マハーバーラタ ドゥルヨーダナ×ユディシュティラ
更新日: 2011-05-03 (火) 11:41:57
此処は、ハスティナープラに程近い川辺の小屋。
聖なるガンガーの流れを臨む、クルの王族の憩いの場である。
本来は沐浴や休息の為に造られた場所であったが、王家に百人の男児が生まれてからというもの、
専ら元気な盛りの王子達の川遊びの拠点として使われる小屋となっていた。
――とは言っても、それは昼間の話。
もう日も暮れた今、この場所にある人影は一つきりだった。
「遅いな……ビーマは」
小屋の壁に凭れて呟くのは、王太子ユディシュティラ。
先王パーンドゥの長子であり、百王子の従兄弟にあたる少年である。
王位を捨てて森に隠遁していたパーンドゥが亡くなったのは、一年程前のこと。
森で生まれ育ったユディシュティラと弟達は、父の死を機に、
母に伴われてハスティナープラの都に移り住んできたのである。
その時、ユディシュティラは齢十六。百王子より一つ年上。
パーンドゥの兄である現王ドリタラーシュトラに実の子のごとく迎えられ、
百王子とも兄弟同然に過ごすこととなったはいいものの、
ユディシュティラ達五人兄弟と百王子との仲は、決して良好とは言えなかった。
五兄弟の次兄ビーマは、奇しくも百王子の長兄ドゥルヨーダナと同日の生まれ。
王子達の中でも一際大柄で力の強いビーマは、武術を習えば他の王子達を容易く打ち負かし、
少年同士の遊びの中でも体力面では頭角を現していた。
百王子、中でもそれまでは負け知らずだったドゥルヨーダナには当然、面白くない。
加えて、ビーマは粗野で悪戯好きだった。
ドゥルヨーダナの弟達が木に登っていれば木を揺すって振り落とし、水遊びをすれば溺れかけさせ。
その度に温和なユディシュティラに窘められつつも、悪意が無いだけに彼の悪戯は収まらない。
百王子の反感と嫉妬が、彼等兄弟への敵意に変わるには、そう長い時間は要しなかった。
それに拍車をかけたのが、先日の王太子内定である。
ドリタラーシュトラは元々、パーンドゥから王位を預かっているという意識が強かった。
そしてまた、他のどの王子より、ユディシュティラの民からの信望は厚かった。
亡き弟への敬意と、民の期待。その為に王は、ユディシュティラを太子と定めたのである。
王位を継ぐのは自身だと信じて疑わなかったドゥルヨーダナには、寝耳に水だった。
それは彼の弟達も同じで、百王子の五王子への眼差しはより一層厳しくなっていた。
そんな敵意を感じ取ってか、五王子は寄り添うように、絆を強めていった。
殊に、ビーマは常に、降り注ぐ敵意からユディシュティラを守ろうとしていた。
ドゥルヨーダナは、荒っぽく小屋の戸を開けた。
顔を上げたユディシュティラの瞳が、安堵から驚き、そして不安の色へと変わるのが見て取れる。
無理も無い。彼が今この場所を訪れるなど、ユディシュティラは予想さえしていなかったのだろうから。
「ドゥルヨーダナ……なぜ此処に」
真っ直ぐに彼を見ず、少し俯き気味でユディシュティラが問う。
この従兄弟にあまり好かれていないことは、ユディシュティラにも解っているようだった。
ドゥルヨーダナは小屋に踏み入り、ユディシュティラに数歩の距離まで近付いてから答える。
「お前と話をする為、だ」
ユディシュティラが顔を上げる。戸惑いの表情を浮かべて。
「なぜ、私が此処にいると……私は、ビーマに呼ばれて」
「召使から言付けがあったのだろう。二人で話したいから此処に来い、と」
はっとした顔で、ユディシュティラが凍り付く。
やっと気付いたのだろう。あの召使からの言付けが、偽りであったことに。
ドゥルヨーダナこそが、ユディシュティラをこの場に呼んだ張本人だったということに。
「俺からと言っては、恐れて来ぬやも知れんと思ってな」
口の端を微かに吊り上げて、また一歩、ユディシュティラに近付く。
ユディシュティラが、怯えたように身を竦めた。
「どうした。俺が怖いか」
「……話と、いうのは」
ドゥルヨーダナの問いには答えずに、ユディシュティラは問い返す。
それが問いへの肯定という意味を持つことを、ドゥルヨーダナは知っていた。
正法神ダルマの申し子たるユディシュティラは、嘘が吐けない。
そういう風に生まれついているのか、吐かないだけなのかは誰も知らないのだが、
兎も角、ユディシュティラの嘘を聞いたという者は、誰一人としていなかった。
正直には答え難い問いを投げ掛けられた時、彼の返す反応は、黙り込むか話を逸らすかなのだ。
沈黙によって本心を隠すことさえ、ユディシュティラは酷く下手であったが。
「何を怯えている。俺が何かするとでも思ってか」
更に、一歩。もう二人の距離は、手を延ばせば容易く届く程だった。
ユディシュティラは俯き、壁に背を押し付けるようにしてドゥルヨーダナの接近に抗う。
弟達と違ってさほど武芸を好まないユディシュティラの体は細く、華奢だった。
一つ年下のドゥルヨーダナの方が、体格では既に勝っている。
萎縮しきった王太子の姿は殊更に小さく見えて、ドゥルヨーダナの支配欲を煽った。
半歩の距離まで、更に近付く。
俯いたままのユディシュティラの頭の横を掠めて、わざと音を立てるように右手を壁につく。
ユディシュティラの体がびくんと震え、結い上げた髪のほつれが僅かにふわりと舞った。
「俺が怖いか? なぜだ――」
怯えるように仕向けておいて、それは愚問だとは知っている。
しかし、それにさえユディシュティラは答えなかった。
「……ドゥルヨーダナは」
小さく開かれた唇から、か細い声が洩れる。
「私のことが……嫌いなのか?」
一瞬、ドゥルヨーダナは戸惑った。
ドゥルヨーダナが彼等兄弟を憎んでいることなど、自明ではないか。
それさえも、この人の好い王太子は理解していなかったというのか。
戸惑いは、すぐに苛立ちに変わった。
「嫌いだ」
先程よりも強い力で、左手をも壁に押し付ける。
今やユディシュティラは、ドゥルヨーダナの腕が形作る檻に囚われた状態である。
今にも触れ合いそうな体と体の間の空気が、ユディシュティラの震えを伝える。
「その鈍さが」
人の持つ悪意など理解できない、純粋さが。
「八方美人な所が」
誰にでも優しく、当たり前のように善意を向けることが。
「偽善が」
他の者が言えば綺麗事にしか聞こえない事でも、本心から口にできる清い心が。
「……大嫌いだ」
――好き、だ。
ドゥルヨーダナの視線から逃れるように、ユディシュティラは俯いたまま従兄弟の顔を見ようとしない。
その反応に、ドゥルヨーダナの苛立ちは強まっていた。
怯えの為だとは解っている。自分が怯えさせているのも解っている。
何を期待している訳でもない、筈だった。むしろ恐れられることを望んでいた筈だ。
凶兆と共にこの世に生まれ落ち、恐れの視線に曝されながら育った。
愛情を向けてくれている父母や弟達さえも、時に不安を見せた。
それを苦痛に思ったことは無い。ドゥルヨーダナにとって、恐れられるのは当然のことだった。
一点の曇りも無いユディシュティラの視線は、むしろ息苦しかったのだ。
それを撥ね付けるため、今まで、悪意ばかりをぶつけてきた筈だった。
「なぜ、俺を見ない」
自分の苛立つ理由が、ドゥルヨーダナには解らなかった。
ただ、暴力的な衝動が膨れ上がるのだけを自覚していた。
右手を壁から離し、ユディシュティラの顎を掴んで自分の方を向かせる。
怯えのためか抵抗もせず、ユディシュティラは今にも泣き出しそうな目を従兄弟に向けた。
「見るのも嫌なほど、俺が嫌いか?」
幾分小柄なユディシュティラを見下ろしながら、ドゥルヨーダナは問う。
「違……う」
掠れた声で、ユディシュティラが答えた。
「憎くないのか? 俺が」
ユディシュティラの顎に沿えた手を、彼の細い喉まで滑らせる。
軽く力を込めるだけで、ユディシュティラの表情は苦痛に歪んだ。
「まだ綺麗事を言えるのか。大した聖人君子だ」
力を緩め、喘ぐような呼吸を繰り返すユディシュティラを見て意地の悪い笑みを浮かべる。
既に、ユディシュティラの蓮弁のような目には、薄く涙が浮かんでいた。
なぜ自分がこのような仕打ちを受けるのか、なぜ憎まれているのか、理解できないという戸惑いの表情。
その清らかさが、ドゥルヨーダナの苛立ちを加速する。
汚したい。壊したい。絶望の淵に、突き落としてやりたい。
覆い被さるようにユディシュティラの体を壁に押し付けて、唇を唇で塞ぐ。
ユディシュティラの目が、驚きに見開かれた。
さすがに逃れようとする彼の体を自身の体で押さえ付け、背けようとする顔を手で固定して、口内を蹂躙する。
柔らかい舌を強引に絡め取り、舐め回し、到る所に舌を這わせる。
淫靡な行為にドゥルヨーダナのものは既に昂ぶり、衣越しにユディシュティラの腰に押し付けられていた。
動転しているとはいえ、その感触にユディシュティラも気付いているだろう。
そのことが彼に与えているであろう嫌悪と衝撃を思うと、ドゥルヨーダナの昂奮は高まった。
やがて、ドゥルヨーダナは唇を離す。
口内を嬲られている間、殆ど息を止めてしまっていたのだろう、
解放されたユディシュティラは口の端から唾液が零れるのにも構わず空気を貪った。
苦しげなその表情の艶かしさに、ドゥルヨーダナの欲望は更に煽られた。
――けれど。
ユディシュティラを押さえ付けていた手を放し、壁から体を離す。
壁に凭れたまま、ユディシュティラは床に座り込む。
息はまだ乱れたまま、怯えと困惑の混じった視線をドゥルヨーダナに向ける。
その瞳には、ドゥルヨーダナを責める色は無い。
胸に、焼かれるような痛みが走る。
「これが――」
ユディシュティラを見下ろしながら、ドゥルヨーダナは言う。
「このような、天の法に背く行いをする、これが……俺だ。
憎むがいい。俺はお前の憎悪に値する人間だ」
答えは待たず、ドゥルヨーダナは王太子に背を向けた。
聞かずとも、答えは解っていた。
ユディシュティラに、人を憎むことなどできはしない。どんな仕打ちを受けようと。
どんな辱めを与えても、その純白の心を黒い感情に染めることなど叶わない。
その清さを、ドゥルヨーダナは憎み、愛していた。
嫉妬と、憎悪と、欲望に満ちた自身には、決して手に入れることはできない純粋さ。
たとえ肉体や地位で支配しようとしたところで、決して屈しない、染まらないであろう輝き。
どんなに汚しても、ユディシュティラは汚れの無いままなのだ。
それが己の苛立ちの理由であることに、ドゥルヨーダナは、既に気付いていた。
それ以上の言葉は無いままに、ドゥルヨーダナは小屋を後にした。
拙い文章にて失礼しますた。
原典の時間軸との矛盾とかあったらばしばし指摘して下さい。
…ユディが太子になったのいつ頃だったか正確に覚えてないんだyo(つД`)
2chへのSS投稿は初めてなので緊張で手に汗ビショーリ。
こんなのでも神話萌えさんが増えるきっかけになるといいなあと祈りつつ逝ってきます。
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