。
意地と虚勢だけは人一倍らしい。
「悪いけど、水一杯だけ貰える?飲んだら、すぐ消えるから」
奴は少女と一緒に捕まり、監禁され、どうにか逃げだした。
しかし…
コートを脱ぎもせず、洗面所へ向かおうとしたその腕を引き止め、口調だけは冷静に問い掛ける。
「お前、クスリを打たれたそうだな」
「…知って、たんだ」次の瞬間、前触れもなく奴の体が、崩れ落ちた。

咄嗟に支えようとして、されど頭一つ高い背中は存外と重く、もろともに膝をつく。
じっとり濡れた布が張り付く気色悪さより、凭れかかる体の冷たさに身震いし、うなだれた顔を覗き込めば、瞼を閉ざしたまま、大丈夫だからと弱くかぶりを振られた。
説得力のない反応を無視して楽な姿勢をとらせようとしても、冷えきった両手で私の胸を突っ撥ねる。
「お前に迷惑かけたくないんだ!」
険しい表情で怒声を張り上げ、しかしそれが気力の限界だったらしく、今度こそ奴は床へ昏倒した。
最初から肩を預けていれば、無様な処を見せずにすんだものを…冷蔵庫へミネラルウォーターを取りに行きながら奴を笑って、追い出すどころか匿ってしまった自分をも笑う。
これは、慈悲ではなく恩を売っているだけ。後々、私の立場を有利にし、奴が逆らえないようにする…ただ、それだけ為に。
「打たれてから、どれくらい経つ?」
重たげな衣擦れに後ろを振り返ると、背中を丸めた寝姿がこちらを向いていた。
「…5時間かな。自白剤だったみたい」
空ろな眼差しに一瞬、禁断症状を危ぶんだが、思考回路は正常らしく、私の言葉を正確にとらえ、返している。「なにを聞かれた?」

答えてないから、覚えてない…プロとして当然のいらえに当たり前だとうなずき、ボトルを手に引き返す。
仕事柄、その手のクスリには耐性があると、日頃から豪語してきた男の事、明日になれば、何食わぬ顔で出て行くに違いない。
と、奴の利き手が億劫そうにコートの内側を探り、ほどなく銀色のピルケースを取り出した。
中から転がり出たのは、小さなカプセル。
市販品と思えぬどぎつい赤を数粒掌に落とし、最後の頼みと囁く声が、背筋と脳で冷たく反響する。
「大概のものは解毒してくれるんだけど、遅効性でね」
手近にあったソファに上体をもたせかけた途端、頭部が再び前のめりに脱力した。
「今回は、ちょっと頑張り過ぎちゃったかもなぁ…クスリが抜けるまで、ココが保ってくれればいいんだけど…」
正直言って、賭けだよ…言いざま、震えの酷い指でこめかみを示し、薬を口へ運ぶ。
「俺が水を飲んだら、なんでもいい、手足をキツく縛って、鍵のかかる部屋に放り込んでくれ。いいか、静かになるまで絶対に開けるなよ」
奴が死のうが狂おうが…私の常套句は、現実のものとなった。

「遺言は、あるか?」
片膝をつき、せめてもと尋ねかければ、荒い呼吸が笑いに歪む。
「やっと、お前の慌てふためく様が見られた」
苦鳴を漏らしながら顎を上げ、己の右手を眺めた眼差しは、しかし恋人を相手するかのように優しかった。
「さっき、心臓が凄い音、立ててた。俺のこと、少しは気にしてくれていたの?」
言われて初めて、身の内を震わせる鼓動に気付く。
耳奥を強く打つ血脈は、いつから理性と冷徹を忘れたのか…。
勝手な解釈を招くと判っていながら沈黙し、見つめ返したその時、奴の瞳が不意に生気を取り戻した。
「お前とは、もっと遊びたかった…な」
酔い潰れた奴を抱えて歩いた、いつかの夜道が、初めて会ってから今日までの下らない記憶が、脳裏をよぎる。好きな酒、嫌いな食べ物、悪いクセ。
いつの間に知られていた、私の癖。
色褪せない、思い出。「ろくでもない人生だったけど、お前のいた時間は楽しかった」
知己の言葉がどこからきたものなのか、やっと解った。

奴の代わりは、どこにもいない。

言葉が途切れたと同時に再び、奴の瞳が暗く濁り、全身を小刻みに震わせ始める。
いよいよ、禁断症状へ陥ったようだ。
薬が口腔で溶け出す前に水を渡し、言われた通り拘束すれば、面倒は終わる。
が、差し出された手が触れる直前、私は奴からボトルを引き離した。待てども与えられぬ水に痺れを切らしたか、奴の下顎が微かに上向く。
あとは、とても簡単だった。
ボトルを傾け、二口三口含みとどめた水を奴の唇へ注ぎこむ。
喉が嚥下するのを待って、肩へ置いた腕に体重をかければ、気力も体力も尽きた体は、いとも易く私に従った。離した唇が、馬鹿と動いたのを無視し、背中を抱き締める。
クスリのもたらす悪夢が、奴と私をなにものに変えるのか、興味があった。
「狂うなら、ここで狂え。だが…死ぬのは許さん」

ベタだったかな…
□ピッ ◇⊂(・ω・`)    ナガナガスマソ

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