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Jの悲劇 主人公×恋する男

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                    | >>1さん乙!早速ですが超長文投下します
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 | __________  |    ̄ ̄ ̄V ̄ ̄| 現在公開中の洋画『J/の/悲/劇』より
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 | | |> PLAY.       | |              ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | |                | |           ∧_∧ ∧_∧ ∧∧ ジコマンゾクデス
 | |                | |     ピッ   (´∀` )(・∀・ )(゚Д゚ )
 | |                | |       ◇⊂    )(    ) |  ヽノ___
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※主人公xストーカーという果てしなく救い(&愛)のない話になってます※
※主人公がストーカーの家に怒鳴り込む劇中のシーンの捏造続きという感じになってます※
※いろいろと好き勝手やってるので苦手でしたらスルーしてください※スマソ

ぼくがせかせかと部屋に戻ってくるのを見て、八゜リ一の目に一瞬おびえの色が走った。
悲しみとも、苦痛とも取れる―――とにかくそういった類の感情だ。
すがるような目つきでぼくを見つめ、固く引き結んでいる唇をほんの僅か震わせた。
たぶんぼくの名を呼んだのだ。
震える唇からは吐息の音しか漏れなかったが、見慣れた唇の動きで彼の言葉は察する事が出来た。
一体何度見せられた事か、彼の唇が「ジョ一イ」と動いてぼくに笑いかけるあの
夢見るような表情を。
どれだけぼくが手厳しく突き放そうと、怒り狂って口汚く罵ろうとも、八゜リ一は
達観した"赦し"の境地とでもいうような笑みをたたえて
二人の間の愛を確信していたが、さすがの彼もこの時ばかりはその寛容的な笑みを青白い細面から引っ込めていた。
今までも時折目にした事のあった寂しげな目つきが、ただぼくを見つめているだけだ。
不思議な話だが、この異常な状況にも関わらず、ぼくの心は変に冷静だった。
つい先ほど腹立ちまぎれにバットを振り回し、八゜リ一の私物を破壊して回った興奮状態が嘘のようだ。
構えたバットで八゜リ一の脳天を叩き割る映像さえもが一瞬頭の隅をかすめたが、
すんでのところで踏みとどまったのだ。
突然訪れた己の心の平坦さがむしろ恐ろしい。
ぼくは憎悪と興奮に任せて八゜リ一の頭を割ろうとしかけたが、寸前で自制して
バットを投げ捨て、部屋を歩み去った。
それを何故わざわざ踵を返し、部屋に戻ってきたのか自分でもわからない。
この上なく冷静なのに、ぼくはどこかしら異常だった。すでに錯乱していたのかもしれない。
要するに、もう"発狂"していたのかもしれない。この男のように。

ぼくらはしばらく見つめあっていた。
彼のほうは全身全霊をかけて視線に全ての感情を込め、ぼくに何かを訴えかけようと
潤んだ瞳を感情たっぷりに揺らしていたが、ぼくのほうはといえば、恐らくこの上ないほど
感情の読み取れない暗い目をしていたに違いない。
八゜リ一はぼくに哀願の視線を送る事に一生懸命で、僕の視線の気のなさには
あまり気が付いていない様子だ。―――まあ、彼はいつだってそうだった。
ぼくの動向などそれほど意味をなさないのだ。全て彼のほうで、都合のいいように解釈してしまうのだから。
暗い部屋の中で不毛な視線を交わしあう間、ぼくはだんだんと自分が何をしているのか
わからなくなってきていた。曖昧な時間軸の隙間に取り残されたような、
夢の中を漂っているような、薄ぼんやりとした不気味な感覚に取り込まれた。
恐らくあれは、八゜リ一が常日頃暮らしている世界の一部だったのだろう。
八゜リ一の一心不乱の視線に囚われている間に、彼の生きる妄想の世界に
瞬間的に巻き込まれたに違いないと、ぼくは後になって思うようになった。
はるか遠くのほうで車のタイヤがアスファルトを擦る音がする以外はほとんど
無音に近い空間で―――それも八゜リ一の部屋だ。薄暗く、狭い―――
八゜リ一のある意味で非常に一途な視線を一身に受けるのは、正気の沙汰とは思えない事態だった。
今思えば、どうしてぼくはすぐに踵を返して出て行ってしまわなかったのか、不思議で仕方ない。
彼の一方的な視線を断ち切って、部屋から逃げ出してしまう事は容易かったはずだ。
その点から考えてみても、この時のぼくは錯乱していたとしか考えられない。
その時、ぼくには殺意も、憎悪も、嫌悪感もなかった。
常日頃、八゜リ一がぼくの生活に介入してきた時からずっと感じていたそういう感情が、
この時になってまるで消え去っていた。跡形もなく、と言ってもいいだろう。
先ほど、八゜リ一に向けてバットを振り上げたあの時、ぼくの心は前述の感情で埋め尽くされていた。

躊躇なくバットを振り下ろす事も出来たのだ。あの時のぼくなら、頭を割られて
横たわる彼を見下ろして、腹を抱えて笑う事も出来ただろう。
どういったわけか、汗の滲む手のひらにバットを固く握り締めているぼくの体内から、
満潮だった波が引いていくように憎悪と殺意が消えていった。
瞬時に何もかもから興味をなくし、ぼくは静かな気持ちでおびえる八゜リ一を眺めた。
バットを床に投げ捨て、忍び笑いを漏らしながら部屋から歩み去った。
それから、何の気もなく、ほとんど無意識的に部屋に戻ってきたのだ。
自分で自分が不気味で仕方がなかった。
最も、そう認識したのは後になって自分の行動を思い返してみてからのことだ。
その場で何を思うこともなくただ立ち尽くしていたぼくは、平坦な心で八゜リ一を見返すばかりだった。

「ジョ一……ジョ一イ……ジョ一・ジョ一……」
ほとんど吐息に近い息混じりの声で、八゜リ一は何度もぼくを呼んだ。
その声を聞いて初めて、ぼくは半ば昏睡状態に近い茫然自失の状態から
自分を取り戻した。と、いうよりは、ようやく自分の置かれている状況を思い出した。
思わず自分の周囲を見回して、自分の今いる場所を確かめたくらいだ。
―――少し大げさに言い過ぎたかもしれない。記憶喪失だったわけではないのだから。
何にせよ、いくら冷静な心だったとはいえ、ぼくがこの時どれほど動揺していたか、
どれほどの錯乱状態にあったかを察していただけるはずだ。
とにかく、この時のぼくはありとあらゆるストレスでほとんど壊れかけていた。

不毛な視線のやり取りは続いていたが、それを先に打ち切ったのは思いがけず八゜リ一のほうだった。
ある時点で彼は何かに耐え忍ぶように震える息を吐き、悲しげに目を伏せた。
「あなたが何を望んでいるのか、もうぼくにはわからない」

ひどく震え、かすれた小さな声は聞き取る事すら難しく、ぼくは言葉を理解するために
少し彼に近づかなければならなかった。
一歩近づいてきたぼくの動きをどう解釈したのか、彼はほんの一瞬だけぼくのほうを見ると、
乾いて薄皮の剥けている唇を舐め、指先で爪をいじりながら、再び意を決したように喋り始めた。
「ぼくをどうしたい?……殺したいの?」
「堂々巡りだ」
ぼくは即答した。八゜リ一はぼくの言葉の意味を計りかね、眉を顰めてぼくを見た。
何を言っても無駄なのだ。何を言おうと、何をしようと、彼の世界は揺るがない。
ぼくの一挙手一投足を八゜リ一は彼なりに解釈し、全ては彼への求愛行動だと受け取る。
それ以上ぼくが何も言おうとしないのを知ると、八゜リ一は再び喋り始めた。
「どうして、簡単に出来ないんだ……本当に、本当に単純な事なのに。
あなたはこんがらがってる。ただ単純に受け入れる事があなたには……」
そこで苦しげな嗚咽が漏れ、言葉が途切れた。ぼくは心中で"できないのだ"と言い足しておいた。
その後、八゜リ一は何か言おうとしては耐え忍ぶように唇を噛み、引き攣れたような息を
吐くのみだったので、"ぼくは初めから受け入れた。神が与えた運命を"と、
まさしく彼の言いそうな上等文句を代わりに心中で吐いておいた。まさしく彼の言いそうな事だ。
テレパシーが通じたのだろうか、八゜リ一は言いかけた言葉を脇によけ、別の話を始めた。
「心がつぶれそうなんだ、ジョ一。さっき、ぼくとあなたは似てると言ったよね。
ジョ一、変なんだよ。あなたに出会って、ぼくは以前よりずっとずっと孤独になってしまったような気がする」

「それは気の毒に」
「そういう……あなたの、そういうふるまいが……」
八゜リ一の呼吸が引き攣れ、また言葉が途切れた。唇が痙攣したように震えている。
無理解な恋人を咎めるような、それでいて愛と"赦し"に満ちた悲しげな目をして、
八゜リ一は震える唇を無理やり笑みの形に吊り上げた。
「あなたを愛してる。それだけだ。至極単純な事なんだから、簡単に言うよ。
あなたを愛してる。あなたは物事を難しく考えすぎるんだ」
だから混乱するんだよ、と、ほとんど息だけで言い足して、八゜リ一は首をかしげ、
ぼくに訴えかけるようにすがる目を向けた。
「あなたは猜疑心でいっぱいだ。"愛は無意味"だなんて、よく言えたね。
"科学でしかない"なんて……あなたらしいけど」
「じゃあ単純に考えようか。確かに、ぼくは物事を難しく考えすぎる癖がある。
じゃあ単純に聞こう。どうすれば君はぼくから離れていくんだ」
八゜リ一の細面が呆れ顔と、愛しさに溢れる赦しの表情で入り混じった。
「ああ、ジョ一、そんな心配をして。あなたはすぐにそうやって……
神に誓えるよ。命を捧げてもいい。約束する。絶対にぼくは君から離れない」
「君の望みは何だ?最終的な目的は?」
八゜リ一が質問の意図を計りかねるような表情を見せたので、ぼくは言い足した。
なるべく優しげな笑みに見えるよう、やわらかく唇を吊り上げながら。
「つまり、君はぼくと何をしたいんだ?ぼくと一緒になりたがっているようだけど、
君は最終的に、ぼくをどうしたいんだ。結婚したいのか?」
「……ぼくは、君と……一緒にいて……いろいろな事を分かち合いたい」
「どんな事?たとえば?キスとか、セックスをしたいのか?二人の記念日にシャンパンを開け、
アホみたいな蛍光ピンクの三角帽子をかぶり、贈り物を交換したいのか?
二人の記念日、もちろん、あの日だろう。気球の事故の?」

「君がそうしたいなら、構わないよ。ぼくは君と一緒にいたいだけだ。愛してるから」
ぼくの悪癖は、一度調子よく喋り始めると、だんだん演説に熱意がこもって
すっかりお喋りに夢中になってしまう事だ。
この時もぼくは喋るのに夢中になり、抑揚をつけ、声の調子を変え、八゜リ一を
侮辱するために顔の表情まで芝居がかり、熱弁をふるった。
ぼくは体内から溢れ出てくる言葉を淀みなく、滞りなく流れるように喋った。
そうするうちに、自分自身の理屈に飲み込まれ、世間に対して頑なになってしまう事がよくあった。
早い話が、頭でっかちなのだ。自分が一番正しい、間違っているのは世間だと、
他人の話を受け付けずに自分だけの理屈を押し通した。
このときの状態もそれに近いものがあったのだと思う。戸惑う八゜リ一の前で滞りない
熱弁をふるう間、ぼくはひとつの結論に達していた。今思えば実に常軌を逸した結論だ。
残念ながら、その場にぼくの考えを否定する者はいなかった。
いたとしても、ぼくの事だ、一蹴してぼくの信念を貫き通しただろう。
最終的にぼくが手に入れた結論はこうだ。今となっては言葉にするのもおぞましい。
「君はぼくに抱かれたいのか?」
そこで言葉をとめ、ぼくは八゜リ一を見つめた。思いがけなく、八゜リ一はその時、
やつれた顔に悲哀の色を滲ませて悲しげに目を伏せた。
「そんな事、考えてない。ぼくはただ、ジョ一、言ったでしょう、あなたを愛してるんだ」
「愛してるなら触れたいと思うはずだろう。あるいは、触れてほしいと」
八゜リ一は目を上げなかった。とはいえ、八゜リ一のほうがぼくより背が高いのだ。
八゜リ一の悲しげな目はこちらから見えていた。今思えば、恥じ入っている目だったのかもしれない。
「それなら、ぼくを抱きたいのかな」
八゜リ一の眉間にしわが寄った。苦痛に満ちた表情だった。

「君はいつもそうだ。いつも疑問形だ。全部、ぼくに言わせようとする」
「君の話が要領を得ないんだから仕方ない。こっちから尋ねないと話が見えてこないんだ」
「ずるいよ。ぼくには何も言ってくれないのに、ぼくには全部言わせようとするんだ」
すねた子供のような口調で呟いて、八゜リ一はそれきり黙ってしまった。
ぼくの結論。愚かだった。錯乱状態とは、かくも恐ろしい。
「一度だけ君を抱いてやろう。終わったら、もう二度と関わらないでくれ。いいね」
八゜リ一は驚愕して顔を上げた。目に涙が浮かんでいる。今にも零れ落ちそうだ。
「"神聖な約束"とやらを、今ここで交わそう。いいね?もし破ろうものなら、
警察を呼ぶだけじゃ済まないぞ」
「ねえ……ジョ一、本気で言ってるの?あ……あまりにも……」
鼻にしわが寄り、唇が噛み締められた。泣くのを堪えているらしい。呼吸が細かく引き攣れるようだ。
「ぼくを、ど、どれだけ……どれだけ傷つければ、君は……」
「どこがいい?ベッドか?君のベッドじゃ一人寝転んだらいっぱいだな。
残るは床でしかないが、別に構わないだろう。何しろ大好きなぼくと触れ合えるんだから」
「ジョ一、あんまりだ。帰ってくれ。ぼくはこんな事望んでない。ぼくを侮辱して、
ぼくを支配しようとするのはやめてくれ。ひどすぎるよ、こんな事、あまりにもひどすぎる」
顎をつかんで上向かせると、彼は素直に顔を上げた。苦痛にゆがんだ表情を晒し、
肩で息をしている。濡れた目がぼくを捉えた。
ぼくよりかなり長身である彼に口付けるには彼の協力が必要だったのだが、
彼は頑なにそれを拒んだ。仕方なしに、ぼくは彼の首筋に唇を押し付けた。
嫌がるそぶりを見せながらも、彼はぼくを突き放そうとはしなかった。
全身が緊張に張り詰めているようで、首筋に血管が浮き出ていた。
「せいぜいいい思い出にするんだな」

首筋に唇をつけたままそう囁くと、八゜リ一の目からついに涙がこぼれた。
ぼくがここを訪れた当初から八゜リ一は半裸だったので、体に触れるのは容易かった。
八゜リ一の裸の胸に手を当てると、彼の鼓動がぼくの手のひらを直に叩くかのようだった。
皮膚一枚を隔てたすぐ下に彼の心臓が息づいているように思えて、ぼくは彼の心臓を握り潰そうと
するがの如く彼の胸部に爪を立てた。八゜リ一は痛みに耐えて眉間にしわを寄せるのみだった。
「ジョ一」
彼は目に涙をためてぼくの頬におずおずと手を伸ばし、無声でぼくの名前を呼んだ。
「ぼくはだめだ。どんな仕打ちを受けても、やっぱり君を愛してる」
言葉の内容に反し、彼の声は絶望感でいっぱいだった。
自嘲に満ちた、悲しげな声でそう囁いて、八゜リ一はぼくの顔を両手で抱えて
ゆっくりと顔を近づけてきた。
すぐに押し付けられてきた唇はひどく冷たく、震えていて、かさついていた。
ぼくの眼鏡に彼の顔が触れ、ガラスが油で白く曇った。
彼の熱い息によるものかもしれなかったが、ぼくは鬱陶しくなって眼鏡をはずし、ポケットにしまった。
この方が好都合だ。彼の姿をはっきり見ずにすむ。
愛情に飢えた哀れな男に相応しいすがりつくような執拗な口付けに、ぼくもなるべく応えた。
嫌悪感に耐えられなくなるかもと懸念していたが、無用の心配事だったようだ。
ぼくにあるのは疲れた義務感のみだった。これさえ終われば全てが終わる。
そう思えばこそ、ぼくの頭を狂おしげに抱えて口付けてくる彼の背に腕を回し、
優しく撫でさすってやるなどという芸当も可能だったのだ。
やがてようやく気の済んだらしい彼は先ほどと違って十分な潤いをまとった唇を
名残惜しげに離し、ぼくを両腕で抱きしめた。彼の顔は見えなかったが、呼吸の様子から
泣いているという事は伺えた。しゃっくりのような嗚咽が触れ合っているぼくの体をも揺らしていた。

「愛してる、ジョ一イ。ジョ一イ、ジョ一イ……ジョ一イ」
「男同士はどうやればいいんだ。いや、もちろん、行為は知ってるけど。
何か必要な道具とかは、あるのか?」
八゜リ一は一度ぼくから体を離し、ぼくを不思議そうに見た。濡れて光る緑色の瞳が
ぼくをまっすぐに見つめている。異様なほど澄み切った目だ。―――赤ん坊のような純粋さをまとった。
しばらくぼくを見つめた後、八゜リ一は眉を顰めた。
「わからない。ぼくもそれほど、詳しくないから。そんなに急がなくてもいいでしょう?
二人で抱き合っているだけで、十分だよ。すごく素敵だ。ようやく通じ合った気がする。
ジョ一イ、愛してるよ。一緒にいるだけで、ぼくはもう満ち足りてる」
「そうはいかない。今日のうちに済ませたいんだ。"神聖な約束"を守れよ」
八゜リ一が再びぼくを優しく抱きしめたので、ぼくも彼の背に腕を回した。
まるで壊れ物を扱うようなおどおどした手つきだ。彼にとっては、
ぼくは何物にも代えがたい宝物なのだろう。この中年のくたびれた男が。
ぼくはおかしくなって忍び笑いを漏らした。八゜リ一は気にしていないようだ。
「潤滑油になるようなものが必要だろう。何か持ってないのか」
「ジョ一、そんな話は必要ない。ぼくを見て?愛してるよ、ジョ一イ。本当に。
言葉にする必要もないかな。ぼくを見ればわかるよね?どれだけあなたへの愛に満ちてるか」
「油を……」
しがみついたまま離れようとしない八゜リ一を半ば強引に引き剥がし、ぼくはキッチンに向かった。
数秒置いて、八゜リ一もぼくについてきた。汚いキッチンの棚に置かれていた調理用の油を
手に取り、ぼくは八゜リ一のほうを振り返った。何て純粋な男だろう。
ぼくを信じきって、愛しげな笑みを唇に浮かべている。
一見、どこまでも人畜無害に見えるこの男が、結果的にぼくの人生を狂わせたのだ。
いや、どうだろう。わからない。あの事故に遭遇したときから、ぼくの人生は180度変わっていたのかも。

ぼくは八゜リ一から目をそらし、油を少しだけ指先に落とした。
古いのだろうか、あまりぬめりけがないような気がする。ぼくは顔を上げ、八゜リ一の濡れた目を見た。
「早く終わらせたいんだ。服を脱いで、そこにうつ伏せになれ」
「ジョ一?」
有無を言わせぬ鋭い視線――になるように、自分では努めたつもりだ――を
向けると、八゜リ一は穏やかな笑みを引っ込めて困惑の表情をわずかに浮かべた。
しばらくもじもじとその場に立ち尽くしていた後で、八゜リ一はぼくにすがるような目を向け、
ゆっくりと下半身に身に着けていたものを脱ぎ捨てた。
陰部を隠すようにしながら黙ってそこにうつ伏せた彼のそばに跪き、ぼくは油を塗った
指先を彼の尻の割れ目に滑り込ませた。彼の体が緊張に張り詰める。
想像以上に事は難しいかもしれない。ぼくは眉を顰め、油を足して指先を蠢かした。
ぼくの努力はしばらく続いた。何とも言えず、想像以上にそこは固く、何物をも
受け入れさせはしまいと頑なにほぐす指を拒むのだ。
いくら油を足してもそれほどの効果はなかった。
初めのうちは懸命に我慢していた八゜リ一も、ぼくが苛立ちまぎれに無理やり指を二本、
第二関節まで押し込んだ辺りで、悲痛な呻きを漏らし始めた。
埒が明かなかった。八゜リ一が男同士の行為を知らないというのは本当だったようだ。
ぼくの半ば乱暴とも言える慣らしに呻き、八゜リ一は足をじりじりと
床にこすりつけて苦痛に耐えた。
しびれを切らしたぼくは、八゜リ一のその部位が何とか指三本、ギリギリながらも
受け入れた時点で、慣らしを打ち切った。後から考えれば不十分だった事は明らかだが、
その時のぼくはそれで十分だと思っていた。
指を抜かれ、安堵して肩で呼吸する八゜リ一の腰をつかみ、膝立たせると、ぼくはファスナーをあけた。

赤い顔をしてぼくを振り返り、八゜リ一は涙に濡れた双眸を揺らした。
ぼくはその時、八゜リ一があまり喜んでいない様子でいるのを不思議に思っていた。
これこそが彼の望みだったはずだ。浮かない顔をしているのは何故だろう。
萎えたままどうしても勃起しようとしない己の道具を懸命にこすっている間、
八゜リ一は複雑そうな顔でぼくを見つめていた。
「君の顔が見えないよ」
八゜リ一のすがるような声を無視して、ぼくは何とか勃起してくれた己の道具に
油を注いだ。コンドームの存在をすっかり忘れていた当時のぼくを渾身の力込めてぶん殴りたい。
思い出していたとしても、八゜リ一がそんなものを持っている可能性は限りなく0に近かったろうし、
むろんぼくもコンドームを常日頃持ち歩いているわけではないので、無意味だったのだが。
結果的には何の病気ももらわなかったので、良しとするべきだろうか。
何にせよ、ぼくはもっと慎重になるべきだ。
八゜リ一の尻にも油を垂らし、ぼくは八゜リ一の窄まりに先端を押し付けた。
ああ、さっさと終わらせよう。ぼくの頭の中にはそれしかなかった。
「ジョ一イ、君の顔が見えない。抱き合いたいよ」
なおも食い下がる八゜リ一の声を半ば聞き流し、ぼくは強引な侵入を開始した。
驚くべき狭さだった。八゜リ一の悲痛な悲鳴は言わずもがな、ぼくまでもが
間抜けな悲鳴を上げそうだった。なんて狭さだ。食いちぎられるのでは?
ぞっとするような想像が頭の隅をかすめたが、敢えて気付かないふりをして、ぼくは
義務的な行為をさっさと終わらせるべく、痛みすら覚える狭さの中を一気に貫いた。
ぼくのほうがそこまでの苦痛を伴っていたのだ、八゜リ一のほうは相当だっただろう。
低い搾り出すような声で呻いていた八゜リ一の白い背中を見下ろしながら、ぼくは
腰を使った。なんて滑りけの悪い、不快な狭い穴だろう。

ぼくは自暴自棄になって一心不乱に腰を打ちつけ、抜き差しを繰り返した。
ふいにやたらと滑りのよくなったことを疑問に思った直後、引き出した自分のあれに
目を落として、何が起こったのかを知った。出血だ。
負荷に耐えきれなかった八゜リ一の内部が切れたのだ。
ぼくは血のこびりついたそれを神妙な顔つきで眺めた。動きが止まったことでいくらか
落ち着きを取り戻した八゜リ一は、一度長い吐息を吐くと、ぼくを青ざめた表情で振り返った。
何とも身勝手なことだが、ぼくは八゜リ一を見て何だか気の毒になってしまった。
苦痛に青ざめながらも、その顔はぼくへの愛情と"赦し"に満ちているのだ。
萎えたぼくのものが、自然とそこから抜け落ちた。八゜リ一は微笑みを浮かべた。
「……つらかったか」
言わずもがなの間抜けな質問を吐き捨てるように呟いたぼくに、八゜リ一は何を思ったのだろうか。
あの"赦し"の表情で柔らかな眼差しをぼくに送って寄越した。
「平気だよ。君の愛を感じた」
身を起こし、傷ついた尻をかばいながらゆっくりとぼくに近づく八゜リ一から顔を背け、
ぼくは立ち上がった。八゜リ一もそれに従おうとしたが、尻の痛みが勝ったようで、
苦痛に顔をしかめて床にへたり込んだ。そのまま踵を返して出て行こうとするぼくの背に、
八゜リ一の戸惑いの声が投げかけられた。
「ジョ一?」
外界へと通じるドアのノブを回しかけていたぼくのそばに、あわてた様子で八゜リ一が近寄ってきた。
傷が相当痛むのだろう、その細面はなお青ざめて、苦痛にゆがんでいる。
今思えば、あれは苦痛による表情などではなく、ぼくに対する表情だったのかもしれない。

「ジョ一イ?どこに行くの?」
心細げに囁いた八゜リ一の言葉より、ぼくは突然思い当たった場違いな疑問に気をとられていた。
全裸でぼくのそばに立っている八゜リ一を見て、"そういえば、八゜リ一は行為の最中、
少しでも勃起をしたのだろうか"という疑問を抱いたのだ。
その時、八゜リ一のそこは完全なる平常状態だった。一見しただけでは何ともいえないが、
それまで勃起していたという様子も見受けられない。
果たして、八゜リ一はぼくに対して、何かしら性的な感情を抱いているのだろうか。
もしかしたら本当に、純粋に神の愛を信じ、ぼくの愛を信ずるがゆえに行動しているだけかもしれない。
それどころか、この男には、普通の人間と同じような欲望がまるで抜け落ちてしまっているのかも。
食欲、睡眠欲、性欲……排泄欲、私欲、利欲、煩悩といった類が。
目の前に立っているこの全裸の男が、突然人間に見えなくなったような気がした。
夢見るような表情で今もぼくに絶対的な信頼を寄せ、ぼくに揺ぎない愛を贈る。
何とも奇妙な恐怖だった。想像できるだろうか、まるで人間味のない非現実的な男が
目の前に全裸で立っていて、それどころか、その男から全身全霊の愛を永続的に浴びせかけられることの恐怖を。
ぼくはその時、もし仮に八゜リ一が黄金の光を背に、ふわりと空に浮かび上がったとしても
それほど驚かなかったであろうという確固たる自信がある。
それほど、その時抱いた八゜リ一への印象は強烈だった。
「ジョ一?ジョ一イ?たくさん話し合わなきゃいけないね。何から始めよう?
二人で住むのに十分な綺麗な家を探して、―――犬も飼おう。前の犬はいなくなってしまったから―――
それから、それから―――ああ!考えるのがもどかしい!ただ抱き合って、そばにいれたら、
ぼくはそれでいいのに」

「わかってないな。"神聖な約束"は?忘れたのか」
今にも喜びではちきれんばかりになっている八゜リ一にそれだけ吐き捨てると、ぼくは
ドアノブを回した。その手を八゜リ一の白い指が絡め取った。
「ジョ一イ?愛してるよ。ああ、言葉ってもどかしい。そんな言葉じゃ足りない。
本当に本当に愛してる。心から!」
「関わらないという約束だな。破れば、さっきも言ったように、警察を呼ぶだけじゃ済まない」
八゜リ一につかまれた手を振り払うと、八゜リ一の喜びの表情が翳った。
「ジョ一イ、こんな時までそんなふうにふるまうの?君ってやっぱり、少し変だな。
どうしてオープンになれない?そういうの、何だか疲れるよ」
黙ってドアノブを回し、押し開けた隙間に逃げ込むように体全体を外に押し出すと、
八゜リ一の追いすがる手がぼくの腕をつかんだ。
「ジョ一、君は求めるばかりで、ぼくには何にもくれないね。たった一言でいいんだ。
帰る前に、ぼくに言って。一言でいい。それで今日は我慢する」
ぼくは力任せに八゜リ一の手を振り払い、振り向きざまに目の前にあった八゜リ一の
愛に満ちた顔を反射的に殴りつけた。
それほど力いっぱい殴りつけたわけではないのだが、八゜リ一は驚くほどあっけなく
ぼくの殴打に倒れた。たぶん、予想だにしない事態に驚いたせいでもあったのだろう。
八゜リ一はしばらく倒れた姿勢のまま横たわっていた。呆然とした表情で天井を見つめている。
ぼくは一気にまくし立てた。
「一言か。一言じゃ済まん。一言といわず、もっとお前にやろう。
これ以上ぼくやぼくの知人に何かしら面倒をかけてみろ。警察を呼ぶだけじゃ済まないと、何度も言ったな。
殺してやる。いいな、殺すぞ。脅しじゃない。本当にお前を殺してやる。」

吐き捨てると、ぼくは外界へ向かって駆け出した。
八゜リ一の城、八゜リ一の妄想と夢の世界から逃げ出し、外界の正常な現実味を帯びた
"日常"を求めて八゜リ一のアパートを出た。
行きかう人々、水溜りを跳ねながら走り去っていく車、いかにも治安の悪げな
暗い雰囲気の町並みに、ぼくは心底安堵した。
肌を打つ雨の冷たさすら、ぼくに現実をもたらしてくれる証明のような気がして、
ぼくは安堵を覚えた。
ポケットにしまっていた眼鏡をかけ、行く当てもなく歩き出す。
今日のところは、家には帰れない。
勹レ了をひどく傷つけてしまったし、正直言ってこの気分のまま勹レ了に会うのは苦痛だった。
友人の家を訪ねようと思い至ったところで、ぼくは後ろを振り返った。
ビルとビルの間に隠れるようにして、八゜リ一のアパートが少しだけ覗いていた。
ひどくみじめな、絶望的な思いに囚われて、ぼくはあわてて前に向き直り、足を速めた。
おそらく、八゜リ一はまたぼくの前に現れる。何かの"サイン"を受けたと信じて。
そうしたらぼくはどうする?

ぼくは足を速めた。
早く友人に会いたい。この悪夢から目覚めたい。
ぼくは周囲に水を跳ね飛ばしながら、雨の中一心不乱に歩き続けた。

                    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                    | 一気に書き捨てました……長文&暗さスマソ
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 | __________  |    ̄ ̄ ̄V ̄ ̄| 映画版で妄想しましたが、性格は原作寄りかもしんない
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 | | □ STOP.       | |              ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | |                | |           ∧_∧ ∧_∧ ∧∧ マンゾクシマシタ…
 | |                | |     ピッ   (´∀`; )(・∀・;)(´Д` )
 | |                | |       ◇⊂    )(    ) |  ヽノ___
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 |  °°   ∞   ≡ ≡   |       || (_(__)(_(__).      ||  |
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